Shangri-La...
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第一部 学園都市篇
第4章 “妹達”
1.August・Night:『Memory...Denied』
くるくるとクルクルと、繰々と狂々と。世界が回る輪る、周る廻る。地面が天に天が地に、上が下に下が上に。北が南に南が北に、東が西に西が東に。
立て板に流れる水は逆流して霧散する、覆水は盆に還って溢れる。投げられた賽子は手に戻り────神は賽子を振らない。
五メートルと離れていなかった筈の、フレンダと最愛の姿すら確認できない。この暗闇に溶けて消えてしまったのか、等と本気で考えて。
黒い闇は、白い光に。黒い公園は、白い白い────白い研究室に。無人の世界は────
『ん……ふふ、あげちゃった』
『うー、ずるい~……』
──ボクが、『今度こそ守ろう』と誓った二人の──────
「ッ────か、ハッ……!」
頭を振って記憶の混濁を払い、辛うじて正気を保つ。実に運のいい話だ。黒髪の少女を技で振り払った、その紳士的でない行為の為に受けた、『女性に優しくする』という誓約からの警告で。脳髄に錐を刺し込まれたような痛みに、意識を保てた。
もしもそれが無ければ、今頃はもう意識の手綱を手放して昏倒、或いは発狂していたかもしれない。
──“悪酔葡萄酒”……魔力の形を持つ毒、馴染み深い『櫟のルーン』か。なら、解毒は同じ魔術でなければ難しいだろう。
思考する/嗜好する。
これは三流だ、破る方法はある/あれは上物だ、破る法悦がある。
頭が痛い、考えが纏まる前に失神しそう/腹が減った、殺す前に犯してから喰おう。
思考、その渦巻き。繰繰狂狂。再度回りだした“悪酔葡萄酒”の酒精に、長谷部の柄尻に頭を打ち付ける痛みで対抗する。
その痛みに、乖離した理性と野性の隙間に針の穴一つの正気を手繰り寄せる。
(……無理、だな)
この一瞬でのその有り様に、解決の最短距離であるルーンの使用を諦める。無理だ、この状態では。嚆矢が魔術を行使できるのは、『確率使い』の能力あればこそ、反動が最低のダメージで済んでいるから。
そして能力とは演算あればこそ、その演算に失敗すれば────能力もまた、失敗する。そうなれば魔術の反動は、完全に神のみぞ知る事となろう。もしかすると、『一文字で致死傷』と言う百分の一の事態も有り得るのだ。
《ふむ……では、どうするのじゃ?》
(──────)
では、どうするか。どうすれば、この苦境を乗りきれるのか。思考、散断する自我の中で。背後の“悪心影”に、燃え盛る三つの瞳で嘲笑われる迄もなく。
あれは吐息の形をとった、肺からの汚染だ。呼吸をすればする程、汚染されていく。ならば、既に入ってしまった酒精を取り除く為にはどうするか。どうすればいいか?
(────喰え、ショゴス。喰って、お前で肺を代替しろ)
ならば、それしかない。これ以上の汚染を受ければ、それこそ手遅れだ。
かつて『スクール』のゴーグル男に掌を潰された際は、ショゴスが組織に刷り替わるまで二分ほどを要した。ならば、問題はない。ほんの五分ほど、無呼吸で交戦して生き残ればいいだけの事だ。
『────てけり・り。てけり・り!』
「クッ────────────?!」
指示に、喜び勇むかのようにショゴスが啼く。間髪容れず、両の肺腑が一口に貪られる。喉を駆け昇ってきた塊を吐き出せば、路面に鮮やかな緋色の徒花が咲く。
目の回る中毒の最中、目の眩む激痛に口角を吊り上げる。喰われた肺では言葉すら発せず、路面に向けた悪鬼の笑顔は誰にも見えてはいないだろうが。堪らない、そうだ────
(これが────殺し合いだったな)
刹那、身を躱す。翳されていた少女の掌からの目に見えない『何か』に、徒花が路面ごと散らされる。ショゴスの自律防御は、肺腑の修復に全力を懸けさせている為に無い。
矢張、運が良い。もしも『片肺ずつ』などと悠長な事をやっていたら────今頃、この頭が西瓜のように砕かれていた事だろう。
「ひっはははは────よく躱したじゃねェかァ。“悪酔葡萄酒”に冒されてる状態でェ、私の『窒素爆槍』をよォ!」
『フハハハハッ────さぁ殺せ、宿主! 今なら奴は、まな板の上の鯉と言う奴だ!』
白いコートを、夜風と爆風に翻らせながら。鉄の装丁の魔書を携えた黒髪の少女は二撃目、三撃目と『右手』を繰り出す。
成る程、爆槍とは良く言ったものか。その度に、目に見えない何かによりその先のモノが撃ち砕かれる。
「────────」
「どォした、あの食屍鬼どもを相手してた時の勢いはよォ! それとも……」
そもそも言葉など発せないし、口を開けば血を溢すだけだ。視界には端からテレビの砂嵐のような狭まり、体は末端から痺れるように重くなってくる。典型的な酸欠の症状だ。
そんな嚆矢を嘲笑うように────フードの奥の瞳を爛々と、黒豹のように煌めかせる少女は。
「それとも────私にゃあ、掛ける言葉の一つもねェってェのかァ!」
「ッ………………………………」
悲鳴のようにも聞こえる言葉を、溢しながら。遂に膝を突いた嚆矢に向けて、まるで突き放すように『右手』を伸ばす。
その先端から、豹の爪を思わせる掌から────槍を放つ。
「────────!」
その槍を、長谷部で受ける。食屍鬼の爪牙の比ではない圧力、それを────刀の鎬を使う、合気により受け流す。二撃目、三撃目と。
そもそも、古流武術の基本は合戦でのものだ。武器の使用を前提とした総合格闘技、それが古流武術である。
そして、何よりも────槍だと言うのならば、あの“迷宮蜘蛛”の槍騎士の“宝蔵院流”とは比べるべくもない稚拙。
ただ、強力な能力に任せた一辺倒の突き。見えずとも、躱すくらいは造作もない。
この程度の技量であれば、何時までも躱していられよう。彼女の技量が本当にこの程度で、かつ万全の状態であれば……の話だが。
「やるじゃねェか、“黒い扇の膨れ女”が言ってただけはある……“屍毒の神”とやらの猛毒を越えただけはあるって訳かァ」
『ハ、なればどうした…………所詮は洞穴に引き篭もる蛞蝓よ、この我とは比べるまでもないわ!』
しかし、それすらも薄ら笑いだけ。少女は金色に染めた揉み上げを右手で梳くと、一瞬だけ攻め手を弱める。何故か、その瞳に懐古を宿して。何故か、その左手に────魔書を携えて。
『何を息吐いている、今が好機だろうが! 殺せ、今すぐ! 此奴は貴様の事を覚えていなかった……即ち、獲物だろうが!』
「うるせェ……解ってンだよ、クソムシが!」
瞬間、美眉を潜めて。蠢き這いずるような鉄の装丁の魔導書に生命力を削られ、魔力に変換されて。無論それは魔導書の炉によるものだ、少女に反動は無い。
少女の右手に集まる、魔術の気配。それは酷く覚えがある。収斂する気配、正にそれは────
「なァ────液体窒素って、知ってるかァ?」
『“沈静”、“鎮静”、“鎮勢”!』
「ッ────────!?」
覚えがある、術式で。嘲る少女の掌に集まる青白い霧、それの正体に気付いて────
「────くたばりなァ、クソ雑魚ォ!」
放たれた、『消沈の三大ルーン』により-196℃まで冷やされた窒素の槍。その一撃を矢張、長谷部で受ける。しかし、刃を通して冷気が伝播するのは止められない。
指先が凍る感覚がこびりつく、血液の巡りが滞る。その二つを、踏み越えて─────
「ッ────ッ!」
展開した第一防呪印“竜頭の印”がそれを弾き、相殺する。砕け散る、竜の頭を象る魔法陣。それは即ち、究極の虚空に住まう神への祝詞の始まり。
視界がボヤける。演算が纏まらない。愈々、危険域か。
「足掻きやがってェ!」
『三枚だ、宿主よ。あれは神に捧げる生け贄の呪詛……“門にして鍵、一にして全”と交信する為のモノだ。後三枚、砕く前にカタを着けよ!』
「うるせェっつってンだろうが、こっちは最初っから……次で終いにするつもりだァ!」
二撃目の凍槍によって、第二防呪印“キシュの印”が割砕する。後は無敵の第三防呪印“ヴーアの印”と、最終防呪印“竜尾の印”の二つ。
「クソが、出し惜しみしてンじゃねェ────もっとだ、もっと搾り取れ! 液体だなんて生易しいもンじゃねェ、固体をブチかます!」
『心得た────クク、ではいただくぞ!』
魔書が、その鉄の装丁が妖しく艶めく。命を吸い、魔力を産み出しながら蠢いている。醜い、浅ましい。あんな汚穢を、好んで使う気が知れない。
『立 ち 消 え よ、立 ち 消 え よ、立 ち 消 え よ!』
先程までの比ではない、魔力の昂りを携える彼女。対し、最早まともに残り二枚を展開できるかすらも怪しい自分。
白い光、見るだけでも凍えそうな程に寒寒しい、極北の風だ。それが一陣、圧縮された槍となって心臓を狙い────
「“零下の─────?!」
撃ち出されるよりも早く、彼女に向けて様々な『顔』が描かれている携帯型対戦車ミサイルが撃ち込まれ────それを、右手の槍で迎え撃った彼女。その懐に、同じくらいの背丈の影が躍り掛かる。
掌底からの蹴り、反転しながらの後ろ回し蹴り。高圧の『窒素』を『装甲』として纏う体術は、見た目からでは想像も出来ない破壊力だ。
だから、黒髪の少女はそれを受け止める。受け止めて白いフードの下の眼光を更に鋭く、全く同じように橙色のフードの下の眼光を更に鋭くした最愛と睨み合いながら、邪悪に笑う。
「────超見覚えがある能力だと思ってみりゃあテメェですか、黒夜 海鳥」
「ヘェ────確かに見覚えがあると思えば……優等生の絹旗ちゃンじゃねェかよ?」
互いに、仇敵に再会したかのように。壮絶な敵意をぶつけ合って。
「ちょっと嚆矢、結局アンタ、顔が土気色なんだけど……大丈夫な訳?!」
「ッ────カハッ! ハァ、大丈夫になったよ、今……ね」
駆け寄ってきたフレンダの問いに、ショゴスにより辛うじて、窒息するよりも早く再製した肺腑に息を吸い込み────暫し止めて、酸素を取り込みながら応えて。
満足に動けるように、呼吸を整える。まだだ、気を抜くには早過ぎる。漸く首の皮一枚繋がっただけだ、現状は。
「仕切り直し、かァ……面倒臭ェけど──────よォ!」
「っぐ────?!」
その証明とばかりに『左手』からの高圧の『窒素』を『爆槍』として最愛を吹き飛ばした、『黒夜海鳥』と呼ばれた少女が呟く。それに呼応するように、辺りから不穏な息づかいが聞こえてくる。
物陰から、藪の中から。至る所から圧し殺したような、極上の餌を前に舌を出して喘ぐような────獣の息遣いが。
「こいつら、まだこんなに居た訳?! 勘弁してほしいのよ……」
「っ……超、泣き言言ってンじゃねェですよ。初体験がこンな化け物に輪姦されるで良いってンなら、話は別ですけど」
「結局、どう考えても良い訳無い訳よ!」
フレンダでなくとも、そう口を衝いて出よう。其処彼処に潜む食屍鬼を目の当たりにすれば。
『窒素爆槍』に撃たれた脇腹……『窒素装甲』を貫くには至らなかった衝撃を受けた脇腹を押さえながら、やはり辟易した様子の最愛が立ち上がる。
それを見計らって、タイミングを合わせて『右手』を掲げた黒の少女。それは、走者に号令を出す仕草。
「ラウンド、トゥー……ってか────ァ?」
号令が掛かる、正にその瞬間。魔書を携える少女は、まるで糸の切れた繰り人形のように妙な具合にぶら下がった『右手』を眺めて。更に、目元を拭いながら苛立たしげに舌打つ。
「ちっ、交換しねェと────確かに魔術ってのは便利なもンだけど、こォも消耗が激しいとやってられないってェの」
「「「Howwwwwwwwl!!!!!」」」
その呟きを掻き消すような咆哮、周囲の食屍鬼どもの箍が外れる。最早、誰に止める事も叶うまい。我先にと殺到する牙と爪、不浄の槍衾か。
「悪ィな────この二人はとォの昔に俺が唾つけてンだ。テメェらは、お仲間同士で乱交してな」
「「はあ?!」」
その先頭、口火を切った一体を“天地投げ”により群れに投げ返し、仲間の爪牙に貫かせて。不浄の波濤からフレンダと最愛を護るように、その二人から盛大に睨まれながら。
長谷部と偃月刀の双振りを携えている嚆矢は────勇敢で精悍な『英雄』等には程遠い、『悪役』すら通り越して、下賤で卑劣な『悪鬼』の笑顔で。
「征くぞ、“悪心影”────一撃で勝負を決める」
一息に“圧し斬り長谷部”と“賢人バルザイの偃月刀”を、“錬金術”により融合させて。玉虫色の刃を備えた、日本刀と替えた。
《応朋よ────しかし、二人などと小さい事を申すでない。ああいう跳ねっ返りを従順に躾るのも、中々に乙なものぞ?》
「ふゥン…………確かに、ソソる話じゃねェか────検討しておこう」
「…………ッ?!」
燃え盛るような真紅の瞳三つで、一瞬見詰められた黒の少女。悪寒でも感じたのか、猫のように身震いしていたようにも見えた。
その、無意味な視覚情報を断つ。己の目は瞑り、代わりに影から覗くショゴスの血涙を流す瞳で、全天周の食屍鬼を捉えて。
「“柳生新影流兵法”、“無形の位”が崩し────」
《呵呵呵呵呵呵! 人界余さず人理の内、世に人外の這い無ぁし!》
構えもなく、長谷部をただ、だらりと持ったままで。三十を越える食屍鬼全てに、ただ一振りを。
《“神魔覆滅”────果てよ、神仏魔羅!!》
「全天周相転移刀──────“辰気楼”!」
“ヨグ=ソトースの時空掌握”により、空間転移する刃で。ただ一撃で、全ての食屍鬼を纏めて時空ごと斬り裂いて。
「「「「Gyaaaaaaaa!?!」」」」
玉虫色の時空の裂け目に、食屍鬼どもが捕食されていく。足下の影は、食欲を満たされた歓喜に咽ぶように波立っていて。
僅か数瞬で、食屍鬼は跡形もなく。先の五体の残骸も含めて、完全に消滅した。
『クッ────欠片とは言えども、流石はかの三御柱なる“門にして鍵、一にして全”か……』
「旗色が悪ィな…………仕方ねェ、退くか」
使い魔の全滅すら、大して気にせずに。既に離脱の構えに入っていた黒の娘は、一度此方を見遣って。
「じゃあねェ、暗闇の五月の御同輩がた? 次はきちンと殺してやるよ────“人狼鬼”。第一位の『万能性』の体現者?」
「「……………………!」」
その台詞に。嘲笑うような────憎悪するような台詞に反応したのは、嚆矢と最愛の二人。フレンダはただ、そんな二人を見比べているのみ。
足下に『窒素爆槍』を叩き付け、粉塵を巻き上げた海鳥。その塵が晴れた時には、もうその姿はない。
静けさが帰ってきた公園に、思い出したかのように虫の合唱と夏の茹だる夜気が流れ込む。
長谷部を鞘に戻しながら行った“悪心影”の音響探査でも、近くには敵は居ない事を把握している。何とか、虎口を脱したらしい。
「……助かった、訳よね? いやー、結局、一時はどうなるかと思った訳よ」
危機が去った実感に、フレンダが冷や汗を拭いながらそんな軽口を。嚆矢と最愛の二人に向けて、『やれやれ』とばかりにフランクに肩を竦めて戯けてみせる。
勤めて、明るく。明らかに、ギスギスしている嚆矢と最愛の間の空気を和らげようと。
「……………………」
「……………………」
「あは、ははは……」
それを完全に無視され、彼女は諦めて。溜め息一つ、『やれやれ』と肩を竦めて。
「……アンタ、対馬嚆矢でしたっけ? 『あの計画』に、どンな関係があるンです?」
「……………………」
最愛の問いに、嚆矢は口を閉ざしたままで。呼吸すら最低限に、目を伏せたまま。微動だにせず、反応の一つすらなく。
「聞いてンのかよ、テメェ────」
その様子に怒りを露にした彼女が、襟首を掴んで引き寄せた────
「────ふぎゃっ?!」
その勢いのままで、さながら頭突きのような形で最愛の額に額をぶつけて……そのまま彼女を組敷くかのように、力無く倒れ込んだ。
「ちょっ、こンの────……!」
いきなりの事に能力の発動をしくじったか、打ち付けた額と頬を赤く染めつつも一発、ボディーブローを叩き込もうとした最愛。
そこで漸く、気付く。気付いて、溜め息を溢した後で。
「あ、お邪魔しました~」
「……フレンダ、ふざけてねぇでこの失神ヤローを退かすの、超手伝ってください」
「はいはい、しっかし……一層訳が分からない訳よね、こいつの能力」
“悪酔葡萄酒“の汚染と、その解消の為の肺腑の破壊と再生、更に大規模な魔術行使。その三倍の反動で、体力を使い果たしてしまった為に。
ぐい、と背後からフレンダが嚆矢を抱え起こして、『窒素装甲』を再び纏った最愛が彼を肩に担ぐ。
「それで? 何処に運ぶのじゃ?」
「そうですね……じゃあ、喫茶店に超戻りましょうか」
「そうね、結局賛成な訳よ……ってか、今まで何処に居たのよ、織田?」
現れたのは、真紅の彼岸花柄に染め抜いた黒い和装に身を包む娘“悪心影”────否、織田 市媛。
失神している嚆矢から長谷部を抜き取り、足下に蠢くショゴスに納めて。
「何を言う、ずっと居ったであろうに」
「そうだっけ……そんな気もするような」
「今は超どうでも良いです。それよりこの男、ヤバイくらい体温が超低くなってますから……急ぎます」
「ふむ、確かにのう。では、急ぐぞ」
その唐突な出現に抱いた違和感も、彼女の言霊により霧散する。だが、今はそんな場合ではないと言う頭がある為か。
フレンダも気を取り直し、来た道を振り返って。そうして三人の少女は、揃って復路に着いたのだった。
ページ上へ戻る