ONE PIECE《エピソードオブ・アンカー》
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episode9
アーロンとアンカーの一件は、タイガーの船長命令により一部の者たちにのみ伝えられた。
特に船医のアラディンは、アンカーの体調や不安定な精神面のモニタリングが必須となった。無論、本人には秘密で。
いくら敵視しているとはいえ、海軍や他の海賊が襲って来ればアンカーも加勢に入る。その際のアーロンとの連携は、今の状態を微塵も感じさせないほど見事なものだった。
大柄な魚人たちの中にいる、一見か弱そうなアンカーに狙いを定め向かって来る敵を受け流し、すぐ近くで力を貯めて待つアーロンが止めを刺す。
その逆も然り。『誰も殺さない』という船長命令に従い、殺さない程度にアーロンの攻撃を避けて油断した所を何度も殴りつけた。
戦闘が終われば連携も終わる。アンカーはいつものように海の中に帰って行こうとした。
それを止めようともしないアーロンに呆れつつ、タイガーはアンカーを呼び止めた。
「......何?」
返事はするものの振り返りはしない。以前の明るい声とは違い、怒りを含めた低い声にその表情(かお)を想像するのは容易かった。
辺りの空気がピリピリとした殺気に包まれる。乗組員の何人かは、争いに巻き込まれまいと物陰に身を潜めた。
「この先は海が荒れる。しばらくは海に入るな。...それだけだ」
「......」
アンカーは考え込む。いくら自分がコバンザメの体を持っていると言っても、荒波に揉まれて無事でいられる自信は無い。魚人島を出るまで“波”というものさえ知らなかったからである。
それよりも理解出来ないのは、自分を特別(カイブツ)扱いする奴らの親玉がそんなことを言って来たか、であった。
「......ねえ、なんでそんなことを?」
「俺の船に乗る者を心配をしただけだ。当然だろう」
それが仲間だから。その考えが今の彼女には無い。
タイガーの言葉を『義務だから』と解釈してしまった彼女を咎めることは誰にも出来ない。
呟くように「分かった」と答え、アンカーはそのまま自室へと引っ込んだ。
「あ、お姉ちゃん!」
先程の戦闘中、ずっと隠れていたらしい少女...コアラがそう言って駆け寄る。しばらく見ない内に綺麗になったものだ、と辺りを見渡す。コアラの癖はまだ完治していないようで、床や壁の汚れが拭き取られていた。
アンカーは、あからさまに嫌な顔をした。
いくら子供とはいえ、人間だ。アンカーがこの世で一番嫌う人間なのだ。
コアラは何か悟ったのか、一定の距離を保ったまま再び話しかけた。
「お姉ちゃん、私、お家に帰れるの!」
「へぇ...」
「この先の島を過ぎたら、次は私のお家がある島に着くって。ああ...早くお母ちゃんに会いたいなぁ」
コアラの表情は、少し前までの張り付いた笑顔ではなく、ごく自然な可愛らしいものだった。それほどまでに嬉しいのか...と呟いたアンカーは、次に少女の口から出た言葉に耳を疑った。
「だって、お母ちゃんは“特別”だもん!」
「............は?」
会えることが嬉しいほどの母親が特別。
アンカーなりに言い換えるなら、会えることが嬉しいほどの母親は“カイブツ”。
変だ。
今まで疑いようもしなかった母の教えに、初めてその考えが浮かんだ。
「特別って、どういう意味...?」
「んーとね...。お母ちゃんは“すごく大事”とか“大好きだから”とか言ってた」
「どんな顔で?」
「すっごく優しい顔! 『コアラはお母ちゃんの特別よ』って、言ってくれたの! 私、お母ちゃんのあの顔が大好きっ!!」
違う。...違った。
ワタシの記憶とは、母の教えとはまるで違う。
アンカーは困惑していた。
特別の言葉の意味も、母親の表情もまるで違う。彼女の母は優しい顔なんてしなかった。涙を流しながら鬼の形相で、罵声を浴びせながら拳と共に振り下ろされる言葉の内の1つに過ぎない。
どんなに痛めつけられようとも大好きな母だったが、その時の顔だけは好きにはなれなかった。
だが、少女の言うことが本当なら、母から聞かされていたのはなんだったのだろうか。...嘘? ...偽り?
しかし、アンカーには覚えがある。
今まで見たことのない優しい顔で、自分を特別だと言った者がいる。その時は深く考えず、“特別”だと言われたことによるショックが大き過ぎたために、本人に尋ねる余裕もなかった。
もし、あの時の“特別”がコアラの言う“特別”なら......。
「お姉ちゃん? どうしたの?」
「あ、いやっ! な、なんでもない...」
「でも、顔が真っ赤だよ。熱があるんじゃ」
「少し寝る。お前は外に行ってな」
困惑した様子のコアラを見送って、アンカーは久々に自分のベッドへと体を沈み込ませた。
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