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鏡に映るもの

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7部分:第七章


第七章

「このことは」
「まず人ではありませんな」
 このことだけははっきりとわかるフリッツだった。
「それも間違いなく」
「そうだね。だったら一体」
「実はです」
 彼はここで語った。
「最初私はあの奥方は亡霊だと思っていました」
「亡霊!?」
「そうです。我々は鏡に映りますな」
「うん」
 このことは間違いない。フリッツもこくりと頷いて応えた。
「その通りだよ」
「それは生ある者の証なのです」
「生ある者の」
「鏡に映るものはその者の魂、若しくは本来の姿であるとも言われています」
「本来の!?」
「その通りです。ですから亡霊は鏡に映らないのです」
 こう言うのである。
「何故なら既にこの世の者ではなく身体はないからです」
「あ、身体がないのなら」
「そうです」
 この場合は話の後者になるのだった。
「本来の姿がそこにはない為に」
「成程、だからか」
「はい、そうなります。従ってあの奥方の姿が見えなくなった時に」
「彼女を亡霊と思った。そういうことだね」
「それは今さっきまででした」
 このこともあえて告白するのであった。
「若旦那様のお話を御聞きするまでは」
「そうだったんだ」
「ですがお話を聞いて何だか」
 食べながら深く考える顔を見せてきた。
「わからなくなってきましたな」
「わからないのかい」
「とにかく人ではありません」
 このことだけは確かであった。
「ですから。ここは」
「どうするべきだというんだい?」
「すぐに逃げるべきです」
 言葉は真剣そのものだった。
「今すぐにここを。宜しいでしょうか」
「相手が人ならともかくだよね」
「その通りです。若旦那様も私も腕に覚えはあります」
「うん」
 フリッツの今の言葉に頷く。それはまさにその通りだ。誰と戦ってもそいじょそこいらの追い剥ぎや山賊なら何人いても倒せる自信はあるし実際に今までそうしてもきている。フリッツもいれば尚更であった。しかし彼は異形の存在の相手はしたことがない。それならばもう言うまでもないことであった。
「ですが異形の相手は」
「したことがないね」
「その通りです。ですから」
「今すぐにここを逃げるべきだというのかい」
「宜しいでしょうか」
 鋭い目で主に問うのであった。
「それで」
「そうだね」
 従者のその言葉を受けてハインリヒも考え込んだ。腕を組み顔を下にやる。そうして出て来た結論は。
「よしっ」
「どうされますか?」
「フリッツ、すぐに全部食べ終えてくれ」
「今終わりました」
「また随分と早いね」
 もう少しかかると思っていたのでこれには少し拍子抜けしたように驚いた。
「今だなんて」
「食べるのが早いのが私の長所ではないですか」
「まあ確かに」
 にこりと笑ったフリッツのその言葉に頷きはする。
「その通りだけれど」
「そういうことです。それでは」
「うん」
 あらためてフリッツの言葉に頷く。
「行こうか。今すぐに」
「お互い酒に強くて助かりましたな」
「ああ、それはね」
 立ち上がり剣を腰に備え付け上からマントを羽織ってからフリッツに答える。
「その通りだな。それだけでも助かったよ」
「その通りです。それでは」
「何処から逃げるんだい?」
「こちらです」
 こう言って指差したのは部屋の窓だった。雨戸に閉められたその窓は見れば中々大きい。ハインリヒでも通り抜けられそうな広さであった。
「あれを通って逃げましょう」
「窓からかい」
「何か?」
「いや、やっぱりね」
 どうにも苦笑いというか困ったような笑いになるハインリヒであった。
「それはどうも」
「お嫌ですか?」
「騎士としてはね」
 騎士道を話に出すハインリヒであった。
「やっぱり。逃げるにしても」
「正々堂々とですか」
「今すぐなのはその通りだよ」
 それについては完全に納得しているハインリヒであった。
「けれどね。それでも」
「逃げる場所ですか」
「あそこじゃなければやっぱり駄目かな」
 あらためて窓を見るのであった。
「どうしても。駄目かな」
「若旦那様」
 主を咎めるわけではなかった。むしろ教え諭すような、そんな顔と声で彼に語るフリッツだった。
「相手は何者かわかったものではありません」
「それはわかるよ」
「人間でないことだけは確かです」
 また言うフリッツだった。
「そんな相手に対してまともに逃げてもいいことはありません」
「そうなるんだね」
「私はそう思います」
 あくまで自分の考えだと前提はする。しかしだった。
「ですが。それしかないと思いますよ」
「窓から逃げるしかない」
「そういうことです。幸いあの大きさだと人間が充分出られます」6
 今度は窓を見る。確かに人が充分通り抜けられる大きさだ。そこから出れば充分だというのだ。少なくともフリッツはそれで決断していた。
「ですから」
「よし、わかったよ」
 そしてここでハインリヒも決断したのだった。その決断は。
「窓を使おう」
「そうされますね?」
「うん。そうも言ってはいられないね」
 このことが一番大きな理由だった。
「相手が人間じゃないんなら。余計に」
「そういうことです。それじゃあ」
「まず荷物を外に出して」
「はい」
 決めたら動きは早かった。決断も行動も素早く、戦場で生き残る為の絶対条件である。ハインリヒもフリッツもこれまで戦場にいたことがあるのでその二つは見事なものだった。
 
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