イリス ~罪火に朽ちる花と虹~
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Interview13 アイリス・インフェルノ
「じゃあ、お前は、『何』?」
「『それ』がマクスウェルですって?」
直前までミラがいた場所は溶解していた。ミュゼがミラを抱えて飛翔しなければ、ミラも溶解した床のプレートと同じ運命を辿ったに違いなかった。
「何するのイリス!」
着地したミラを庇って、ジュードが前に出る。
しかし、イリスから溢れる瘴気は治まらない。
「『それ』がマクスウェルですって?」
呼気さえ毒に変えてしまいそうなほどに今のイリスは禍々しい。何故かは分からないが、ミラが「マクスウェル」であることが琴線に触れたのは間違いない。
「マクスウェル、貴様! よりによって己が捨てた女の顔を被ってイリスの前に立つか!」
触手が無尽にミラへと放たれる。ミラは四大属性のレーザーを雨霰と降らせて対抗するが、触手は地水火風のマナを濃縮した光線に触れるや、それを黒く染めた。レーザーは腐った土くれに変じてボタボタと地面に落ちた。
「私が、捨てた――?」
「その身のマナの一滴まで蝕んでやろうと思ってたけど、やめた。その顔、時間をかけて腐らせて爛れさせてやる。あの方のご尊顔を現つ世の姿に選んだことを後悔なさい、老害」
イリスは前屈みになる。殻が消え、後頭部から腰へかけて、背中の皮を突き破って無数のコードと、水晶で構成された翼刃が咲いた。ぎちぎちと詰まった大小数百の回路。
甲殻類の肢。骨は金属アームへ、チューブを床に垂らして。顔はペルソナへ。
腐臭が漂い始める。ルドガーは口を押えた。レイアもユリウスもだ。えぐい。何度見てもイリスの変態は引く。慣れない。それ以上に、トール遺跡でデータをサルベージしてからのイリスは、初対面の時より格段に酷くなっている。
「貴様は何を言っている! 私は外見を偽ってはいないし、ましてや女を捨てた覚えもない!」
「黙れ愚劣漢!」
触手を何本も束ねて太くし尖端を付けた即席槍がミラを襲う。ミラは壁を走って全て紙一重で躱しきった。
尖端が刺さった壁はみるみる錆びていった。天井も割れ、破片が落下し、空の光が要塞の中に注ぎ込む。
「命の一滴までマナを捧げ、心の一欠けまで愛を捧げた尊い御方――ミラ・クルスニクさまを忘れたと吐かすか!!」
その叫びでルドガーもようやくイリスが怒る理由を理解した。
イリスはミラを、老マクスウェルがミラ・クルスニクに化けた姿だと思い込んでいるのだ。老マクスウェルが死んだと知るルドガーからすれば、これほどぶっ飛んだ解釈もない。
「ユリウス、レイアを頼む! エリーゼはエルを!」
「ちょ、待っ、危ないよ!?」
「ルドガー!?」
ルドガーは戦場へと走りながらクォーター骸殻に変身した。
イリスはクルスニク血統者を傷つけられない。ルドガーが割って入れば攻撃の手を止めざるをえない。
激戦は続いている。地水火風の算譜法が惜しげもなく入り乱れ、物質を蝕む触手がそれらを腐らせ無効化する。
触手の尖端がミラを狙い、ミラは四大精霊のサポートでそれを防ぐ。
「イリスッ!!」
肺の酸素を全て吐くつもりの大音声で彼女を呼ばう。
触手の動きが乱れる。
ルドガーは槍の柄で触手を弾きながら、ミラを背にイリスの前に立ち塞がった。
「どうして……」
邪魔をするの? とでも続けたそうな、悲しげな表情。
ルドガーが呼びかけただけで平静を取り戻してくれた。その信頼に、ルドガーも精一杯の誠意で事のカラクリを説明しようと決めた。
「彼女はイリスの憎んでる『マクスウェル』じゃない。尊師に化けてるんでもない」
「……どういうこと?」
「イリスが知ってるマクスウェルは、正史世界ではもう死んでるんだ。断界殻を解くために」
「――、え」
「ここにいるミラ=マクスウェルは2代目のマクスウェルだ。先代に生み出された後継者。イリスの憎んでるマクスウェルとは別人なんだよ」
目を見開いて固まるイリス。
ルドガーは骸殻を解く。もうイリスから瘴気は感じない。
やがてイリスは浮力を失って床に崩れ落ち、その拍子に人間態に戻った。
「ほんと、う、なの? マクスウェル、が、死、んだ、なんて」
瞬きもせず震える声で、誰にともなく問いかけるイリスが、とても痛ましかった。
「事実だ。私は先代からマクスウェルの座を継いだ。先代の死によって、断界殻は術者を失って消滅した」
「断界殻が開いたのは…奴が解いたからじゃなく、死んだ、から…」
「そうだ」
イリスの呆然とした独り言にも、律儀にミラは肯いた。
ミラの声に反応し、イリスはゆるゆると頭を上げた。
「じゃあ、お前は、『何』?」
「私はミラ=マクスウェル。先代マクスウェルに産み出された、人と精霊の守り手だ」
「……精霊は『鋳造』はできても『生産』はできない。お前がマクスウェルに造られたというなら……その姿形は、ミラさまのお姿に他ならない。声も、髪も、肌も、肉も、佇まいも、何もかもがミラさまで出来てる!」
イリスは拳を振り上げ、瓦礫の散らばる中に思い切り打ち下ろした。
「似姿を造るくらいなら何で本物のミラさまを捨てた! ミラさまはずっとずっと…っ…マクスウェルだけを求めていたのに!」
認めたくないけれど叫ばずにはおれない。矛盾した激情をイリスの絶叫から感じた。
ルドガーはしゃがみ、イリスの両肩に手を置いた。
イリスは他者に触れて本格的に感情の堰が切れたのか、歯を食い縛って床に爪を立てた。泣かなかった。
するとレイアが進み出て、しゃがんでイリスを背中から抱き締めた。
そうされて、ようやっと、翠眼から涙が流れた。
落ちた涙は次々と床のプレートを灼いた。イリスは幼子のようにしゃくり上げ続けた。
ルドガーは無言で、彼女たちを見守るしかできなかった。
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