リメインズ -Remains-
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13話 「私は拒絶する」
前書き
ガゾム:
ロータ・ロバリーに住まう種族の中でも最も不思議なヒト種と言われている。種族全体が童顔小柄で、同種族間でしか通じない事柄が余りにも多すぎるため混血はほとんど存在しない。その身体は柔軟性を持った鉱物とでも言うべき構造で、体温は低い。血液が存在せず、怪我をするときは体に罅が入る。放っておくと段々くっつくが、間に泥を塗ると更に早く治るらしい。本人たち曰く、水と食料がなくても土を食べれば1週間は持つのとのこと。以下、特徴が多すぎるため省略。
なお、「ガゾムの女は体が硬すぎて抱けない」というのは有名な話である。抱きしめられでもした日には……。
「宣言通り首は貰ったぞ。血みどろ騎士」
「あ、が……ッ」
声を出すことが出来ない。喉からずるりと零れ落ちた自分の頭に、肺が空気を送り込めない。
「ブラッドさぁぁぁぁあああんッ!!!」
俺が最後に見たのは、クロエが何かを呟く顔。
俺が最後に聞いたのは、カナリアの悲鳴。
そして、うすぼやけた記憶の断片。
『隊長………これ以上無茶は止めてください。もし貴方が死んでしまったら俺達は『―――』さんに顔向けできないんすよ。魔将相手に俺達だけじゃ心許ないのは分かりますが、それでも――ね?』
どうやら、その記憶の断片でも俺は無謀な事をしていたらしい。
俺はどうすればよかったのだろう。追わなければよかったのか、逃げればよかったのか。
或いは剣の使い方を思い出したあの日に、いつかこの命を散らすことを運命づけられていたのか。
そして。
そして――。
そして、俺は――?
遠のいたはずの意識が、次第に引き戻されるように浮上していく。
耳元で誰かの声が聞こえた。聞き慣れた声の筈なのに、あまり聞いた事のない声色だった。
「……い!………まして!……目を!目を覚ましてください、ブラッドさんッ!!」
頭の裏が硬くて痛い。石畳にしては感触が変だ。
俺は声に呼ばれるままに、ゆっくり瞼を開けた。
そこには――月明かりに照らされる褐色白髪の少女が、翡翠色の瞳に涙をためて見下ろしていた。
「……どうも頭が痛いと思ったら、カナリア。お前の膝枕か?」
「コラッ!!だれの太ももが岩みたいですかぁッ!?」
ゴキンッ!と鈍い音と共に鼻がツーンとする衝撃が顔面に襲う。
一発殴られたらしい。そんなことを言われても硬いものは硬いのだが。
これ以上殴られたら顔の形が変わってしまいそうだと思い、体を起こして周囲を見る。
「もう、本当に……良かったぁ、目を覚ましたぁぁぁ~~………」
カナリアは俺を追ってここまで来て、介抱してくれていたらしい。起き上がった俺にホッと安堵の息を吐くと同時に、緊張の糸が解けたように地面に手をついてへたり込んだ。
周囲に広がるのは、破壊し尽くされた広場だった。
はらりと舞う黒い羽根の主はもう見当たらない。
少し離れた所には段平剣の砕けた刃と、細剣が転がっていた。どちらも俺のものだ。
あの子供はもう帰ったのか。いや、本当に気にしているのはそれではなかった。
「負けた、のか。20年の間、一度も負けたことなど無かった俺が――」
最後の一撃は、確かにこちらが先に捕えた筈だ。いや、それより――と俺は首元を触る。そこにはいつもの自分の首の感触しかない。先ほど、俺の首は確かに切り落とされた筈なのに、継ぎ目らしいものさえ感じられない。
――どういうことだ?
首と体が別れを告げても生きている生物など見たこともない。ましてヒト種でそのような身体構造をしている者などいるのだろうか。果たして、今見ているこれが死後の世界だというのならあまりに状況が出来過ぎている。
「カナリア。俺の首は繋がっているか?」
「……………ブラッドさん、帰りましょう」
「カナリア?」
「帰りましょう、って言ったんです。一人で暗殺者を追いかけて、こんな目に遭って疲れてるでしょ?皆もきっと心配してるし、無茶しすぎです」
カナリアは、手を無理やり引くように力づくで俺を移動させる。
聞きたいことにも答えずに、こちらに顔を見せようともしない彼女の態度に驚くが、しばらく歩いたカナリアは足を止めてぽつりと呟いた。
「大切な人がまた殺されるなんて、私は嫌ですよ」
それは彼女がマーセナリーになるきっかけになった、彼女に打ち込まれた楔。
ブラッドはまだその楔の存在しか知らない。詳しい事を彼女は語らない。
だがその記憶を思い出す時の彼女の横顔を見ると、心のどこかが悲鳴を上げた。
「昔の事を思い出させた罰です。今日は言うこと聞いてください」
「……分かった。俺もお前のそんな顔は見たくない」
「誰がさせたと思ってるんですか……ばか」
こんな時ばかり、いつも戦いばかりの自分が空しくなる。
気の利いた言葉ひとつ浮かんでこないのだから。
斬られた後の俺に何が起きたのかを知るには、彼女の機嫌が直るのを待つしかなさそうだ。
= =
その日の『泡沫』はぴりぴりしていた。
一種の不可侵地域であるマーセナリーに襲撃を仕掛けてくる輩が出たのだ。それも無理はない。
ネスは俺が帰ってきて以来ずっと工房に籠っている。ナージャさえも寄せ付けないその心中はどのようなものなのか。厄介な相手を受け入れてしまった後悔か、宿を壊された喪失感か。どちらにせよ、迂闊に踏み込むべきではない。
それよりも、俺は一刻も早く確かめたい真実を知るためにカナリアに詰問した。
俺の部屋は穴が開いたため、話はカナリアの部屋で行われている。
「カナリア――昨日お前が見た全てを教えてくれ。お前は、あの現場を見ていたろう?意識を失う前、お前の悲鳴が聞こえた」
「………………」
表情が青い。まず間違いなく彼女は何かを見ている。
リメインズ内部でマーセナリーが大けがしているのを見れば多少は顔をしかめるし、魔物の血の噴水に引くこともある彼女だが、顔から血の気が引くほどの反応は今まで見たことがない。
やがて、カナリアは絞り出すようにこう言った。
「ブラッドさん。過去なんてどうでもいいじゃないですか」
「………はぁ?」
「ですから。過去の自分を知るとか知らないとか。さっき自分の身に何が起きたとかなんとか。そんな過去を振り返ったって何かいい事がある訳でもなし!平和な日常が一番です!ね?」
「ね?じゃないだろう。お前は何を言っているんだ?記憶の話を持ち出したのはお前自身だぞ?」
無理に強がるような引きつった笑みを浮かべたカナリアに、俺は思わず問いかけた。
ついこの間ヒトに向かって記憶を取り戻したらどうかと提案したとは思えないほどに清々しい話の逸らし方だ。無理に明るい口調を振り回してはいるが、いつもの明るさではなく空元気であることは明白だった。
「そんなに俺に言いたくない事があったってのか?」
「知りません」
「何故隠そうとする?お前に都合の悪い事はあるのか?」
「存じ上げません」
「面白半分ならやめておけよ。今回ばかりは俺も引けないぞ」
「記憶にございません」
どこぞの政治家のようなすっとぼけ方で取りつく島もない。こちらの質疑に応答する気が一切ないらしい。
ふつふつとした苛立ちが湧きだしてくる。目の前に知りたい真実があるのだ。
何故隠す?何故白を切る?そんなに俺が気に入らないのか?今更になって生意気な年下に意趣返しでもする気なのか?苛立ちがそのまま口をついて飛び出す。
「パートナーだの何だのと都合のいい時だけ言葉を振りかざし、肝心な時はだんまりか?随分と都合のいいことだ。もういい、俺も口先だけで実践を伴わないような奴をパートナーとは認めたくない。――言わないならコンビ契約は解消させてもらう」
「………ッ」
カナリアが言葉に詰まり、キッとこちらを睨みつける。
彼女にこんな目を向けられたのは初めての事だ。強い拒絶を伴ったその目に、俺は一瞬だけ気圧された。
「それでも、言えません」
「………言え」
「嫌です」
きっぱりとした、これで本当に解約されても口は割らないと言う強固な口調だった。
本当の本当に、何を言っても俺に真実を話す気はないらしい。ここまで頑なに俺の要求を拒むとは思わなかった。
何故――その言葉ばかりが頭を過る。そのうちに、いつの間に俺はこれほどカナリアを信頼していたのだろうと思い至り、想像以上に動揺している自分自身に驚きを隠せなかった。
つい最近まで他人だったヒトだ。その面倒事に巻き込まれて危ない道に足を踏み込むのを是とする者はそういないだろう。誰しも他人の面倒事で自分の命を懸けたいとは考えない。カナリアとてそれは同じなのだろう。そして俺自身、その状況になれば「そうか」と一言返し、それで関係は終わるのだろうと漠然と考えていた。
だが、本当はそんなこと想像だにしていなかったのかもしれない、と思う。
現に、認めよう。俺は彼女に期待を抱いていた。そして今、裏切られていると感じている。
いつも馬鹿みたいに子供っぽく笑っていて、犬か何かみたいにちょろちょろついてきて、時々大人ぶる少女。いや、本当は彼女は俺なんかよりずっと大人の筈だ。
「私は言えません。でもブラッドさん、私は契約を解約する気はありません」
「隠し事をしていると分かりきった奴をパートナーとしてそのまま迎え入れろと?お前、虫がいいにも程があると思わないのか?」
口調荒く、苛立ちを抑えきれないままにそう返した。
言ってから、自分の感情を思った以上にコントロールしきれていない事に気付いて余計に自分が嫌になる。動揺などしたことがなあったから、抑えるのにどうすればいいのかも分からない。まるで子供の癇癪のようだ。
カナリアを見ると、彼女はそんなみっともない俺を前に顔を小さく伏せてきつく手を握りしめていた。
「……思ってますよ、自分でも虫がいいって。とても不条理で、ブラッドさんにとって理不尽を感じるでしょう。でも、私はブラッドさんの下を去る訳にはいかないし、ブラッドさんがいなくなってしまうのを指をくわえて見ている訳にもいかないんです……!」
次にその顔を見た時、俺は大きな自己嫌悪を覚えた。
カナリアの顔はせめぎ合う感情で氾濫し、今にも涙の堰が決壊しそうなほどに揺れていた。
彼女自身、今のこの状況をどうすればいいのか分からない。他に何かいい方法があればいいのにと女神に祈りたいほどに切に思い悩み、答えが出なかったような――苦悩に満ちた顔だったから。
この目を、俺は一度見たことがある気がした。あれは確か、コンビを組むきっかけになったあの日に見た――
「………ッ!!」
思わず、自分の頭を一発殴る。自分だけが思い悩んでいる訳でもないのに浅はかだった。
俺には俺にしか解らない感情があるように、彼女にも彼女にしか解らないものがある。
時間だ。今はともかく、自分を落ち着かせる時間が欲しかった。
「………少し外で頭を冷やしてくる。むきになって済まなかった」
「私も……ハッキリしない事ばかりで、ごめんなさい。少し考えを整理します」
俯くカナリアに何か声をかけようと手を伸ばそうとし、止めた。
彼女のこんな姿を前にも見た。そしてその時、彼女は自分で決断を下した。伸ばした手はそれを邪魔してしまうような気がして、俺はそのまま部屋を後にした。
= =
去っていくブラッドを見送った後、カナリアは自分の顔を覆って呻いた。
「馬鹿だ、私。前にもこんな事考えてブラッドさんを困らせて、今回も同じことしてる」
彼に真実を告げれば、彼はもしかしたらマーセナリーを辞めるかもしれない。
私は今、彼に辞めてもらっては困るのだ。私の浅ましく個人的な――復讐を為すために。
彼の事を思って助言をしたのではないのかと問われれば、思いやりと打算のハーフ&ハーフだと言わざるを得ない。それは同情している風を装って、利用しているにすぎないのだから。
ブラッドとのコンビ契約の理由は、本当は3つではなく4つある。その4つ目こそが真に肝要な事だった。
あの契約は、私がブラッドを巻き込んでいい期間。
彼が復讐者としての私を許容する事を確約したもの。
『契約者同士は互いの生存を優先し、互いの抱える問題に関して積極的な解決を図らなければならない。以上の項目を満たさないと判断される行為を行った者は、そのマーセナリー資格を剥奪するものとする』
審査会が定めたパートナー・チーム契約の大原則の一つだ。
マーセナリーというのはその多くが、この奈落へ続く古代遺跡の中で戦いに身を投じる以外に生きる道がないような社会不適合者の集まりだ。故に誰もがマーセナリーからの除籍を拒む。
彼は、ここ以外に居場所など無い。
そして私は――このリメインズへ、あるヒトを探すためにここに来た。
そのヒトが私の仇の手がかりを持っている事は分かっている。彼がこの第四都市に入り、それ以降死亡届も転居届も出していない事も。彼は今もこの町のどこかに存在する。その人物を見つけ出すために、彼女は審査会の管理するマーセナリー登録名簿を見つけなければならなかった。
そして、先ほども言ったようにマーセナリーには前科者や過去を知られたくない者が多い。だから審査会は同じ審査会のヒト以外に決して書類を見せてはならない決まりがある。勝手に盗み見れば背信行為として躊躇なく除籍されるだろう。
マーセナリーからの除籍処分は、その多くが再度の登録申請そのものを却下される。
だから失敗は出来ないし、取り返しもつかない。そして――特例的に、審査会に大きく貢献しその利用価値を認められた者は、稀にその資料の閲覧を許されることがあると聞いた。事実、ブラッドは過去に一度審査会の抱える資料を読むことを許されたことがあった。
それを知った時、千載一遇のチャンスだと思った。
一度許されたのなら二度目もありうる。そしてそのパートナーならば、同じように資料の閲覧を許可される可能性は十分にあった。何よりこれでフリーでいるより圧倒的に審査会の目に留まりやすい。彼のコンビという最も確率の高い場所以外では何年待たなければいけないのか話あったものではないし、周囲からの自分の評価はとても低かった。認めてもらうには、この街で最強と謳われる彼の後ろ盾が欲しかった。
だが、ある時ふと気づく。
復讐のために武器を取った以上、いずれは全てを捨てなければいけない。
何故ならその武器はいずれ憎むべき敵へと付き付けられ、それは殺人と言う端的な事実に命中する。
殺人。それは決して赦されることのない咎。
それに他人を巻き込むことなどあってはならない。
だから本当はコンビなど組んでいる訳にはいかないのだ。
目的の為には、私の後ろ髪を引く存在はあってはならない。
目的のためとはいえ彼と共に行動していていいのか。
殺人の片棒を赤の他人に担がせて、利用するだけして去らなければいけない。
いや、それだけならまだいい。ひょっとしたらその復讐の煽りでブラッドの居場所さえも無くしてしまったら――私はなんと醜くて愚かな存在なのだろう。
ヒトを殺し、他人を巻き込むだけ巻き込んで自分はどうなってもいい。
そんなヒトは、それこそ屑だ。自分こそ唾棄されるべき存在だ。
そんな自己中心的で罪深い女の復讐に、彼を付き合わせて良いのか?
でも、ブラッドはそうは考えなかった。
『ヒトである以上は誰にも関わらずに生きていくなんて無理だ。復讐ってのは、そうやって周囲の大切なヒトもそうでないヒトも清濁併呑で巻き込む。お前がしなければいけない覚悟は独りになる覚悟ではなく――大切になったものを喪っても進む覚悟だ』
復讐のためにヒトと関われ、と彼は言った。
復讐する思いが本気ならば、信頼を踏みにじって然るべきだと。
私はその日、巻き込んでもいいかと彼に訊いた。彼は「勝手にしろ」と素っ気なく答え――契約は成立した。
あの頃はまだ、私はそんな出会いがあるとも知らず、我武者羅にパートナーを求め彷徨っていた――
後書き
次回から過去篇始まります。
カナリアとブラッドの出会いと、コンビを組むきっかけになった物語です。
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