歪みすぎた聖杯戦争
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6話 交叉する視点
アイリスフィールの発信機からの信号に導かれて、夜の倉庫街へと駆けつけた衛宮切嗣と久宇舞弥は、人気の途絶えた静寂に出迎えられた。聞こえるのは海から吹き込む風の音ばかり。
あとは死のような沈黙と停滞した空気が、何の変哲もない夜のしじまを装っている。にも拘わらず──
「……始まってるな」
辺り一帯に張り詰めた魔力の気配だけで、切嗣は状況を正しく理解した。誰かが結界を張っている。
おそらくは敵サーヴァントのマスターだろう。
聖杯戦争とは無縁の通行人から、この街路の奥の状況を隠蔽するための擬装だ。
おのれの行いを衆目から覆い隠すのは魔術師にとって鉄則である。
十キロ余りもある異形の狙撃銃を小脇抱えたまま、切嗣は暫し思案した。
発信機からの信号で、アイリスフィールたちのいる位置はほぼ正確に解っている。
問題はどうやってその場所に接近し、そして何処から見守るか、だ。戦闘に身を投じる気は毛頭ない。
そのための狙撃銃である。
距離を隔てた位置から戦況を見極め、隙を見て敵のマスターを狙い撃つのが切嗣の目的だった。
もとより霊的存在であるサーヴァントに傷を負わせることができるのは、原則として、同じ英霊であるサーヴァントだけに限られる。なので、サーヴァントの相手をするのはあくまでセイバーの役目だ。
それも敵のサーヴァントが自分のマスターの保護に神経を割けなくなる程度まで、戦況を加熱させてくれればそれでいい。
「あの上からなら、戦場がくまなく隅々まで見渡せますが」
舞弥がそう言ってさしたのは、岸壁の闇夜を背景に聳え立つデリッククレーンだった。
操縦席の高さは目算でも三十メートル余り。誰にも気付かれることなく上に登れば、最良のポジションから眼下を俯瞰できる。
「たしかに、監視にはあそこが絶好だ。誰が見たってそう思うだろう」
「……」
皆まで言わせることもなく、舞弥は切嗣の意図を理解する。
「舞弥は東側の岸壁から回り込め。僕は西側から行く。──セイバーたちの戦闘と、それとあのデリッククレーンの両方を見張れるポイントに着くんだ」
「解りました」
AUG突撃銃を腰の高さに構えたまま、舞弥は小走りに音もなく倉庫街の物陰へと消えていく。切嗣もまたアイリスフィールの発信機の反応を窺いながら、油断のない足取りで反対方向へと移動を始めた。
○
ランサーとセイバー。二人の英霊が対決してるなか、忍び寄る気配がいた。
今は、戦闘中なだけあってその存在に察知するほど意を割く余裕が二人にはなかった。
否、たとえあったとしても、気付くことはあったのだろうか……
何故ならば、火花散らす剣と槍の斬撃からは遠く距離を隔てながら、音もなく忍び寄ってきたその影は、サーヴァントの霊感すらも欺く『気配遮断』スキルを備え持っていたからだ。
海を渡って吹き込む突風に『四代目火影』と背中に描かれている白のローブを煽られながら、侵入するアサシン。誰に気づかれることもなくアサシンが身を潜めていたのは、セイバーとランサーの対決の隙を見計らうのに絶好の高所──岩壁に聳え立つデリッククレーンの上だった。
戦場となっている倉庫街の街路からは五百メートル近く離れている。
人間の視力など及びもつかないサーヴァントのめであれば、この距離からでも死闘の直中にあるランサーとセイバーの、その表情までもが見て取れた。だがこの遠距離にアサシンのスキルを重ねれば、戦闘中の二名はもちろん、他にそれを監視しているサーヴァントがいたとしても、まず察知される気遣いはない。さらに隠身に鉄壁を期するなら、実体を纏わずに霊体の状態ではアサシン自身の知覚もまた『霊視』の感覚のみに限定される。今夜のアサシンは与えられた任務を従容に受け入れ、ただ黙認とその時を待ち続けていた。
○○
死闘の続く倉庫街より南東に数kmの地点にある、ホテルの一室にて、目を閉ざし、それでいて微睡むこともなく、静寂の中に神経を尖らせている漆黒の人影は、言峰綺礼の僧衣姿である。
傍目には瞑想に耽るかのようなその横顔が、いま耳朶に海風の唸りを聞き、瞼の裏に剣戟の火花を眺めていようとは、誰に想像し得ようか。彼の視覚と聴覚が認識しているのは、遠く離れた倉庫街で人知れず展開されているサーヴァント戦……今この瞬間に彼のサーヴァントであるアサシンが見届けている光景と、寸分違わぬ知覚であった。彼が行使しているのは、三年に亘る修業の成果だった。遠坂時臣により伝授された魔術のひとつ、共感知覚の能力である。魔力の経路が繋がった契約者に対し、綺礼はこうして感覚器の知覚を共有することが可能だった。
聖杯戦争において、サーヴァントの行動を遠隔地から完全に監視できるこの術は極めて有用度が高い。
特に斥候能力に長けたアサシンを従えているのであれば、鬼に金棒とも言うべき能力である。
「──未遠川河口の倉庫街で、動きがありました。いよいよ最初の戦闘が始まった様子です」
そう綺礼が語りかける闇の中には誰もいない。
代わりに、そこには卓上に載せられた古めかしい蓄音機が真鍮製の朝顔を綺礼に向けて傾ける。
果たして、ただの骨董品と見えた蓄音機は、人語によって綺礼の言葉に応答した。
『此方の方も戦闘が始まったようだ。』
「……?どういう事でしょうか今、此方の方も、と…」
『なに、戦闘といっても、アーチャーが敵マスターを発見し処理するだけの事だ。心配は無用だ。』
かすかに歪んだ音質ではあるが、余裕のある洒落な声は、まぎれもなく遠坂時臣のものである。
よくよく見れば、その骨董装置は、古式ゆかしい朝顔形の集音部分があるせいで蓄音機と見粉うが、その下にあるべきターンテーブルと針がない。代わりに朝顔の終端にあるのは、針金の弦によって支えられた大粒の宝石である。この装置は時臣によって綺礼に貸し与えられた、遠坂家伝来の魔導器だった。
これと同じ装置が遠坂邸の工房にも据え付けられ、おそらくは今、時臣もまた朝顔に対面して座しているはずである。二つの装置の宝石は距離を隔てて共振し、朝顔から伝わる空気の振動を相互に交換しあう。つまりは遠坂邸の宝石魔術を応用した''通信装置''がこれだった。もともと魔術師でない綺礼にしてみれば、なにもこんな奇妙な装置を使わずとも無線機で充分事足りるように思えたが、遠坂の宝石通信機は無縁と違って万に一つも傍受される心配はない。より慎重を期すると思えば、時臣の流儀に沿うのもさして無益ではなかった。ともあれ当面は、アーチャーとアサシンと合同で敵に手を組んでることを見破られずに敵を倒していく作戦で行く予定であることに変わりわない。
○
岩壁間際の集積場に積み上げられたコンテナの山の隙間から、切嗣はそっとワルサー狙撃銃の銃口を覗かせ、電子の目で夜の闇を透かした。まずは熱感知スコープ。……いる。
夜気に冷え切った黒と青の空漠を背景に、くっきりと浮かび上がる赤やオレンジの反応色。
ひときわ大きく白熱する熱源は、おそらくサーヴァント二体ぶんの映像だ。
激しく交錯する両者の放熱は、渾然一体となって大輪のフレアを咲かせている。
それよりも遥かに小さいが、まぎれもなく人体の放熱パターンとして映っている反応が、あと二つ。
道路の真ん中に佇立してサーヴァントの対決を見守っているのが一人、そしてもう一人は──やや離れた倉庫の屋根の上に、身を潜めるようにして蹲っている。
どちらが狙うべき標的なのかは、容易に判断がついた。確認のため切嗣は熱感知スコープのアイピースから目を離し、隣の光量増幅スコープを覗き込む。薄緑色の燐光に彩られた深海のような視界は、だが熱線視界よりはっきり鮮明やはり往来に立っている方がアイリスフィールだった。
さも誇り高いセイバーのパートナーに相応しく、隠れ潜むことなく堂々と戦うよう、彼女には予め言い含めてある。ならば屋根の上にあった熱源こそが、敵のマスター……切嗣のセイバーと渡り合う二槍の使い手、ランサーの主であろう。闇に身を潜めたまま切嗣は冷酷にほくそ笑んだ。望ましい最良の展開だ。
ランサーのマスターは幻影や気配遮断といった魔術的な迷彩で自分の位置を隠匿していたのだろうが、それで事足れりとして機械仕掛けのカメラアイに対する配慮を怠った。
これまでに切嗣の餌食となってきた魔術師たちと、まさに同じ轍を踏んでいる。
さっそく口元のインコムで、戦場の反対側に陣取っている舞弥に呼びかける。
「舞弥、セイバーたちの北東方向、倉庫の屋根の上にランサーのマスターがいる。見えるか?」
『……いいえ。私の位置からは死角のようです。』
可能であれば、切嗣と舞弥との十字砲火で万全を期したかったのだが、あいにく攻撃可能なポジションにいるのは切嗣一人だけらしい。だが問題はない。距離は三百メートル弱。切嗣の腕前であれば確実に一撃で仕留められる。狙撃手の存在に勘付いていない以上、あの魔術師に・300ウィンチェスター・マグナム弾を防御する術はない。銃身上に備え付けられた二脚架を拡げ、狙撃体勢に入ろうとしたところで──切嗣は思い留まり、いったんワルサーの銃身を巡らせてデリッククレーンの上に狙いをつけた。
途端に、彼の段取りは根底から覆される。胸の内で舌打ちしながら、切嗣は再びインコムに囁きかけた。
「舞弥、クレーンの上だ……」
『……はい。こちらもいま視認しました。読み通りでしたね』
切嗣が暗視スコープで捕らえた人影は、舞弥のAUG突撃銃の照準装置にも捕捉されていたらしい。
切嗣と舞弥に続き、セイバーとランサーの死闘を覗き見る第三者の監視者が、いまデリッククレーンの操縦席に姿を見せていた。予期できた事態ではある。聖杯戦争の緒戦においては、積極的な対決よりもむしろ傍観が上策だ。堅実なマスターであれば、他のサーヴァントが戦闘に入っても決して嘴を突っ込まず、それでも抜かりなく監視にだけは馳せ参じるだろう。そして戦い末に、勝者が疲弊しきっていれば乱入して漁夫の利を攫うも良し。そう都合よく事が運ばなかったにしても敵の手の内を探ることはできる。
いの一番にセイバーたちの戦いの現場へと駆けつけた切嗣だったが、彼は観客が自分たちだけで終わるとは思わなかった。だからこそデリッククレーンという最良の監視ポイントをみすみす放棄し、後に現れるかもしれない新たな監視者のために、敢えてその場所を譲ったのである結果は見事に思惑通り。敵はデリッククレーンが見張られているとは露知らず、観戦に誂え向きな特等席を占拠して、結果、切嗣たちの前に姿を露呈させた。暗視スコープの薄緑の画像を、改めて切嗣は凝視する。
新たなる監視者の出で立ち……黄色の髪に碧眼。
ステータスを読み取るまで信じられなかったが、あれはアサシンのサーヴァントようだった。
アサシンで呼ばれるハサンの容姿を聞く限り明らかに違う、ではアレはハサンではない。
それでは何かのイレギュラーによる召喚か?だがそんな事今は問題ではない。
問題なのはデリッククレーンの上に陣取ったのがサーヴァントだという点である。
いま切嗣がランサーのマスターを狙撃すれば、まず間違いなく相手を即死に至らしめるだろう。
だが同時に、銃撃の位置はアサシンにも露見する。
アサシンは決して戦闘力に秀でたクラスではないが、それでも超越存在たるサーヴァントの端くれ。
いかに切嗣が魔術師といえど太刀打ちできる相手ではない。セイバーの助勢は期待できなかった。
現状ではセイバーと切嗣の距離が、アサシンと切嗣の距離よりも遥かに遠い。
そもそもセイバーは切嗣がここにいるという事実ですら了解していないのだから、咄嗟に反応できるわけがない。さらに加えて彼女はランサーとの死闘の真っ最中である。
たとえマスターを屠られて魔力の供給が途絶えたとしても、サーヴァントは独力である程度の時間は現界は保てるから、ランサーのマスターを倒しただけで即座にランサーをも排除できる、というわけではないのだ。残る手段があるとすれば──令呪。マスターの令呪による命令権は、サーヴァントの能力の範囲内に留まるものではない。サーヴァントに抵抗のない、マスターとの同意に基づいた命令であれば、令呪はその英霊のポテンシャルを逸脱した奇跡すらも可能にする。
いざとなればセイバーをいま切嗣のいる場所でまで瞬間移動させ、アサシンからの防衛に当たらせることも不可能ではあるまい。
ただし、その場合には無防備なままのアイリスフィールがランサーの前に置き去りにされる羽目になる。
──諸々の要素について、切嗣は思案を総動員して検証し、すみやかに結論を下した。
ランサーのマスターを仕留める絶好の機会ではあるが、今夜のところは見送るしかない。
一旦そうと決めれば、切嗣はそれ以上何の未練も残さなかった。
「舞弥、引き続きアサシンを監視してくれ。僕はランサーを観察する」
『了解』
静かに吐息をつくと、切嗣はワルサーの思い銃身を二脚架をに預け、心を落ち着けて暗視スコープの映像に見入った。策を巡らす余地がなくなった以上、切嗣にとって今夜のセイバーの戦いは徒労でしかない。みすみす宝具を使ったりせず、程良いところで切り上げてアイリスフィールともども逃走してくれれば有り難いのだが──あの誇り高い英霊に限って、そういう思考は期待できまい。ともあれ、一度ぐらいは自分の手駒の力量を見極めておくのもいいだろう。
「……では、お手並み拝見だ。かわいい騎士王さん」
○
「……そうか。その槍の秘密が見えてきたぞ、ランサー」
セイバーは低い声でつぶやいた。相見えた難敵の手強さを、あらためて噛みしめながら。
あの赤い槍は、魔力を断つのだ。
とはいえ魔術の効果を根元から破棄したり解除するほど強烈なものではない。
今もセイバーの鎧は健在だ、『風王結界(インヴィジブル・エア)』も問題なく機能している。
槍の効果は刃の触れた一瞬のみ。その刹那だけ魔力の流れを遮断し、無力化するのであろう。
なるほど宝具として格別の破壊力を誇るものではないが、それでも充分に脅威となる能力だった。
サーヴァントの武装の優劣は、それが帯びた魔力や魔術的な効能によって決すると言っても過言ではない。だがこのランサーを前にしては、強力な武装を誇るサーヴァントほど、その優位を覆されてしまう。
「その甲冑の守りを頼みにしていたのなら、諦めるのだなセイバー。俺の槍の前では丸裸も同然だ」
揶揄するかのようなランサーの言葉に、セイバーは鼻を鳴らした。
「たがだか鎧を剥いだぐらいで、得意になってもらっては困る」
ランサーの槍の脅威を認識してなお、セイバーは畏怖の心を持ち合わせなかった。まだ形勢はどちらに傾いたわけでもない。セイバーは自身に纏わせている銀色の甲冑を解除しようとした、
刹那───────
「───お二方。少しお邪魔するぜ、うん。」
その声は倉庫街に響く。セイバーは直ぐさま甲冑の解除を辞め、ランサーは槍先はセイバーに向けたままだが顔は突如、声のした方を向く。そうした全員が、声がした方を向くと其処にはC2の上に悠々と佇んでいるニヒルな笑みを浮かべるライダーの姿があった。
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