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雲は遠くて

作者:いっぺい
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71章 グレン・グールドに傾倒する松下陽斗

71章 グレン・グールドに傾倒する松下陽斗 

 2月22日、日曜日。冷たい小雨(こさめ)がぱらつく、曇り空である。

 清原美樹と松下陽斗(はると)は、小田急線、下北沢駅北口から歩いて5分の、
世田谷区北沢2丁目にあるマンションで、暮らし始めている。

 二人は、去年の夏の終わりころから、防音設備の整ったマンションを探していた。

 二人とも実家が、美樹は世田谷区北沢1丁目、陽斗は世田谷区代田6丁目と、
下北沢駅から近いこともあるから、二人で暮らすマンションは、
下北沢近くの物件をと、のんびり探していたのであった。 

 去年の11月に、24時間、楽器の演奏も可能な、ファミリータイプの2LDKの、
床、壁、扉や天井に吸音施工がしてあり、サッシの窓や換気扇も防音完備の、
いわゆる音楽マンションが見つかったのであった。

 二人は去年の12月から、そのマンションで暮らし始めた。

 二人は、まだ大学生ではあるが、経済的には自立する収入もあるせいか、
お互いの両親には、あっさりと理解してもらえた。

 美樹は1992年生まれ、22歳、早瀬田大学教育学部の4年生。身長158センチ。
陽斗は、1993年生まれ、22歳、東京芸術大学の音楽学部、ピアノ専攻の4年生。身長175センチ。
ふたりとも、この3月に大学の卒業である。

 マンションは、洋室8帖が2部屋、LDK(リビング・ダイニング・キッチン)が10帖で、
部屋にはグランドピアノが置いてあり、もうひと部屋はベッドルームにしてある。
月の賃料は14万円、管理費は5千円であった。

「ねえ、はる(陽)くん、このごろのニュースって、なんで、こんなに、殺伐としているのかしら!?
戦争のこともだけど、日本の中でも、(おそ)ろしい事件ばかりがあるんだもの」

 肩にかかるほどにのびた髪がセクシーな美樹は、そういって、陽斗を見て微笑んだ。

「人の命を、軽く考えているのかな!?他人の命のことも、自分の命のことでも、
軽く考えているというのかね。
人の心から、何かが欠落してるともいえるかもね。それは、生きる目的のようなものかもしれないし」

 陽斗は、少年のように澄んだ眼差しで、美樹を見るて、そういう。

「そうよね、はるくん。生きる目的って、なかなか、学校の授業とかで、
教えてもらえるものでもないですもんね」

「そうかもね、美樹ちゃん。生きる目的とかって、生きがいとかって、自分で見つけるしかないのかもね」

(さいわ)い、わたしたちには・・・、音楽があるってことかしら。はるくん」

「まあね、そういうことかな。あっはっは」

「そうよね!いつまでも、仲よく、音楽やってゆこうね、はるくん。うっふふふ」

「そうだね、美樹ちゃん」

 リビングのテーブルで、美樹と陽斗は、あたたかい緑茶を飲みながら、
目を見合わせて、幸福そうにわらった。

・・・はるくんの指って、ごつごつして男らしいのに、なぜか、ピアニストらしくって、
わたしの指より、繊細な感じなんだから。また、そこがセクシーで、わたし好きなのだけど・・・

 美樹は、そう思いながら、テーブルに置かれた、陽斗の手を、一瞬見つめた。

 このごろ、20世紀最高の天才ピアニストとして名高い、グレン・グールドに心酔している。

 1932年9月25日、カナダのトロントに生れた、グレン・グールドは、23歳の時に、
ニューヨークで録音した初のデビューアルバムの、バッハの 『 ゴールドベルク変奏曲 』 が
1956年に発表されると、ルイ・アームストロングの新譜をおさえて、チャート1位を獲得したである。

 このアルバムは、ハロルド・C・ショーンバーグなどの著名な批評家からも絶賛されて、
ザ・ニューヨーカー誌といった一流雑誌も、次々と賞賛した。

 マス・メディアは、アイドルのように、グールドを喧伝(けんでん)し、彼は時の人となった。

 日本でも、グールドの革新性を、最も早く見抜いた、音楽評論家、吉田秀和は、
グールドこのデヴューアルバムについて、こんなことを語っている。

「こんなに詩的で、ポエティックな演奏で・・・、しかも、バッハのあの曲は、ほんとうに、
冴え冴え(さえざえ)とした、鮮明な、ぼんやりとしたところのない音楽、
それなのに、こんなにほかにないような、魅力のある、
聴いている人をね、ほんとうに引き付ける力が強い、そういう音楽にぶつかったという、
そういう意味ですね、びっくりしたのは。だから、かつて聴いたことのないようなものでした。
で、ぼくたちが、経験してきたバッハは、重々しくて、厳粛で、言ってみれば、バロックどころか、
その前のゴシックの音楽みたいな、石でつくられた立派な大伽藍(だいがらん)のような、
そういう音楽でしたからねぇ。そうじゃなくて、春の風が吹いているみたいなところがあったり、
まあ、言葉でいうと、そんなあれだけども、鳥が鳴いているようなところがあったり、
そんな愉快なものを持っているような、バッハですからね。」

 つまり、グールドは、そんなふうな瑞々(みずみず)しい、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ像を、
現代人の前に(よみがえ)らせたのである。

 天才バッハを、(よみがえ)らせた、天才とピアニストとでもいうのであろうか。

 グールドは、その圧倒的なスピード感と、抒情性のあるピアノ演奏で、重々しく、親しみにくいような、
バッハのイメージを一変させたといえるかもしれない。

 18世紀なかばに、バッハによって作られた、その『ゴールドベルク変奏曲』は、
全曲を弾くと、1時間を超えるという大曲である。

 この曲は、もともと、チェンバロのための練習曲 (BWV 988)で、
ピアノには向かないとされていて、繰り返しも多く、単調で、
ピアニストも(この)んで弾かないといわれていた。

 グールドは、そんな既成の価値観を打ち破って、
デヴューアルバムでは、楽譜の繰り返し記号を無視して、
全曲を、30分台で弾ききったのである。

 そしてグールドは、アメリカでのデヴューばかりではなく、
ピアニストとして不動の地位を獲得したのであった。

「美樹ちゃん、グレン・グールドはね、50歳という短い人生だったんだけど、
芸術について、こんな、いい言葉を残しているんだよ。確かこんな言葉なんだけどね。
芸術の目的は・・・、アドレナリンやドーパミンのような脳内の快楽物質を分泌させて、
刹那的な快楽ばかりを追うのじゃなくて、感覚を研ぎ澄ますことによって、
新鮮な驚きや喜びに出会ったり、体験したり、心の平安の状態保ったりして、
生涯をかけて、ゆっくりと、人間らしさとでもいうのかな、そんな楽しく自由な人間性を、
構築してゆくところにあるっていってるんだよね。
これって、すごく、現代人の参考になる言葉だと思うんだよ、美樹ちゃん」

「そうね、さすが天才ね、いい言葉を残してくれているのね」

 美樹と陽斗は、笑顔で、一瞬、見つめ合った。

≪つづく≫ --- 71章 終わり ---
 
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