日向の兎
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1部
日向ネジ 3
俺がヒナタ様へ言うべき事を言い終えた時、彼女の表情は俺の想像とは違ったものだった。
「……どうして笑っているんですか、ヒナタ様」
「ごめんなさい、ネジ兄さんの事を笑っているんじゃないんです。ただ、私は本当に恵まれているんだなって実感したんです。
確かに私はネジ兄さんの言うように何かに怯えて、前に進む事をしてきませんでした。結果、私の宗家での扱いは落ちこぼれです」
彼女は自嘲気味な笑みを僅かに浮かべた。彼女の宗家での扱いは、俺から見ても同情すらしてしまうような状況だ。
ヒナタ様は決して日向宗家として柔拳を継いでいく技量がない訳ではないし、同年代の下忍の中では優秀な部類だろう。
だが、彼女が幾ら努力しようと、柔拳の練度を高めようと、大人達の目にはいつもヒジリ様の影があった。口にこそ出さないものの、ヒナタ様を見る目はヒジリであれば……、ヒジリと比べれば……と明らかに語っていた。
その上、妹であるハナビ様とすら比較されるようになり、ヒナタ様に向けられる視線は分家の俺に向けられる物より厳しい。
ヒナタ様を擁護する訳では無いが、彼女は決してハナビ様より弱いという訳ではない。単純にその生来の気弱さ故に、手合わせであっても最後の一手を打ち込む事が出来ず負けるのだ。それさえ除けば、彼女はハナビ様よりも強い。
だからこそ、素質はあるにも関わらず何かに怯え続け、立ち止まる彼女を俺は憎むのだ。
そんな俺の怒りとは逆に、彼女は随分と落ち着いた様子で改めて俺の方を見る。
「けど、私にとって一番辛かったのは、姉さんの期待に応えられなかった時です。たった一度だけ、私は姉さんに本気で怒られた事があったんです」
ヒナタ様は少し恥ずかしそうな笑みを浮かべつつも、何処か悲しげな表情を浮かべた。細かい内容までは知らないが、ヒジリ様がそれで凄まじい自己嫌悪に陥っていたのは俺も知っている。
「あの時の私は姉さんに言われた言葉をちゃんと理解できず、弱いまま何一つ変わることができなかった。それでも、姉さんは私が変われると信じてくれていた。
だから、私はこれ以上立ち止まることはしません。それに、今なら私は変われる……ううん、変わってみせる」
その瞬間、彼女の雰囲気が一変した。普段の弱々しいものではなく、こちらの僅かな気の緩みも許さない強烈なものとなった。そのあまりの変化に驚き、俺は無意識に構えをとった。
「だって……ここにはこんな私を大事にしてくれる人と、私の憧れの人がいるんだから!!
もう、私は何からも逃げない!!」
「では、その言葉の真偽、確かめさせていただきます」
俺とヒナタ様は同時に動き、互いの柔拳を次々と回避していく。柔拳の性質を知っている者同士の戦いは、どちらかが先に一手でも当たったその瞬間に勝負の大半が決まる。
文字通り一撃必殺のヒジリ様の柔拳には程遠いものの、俺やヒナタ様の柔拳も一撃当たれば相手を倒すには十分な威力はある。
だからこそ、お互いに捌くのではなく回避するのだ。なにしろ仮に腕で捌けば、その腕は最低でもこの試合では使えない状態になる位のダメージをくらう羽目になる。
それにしても、ヒナタ様の先程の言葉は嘘ではないようだな。覚悟を決めたとうのは当然だが、なにより甘さが一切無くなっている。
試合前は本気で相手をすれば、ヒナタ様の柔拳が俺の体に触れる前に彼女の点穴を突いて、柔拳の威力を著しく減衰さえられると思っていたのだが、とてもじゃないがそれは無理だ。
彼女の一手一手、全てがその程度の減衰では問題にならない心臓、手足の主要な動脈、肩などのダメージを受ければ行動を著しく下げられる部位などを、最短最速でねらってくるのだ。今のところ俺の方が僅かに押しているものの、俺が点穴を突いたならば、彼女はその隙にもう一方の腕で俺を打ち抜くだろう。
勝つための布石を打って、そのせいで負けるなど笑い話にもならない。
その上、こちらが押しているとは言っても、この程度も差はあってないようなものだ。
はっきり言って、今の所俺もヒナタ様も攻めあぐねているのだ。ヒナタ様の攻撃は俺に当たらず、俺の攻撃もヒナタ様の服を掠める程度でチャクラを打ち込む事はできていない。
その後、何度か距離を取り直し、再び打ち合いに移るなど仕切り直したが、結局何も変わらず、お互いの体力を削るばかりだった。
しかし、何度かの仕切り直しの時、ヒナタ様が突然構えを変えた。まるで無抵抗とでもいうように両腕を開いた構えていないように見える構え、あれは日向の分家宗家問わずに学ぶ事が出来る技術、守護八卦六十四掌。
あれは同じ防御系の回天と違い、周囲からの攻撃を弾くのではなく掌打で叩き落すというもので、基本的に殆どの攻撃を防御できる回天に比べて、己の掌打以上の威力の物は防げないという劣化品だ。
だが、それは通常の守護八卦だ。ヒナタ様の守護八卦は通常のものと比べて防御範囲を狭める代わりに、両足に寸分違わぬ同じバランスで歩むことで移動しつつの発動が可能のようだ。
あの技の名は守護八卦六十四掌 圧、ヒジリ様の以前使っていた技だ。厳密に言えばヒナタ様の物はそれとは細部が違い、ヒジリ様のものより幾らか脅威は減っているものの、極めて厄介なことこの上ない。
あれは圧の名が示す通り、守護八卦という自身を守る壁を相手に押し付けて、そのまま圧し潰すという防御ではなく攻撃系の技だ。事実、俺がヒジリ様のあの技と対峙した際、あらゆる技術をもってしても破ることはできず負けた。
もともと防御面では守護八卦は回天に劣るものの、柔拳の受けを極限まで突き詰めたような技術。全身の脱力からの爆発的速度の掌打は速度だけで言えば柔拳の中でも最速といえる。極めた者は一晩の豪雨の中、ただの一雫も浴びずに過ごすと言われているような技だ。
流石にそこまでの高みでは無いにしろ、ヒナタ様の技術は並大抵の努力では得られない域の物だ。彼女の迎撃は今まで俺が放った柔拳の全てを受けきる事が出来るだろう。いわば、あの守護八卦は回避を完全に捨てた攻防形態、小手先の技術など一切通用しない。
それを理解しているが故に、俺は一旦下がらざるを得ない。
その光景にヒジリ様以外は驚きの声を上げ、ヒジリ様だけはこの試合の結果を察したようで静かに目を瞑った。
ヒナタ様の守護八卦は間違いなく今の彼女の全力、ならば俺はそれに全力で応えなければならない。それは彼女への憎悪は関係ない。
この一撃は俺の誇り故に放とう。
「八卦太極掌」
会場中に爆音が響き渡ると同時に、俺の掌打は吸い込まれるようにヒナタ様の心臓を打った。
ヒジリ様の正面にチャクラを薄く張り、脚部からの強烈なチャクラの放出を推進力とした移動法から生み出した俺の技。足、膝、肩、肘からありったけのチャクラを放出し、四つの加速によって放つ神速の掌打。それが八卦太極掌、今の俺の全力だ。
その一撃で心臓の鼓動はその一撃で止まり、彼女は確かに意識を失った筈だ。
だが……彼女は意識のない状態で一歩踏み出し、俺の胸に掌を当てた。
「勝者 日向ネジ」
ヒナタ様がそのまま崩れ落ちそうになる寸前、俺は彼女を抱きかかえて、もう一度彼女の胸に掌打を打ち込む。
その瞬間、何者かに殴り飛ばされた。
「てめぇ、なにしやがんだ!!」
俺が起き上がって声の主を確認すると、うずまきナルトがこちらを凄まじい形相で睨んでいた。
「なんで勝ったあとにまで!?」
「ナルト、ちょっと落ち着きなさい」
俺に掴みかかろうとした彼をはたけカカシが止めて、ヒナタの方に視線をやった。
そこには咳き込んでこそいるものの、無事に意識を取り戻したヒナタ様がいた。
「試合を決めた一撃で彼女、心臓止まってたの。それをネジ君がさっきの一発で動かした、お前が殴ったのは単なる勘違いだよ」
本来ならば意識を刈り取る程度の攻撃でこの試合を終わらせられると思っていたが、どうやら彼女はもう手加減して相手をできるような人ではなかったようだ。どうやら俺の目も大分曇っていたようだ。
「私は負けたんですね……兄さん」
「ええ。あなたの負けですが……謝っておかなければならない事があります」
「…………」
「最後の一撃、確かに受け取りました。貴女は間違いなくヒジリ様の妹ですよ、ヒナタ様」
俺は伝えなければならない事を伝え、痛む胸を押さえつつ彼女に背を向ける。
「……今度は、負けません」
「ええ、お待ちしていますよ。ヒナタ様」
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