銀河英雄伝説 アンドロイド達が見た魔術師
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名を忘れた国家
「で、この提案はどうしたらいいと思う?」
「先輩が決めてくださいよ。
私にはその権限がありませんので」
「言うようになったもんだ」
アルマン・ド・ヴィリエ元大主教の提案に、ヤンとキャゼルヌ中将がめずらしく頭を抱える。
それは魅力的ではあるが、盲点を突いたものでもあり、政治の領分に足を踏み込んだものだったのである。
「国家としての自由惑星同盟の承認だけを帝国に求めるですって!?」
ハイネセン某所。
人気の無いセーフハウスで行われたド・ヴィリエ元大主教の提案にヤンは顔色を変える。
何を言っているのか理解するのが遅れ、その意味を理解した時には己の迂闊さに頭を抱えたくなるのを堪えた。
「そう。
この戦争は、『戦争』ですらないのだよ。
帝国では。
『反乱』だからね」
帝国軍は同盟軍のことを叛徒と呼ぶ。
百年以上戦争をしていたと思っていたが、それは同盟から見た話というのは綺麗に忘れていたとしても仕方ない。
だからこそ、ヤンは疑問を口にした。
「しかし、その名前の変更は大事なのですか?
実質的に同盟は国家として振舞っていますが?」
このあたりは、戦術家であり戦略家ではあったが政治家ではないヤンの限界なのだろう。
で、間違いなく政治家であったド・ヴィリエ元大主教はその名前の意味をヤンに教えた。
「君たちの人形師が立ち上げるまで外務委員会が存在しなかったのはどうしてだい?
つまり、同盟の方もそれと知らずに『戦争』ではなく『反乱』を行っていたのさ。
まあ、気づかせないように我々が仕向けたというのもあるけどね」
「シリウスの対処失敗からですか。
その仕掛けは」
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
古の地球統一政府の繁栄と崩壊を少なくとも経験と歴史から地球教というかド・ヴィリエ元大主教が学んでいたという事だろう。
歴史家志望だったヤンはそのあたりを即座に出して、会話のイニシアチブを取り返そうとするが、話を商売にする宗教家でもあるド・ヴィリエ元大主教から主導権を奪回できない。
「そうだよ。
地球教は、この長く延々と続く争いを『戦争』にしないようにありとあらゆる手を使ってきた。
つくづく730年マフィアを敵に回した事を後悔しているよ。
『戦争』になった場合、この戦いの何が変わると思うかい?」
わざとらしい教師的口調でド・ヴィリエ元大主教がヤンに尋ねる。
名前だけの変更だけではない何かがあると感づいてはいたが、それが何なのか政治家ではないヤンは白旗をあげた。
「教えてください。
何が変わるんですか?」
実にもったいぶった間を作って、ド・ヴィリエ元大主教は国家の条件を口にした。
「国家が国家たる条件は、領土と国民と主権。
この三つで、同盟はそれを満たしている。
だからこそ、忘れていたのさ。
他国の承認という外部の存在をね。
つまり、国境さ」
この会話はヤンの心には響かなかったが、後日効いた緑髪の副官達が紅茶をこぼすぐらい驚愕した事で、やっと重大性を認識したりする。
人形師から本来の物語を教えられていた彼女達は、この国境がアムリッツァのフラグを叩き折れると感づいたからに他ならない。
ヤンがイゼルローン要塞を奪取した直後が同盟にとって最大かつ唯一の独立のチャンスだったのだ。
ヤンがいみじく言ったように、言葉が変わるだけでやっている事は変わりはしないだろう。
だが、国境線を引くという行為は『そっちとあっちは違う』という事を確定させる。
つまり、独立防衛戦争の延長で外征をやらかした、同盟が『対外戦争』に踏み切るという意思決定にワンステップを置く事ができるからだ。
アムリッツァの引き金の一つに選挙があるが、イゼルローン要塞奪取後の独立宣言というのは十二分に与党側にとっての政治イベントになる。
わざわざ、外征を行って支持率を飾る必要はない。
同盟側だけでなく帝国側も意識がいやでも変わる。
反乱鎮圧でなく『敵国征服』になるからで、内政と外征という形で今以上に選択が先鋭化するからだ。
双方に派閥があり、それが中で敵対しているならば、手を取り合える可能性は増える。
まあ、このあたりもフェザーンの工作が入っていたのだろうが。
結論だけ言おう。
自由惑星同盟は、アムリッツァの大敗後でも生き残れる可能性はあった。
そして、その可能性を完膚なきまでに消したのが、皇帝ラインハルトの『冬バラ園の勅令』な訳だ。
圧倒的不利かつ分の悪い賭けではあるが、政治的に外交的に同盟が最善を目指したならば、自由惑星同盟という国家は生き残れる可能性は十分にあった。
ド・ヴィリエ元大主教のこの言葉は、原作よりはるかに状況の良い現在の同盟存続における重要なピースとして意思決定に反映されてゆくのだがそれは後の話。
話がそれた。
「おそらく、同盟の手札が有利すぎるから今のタイミングならば独立承認までは持っていける。
君みたいに名を変えるだけだと勘違いして、『戦争』を始める事の意味に気づかないだろうからね。
その時にフェザーンも独立させる。
フェザーン本星を帝国にくれてやる代わりにね」
何処まで驚かせばいいのだろうとヤンは少し疲れた頭でド・ヴィリエ元大主教の会話を聞くしか無い。
あまりに大仕掛けなので、キャゼルヌ中将の所に持ってゆくしか無いとヤンはこの時に心に決めた。
「フェザーン本星を渡すのに、フェザーンを名乗るのですか?」
「名が気に入らなかったら、カストロプ公国を拡張させても構わないさ。
独立後、同盟と正式に同盟関係を構築しないと、フェザーンは最終的には帝国に飲み込まれ、その後で同盟もすり潰される。
だからこそ、ワレンコフ氏をフェザーンに戻そうと考えているのだろう?」
それはヤンでも理解はしている。
現状は傭兵扱いで介入しているが、指揮系統の重複や他所の戦いへの介入の説明等フェザーンを支援することに対して疑問を持つ同盟市民がいるのも事実だったからだ。
先の権力闘争によって同盟に亡命したワレンコフ氏は同盟軍下部組織のPMCとして生活しており、彼をフェザーンに送り込む事でフェザーンをコントロールするのがこの作戦の骨子である。
「ルビンスキー氏はバックの地球教が弾圧されてから、政治的影響力の低下が著しい。
それでも、地球教の影響力はまだ無視できないだろう。
ワレンコフ氏の返り咲きに十二分に協力するよ」
聞きたいことは聞いたが、ヤンはだからこそド・ヴィリエ元大主教に訪ねなければならない事があった。
気を引き締めて、ヤンはそれを口にした。
「で、貴方は何を得るつもりなのですか?」
その答えを待つ間、ヤンに向けたド・ヴィリエ元大主教の笑みを忘れることはできなかった。
野心・野望・執念。
人が持つ欲望をこうも綺麗に取り繕えるのかという綺麗かつ白々しい笑みを晒したまま彼は望みを口にした。
「強いてあげるならば、抗議かな。
人形師への」
出てきた彼の名前にヤンは意外な顔をする。
けど、そんなヤンではなく、はるか昔に勝ち逃げした彼に対してド・ヴィリエ元大主教はその恨み節を言葉にして笑ったのである。
「道化のまま終わるつもりはないって事だよ。
ヤン君」
そして冒頭の頭を抱える二人に戻る。
聴き終わったド・ヴィリエ元大主教との会話のレコーダーを止めて、キャゼルヌ中将は気分転換にと彼の副官に飲み物を持ってこさせる。
しばらくして、キャゼルヌ中将付きである緑髪の副官が、コーヒーと紅茶の香ばしい香りをさせたお盆を持ってくる。
「そういえば、この味はヤンの功績らしいな」
「私じゃないですよ。
チャン・タオ氏のたまものです」
彼は退役時に昇進して兵長として退役したのだが、引退後の喫茶店は大盛況を見せており、数店舗にまで広げるまで繁昌していた。
その商売繁盛の秘訣は、彼の味を得るために送り込まれた最新鋭アンドロイドにあるのは間違いはない。
なお、商売そのものもアパチャーサイエンス社と業務提携した結果ショーケースとしての側面を持った最新鋭アンドロイド達によって経営されており、チャン・タオ氏は働かなくてもいい身分になってしまったが今でも本店で自らお茶を入れるそうだ。
二人がさしだれたコップに口をつけて芳醇な香りを楽しんで喉を潤すと、現実に戻ったキャゼルヌ中将が最初に口を開いた。
「この話、情報部だけで終わる話じゃないな。
政治が絡んでくるから、先生が必要になってくる」
政治家が絡むとこの手の工作はろくな事にはならないが、絡まなかった場合も大体ろくな事にならない。
ならば、政治家を絡ませて首切り要因にしてしまえという組織防衛術の観点からの発言である。
「絡めるんですか?」
「お前さんがいやがるのは承知の上さ」
大衆の代弁者たる政治家先生は、人間の美しく素晴らしい善の部分しか見ない傾向がある。
誰しも持っている心の闇や悪の部分を絶対見ず、自分にそんな負の感情があるとは思いたくない。
自分のやっている事を善だと固く信じているから、最も他人に対して残酷になれる。
だからこそ、ヤンは政治家を嫌悪しているのだが、彼らはこの国の大衆の鏡であるという一点においてこの国を導いているのだ。
そんな彼らが自分の正義を完全に確信し、疑問を完璧に無くした大義の終焉、
「自由惑星同盟は、銀河帝国から独立する」
というあまりに大きな一石は軍人が勝手に事を成すには大きすぎる。
忘れていた名のない化け物を見つけてしまった代償はあまりにも大きい。
「藪をつついたら蛇が出てきた気分だよ」
「それを生で見た私の身になってくださいよ」
キャゼルヌ中将の皮肉にヤンが乾いた笑い声の後で返事を返す。
彼らは無能ではない。怠け者ではあるのだろうが。
だからこそ、話はいやでも進んでゆく。
「で、後方勤務本部はこの話乗るんですか?」
「乗るさ。
ド・ヴィリエ氏の言葉じゃないが、現状のフェザーン支援はあまりにも非効率だ。
政治的なうんぬんはひとまず置くとして、ルビンスキー自治領主の失脚は既定路線になっている。
俺は統合作戦本部で暇を堪能しているお前を使って、状況をコントロールするつもりなんだからな」
「つまり、私にクーデターを起こすだろうワレンコフ氏の実戦力になれと?」
「……」
ヤンの質問にキャゼルヌ中将は沈黙で答える。
皮肉以外の何物でもないだろう。
民主主義を愛し非合法手段と暴力を嫌っているヤンに、他国とはいえ非合法暴力そのものであるクーデターの実戦力として傭兵艦隊を率いろと敬愛する先輩から言われているのだから。
「歴史は繰り返す。
一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。
何度目ですか。
この愚行は」
「渋い言葉を持ち出すな。
誰だったかな?
その言葉を言ったやつ」
「カール・マルクスです。
かと言って、一生やらせておくわけにもいかないでしょうに」
普通割り込まないキャゼルヌ中将付きの緑髪の副官がこうやって口を開く場合、大体ろくでもない事が起こっている事が多い。
ネットワークからの緊急伝の報告が配信されているからだ。
「ネットワークより緊急伝です。
エックハルト星系において帝国軍一個艦隊とフェザーン軍三個艦隊が激突し、帝国軍が完勝。
同盟傭兵艦隊一個艦隊を含んたフェザーン軍は壊滅的被害を受けてアイゼンヘルツ星系の放棄を決定。
帝国は惑星フェザーンを再度射程に捉えた模様です。
帝国軍の司令官は、あのローエングラム提督です」
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