豹頭王異伝
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黎明
闇の司祭
ケイロニア軍の天幕、燭台に灯る炎の照明も届かぬ薄暗い一角にて。
陽炎の様に空気が揺れ、灰色の煙が渦を巻いた。
淡い煙は漆黒の闇へと徐々に形を変え、渦の中心から巨大な髑髏が現出。
腐食の痕も凄まじく数百年、いや数千年もの時を経たかと思われる醜悪な面貌。
普通の者なら肝を潰し絶叫泣き喚いて遁走する《顔》が、グインを睨み付ける。
「また、来おったか」
豹頭王は動じる事無く、これ見よがしに深い溜息を吐くに留めた。
首骸骨の仮装を楽しむ闇の司祭、グラチウスへの第1声。
意外に狡猾な策士が内心の嘆声を堪え、絞り出した精一杯の皮肉である。
「やかましい、わしを謀りおって!
偉大なる世界三大魔道師の筆頭、深遠なる真理の探究者を愚弄しおるとは!!
人類最高の叡智を誇る超越大導師、並ぶ者とて無い至高者を蔑ろにするとは許せん!
こら、少しは尊敬せんか!!」
心理戦の名手は何時もの様に精神的動揺を誘い、幻術を操り出す手間を掛けぬ。
珍しくも激情に任せ、以前から積もり積もった鬱憤を喚き散らしている。
豹頭王の内心を盗聴する秘術、高度な精神透聴の魔道も心得ている筈だが。
精神遮蔽《サイコ・バリヤー》を破る為には、細心の同調作業が必要となる。
其処までの余裕は無い、と言う事か。
鮮やかな黄金と黒玉の豹の面に、何時の間にか狡猾にして不敵な微笑が浮上。
外面へ感情を顕さず、度重なる神経戦で研鑽を積んだ効果を披露。
長い髭の最先端に至るまで、微塵の震えも見せぬ。
「おぬしともあろう者が、一体、何を激高している?
盛んに喚き散らしておるが、支離滅裂だぞ。
何が何だか、一向に訳が分からん。
年寄りの冷や水、とは言わぬが頭を冷やしてはどうかな?
現在只今の状況では、年寄りの戯言は不要。
話にもならんわ、俺にも理解できる様に要領良く説明して貰いたい」
冷静に返された巨大な髑髏は憤激の意を顕し、深紅の色に染まる。
思わず眼を背けたくなる怪異な髑髏首が、倍の大きさに膨張。
腐食の痕も凄惨な醜貌が睨み付けるが、豹頭の戦士は全く動揺の色を見せぬ。
ガックリと気落ちした風情を装い、髑髏は元の大きさに戻った。
「ノスフェラスで尋常ならざる病を得た南の鷹は、命旦夕に迫っておる筈。
一刻も早く手当てをせねば、取り返しの付かぬ事態に陥るであろう。
わしは大変親切じゃによって草原の風雲児、スカールの窮状を看過す事は出来なんだ。
逸早く将来の蔓延に備え対処法を探るべく、治療を試みておったのだぞ。
彼が妻仇を討ち取る寸前まで健康を回復し得たは、グラチウス様の恩恵じゃ。
太子に取り儂は、生命の恩人に他ならぬのだよ。
だがあのくそだわけの魔王子アモンは掟破り、異次元の陥穽を仕掛けおった。
定期的に施術と投薬の必要な黒太子は儂の加護を喪い、生命の危機が迫っておる。
既に検診の間隔を過ぎ、肉体の健康を保つ秘薬も皆無の筈じゃ。
運良く部の民を発見し記憶を読んで引き返す間に、貴重な時間を浪費してしまった。
太子にもし万一、不測の事態が起こってしまったら何とする心算だ?
王や賢者気取りの策謀家には到底、対処出来るレベルの事象ではないのだぞ。
人類の歴史開闢以来の、真に稀有な特異現象であるのだからな。
自力で何とか出来る等と愚かな考えは抱かず、全てを儂に委ねよ。
長きに渡り真摯に魔道の研鑽を積み重ね、人類最高の領域に到達し得た叡智の持主。
偉大なる地上最強の魔道師グラチウス様以外の何人にも、立ち向かう術は無い。
東方の大国キタイを制圧した異次元の魔道師、パロ聖王宮に巣食う異世界の怪物。
どちらも豹頭王が退治るは困難、グラチウス様の助力が必要不可欠であるぞよ。
力を貸してやる故、早急に教えるが良い。
儂にも読み取れぬは見事と褒めてやるが、スカール太子の居場所を白状せい。
燃え盛る太陽の如くに生命力旺盛な太子の気が何故か、全く感じられぬ。
儂の施した黒魔道の術に拠り、太子の身体は暗黒闘気を発しておる。
他の魔道師ならばいざ知らず、施術主の儂には感知し得る筈なのだが。
万々が一にも太子が喪われる様な事があれば、とんでもない事になるぞ。
北の豹と南の鷹に関する伝承が発動されず、大山鳴動して鼠一匹で終わってしまう。
百万の天球の合に匹敵する伝説の会、世紀の瞬間が生じぬとは許せん。
無尽蔵の膨大な高次元エネルギー、奇蹟の泉を我が物とする唯一の機会なのじゃ。
もし王の横車で永久に機会が喪われてしまったら、どうしてくれるのじゃ!
うぬの操る星々のエネルギーも元を辿れば、かの奇蹟に由来するのであろうが?
強情我慢の生意気な豹め、白状せい!!」
スタフォロス城の黒伯爵に匹敵する醜貌、溶け爛れた怪異な生首が吼えた。
巨大な骸骨が憤激の色、深紅の激情に染まる。
鉄面皮を貫き聞き流していた長身の偉丈夫は、突如として豹変。
トパーズ色の瞳に憤怒の炎が湧き、獰猛な牙を剥く。
「貴様にしては珍しくも、自ら腹の底をブチまけてくれたな。
良いとも、おぬしの正直な物言いに免じて教えてやろう。
太子は既に古代機械に診察を受け、お前の詐術は完全に見破られておるわ。
低次元の肉体改造、及び細胞汚染が悪影響を齎し生命の危機に瀕しているとな。
古代機械の操作に熟達する盟友、アルド・ナリス殿への連絡も済ませた。
太子は既に《母船》とやらに転送され、治療を受けている筈だ。
どうした、グラチウス?
顔色が変わったぞ、生首が蒼褪めておるわ。
何が親切だ、恩着せがましい口を利きおって!
魔道に疎い病人を騙し、陥穽に引き摺り込んだだけの事ではないか!!
スナフキンの剣よ、お前の力が必要だ!
叩き斬ってやる、覚悟せい!!」
グインの右腕から青白い光が噴き出し、魔物を斬る霊剣に変化。
豹頭の戦士が踏み出すと同時に、巨大な髑髏が消失。
一瞬前まで生首が占めていた宙空に、見覚えのある映像が現れた。
大人10人は横になれそうな寝台に、子供の様な身体が横たわっている。
栄養失調とも思える、小さな顔。
痩せこけた頬、痛々しい印象を与える鋭く尖った顎。
「シルヴィア!」
豹頭王の口から痛切な呻き声、鋭い絶叫が漏れた。
映像の中に声が届いた様子は無く、何の変化も無い。
思いがけぬ光景を見せられ、殺気と怒気が削がれた。
スナフキンの剣が妖しく揺らめき、光が弱まる。
映像が消え失り、髑髏が図々しく顔を出した。
「何の真似だ、グラチウス!
今の映像は現実か、それとも俺を動揺させる為に仕組んだ詐術か!?
返答次第では、今度こそ問答無用で叩き斬るぞ!
最後のチャンスだ、これ以上俺を怒らせるな!!」
「ちと、頭を冷やして貰おうと思ったに過ぎぬ。
これでは話も出来ぬ、物騒な得物を引っ込めてくれんか?
わしも齢800有余年を数える故、その剣で斬られれば只では済まぬ。
激情に任せ儂を斬り捨てる等、王に似合わぬ短慮だと思うぞ」
ニンマリと微笑み、グインの表情を観察する髑髏首。
飄々とした声が、空間に反響する。
「おけ、グラチウス。
スナフキンの剣よ、今は必要でない故、引っ込んでおるが良い。
こやつが無駄口を止めぬとあれば、また呼び出して今度こそ叩っ斬ってやるからな。
どうせ数タル後には解き放つ事になるだろうが、少しの間だけ、辛抱していてくれ」
「これこれこれ、随分、随分、随分じゃな!
何と言う言い草じゃ、失礼な!!
そんな筈が、あるかい!
不公平じゃ、やり直しを要求する!!」
「この剽軽者め、いい加減にしろ!
面倒な奴だ、一向に話が進まぬではないか!!
先刻の映像は本物か、さっさと答えろ!
それとも魔の胞子、異次元の妖魔に頭を浸蝕され喋れなくなったのか?」
「ひどい、失敬にも程がある!
わしゃ世界三大魔道師、現世で最強を誇る闇の司祭グラチウス様だぞ!!
アグリッパは結界に引き籠もり、ロカンドラスは敵前逃亡した臆病者に過ぎぬ。
宇宙生成の謎を解き明かす野望の第一人者、地上最大の魔道師は儂なのだぞ!」
「どうだかな、いや、どうでも良いが。
今の映像が真ならば、ナリス殿の派遣した魔道師が見えぬのは何故だ?
閉じた空間の術にて黒曜宮に飛び、シルヴィアの周囲に結界を張っている筈。
貴様の老眼では、見究める事が出来ぬのか?」
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