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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第三話
  I


「おい、雄。今度の金曜だが、店で演奏会を開くから。」
「…は?」
 余りにも唐突に言われ、鈴野夜は呆気に取られて間抜けな返答をした。
「まぁ君、こんな小さなとこに誰呼ぶの?」
 何とか気を持ち直してそう問うと、目の前の釘宮はニッと笑って言った。
「勿論、お前が演奏するんだ。」
「ハァッ!?」
 今度は面食らった風だ。
 ここは鈴野夜が私室として借りている部屋。そこへ釘宮が行き成り入って先の話をしたのだ。
 だが、それに鈴野夜は眉間に皺を寄せて返す。
「何で私がそんなことしなくちゃならないんだよ!」
 もう立ち上がって手を腰に据えて、随分と偉そうな態度で言った。そのため、釘宮は目を半眼に低い声で言う。
「お前なぁ…。居候の身でそれを言うのか?メフィストとお前、二人分の食費…一体誰が出してると?」
「う…っ!」
 ぐうの音も出ないとは…正しくこのことだろう。
 鈴野夜はヴァイオリンを演奏する。それは釘宮も前々から知っているが、演奏会を店で催すには町内会の許可が必須。要は許可がなかなか下りなかったのだ。
 ところが、先日の町内会会議で許可が下りた。所謂「町興し」の一端になれば…と言うことらしいが、許可は許可だ。そのため釘宮は直ぐ様行動を開始した…と言うわけである。
 まぁ、鈴野夜の了解なんぞ必要ない。ここは釘宮の店であり、鈴野夜は「居候」兼「店員」。釘宮はいわば「BOSS」なのだから…。
「だ…だったらメフィストにも何かさせろよ。」
「分かってる。あいつ…確かチェロとガンバが出来たよな?」
 釘宮がそう言った時、不意にメフィストが顔を出して憤慨した風に言った。
「俺は嫌だぞ!人間共の前で演奏なんてするもんか!」
「ほほぅ…。それじゃお前、今までの食費と部屋代…全部まとめて出してくれるんだろうね?」
「う゛…!」
 やはりと言うべきか…ぐうの音も出なかった。
 悪魔には金がない。それなのに部屋を拝借して食べ物を頂戴しているのだから、初めから反論なんぞ出来ようもない。
「でも…」
「でも…何?」
 メフィストは何とか難を逃れようと口を開いたが、そこで釘宮の表情が変化し、メフィストの顔を一気に蒼白にさせた。そのため、メフィストは俯いきつつ小声で返した。
「…分かりました。それでは、何を演奏すれば宜しいでしょうか…。」
 それに釘宮はやっと笑みを見せ、こう二人に言った。
「一応はバロック音楽を休憩挟んで二時間ほど予定してる。木管奏者を一人呼ぶことになってるから、テレマンとヘンデル、それにバッハの室内楽で組む予定だよ。」
 鈴野夜がそこまで話すと、前の二人が首を傾げた。
「ねぇ、チェンバロは?演奏者も居なけりゃ楽器もないんだけど。」
 そう鈴野夜は不思議そうに問い掛けた。
 そう…バロック音楽にチェンバロは欠かせない。それなのに、奏者どころか肝心の楽器がないのだ。
 しかし、釘宮は二人へニッと笑って返した。
「もう完成して、明日には来るよ。」
「はぃ?」
 釘宮の言葉に、鈴野夜もメフィストも間の抜けた返答をするしかなかった。
 チェンバロ…こいつは意外とお高い。小型スピネットであれば五十万程度だが、一段ないし二段鍵盤の一般的なチェンバロはニ百~三百万程になってしまう。そう易々と購入出来る代物ではないのだ。
 それを…もう注文して作らせてた挙げ句、明日には搬入すると釘宮は言ったのだ。その代金…一体どこから捻出したのやら…。
 それを聞いた鈴野夜とメフィストは、改めて釘宮の恐ろしさを痛感した。そして…断ることさえ不可能だと悟ったのだった。目の前にいる釘宮が目を輝かせてウキウキしているのだから…。
「もしかして…まぁ君がチェンバロを…?」
「当たり前だ。」
「…まぁ君…演奏出来たっけ?」
 鈴野夜は記憶を辿ってみたものの、どうもそれらしい記憶がない。そのために敢えて釘宮に問ったのだが、そんな鈴野夜に釘宮は何とはなしに返した。
「何言ってんだよ。僕は八百板先生に教えてもらってたんだぞ?」
「は?あの藤崎にも教えたことのある?」
「そう。お前、メフィストとしょっちゅうどっか行ってた時期があったろ?僕が大学一年から三年の時。」
 そう言って釘宮は鈴野夜の顔をジトッと見据えた。
 そう言われると、その時にせっせと自分の仕事をしていた…と鈴野夜は思い出してチラとメフィスト見てみると、彼は半眼で「あれ?知らなかったの?」と言わんばかりの表情をしていた。
「ひょっとして…私だけ知らなかった…のか?」
「俺は知ってたぞ?まぁ君いつも同じとこ通ってたし、チェンバロ譜持ってたしな。」
 メフィストにまでそう言われ、些か傷心の鈴野夜だった…。
 さて、翌日には待望のチェンバロが釘宮の部屋へと搬入された。
 釘宮は十畳部屋を二部屋使っている。こう考えるとかなり広い様に思うが、実際は三階建てで高さがあるのだ。三階に鈴野夜とメフィストの部屋があり、二階は全て釘宮が使っているという具合だ。
「まぁ君…階段広く作ってあるのって…楽器のため?」
「そうだ。狭いと楽器を傷めてしまうだろ?コントラバスすら怖くて入れられないじゃないか。」
 一体誰が演奏するのやら…部屋へ入ると、そこにはコントラバスどころか、一揃いの弦楽器にトラヴェルソやリコーダー、バロック・トランペットにナチュラルホルン…何故だがオーボエ属のオーボエ・ダモーレやオーボエ・ダカッチャなど、このままここでバロック音楽の大半の作品が演奏出来る程に溢れていた…。
 その中へチェンバロを運び込んだ楽器店の店主も目を丸くし、思わず「こりゃ一財産だねぇ…。」と溢してした。さすがのメフィストですら後退る見事なオーケストラ…の楽器達だった。
「まぁ君…オーケストラでも組織するつもりなのか?」
 メフィストが目をパチクリしながら問い掛けると、釘宮はしれっと返した。
「無論だ。僕はバッハが指揮したコレギウム・ムジクムをこの店で再現したいと考えてたからな。」
 その言葉に、鈴野夜とメフィストは呆然と立ち尽くすしかなかった。

― あぁ…きっと扱き使われる…。 ―

 そんな当たり前のことを今更思う二人であった。

 チェンバロが搬入された二日後、演奏会は滞りなく行われた。
 告知は鈴野夜に話をした時に店へと張り出していたが、大々的に告知する程ではなかった。無名の演奏者なのだから、結局はお客に「こんなことするので、あんまり驚かないでね。」程度と言えようか。客入りを期待…とまではいかないのが現状だ。
 それよりも、演奏するためのステージ作りが大変だったと言えた。
 元から演奏するステージはあったのだが、最初からは使えないと分かっていたため、そこへ飾り棚や観葉植物などが置かれていた。それを全て取り除いて掃除をし、チェンバロを設置する…中々の重労働であり、それらを二日弱で行うと言うハードなスケジュール…。無論、大崎も引っ張り出されていた。
「オーナー、こんなもんですかね」
「上出来だ。ま、よく閉店後の数時間で出来たと思うよ。」
 釘宮はそこまで言うと、何かを思い出した様に手をポンッと叩いた。
「そうそう。明日は僕も演奏するから、二人助っ人を呼んであるから。」
「助っ人って…まさか…。」
 大崎は少しばかり顔を引き攣らせて問った。
 以前、釘宮が一日私用で店を空けた時、二人の人物が変わりに入ったのだが…それがまたてんで使えなかった。釘宮とは旧知の仲ということだったが、またあれではどうにも始末に悪いと考えたのだ。
 たがしかし…天は大崎に味方してはくれなかった。
「勿論、西原達だ。」
「止めて下さい!この店を潰す気ですか!?」
 大崎は叫んだ。悪夢再来…それだけは天に弓引いても避けねばならない。
 だが、運命とはかくも残酷なものだ。得てしてそう言うもの…とも言えるが。
「もう呼んであるから。今更断れないし、今からじゃ他に伝手もないしな。」
「俺に…言ってくれれば…。」
 後の祭りとは思いつつぼやく大崎を、釘宮は苦笑しつつ見ていたのだった。
 そうしている間に、鈴野夜とメフィストがチェンバロを運んできた。二人は慎重に慎重を重ね、何だか顔色が悪い。もし少しでも傷付けたら…そんな恐怖と戦いながら運んでいるのだから、その心労はいかばかりか…。
 だがふと見ると、そこへもう一人加わっていた。
「あれ?小野田さん…今日休み入れたよね?」
 釘宮は首を傾げてそう言った。小野田は運ぶことに神経を集中していたらしく、三人でステージへとチェンバロを置いてから口を開いた。
「こんな面白そうなこと、何で直ぐに言ってくれなかったんですか!」
「えっと…。」
 ここへ来て、まさか「女の子の仕事じゃないよ。」なんて言えば男尊女卑だと説教が始まると考え、釘宮は苦笑しつつ返した。
「この前出てもらった休日を回しただけだよ。四人で充分だしね」
「そんなのフレツさんも同じじゃないですか!」
「そ…それはそうなんだけどね…。彼は手伝ってるだけで、実は休みな…」
「だったら私も同じですよ!」
 何だか薮蛇だったと釘宮は溜め息を溢したが、小野田は直ぐに関心をチェンバロへと向けて言った。
「でも…チェンバロって実物初めて見ました。ピアノは家にありますけど、昔はこんな箱みたいな形だったんですね…。」
「そうなんだよ。音、聴いてみるかい?」
「え?良いんですか?」
「勿論。」
 釘宮はそう返答し、そそくさとチェンバロの前に来た。話が逸れたのを幸いに、このままうやむやにしようという魂胆だ。
 さて、釘宮は早速鍵盤に手を触れた。そこからはオーナーとしての釘宮はなく、一演奏家としての彼がいた。
 彼の指先から生まれた音は生き生きと響き、ここが喫茶店であることさえ忘れさせていた。

― こんな演奏出来るんだったら…こんな辺鄙な町で喫茶店なんてしなくとも…。 ―

 前に立った四人はそう思っていた。
 確かに…釘宮の腕は一流と言えた。元々音楽家になりたかったのだが、金銭面で都合がつかずに諦めたのだ。それ故、先に出てきたコレギウム・ムジクム云々…が出てきた訳だが。
「えっと…オーナー…」
「大崎。言いたいことは何となく分かるが、それ以上は言うなよ?」
 それなりに気にしているようだ。ここでいくら演奏が一流だろうと、所詮はままごとなのだ。夢は夢…こうしたままごとでも、今の釘宮には充分なのだ。
 釘宮はこの店が大切であり、そしてここで働く目の前の四人が大切だ。これを手放してまで追いかける夢ではないのだ。
 大崎に鈴野夜、そしてメフィストにはそれが良く理解出来た。しかし、小野田はどうもピンッとこないと言う風に首を傾げたが、それに答えない代わりに、釘宮は再び鍵盤に指を走らせたのだった。



 
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