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真夏のアルプス

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第2話 再び出会う

ズバッ!

まだ少しだけ肌寒さの残るグランドに、硬式球がミットを叩く音が響く。


「オーケー西園寺!」
「ナイスピッチ!」


ベンチからの声援を受けてマウンドに立つ投手は、均整のとれた体格、背筋の伸びた立ち姿、そして顔立ち。全てにおいて美しい。ゆったりとした投球フォームも、変に肩に力が入ることも体軸が極端に傾く事もなく、腕の振りしなやかで整っている。端正。この表現が実に似合っていた。


「すげー良いピッチャーに見えるなー」
「バカ、良いピッチャーなんだよ。西園寺さんは俺らの一つ上の代で、全中にまで行ったんだ。あの年の軟式球界じゃ知らん人は居なかったぞ」


練習試合のボールボーイをしながら、修斗と脇本が話していた。脇本に修斗は「でも俺知らなかったんだけど…」と言おうとしたが、それを言うと、その年一回戦負けだったもんだから上位校との対戦が無かっただけというのがバレてしまうので、あえて言わなかった。


「先輩らはすげーよ。それに比べて俺らは……お前のせいだからな」
「はいはい。ストレートだけに抑えられる極貧打線のお前らが悪いな」
「んだとコラァ!」


脇本が修斗につかみかかる。練習解禁日に出会って以来、この2人は常にこうである。


「コラァ!ちゃんと雑用に集中しな、このボンクラ!」


その様子を見た未来が、ネット裏の観覧席から飛んでくる。
そんなこんなで、修斗達の春休みはあっさりと過ぎ去っていった。



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「いやいやいや、ちょっと見に来た試合で12-0とは。さすがですなあ、長谷川監督」
「いえ、選手たちが力を出してくれたのは良いことですが、たかが練習試合ですので……」


試合後の監督室には、スーツ姿の老人と、グラサンをかけたちょび髭のオッサンが居た。オッサンの方は、老人にペコペコ頭を下げてばかりいる。このちょっと情けないオッサンが、日新学院高等部硬式野球部監督の長谷川嶺二である。オッサンを従えている老人は、日新学院の理事長だ。野球が好きで、ここ最近の日新学院野球部の強化はこの人物の差し金で行われている。言わば、野球部の後見人のようなものである。


「中高一貫教育を生かした強化も実りつつある、という気分がしますなぁ。今年は内田が最上級生ですしねぇ。通算32本塁打、でしたかな?」
「はぁ、いやぁ、よくご存知で……」


長谷川は、選手の本塁打数まで知っている理事長にたじたじである。
そして、思い出したかのように言葉を続けた。


「……しかし、今の3年生より、2年生、そして1年生の方が、より期待が持てますよ。秋以降も楽しみですね」
「おお、確かに2年生も、強打の水戸川に全中出場のエース西園寺、粒は揃っておりますな。しかし、1年生というのは?中等部は市大会で久しぶりに負けましたが……」


首を傾げる理事長に、長谷川監督は説明した。


「西園寺を中心に全中出場したそのメンバーの中に、今の一年生が多かったのです。ショートの岩崎、キャッチャーの佐田、サードの脇本、いずれ劣らぬ素質の持ち主です。2年生より粒が揃っているくらいです。一昨年中学野球を席巻したメンバーに水戸川を加えて戦えるのですから、秋以降が楽しみ、だと言うのです」
「おお!」


長谷川の説明に、理事長も食いついた。身を乗り出して、期待に目を輝かせる。


「それでは、ここ数年で我が日新学院野球部の黄金期がやってくるというわけですな!いや〜楽しみだ、初出場の折には盛大に乾杯しましょう。それでは、頼みますよ長谷川監督。私はこれで失礼します」
「は、ありがとうございます。今後とも、ご支援のほどよろしくお願い致します」


満足気な顔で監督室を立ち去る理事長の後ろ姿を、長谷川はお辞儀で見送った。理事長と入れ替わりに未来が部屋に入ってきて、理事長に出したコーヒーを片付ける。黙々と動く未来のその背中に、椅子に深く腰掛けながら長谷川が声をかける。


「おーい未来ー、俺にもコーヒー淹れてよぉー」
「はいはい、ミルクたっぷり、シロップありですねー」


未来が少しだけダルそうにしながらテキパキと淹れたインスタントコーヒーを、長谷川監督は首をポキポキ鳴らしながら啜った。洗い物を目の前で増やされ、飲み終わるのを待たねばならない未来としては良い迷惑である。


「……そんなにこの春から入ってくる1年生は良いんですか?」
「ん?何お前、聞いてたの?」
「たまたま聞こえてきましたので」


長谷川はため息をついた。


「……別に。悪くはないが、この大都市山吹の他校を圧倒するような力まではない。それは西園寺とか2年や、内田とか3年も同じだよ。でもまあ、ああ言っときゃ、あの人もウキウキになってくれるから言っただけだ。それに……」
「秋以降に期待できると言っておけば、監督としての任期延長も期待できますか?」
「ピンポーン!当たりー!」


いい年してはしゃぐ長谷川を、未来は白い目で見ている。その視線に一瞬でテンションを下げた長谷川は、またコーヒーを口先で啜った。


「……お前、勘良い方か?よく分かってるじゃねえか、大人の事情」
「……別に。去年も春頃、同じような事理事長に言ってたの、思い出しただけですよ。勝負は来年、これも去年言ってましたね。先輩方から聞いた話では今年は3年連続3回目の勝負の年らしいですが」
「うわー、刺さる事言ってくれるわー子どもは残酷だなー特にJKって人種はよー」


長谷川は頭を掻いた。少しだけ広がってきたおデコが、最近ちょっと気になってきている。公立校を何度か上位進出させてから、請われて日新にやってきたのが7年前。今から思えば目先の高給に目が眩んで、貴重な公立の正規採用を手放してしまったのは痛恨の極みだ。教師という職の最も良い点は、勤務評価がザルで安定している所だというのに、ハッキリと結果が表れ、しかも安定保証されてない今の立場はその真逆をいくもので、乾いた笑いが出てしまう。


「……だいたい、本気で強化するつもりなら、何で中等部にボーイズでもシニアでも、硬式クラブを部として立ち上げなかったんだか。軟式で全中行ったからって高が知れてんだよ、中学で軟式やってる奴に本当のエリートなんて居ねえんだから。選手の囲い込みも中途半端なら、監督もベスト8程度がやっとの監督だ。どっかズレてんだよなー」
「はいはい、愚痴はその辺にして、さっさとそれ飲み干してください」
「ん、悪い」


自分の半分しか生きてないような女子高生に窘められつつ、コーヒーを啜る長谷川。その顔には既にどこか哀愁が漂っていた。




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「1年生だけでこんだけも居るのかよ。すげえな」


多様な学科を抱える日新学院は、学年だけで5百人を超える。修斗の所属するのは総合進学コース。名前こそ進学だが、それは大学全入時代の産物で、頭の程度はイマイチである。頭が悪くても、子どもを日新にやれるような親の経済力をもってすれば私立大に行ける。そういうことである。修斗は勉強は得意というほどでもなかった。それは野球部員はだいたいそうらしく、同じコースに見知った顔ばかり居て、修斗は驚いたものだった。

初めて一年が全員揃う入学式。校舎の棟さえ違う国際教養コースや特進コースの連中が日焼け一つしていない白い顔をしてる一方、修斗は浅黒い顔を目立たせてそこに割り込んでいった。全ては、彼女を見つける為だ。


「キミ!そこのキミだ、こっち向いて!……はい違う、次!」


……人を探すにしては、随分強引なやり方をとっているが、修斗は御構いなしに突き進んでいった。愛があれば何しても構わないのだ。そういうものだ。


「ああもう、お前も違うよ、ほら次!」


無理矢理顔を確認されて、理不尽に悪態をつかれて去っていかれる女の子達は皆一様に怪訝そうな顔をしているがそんな事もどうでもいい。修斗はリビドーの赴くままに彼女を探した。

そんな手当たり次第な節操のない方法なので、いずれ見つかる。
あの夏に見た、彼女。ショートカットの髪をなびかせて、修斗の方を振り返る。


「あ……」


あの夏の準々決勝から、この瞬間を待ちわびていた。用意していた支離滅裂かつ情熱的なセリフの数々を吐き出そうと修斗が口を開けた時、その彼女の顔色がサッと変わった。


「危ない!」


初めて聞いた彼女の声は、その一言で、修斗は次の瞬間、後頭部に強い衝撃を受けて昏倒した。




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「あ、あれ……」


修斗が次に目を覚ましたのは保健室のベッドの上だった。頭がジン、と痛み、ボウっとするが、その視界に、その顔が割り込んできた瞬間、目は覚めた。


「あ、気がついた」
「!!」


横たわる自分を見下ろすその顔は、天使か、女神か、とにかく修斗にとっては、人知を超えた美しさを持った何かにしか見えなかった。口が何かを言おうとパクパクと動くが、あの衝撃で言いたかったセリフが飛んでしまったのか、言葉が出てこない。


「ごめんなさい。また兄が、兄バカを発揮しちゃってね」


女神様の顔が、困り顔に変わる。その視線は、ほら、謝ってとでも言いたげに、修斗から別の方向に移る。修斗がその視線を追ってみると、保健室の窓辺に腰をかけた坊主頭の少年が目に入った。


「何を言ってるんだ。妹に近づく悪い虫を駆除するのは兄の役目だろ」


全く悪びれもせずに言った少年の手には、硬式ボールが握られていた。
 
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