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母の想い

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1部分:第一章


第一章

                   母の想い
「三年だな」
「ええ、三年よ」
 富松貞晴は妻の千晴の言葉を聞いていた。二人は今白は病院の個室にいて貞晴へベッドにいる妻の話を聞いていた。彼女の顔はもう蒼白で痩せ衰え幾許もないことは明らかだった。
「三年だけ。置いてくれたらそれでいいから」
「三年か」
「三年だけでいいの」
 かつてはふっくらとして可愛らしかったその顔も今では悲しいまでに痩せている。その顔で述べる言葉もまたかつてからは想像もできない程弱々しいものであった。
「三年。一人で清音を頼むわ」
「ああ、わかった」
 妻の言葉にこくりと頷く。
「三年だな」
「そうしてくれればいいから」
 弱々しいその笑みで微笑んで夫に告げる。
「それだけ。私が御願いするのは」
「三年経ったらどうなるんだ?」
 夫はここで妻に尋ねた。
「そうしたら俺と清音は。どうなるんだ」
「また来るわ」
 千晴はこう貞晴に答えた。
「それだけ経ったらまた貴方と清音のところに来るから」
「来るのか」
「ええ」
 弱々しいが確かに頷いて夫の言葉に応えた。
「来るから。それまで待って欲しいの」
「三年経てば俺達のところに来てくれるのだな」
「清音は確か」
「三つだ」
 娘の歳を答えた。
「もう三つだ。三年経ったんだよ」
「三つなのね」
 その歳月を聞いて優しくもやはり弱々しく微笑む千晴であった。
「長いわね。いえ、短かったわ」
「短かったか」
「あの娘が大学を出るまで。いえ」
 そしてまた言う。
「結婚するまでは。側にいてあげたかったわ」
「しかしもう
「清音・・・・・・御免なさい」
 申し訳なさそうに娘に詫びる。
「けれど。せめて」
「せめて?」
「ここでお別れになってもきっと戻って来るから」
「戻る!?戻れるのか」
「きっとね。だから三年だけ御願い」
 また三年という言葉を夫に告げるのであった。
「きっと戻って来るから」
「わかった。待っているからな」
「・・・・・・ええ」
 最後にこくりと頷くのだった。千晴は程なくして世を去った。貞晴は妻の葬儀を静かに執り行った。その間ずっと泣くことはなく妻によく似た顔の小さい女の子の手を握っているのだった。その娘は彼の顔を見上げて時折尋ねるのだった。
「お母さんもういないの?」
「三年だけね」
 彼は娘に対してこう答えるのだった。
「三年だけ待っていたら帰って来るよ」
「三年?」
「そう、三年だけな」
 また娘に告げる。
「三年だけ待っていていたらいいよ」
「わかったわ」
 娘の清音は父の言葉に素直に頷くのだった。
「三年でいいのね」
「そう、三年だけな」
「私が三つになった時にお母さんが帰って来るのなら」
 それでいいと思ったのだ。幼い娘心に。純粋だが確かな心で。
「私待つから」
「その間お父さんだけだけれどいいね」
「うん」
 母の遺影を見ながら答える。今は葬儀の途中だった。遺影から静かな微笑みを浮かべて娘を見詰めているのがわかる。花に囲まれたその中で。
「お母さんが戻って来るのなら。それでいいよ」
「そうか。それでいいんだな」
「だから。お父さん」
 今度は清音の方から貞晴に声をかけてきた。
「三年だけ待とうね」
「そうだな。たった三年だよ」
 子供にとって三年という月日がどれだけ長いのかはわかっている。しかしそれでもあえてこう言って娘を安心させたのだ。彼の親心である。
「それだけ待てばいいからね」
「うん」
 清音もまた素直に父の言葉に頷く。こうして二人は妻と、母とそれぞれ別れた。それから三年の間は何もなかった。しかしそれは三年経ったところで終わった。
 
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