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狐の悪戯

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2部分:第二章


第二章

 良子が家の庭で薙刀の稽古をしていると。そこにやって来たのは安井だった。にこやかに笑って庭先の廊下に立っていたのだった。
「あなた」
「良子、今帰ったぞ」
 その笑みで妻に対して声をかける。妻もそれを受けて顔を彼に向けてきた。
「殿からいいものを頂いてな」
「いいものを」
「菓子だ」
 にこやかな笑みのまままた述べる。
「珍しい菓子をな。頂いたのだ」
「何と」
 良子はそれを聞いて素直に驚いた。
「それはよきこと」
「それでだ。主に食べさせたいのだ」
「私にですか」
「そうだ」
 こう妻に述べる。
「その為に今呼んでいるのだ」
「私をですか」
「珍しい饅頭じゃ」
 この時代菓子は滅多にない。だから非常に高価なのである。
「それを食べて欲しいのじゃ」
「有り難き御言葉」
 生真面目な彼女にとってはそれはこのうえない嬉しい言葉だった。それを食べられるとなると。彼女にとって拒む理由はなかった。
「それでは。喜んで」
「では来るのだ」
 今度は妻を右手で招いた。
「居間に置いてある。食べるがいい」
「はい」
 薙刀を収めいそいそと家に上がる。そうしてその饅頭を食べに向かう。そして菓子を食べていると何時の間にか安井の姿は消えていた。しかしそのかわりにその居間に消えていた安井が襖を開けて出て来たのであった。
「良子、そこか」
「あら、あなた」
 良子は夫が戻って来たと思って顔を向ける。しかしであった。
「倒れたと聞いて探していたが元気ではないか」
「私が倒れた?」
「左様」
 こう妻に答えるのだった。
「城で女房に言われて急いで戻って来たのだが」
「急いで?ですがあなたは」
「わしがどうしたのじゃ」
「今さっき家に戻って来たばかりではありませんか」
 座って饅頭を食べながら彼に答える。
「それでこのお菓子を」
「お菓子!?」
「はい、これです」
 ここでその饅頭を見せるのだった。
「このお菓子を」
「待て」
 そのお菓子を見た瞬間に夫の顔が一変した。
「それが菓子なのものか。冗談ではないぞ」
「!?何を」
「見てみよ」
 また妻に言ってきたのだった。
「その菓子をな」
「菓子を」
「そうじゃ。全く」
「何が何なのか」
「だからだ。よく見てみろ」
 その菓子とやらを手にしたまま首を傾げる妻に対してまた言う。
「よくな」
「よくなと」
「そうだ、見てみろ」
 それを妻に対して繰り返してみせる。
「見ればわかるからな」
「むっ・・・・・・んっ!?」
 夫に言われるままその饅頭を見て。良子の顔が一変した。
「何と、これは」
「わかったであろう。それが菓子なものか」
 見ればそれは馬の糞であった。良子は今の今までその糞を菓子と思い美味い美味いと頬張っていたのだ。見れば口の中もその周りも手も全て馬の糞で汚くなってしまっていた。
「全く。汚いものじゃ」
「これはまたどうして」
「そんなことは言わずともわかろう」
 夫の言葉は実に冷たく醒めたものであった。
「御主は化かされたのだぞ」
「化かされたというと」
「そうじゃ、狐じゃ」
 やはりそれであった。
「隣の空き家の狐じゃ。してやられたのじゃ」
「何と」
「色々思うておるからじゃ」
 怒ろうとしたその先にまた夫の言葉が来た。
「狐に対していな」
「読まれていたのでしょうか」
 良子はその糞だらけの口で呻くようにして言った。
「まさか」
「それはわからぬ。しかしじゃ」
「しかし」
「狐だからといって何もせねば無下に嫌うこともあるまい」
 そのことを妻に述べた。
「わしはそう思うぞ」
「そうですか」
「これに懲りたら馬鹿な考えを捨てよ」
 豪快な彼にしては珍しく細部まで行き届いた言葉であった。
「わかったな」
「はい、よく」
 妻もそれに頷くしかなかった。遠くから狐達の笑うような鳴き声が聞こえてくる。全ては彼女の嫌う心から出たことであった。近江の国に古くから残っている話である。


狐の悪戯   完


                 2008・6・1
 
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