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人になった虎か、虎になった人か

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人になった虎か、虎になった人か

            人になった虎か、虎になった人か
 中国唐代の話である。その頃の唐は則天武后や偉后による政治が終わり玄宗による統治がはじまったばかりであった。
 この玄宗という皇帝は唐、いや中国の歴史においてとりわけ有名な人物の一人である。それは白楽天の詩である『長恨詩』でも有名な楊貴妃とのロマンスの由縁であろうがそれだけではない。彼は皇帝として極めて有能であったのだ。
 その為唐は栄えた。国の中はよくまとまり民は太平を謳歌した。だがそれはまだ少し先の話であった。
 その中国の江南、昔で言う呉の辺りの話である。ここに一人の貧しい樵がいた。
 男は貧しさ故か朝早くから夜遅くまで働いた。だが生活はそれ程楽にはならない。身なりもみすぼらしく、そして蓄えも乏しい為嫁のきてもなかった。
「ふうう」
 男はその日も遅くまで働いた。気がつけばもう日が暮れていた。
「もうこんな時間か」
 彼は周りを見てそう呟いた。そして背中に薪を背負い、斧を担ぐと家に帰ることにした。
 寂しい山道であった。もう梟の鳴き声がして月も姿を見せようとしていた。樵はその中をとぼとぼと歩いていた。
 この山には虎や豹も出るという。しかし実際に見たことはない。彼はそんなものはいないだろうと高をくくっていた。だがその考えはこの時に打ち破られた。何と目の前に二匹の大きな虎がぬっと出て来たのだ。
「ひっ・・・・・・!」
 男は思わず叫んだ。そして背中に担いでいた薪を放り捨てすぐ側にあった木によじ登った。とりあえず逃げたかったのだ。
 しかし男はここで気付いた。虎は木に登ることができるのだ。顔をさらに青くさせた。
「まずい・・・・・・」
 だがそれはなかった。虎はどちらも木に登るにはあまりにも大き過ぎた。体重が邪魔で木に登ることができないのだ。
 しかもその木はかなり高かった。樵は虎達が何とか登ろうとしている間にさらに上に登っていった。虎達はそれを悔しそうに見ていた。だがやがて顔を合わせて話をはじめた。
「どうする?」
「あれをやるか」
 何と人の言葉を話していた。樵はそれを聞いてこの虎達は普通の虎ではないのだと悟った。
 虎達は話を終えると一匹が何処かへ消えた。そしてすぐに他の虎達を引き連れて来た。
「今日の獲物だな」
「ああ」
 その引き連れてきた虎がそれに答えた。
「見たところあまり美味そうじゃないな」
「俺は人間は食べたことはないのだが」
 彼等は口々にそう言う。
「だがもうそんなことを言っていられる状況じゃないだろう。腹が減って仕方がない」
「それもそうだ」
「じゃああれで我慢するか」
 そう話し終えると木のすぐ下にまでやって来た。そしてまず一匹が四つんばいになった。
 その上に一匹の虎が乗る。そしてもう一匹。そして段々になって樵に迫ってきた。
「何と」
 樵はそれを見て仰天した。逃げようにももう木の頂上にまで来ている。飛び降りてもどのみちこの虎達に食われてしまうのは確実であった。
「どうしようか・・・・・・」
 といってももうどうしようもない。覚悟を決めようとした。だがそれには少し早かった。
 虎達の数が少し少なかった。その為樵に届かなかったのだ。
「おい、これで終わりか!?」
「あと一匹でいけそうだぞ」
 だがいなかった。そのもう一匹がいないのだ。
「むむむ」
 虎達は考え込んだ。そして遂に頂上の一匹が飛び降りた。
「どうするつもりだ!?」
 虎達は彼に問うた。
「朱都事を連れて来る」
 その虎は答えた。
「おお」
「彼なら問題はない」
 他の虎達もそれで納得した。そしてその虎は走り去った。暫くして細い身体つきの虎が連れて来られた。
「おお都事」
 虎達はその虎を見て呼んだ。近目で見るとかなり年老いた虎のようだ。
「わしに捕らえて欲しいのはあの男か」
 朱都事と呼ばれた虎は樵を見上げて虎達に問うた。
「おう、そうじゃ」
「出来るか?」
「無論」
 朱は余裕を以ってそう答えた。
「まあ見ているがいい」
 彼はそぷ答えると連れて来た虎につくようにして登った。そして忽ち樵の側にまで来た。
「き、来た・・・・・・」
 彼は虎が迫って来るのを見て震えた。流石に観念しようとした。だがそれにはやはり早かった。
 ふとここで腰にあるものに気付いた。そこには斧があった。
「そうだ、これで」
 彼はその斧を手にした。そしてそれで襲い掛かろうとする虎の前足を払った。
「ギャッ!」
 それを受けて虎は叫んだ。そして慌てふためいて逃げて行ってしまった。
「都事、大丈夫か!?」
「おい、何処に行かれた!」
 虎達はそれを見て口々に叫んだ。そして皆何処かへ姿を消してしまった。
「行ったか・・・・・・」
 樵は虎達が去ったのを見てとりあえずは胸を撫で下ろした。しかしやはり身の危険は感じていたのでそのまま木の上で夜を明かした。朝になって木を降りて村に帰った。そしてその夜のことを話した。
「朱都事か」
 村人達はそれを聞いて彼に問うた。
「そうだ。知っているのか?」
「知っているも何もここから少し東に行ったところにある町のお役人だぞ。どういうわけか都事と呼ばれているけれどな」
「そうなのか」
「ああ。だがその人はちゃんとした人間だぞ。虎なんかじゃない」
 村人達はそう答えた。樵はそれを聞いて首を傾げた。
「だがその虎は人間の言葉を喋ったのだ」
「それはさっき聞いた」
「もしかするとということもある。とりあえず確かめたいのだが」
「わかった。そう言うのなら」
「わし等も行こう」
 こうして彼について数人の村人が隣の村に一緒に向かった。そしてその村の者に問うた。
「朱様か」
「ああ。今どうしている?」
 樵に問われたその村人は素直に答えた。何でも腕を怪我してそれで家に篭っているらしい。
「まさか」
 彼等はそれを聞いて顔を見合わせた。そしてとりあえず話し合うことにした。
「どうする?もし本当に虎だったら」
「洒落ではすまんぞ」
 顔が青くなっていく。危険なものを感じた彼等はすぐに県知事に届け出た。県知事はそれを聞くとすぐに樵のいる村にやって来た。
「話を詳しく聞かせてもらおうか」
 彼は樵に問うてその夜の話を聞いた。そしてそれから彼に語った。
「人が虎になる、または虎が人になるという話は知っておろうな」
「はい」
 彼は答えた。
「それは聞いたことがあります」
「ならば話が早い。そしてな、これは虎が人になるのより人が虎になる方が危険なのじゃ」
「何故でございますか」
「虎は人になり人の心を得る。じゃが人は虎になり虎の心を得るのじゃ」
「それでは都事は」
「そうじゃ。虎じゃ。一体どういう経緯でそうなったかは知らぬが今のあの者は人の姿をしておってもその心は虎そのものなのじゃ」
「では一刻も早く何とかせねば」
「まあ待て」
 だが知事は彼を宥めた。
「お主も虎の怖さは知っていよう」
「はい」
「ことは慎重に運ばなければならん。よいか」
 あらたまって話をはじめた。
「まずは確かめてからじゃ。間違いであってはならんからのう」
「わかりました」
「よいな。では行くぞ」
「はい」
 こうして樵は知事の案内をしてまたその村に入った。やはり朱は家で寝ているとのことだった。
「調べよ」
 知事は側にいる者の一人に言った。そしてそれに従い一人朱の家に入った。やがて彼は青い顔になって帰って来た。
「どうじゃった?」
「間違いありません」
 彼は青い顔をして答えた。
「あそこにいるのは虎です。まごうかたなき虎です」
「そうか」
 彼はそれを聞いて頷いた。
「これで間違いはないな」
「はい」
 周りの者はそれに頷いた。
「では行きますか」
 周りの者は動こうとした。だが知事は彼等を止めた。
「待つがいい」
「何故でございますか?」
「相手は虎だ。危険だ」
「しかし怪我を」
「尚更危険だ」
 知事は忠告するようにして言った。
「手負いの虎というのを知っているな」
「はあ」
「しかし」 
 ここで樵が口を挟んだ。
「相手はかなり年老いていましたよ」
「ならばより危険だ」
 知事はさらに言葉尻を強くさせた。
「何故でしょうか」
「年老いた虎だな」
「ええ」
 樵はそれに頷いた。
「そうなるとかなり危険だ。年老いた虎は仙術を使う」
「仙術を」
「そうだ、仙術だ」
 知事は再び答えた。
「もっともあの男は人が虎になったものだがな」
「そのようですね」
「それならば相当の力があるだろう。仙術がな」
「人から虎になるものだけで相当な力が必要ですね」
「そうだ。そうしたことも考えるとな」
 彼は答えた。
「下手に飛び込んではまずい。慎重にいくぞ」
「わかりました」
 彼等は頷いた。
「ではどうしますか」
「そうだな。奴は今家の中にいる。まずは取り囲むぞ」
「はい」
 言われた通り取り囲んだ。
「次にどうしますか?」
「薪を持って来い。多量にな」
 知事はまたそう命令した。彼等は言われた通り薪を持って来た。
「持って来ました」
「それに火を点けろ」
 次にそう命令した。
「火炙りにする。そしてそれで退治するぞ」
「成程」
 彼等はそれを聞いて頷いた。
「それで責める。よいな」
「わかりました」
 言われるままに火を点けた。そしてそれで家を覆った。忽ち四方八方から煙が巻き起こる。
「さあ来い」
 知事は腰の剣を手にしていた。他の者達も得物を手にしている。樵も斧を手に握っていた。
 彼等は息を飲んでいた。間も無く起こるであろうことに全神経を集中させていた。
「どうでる?」
 この程度で虎が死ぬとは思えなかった。彼等は待っていたのだ。
 やがて煙の一部が揺れ動いた。そして中から出て来た。
「出たぞ!」
 それを見た者が叫ぶ。そして左右からその前に殺到する。そして虎を待ち構えた。
「来い!」
 虎が出た。あの年老いた細長い虎であった。彼は炎に包まれて前に飛び出して来た。
「グオオオオオオーーーーーーーッ!」
 地の底から響き渡る様な咆哮を轟かす。そして目の前にいる者達に襲い掛かろうとする。
 だが皆剣や槍を手にしていた。そしてそれでもって虎を防ぐ。
 虎は炎の中に押し返されようとする。だがそれでも咆哮を止めず、彼等にかかろうとする。
「一人ではいるな!」
 知事が剣を手に命令を下す。そして虎のところに来た。
「槍では駄目だ」
 彼はそう言った。
「弓を持って参れ」
「ハッ」
 一人が頷いてそこを去る。そしてすぐに弓矢を持って来た。
 知事はそれを手にすると放つ。それで虎を射た。
 矢は虎の喉を貫いた。鏃が虎の首の後ろにまで出る。
「やったか!」
 皆それを見て思わず叫ぶ。そして虎を見た。
 だが虎はそれでも生きていた。尚も立ち、知事に襲い掛かろうとする。
「おのれっ!」
 知事はさらに矢を放った。それで再び虎を貫いた。
 今度は右目だった。知事はなおも矢を放つ。
 そして三人目。今度は額であった。それで終わりであった。
 虎はその場に崩れ落ちた。そしてその姿を人間のものに戻していく。
「やったか!?」
 人々はまだ警戒していた。やはり得物を手に虎から人になった朱の亡骸を取り囲む。朱はピクリとも動かなかった。それを見て皆ホッと息を撫で下ろした。
「やったな」
「ああ」
 口々にそう言い合い顔を向ける。そして知事を見た。
「お見事です」
「いや」
 だが彼は謙遜して手を横に振る。
「私の力ではない。ここにいる皆のものだ」
「左様でしょうか」
「私一人では到底無理だった。皆よくやってくれた」
 そうねぎらいの言葉をかけた。
「有り難うございます」
 皆それに感謝する。そして知事に頭を垂れた。
「だからそれはよいのだ」
 知事は今度は苦笑した。
「私は止めをさしただけなのだからな。皆の功じゃ。よいな」
「わかりました」
 それを受け頭を垂れた。次に知事は人の屍となった朱に顔を向けた。
「さて」
 見れば事切れている。その口からは血が流れている。
「確実に死んでおるな」
「はっ」
「息はありません」
 周りの者が調べる。やはり息はなかった。
「ならばよいのだ。だが」
「だが?」
 周りの者はその言葉に耳を止めた。
「虎はこの虎だけではない」
「といいますと」
「樵よ」
 彼はここで樵に顔を向けた。
「虎は一匹だけではなかったのだな」
「はい」
 樵はその問いに頷いた。
「かなりの数の虎がおりました」
「それが全て人の言葉を使っていた」
「はい」
「つまりだ」
 彼はここで周りを見回した。
「ここには人の皮を被った化け物が多く潜んでいるということだ」
「な・・・・・・」
 皆それを聞いて絶句した。
「それは本当でしょうか」
「うむ」
 知事はそれに頷いた。
「樵の話が本当ならばな」
「では我等のいる町や村にも虎が人の姿を借りて潜んでいるのですか」
「そういうことになる」
 知事はまた言った。
「怪しげな者達は我等の側にこそ潜んでいるのだ。そして我等を狙っている。それは覚えておけ」
「わかりました」
 それを聞いて顔が青くならぬ者はいなかった。彼等は不意に辺りを見回した。見回さずにはいられなかった。
 以後もこうした話が続いた。そして今もそれはある。人の世にいるのは人とは限らないのであった。


虎の話   完


                   2005・1・16 
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