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至誠一貫

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第一部
第五章 ~再上洛~
  六十三 ~州牧~

「こ、これは何の騒ぎですの?」
 麗羽が、息を切らせながら駆け込んできた。
「崔烈さん?」
「袁紹か。用があるのは土方だけだ」
「お師様に? それにしては、妙に物々しいですわね?」
「当然だ。不審があるので引っ立てるのだ」
「不審とは? お師様はそのような御方ではありませんわ」
 崔烈は、フンと鼻を鳴らす。
「名門袁家の当主とは言え、所詮は女か。いいように懐柔されおって」
 が、麗羽は逆上する事もなく、冷静そのもの。
「わたくしの事はどうとでも仰りなさいな。ただ、お師様に辱めを与える事は許しませんわ。猪々子さん?」
「あいあいさー。歳三アニキに何かあったら、姫が悲しみますもんね」
 猪々子が、背負った大剣を抜いた。
 斗誌もまた、剣を構える。
「え、袁紹! 貴様まで刃向かうか?」
「刃向かうですって? とーんでもありませんわ、ここはわたくしの宿舎。無断で押し入った挙げ句、狼藉を働こうとする鼠を退治するだけですわよ」
「こ、これは勅命だぞ!」
 勅許を掲げ、喚き立てる崔烈。
「あら、それはおかしいですわ」
「何だと?」
「陛下は、今日はご気分が優れず、臥せっておいでと伺いましたわ。その陛下が、斯様な勅命をお出しになると?」
「そ、そんな事は知らん! 私はただ、勅命により動いておるだけだ!」
「ならば、勅許は当然、見せていただけますよね? それが決まりですから」
 ふわり、と私の前に降り立った影。
「き、貴様は徐晃! この恩知らずの輩が!」
 疾風(徐晃)は、柳に風、といった風情だ。
「恩知らずとは? 私の過ちであれば全て不問に付すと既に沙汰が下りていますが」
「ええい、煩い煩い! お前ら、何をしているか!」
 兵を叱咤する崔烈だが……兵らは戸惑いの色を浮かべるばかり。
 それどころか、疑いの目を向ける者もいるようだ。
「崔烈殿。さ、勅許を」
「ぐ……ぐぬぬ……」
 歯軋りしながらも、崔烈の眼は何やら蠢いている。
 いや、どこかに合図を送っているのか?
 その時。
「ギャッ!」
 背後で、悲鳴が聞こえた。
「疾風!」
「はっ!」
 その間にも、怒声と悲鳴が間断なく続いた。
「え、ええい! 皆、退け!」
 途端に、慌ただしく崔烈は出て行こうとする。
「崔烈殿? もう宜しいのか?」
「……おのれ土方、覚えておれ!」
「お待ちなさいな。わたくしの宿舎と知って乗り込んでおきながら、何の謝罪もなさらないおつもり?」
「…………」
 麗羽の問いかけには答えず、崔烈は逃げるように去って行った。
 入れ替わりのように、疾風が戻る。
「歳三殿。やはり、曲者が」
「うむ。だが、あの悲鳴と怒声は?」
「はっ。……さ、こちらへ」
「いいって、あたしは別に」
 その声は……馬超か。


 中に入り、改めて全員に茶が供された。
「な、何となく散歩していたらさ、黒装束の怪しげな奴らが走っていくのが見えてさ。後を追ったら、土方を襲おうとしていたんだ。だから……」
「助太刀をした、という事か。忝い」
「い、いいってそんなの。……恥ずかしいだろ」
 赤くなる馬超。
「危ういところでした。奴ら、毒矢を歳三殿に放とうとしていました」
「疾風。素性はわかるか?」
「……いえ。身元の証になるような物は何も」
「……そうか」
「お師様を狙うなんて、何て不届きな!」
「ひ、姫。確かに赦せませんけど、まずは落ち着きましょうよ」
 怒りが収まらぬ麗羽を、斗誌が必死に宥めている。
「しかし、崔烈殿か。寡聞にして私は初めて会う事になったが」
「……それはそうでしょう。太尉の地位にある御方ですが、それは全て金の力によるものですから」
「銅臭政治、って奴か。母様からは聞かされていたけど、胸くそ悪い奴だな」
 疾風の言葉に、馬超も憤怒を露わにする。
 つまるところ、金次第で何でもする輩、という事か。
 ……黒幕は、確かめるまでもあるまい。
「歳三アニキ。そういや、姫に何か用だったんじゃないですか?」
「おお、そうであった。麗羽、このような物が、馬騰のところに投げ込まれたというのだが」
 件の怪文書を、懐から採りだし、麗羽に手渡した。
「そうなんですの、馬超さん?」
「ああ、間違いない」
「では、失礼しますわ」
 麗羽はそれを広げ、一読する。
 ……そして、その手が震え出した。
「董卓さんとお師様が? 馬鹿げているにも程がありますわっ!」
 怪文書を、床に叩き付ける麗羽。
「あの……。私も、見せていただいて宜しいでしょうか?」
「うむ。猪々子にも見せてやれ」
「はい」
 並んで書を覗き込む斗誌と猪々子。
「麗羽。では、お前のところには届いていないと申すのだな?」
「当然ですわ。もしそんな不届き者がいたら、草の根を分けてでも探し出しているところですもの」
 となると。
 私と月は当然として、私と麗羽のつながりも熟知している者の仕業、と見て良いな。
 ……ふと、馬超の手に、血が滲んでいるのを目に留めた。
「馬超。怪我をしているようだが?」
「え? ああ、大した事はないさ」
「いや、血止めをして消毒をせねば、破傷風の原因ともなる。麗羽、酒はあるか」
「ええ。お師様のお酒が宜しいですか?」
「頼む。それから、清潔な布も」
「わかりましたわ。斗誌さん」
「は、はい! すぐにお持ちします!」
 私は、馬超の傍に屈んだ。
「傷を見せてみよ」
「い、いいって! こんなの、唾でもつけときゃ治るからさ」
「駄目だ。鈴々、猪々子。馬超を抑えてくれぬか?」
「合点なのだ♪」
「はいはいっと」
 何故か、二人は楽しげに馬超に近寄る。
「な、何すんだよ?」
「少しばかり、染みるやも知れぬ。暴れられては困るからな」
「あ、あたしはそんな子供じゃないぞ!」
 耳まで赤くしながら、馬超は後退り。
 ……しようとするが、鈴々と猪々子が抑え込んだ。
「よ、止せよ!」
「すぐに済む。……ああ、済まぬ」
 斗誌から酒甕を受け取り、栓を抜いた。
 そのまま呷り、馬超の手に吹き付ける。
「う、うわっ! 何すんだよ!」
「消毒だ」
「し、消毒って……」
 何やら口ごもる馬超に構わず、麻布を傷口に巻き付けていく。
 本来は綿布や油紙でも挟みたいところだが、生憎とそのような物はない。
「よし、こんなものだな。幸いに浅傷のようだ、布を一、二度換えればそれで良かろう」
「…………」
「む、如何致した? 傷が痛むか?」
「……い、いや……。あ、ありがと……」
 惚けたような馬超の顔は、妙に艶っぽいな。
 などと思っていると、背後から視線を感じた。
 ……と申すか、その場の全員が、私と馬超を見ているようだが。
「ああ、わたくしも何やら眩暈が……」
 ……麗羽、芝居をするならもう少し精進せよ。


 崔烈の言葉は、真であった。
 翌朝、正式な勅使が訪れ、八校尉の解散を告げられた。
 同時に、新たな人事も発令された。
 華琳はエン州牧、麗羽は冀州牧、睡蓮は揚州牧、馬騰は涼州牧という具合に。
 ……そして、私と月も例外ではなかった。
「お兄さんは交州牧ですかー。月さんは太師に任ずる、とありますね」
「歳三殿は一見昇進に見えますが、完全な厄介払い、とい事でしょうね。月殿も昇進ですが、太師は最高位とは言え名誉職……実権は奪う、という事ですね」
「巫山戯るな! ご主人様が何をしたというのだ!」
「月様とて! 理不尽な仕打ちを受ける謂われは一切ない!」
 案の定、愛紗と閃嘩(華雄)は真っ先に激怒。
 ……いや、この場にいる全員が、腹を立てている。
「稟。交州とは?」
「はい。かつては南越国、という地でした。今は征伐され、十三刺部の一つとして組み込まれていますが」
「この大陸、いや漢王朝の支配が及ぶ南端ですな。……余程、主の事を恐れたのでしょうな」
「じゃあ、魏郡には帰れないのか?」
 鈴々の言葉が、空しく響く。
 ……そう、あの魏郡にはもう、戻れぬのだ。
 皆の、血と涙と汗の結晶。
 漸く、皆と安住出来る地を得たと思った矢先に、この仕打ちか。
 ただ、信じ合う仲間と共に過ごす為には、力と実績が必要であった。
 それ故、何度も死地を潜り抜け、苦難を乗り越えてきた。
「あんタマなし共が、どこまで小狡けりゃ気が済むんや!」
「でも、これは正式な勅命。……ボク達には、逆らう事は許されない」
「……また、離れ離れ……。恋、寂しい」
「ねねも同感ですぞ。全く、酷い仕打ちなのです!」
 月の諸将が憤る中、当人はずっと、無言だった。
「月。少し、外で風に当たらぬか?」
「……はい、お父様」
 と、疾風が一足先に、外へと出て行った。
 影から、警護を務めようという事であろうな。

 外は、見事に晴れ渡っている。
 だが、吹き付ける風は冷たい。
 熱気に満ちた室内で火照った身体には、寧ろ心地良い程だ。
 並んで、庭園の岩に腰掛けた。
「折角、一緒にいられると思った矢先でした……」
 月は、悲しげに呟く。
「八校尉については、存在が宙に浮いていたのだが……よもや、このような策に利用されようとはな」
「どうして、こうなってしまったのでしょう……私は、地位なんて望んでいないのに」
「……それは、皆がわかっている事だ」
「……いいえ。残念ですが、わかっていただけない方々も……」
「気に病む事はない。……連中には、話が通じぬだけの事」
 後でわかった事だが、陛下が私を一時的にせよ校尉に命じた事は、程なく十常侍に漏れたようだ。
 そして、当然の如く陛下は十常侍らから叱責を受けたとの事。
 ……本来、宦官が皇帝に叱責する事自体、不敬の極みだ。
 だが、奴らは狡猾にも、何太后を動かした。
 両者の関係は未だに良好であり、何太后と言えども、十常侍らの言を軽んじる事は出来ぬようだ。
 そして、未だ幼少の陛下は、母君である太后に頭が上がらぬ。
 君臣の奸に、陛下は思いもままならぬ……そんなところであろう。
「月」
「……はい」
「お前が、本当に堪えられぬ……そう申すならば」
 月は、大きく頭を振る。
「いいえ、私なら大丈夫です。……勿論、お父様と一緒にいたいのは確かですけど」
「…………」
「それに、陛下も協皇子も、私だけを頼りにして下さっています。それを裏切る訳にはいきませんから」
 どうして、そこまで己を犠牲にするのだ?
 月の言う事は事実やも知れぬ。
 ……だが、全てを月が背負う事ではあるまい。
 こんなにも純粋で穢れのない少女が、運命に翻弄されるだけとは。
 私は、黙ってその肩を抱いた。
「お父様?」
「……お前を、人身御供にはせぬ。いや、させぬぞ」
 腕に、力を込める。
「もう、こうしてやれる事も暫くはあるまい。……今のうちに、父の胸で泣いておけ」
「……お父様っ!」
 堰を切ったように、月の眼に涙が溢れ出す。
「不甲斐ない父で済まぬ」
「お父様、お父様。そんな事、言わないで下さい」
「……斯様な事態を招いても、打開する事も儘ならぬのだぞ?」
「お父様は悪くありません。……大好きなお父様……ぐすっ」
 その後は、もはや言葉にはならぬ。
 つくづく、無力だな……私という存在は。


 今後の事は、稟と風、詠の間で決めておくように指示し、私は麗羽の元を訪れた。
「お師様。……おめでとうございます、とは申し上げられませんわね」
「やむを得まい、今度こそ、勅命だ」
「……ええ。それで、冀州の事ですけど」
 刺史は既に亡く、郡太守でしかなかった麗羽。
 統治するにもその支配域はあまりにも広大であり、いくら朝廷の命と言えども、一朝一夕に纏め上げるのは困難であろう。
 刺史から牧になる華琳や睡蓮、馬騰らと違い、その点は立ち遅れが否めぬ。
「本拠はギョウとする方が良かろう」
「わたくしもそう思いますわ。お師様が築き上げた城、しっかりと守るのがわたくしの宿命ですから」
「そうだ。だが、今度は魏郡や渤海郡だけの事ではない。冀州全ての民が、お前の差配一つで運命が変わる」
「……大丈夫でしょうか」
 溜息をつく麗羽。
「弱気は禁物だぞ」
「わかっていますわ。……でも、わたくしはお師様のように見事に勤め上げられるかどうか」
 ……やはり、今のままでは荷が重いか。
 だが、辞退する事も許される筈がない。
 州牧を務められる人材となると、文だけではなく武も求められる。
 今の麗羽がその双方を兼ね備えているか、となると心許ないが、さりとて望みが皆無な訳でもない。
「麗羽。いずれにせよ、引き継ぎも必要であろう」
「引き継ぎ?」
「そうだ。魏郡に本拠を置くならばな。郡太守である私がいなくなるのに、何もわからぬままでは不都合が多かろう?」
「……そうですわね。お師様、では一度冀州へ参りましょう」
「うむ。麗羽、お前から奏上してくれぬか? 私が申せば角が立とう」
「はい」
「……まだ、お前に師らしき事は何一つしてやれておらぬ。せめて、道中に幾許か、話を致そうぞ」
「本当ですの?」
 麗羽が、嬉しそうに言う。
「ああ。剣の稽古も、少しばかりだが付き合うぞ」
「お願いしますわ、お師様。わたくし、頑張りますから」
「……あまり、張り切り過ぎぬようにな」
 思わず、苦笑を浮かべてしまう。

 さて、更に問題が山積してきたが……。
 一つでも、減らしていかねばな。 
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