焼け跡の天使
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1部分:第一章
第一章
焼け跡の天使
何もなくなった世界。ここはそうだった。
戦争が終わり全てが廃墟になった。栄華を誇ったこの古い街も今では瓦礫の山だ。
街にたむろする人々の顔にも生気はない。全てを失くしてしまった彼等の顔には生気はなくただそこでふらふらとあてもなく歩いているだけだった。男も女も。
子供達は痩せこけて今にも死にそうである。当然食べるものもなく誰もが鼠だの雑草だのをかじっている。それがなくなった時のことも考えてはいない。
誰もが絶望して生きる望みを失くしていた。それはこのウラノフ=リエーカも同じだった。
戦場から帰ったばかりで軍服もボロボロになっている。その金髪も白い肌も汚れており大きな身体をやけに疲れさせている。そうしてそのままふらふらと歩いているのである。
彼もまた他の者達と同じであった。目的も希望もなくただ歩いているだけであった。
「話には聞いていたけれどな」
廃墟そのものの街を見て呟く。
「随分派手にやられたものだな。敵も同じらしいが」
彼の祖国は敵国と激しい戦争を行い遂には双方共その爆撃とミサイルにより国土の全てを焦土にしてしまったのだ。大国や周辺国が止めた時はもう遅かった。何もかもが破壊され民族も幸せも何もない有様に成り果ててしまっていたのである。
この街もそうだった。かつては長い歴史を誇る美しい街だったが今では焦土だ。その焦土を見ても何とも思わないようにもなってしまってきていた。
彼の生まれ育った街だった。しかし今は自分でもそうは思えない。ビルも壊れ家々も崩れ落ちている。道には瓦礫が積もりその間から鼠が見える。人々はそれを追い捕まえられないと雑草を齧っている。中にはもうしゃがみ込んでそこで死を待つ者もいる。ウラノフはその中の一人を見て思った。
「俺も近いうちにこうなるな」
何か何処からか援助の話が出ているらしいが彼はそんなことは信じられなかった。それを信じるには彼の心はあまりにも荒れ果ててしまっていたからだ。
「どうしようもないな」
そう言ってとりあえず道の片隅に腰を下ろした。そうして休むことにした。
「これからどうするかだな」
そうは言っても何も考え付かない。廃墟になったあちこちを見ているだけである。それを見て何をするかという気持ちにはとてもなれない。このまま死のうかとも思いはするが。
疲れ果てていたので暫く寝た。目を醒ますと不意に何かが目に入った。
「何だ?」
一人の黒髪の少女だった。白い服を着て白い肌にやけに大きな目を持っている。何処となくこの辺りの女ではなくアジア系に見えた。しかも彼女には翼があった。
黒い大きな翼だった。烏のそれに似た。それが羽ばたくと漆黒の羽根が舞い散るのが見えた。ウラノフはそれを天使のものには思えなかった。
「悪魔、じゃないな」
それも何となくわかった。
「じゃあ。何なんだ」
その少女を見ながら思う。しかしそれは一瞬のことだった。
翼が見えたのは一瞬だった。次の瞬間彼の前にはその少女がいた。穏やかな顔で微笑んで彼に声をかけてきたのであった。
「どうしたの、こんなところで」
「休んでいるだけだ」
彼は少女を見上げてこう答えた。言葉にも特に感情は込めてはいない。無機質に答えるだけであった。たったそれだけのことであった。
「ただな」
「こんなところで休んでいてもよくないわよ」
「大きなお世話だ」
やはり感情を込めない声で述べた。
「そんなことはな」
「いいの、別に」
「ああ、別にいい」
また答える。
「どうせこれからおしまいだ。それで起きて何になるんだ?」
そう少女に問うた。たまりかねた調子で。
「何にもならないだろう。だったらこのままで寝ているさ」
「生きたいと思わないの」
「思わないな」
そんな気には全くなれなかった。
「何でそう思えるんだ、今のこの街で」
「私はそうは思わないけれど」
「御前だけだろう、それは」
珍しく感情が言葉にこもった。しかしそれは冷笑であった。
「あまり笑わせるな」
「別に笑うつもりはないし」
「じゃあ何で俺の前にいるんだ?」
虚ろな目なのが自分でもわかる。わかっていてもそれを変えることはできなかった。また変えるつもりもない。そんな気力ももうなかった。
「からかいに来たのか?」
「そんなことはしないわ」
しかし彼女はこう答えるのだった。
「全然ね」
「そうか」
「ええ、そうよ」
またイワノフに答えてきた。
「ただ。貴方にあげたいものがあるだけ」
「何だ、そりゃ」
「これ」
そう言って彼に差し出してきたものは。それは一個のパンだった。白い大きなパン、それを彼の前に差し出してきたのであった。
「あげるわ」
「パンか」
イワノフはそのパンを見て呟いた。
「それを俺にくれるのか」
「欲しくなかったら別にいいけれど」
「いや、もらう」
だが彼はこう答えた。
「くれるんだったらな」
「欲しいのね」
「言い換えればそうだ」
ゆっくりを右手を動かした。そうしてそのパンを手に取るのだった。
「腹が減ってるからな。戦争の最後の方からまともなものは食っちゃいなかった」
「それは皆そうよね」
「ああ、そうさ」
パンを口に入れる。その柔らかさとほのかな香りが口の中全体に伝わる。久し振りに食べる白く柔らかいパンだった。イワノフはそれを貪るようにして食った。
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