グーラ
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6部分:第六章
第六章
その首は只の首ではなかった。目は赤く爛々と輝き半開きになった口からは狼の様な牙が見えていたのである。それは明らかに人のものではなかった。
「この首は何なんですか!?」
「おそらくはな」
スレイマーンは話しはじめた。
「グーラだ」
「グーラですか、これが」
「そうだ、女の食人鬼だ」
スレイマーンは述べる。
「マムーの様子を見ておかしいと思っていたが。やはりな」
「そんな、このバグダートに魔物がいるとは」
「旦那様は一体」
「それは」
彼等に言おうとしたところで家の中から声がした。
「旦那様」
それはジンナのものであった。彼は傷だらけの身体で家から出て来た。その右手にはあの刀がある。
「女の首はそちらですか」
「おお、無事だったか」
「はい、何とか」
彼は答えた。
「けれど。危ないところでしたよ」
「一太刀で済ませたからまだよかったのだ」
スレイマーンは彼に対してまたそれを言った。
「何故ですか?」
「この女はおそらくグーラだったのだ」
「グーラですか」
「そうだ。グーラは一太刀で死ぬがな」
「はい」
「ニ太刀を浴びると蘇るのだ。そうなれば御前とても」
「だから何度も念を押されたのですね」
「そうだ」
スレイマーンは答えた。
「これでわかったな」
「はい」
「あの、それで」
マムーの店の者達がスレイマーンに声をかけてきた。
「旦那様はその」
「どうなったでしょうか」
「それはこれからだ」
そう語るスレイマーンの顔は決して明るいものではなかった。
「だがな」
「はい」
彼等に対して言う。
「何があっても驚くなよ」
「わかりました」
「それじゃあ」
「うむ。ジンナ」
「何でしょうか」
「家の中へ入るぞ。いいな」
「わかりました」
「一応コーランの一文は詠唱しよう」
スレイマーンは他の者達に対して述べた。
「魔物はコーランを恐れるからな」
「そうですか」
「アッラーの他に神はなし」
まずはスレイマーンが述べた。
「アッラーは偉大である」
彼等はそう言いながら家の中へ入った。そこは何もない廃墟であった。
「あれっ」
ジンナはその廃墟を見て声をあげた。
「おかしいですね」
「どうしたのだ?」
「いえ、あのですね。私が入った時は凄い立派な家だったんですよ」
彼は言う。
「凄い立派な装飾が一杯あって美味しいお酒や羊の肉まであってね。それがどうして」
「グーラの幻術だったのだろうな」
スレイマーンはそれを聞いたうえで述べた。
「幻術ですか」
「そうだ。本来は只の廃墟だったのだ。ここそのままにな」
「それを魔力で見せていたってことですか」
「そういうことになるな」
「恐ろしい奴ですね」
「そうして男を誘惑して」
「とりあえずここには何もないな」
スレイマーンはその廃墟の中を見回して述べた。
「問題は奥だ」
次に奥にある扉に目を向けた。
「あそこだ」
「あそこは寝室だったんですよ」
ジンナは述べた。
「けれど入っていないです」
「何だ、そうなのか」
「もう扉を閉めたら襲ってきましたから」
「ふむ」
「それで一太刀でやって」
「そういうことか」
「それでその奥ですけれど」
「何があると思う?」
スレイマーンはジンナに問うてきた。
「勘ですけれどね」
「ああ」
「あまりいいものじゃないでしょうね」
「そうだろうな。まあ開けてみるか」
「はい」
スレイマーンが扉に手をかける。そして他の者はそれを見守る。程なくして扉の奥にあるものが姿を現わしたのであった。残念なことにスレイマーンの予想が当たった。
「うっ・・・・・・」
皆それを見て思わず顔を顰めさせた。
「やはりな」
スレイマーンもそれは同じであった。その中を見て顔を歪めていた。
「予想通りだった」
「まさかこれ全部」
「そうだ」
そこにあったのは死体であった。干からびた死体や白骨だけになった死体。様々なものがあったがどれもまともな状態ではないという共通点があった。
「あの女がしたことだ」
「グーラがですか」
「そういうことだ。人を食うのだからな」
「それでですか」
「じゃあ旦那様も」
「多分な」
答える顔が暗くなる。
「この中にいるだろうな」
「何てことだ」
マムーの店の者達はそれを聞いて大きく嘆息した。
「旦那様が化け物にやられるなんて」
「あんな素晴らしい方だ」
「夜には危険が多いものだ」
スレイマーンは述べた。
「女であってもな。それでマムーは」
「魔物の餌になったってわけですか」
「そういうことだ。しかし」
スレイマーンもまた嘆息した。
「恐ろしい話だな。このバグダートにこうして魔物がいたとは」
「ええ」
それにジンナが頷く。
「とんでもないことですよ、これって」
「だが真実だ」
彼はそれに返す。
「今ここにある屍達がな。何よりの証拠だ」
「そうですね。それにしても」
「何だ?」
「若し旦那様が気付かれなかったらどうなっていたでしょうかね、一体」
「そうだな」
スレイマーンはその言葉に応えて述べた。
「最悪このバグダートが魔物の街になっていただろう」
「魔物のですか」
「少しでも油断すればな」
彼は言う。
「そうなってしまうのだ。惑わされても」
「恐ろしいことですね」
「だからこそ常にアッラーと共にあらねばならない」
これが彼の考えであった。
「全てはアッラーの下に」
「アッラーの下に」
「アッラーは偉大なり」
またその言葉が復唱された。そして犠牲になった者達を弔うのであった。
砂漠の町の遠い遠い昔話である。これは果たして本当にあったのかどうか。アラビアンナイトにはこうした魔物の話が多くあるがそれでも本当かどうかはわからない。それを確かめたければ砂漠に浮かぶこの街に行けばいいだけだ。だがそこで美女に出会ったならば御用心あれ。貴方が勇気あるならばよし。なくて単なる色好みならば。美女に食い殺されぬよう心するべきであろうか。
グーラ 完
2006・10・29
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