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猫の憂鬱

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第2章
  ―3―

予想気温は十度台と、平均的ではあるが雨が降っている所為か体感温度が低く、肌寒いなと感じる日であった。
雨の日の課長は機嫌が悪い、何故なら、バイクに乗れないからである。
勿論雨の日でもバイクには乗れる、けれど、雨の日にバイク通勤すると自慢の三つ編みが湿気で変な癖を付ける。其れと、レインコートでバイクは美しくない、と云う。
なので課長、雨の日はパートナーの車で出勤する。
「見た!?見た?あのジャガー!クソかっけぇの!」
「見た!見たぞぉ!来客用の所に停まってたヤツだろう!?」
午前八時半、純白のジャガーが駐車場に停まって居ると、出勤した井上が興奮気味に云い、其れを確認していた木島も興奮した。
べかべかに光っている、純白過ぎて松崎しげるの歯みたい、と迄教えてくれた。詰まり其れ程真っ白なのである。
「あんまりにもカッケェから写真撮った!」
「井上、転送しろ、待ち受けにする。」
「ジャガー?其れも純白だと?」
井上の言葉に課長が反応し、窓から顔を逸らした。
「お心当たりあるんですか?」
なんで何時も洗車した次の日に雨が降るのか、何かに取り憑かれて居るに違いない、と自分を呪う龍太郎は課長に向いた。
此れですよ、と井上は課長に電話を見せ、ナンバープレートを拡大した課長は瞬間顔色を変え、電話を床に叩き付けた。
純白のジャガー、其れだけなら珍しくも無いが、京都ナンバー。
そんな人間、東京の地で、然も此処に来るとなる人物は一人しか居ない。
床に叩き付けられた電話を拾う井上は、最近バッテリーの減りが早いんだけど、其れって課長の所為じゃないの、と意味不明は発言をした。
井上の電話、何故か何時も課長に投げられたり叩き付けられたりと乱暴に扱われる。
大きな手で口元を隠す課長は、井上の身体を弄り、頭痛薬を奪うと生温い珈琲で流し込んだ。
「本郷!」
「はい!?」
胃薬寄越せ、と、此処数日で課長の身体は頭痛薬と胃薬に侵されている。
「ええと、其れは、頭痛薬で胃が痛くなるから飲むんですか?ストレスで胃が痛いんですか?」
其れに依って違うから、と云うと、何でも良いから早く寄越せと獅子の威嚇を受けた。
「胃が痛い…、吐きそうな程胃が痛い…!背中も痛い!右だ、右が痛い!」
「課長、其れ、私と同じ症状ですよ。胃の裏側が右の背中です、叩くと響くでしょう?」
「馬鹿、痛い、なんで叩くんだ。」
「やっぱり。」
詰まり胃潰瘍。龍太郎も最初、此の症状が出た。痛みで失神しそうであったが、病院に行っても軽度の胃炎で済まされ、仕方無し胃薬で騙し騙し過ごしていたら、のたうち回る程の激痛と共にあっさり吐血した。其の時はもう完全に親指大の穴が胃に開き(然も三つ)、今迄の比で無い激痛だった。自分が何を吐き出したかも判らない量の血を吐いた。貧血で倒れる龍太郎を、元凶の木島が唖然と見ていた(のはしっかり覚えている)。入院先の担当医に、良く此処迄放置出来ましたね、其の根性は素晴らしいです、と嬉しくもない言葉を貰った。
「課長、今直ぐ吐いて下さい。今飲んだ薬、吐いて下さい。」
「馬鹿たれ、頭が痛いんだぞ!」
「頭痛薬で進行が早まります、吐いて下さい!」
吐いて下さい、と云われても吐きようがない。龍太郎の言葉に困った課長は益々頭の痛みを訴え、頭痛持ちに胃潰瘍って、もう最悪じゃねぇか、と井上がとどめを刺した。
「まあ、俺も背中痛いけど。後、お腹痛い。ぽんぽん痛いのぉ。臍の上。」
「拓也、たぁやん。御前のは如何考えたって酒だ。膵臓が悲鳴上げてるぞ…」
「え?肝臓じゃねぇの。」
「酒で肝臓逝ったらもう末期だぞ…」
「じゃあ未だ大丈夫だな、よしよし、今日も飲もう。其の前に肺も逝きそうだぜ、ふへ。」
「御前が四十迄生きたら、俺は百歳迄生きそうだ。」
「何でだよ、五十で死ねよ、寂しいから。十年は待ってやる、其れ以降は待たない。あたしぃ、待つのは趣味じゃないから。」
「判った、出血死で直ぐ後を追ってやる。」
抑に龍太郎、胃潰瘍で入院した時、医者から珈琲と煙草を控えるよう指導受けた筈だが、守っちゃ居ない。
軽度の胃炎を信じたばかりに血を吐いたのだから、医者の言う事は金輪際聞かない事にした。例え胃癌と云われても信じない自信がある。
「其の時は俺が加勢してやるよ、本郷。」
全身の血という血を口から吐き出させてやるからな、と木島は笑顔で云った。
「優しいですね、木島さん。」
「だろう、知ってる。」
上司がストレスで瀕死なのに、何故此奴等は暢気に笑って居るのだ。
課長の殺気に気付いた三人は黙り、加納は暢気に電話を弄っていた。
「一時間で戻って来なかったら、憤死したと思って良い。」
あのジャガーの持ち主に会って来る、思い違いであれば十分で戻る、考えている人物であったら最悪憤死するから、と部屋を出た課長は、内の怒りを粉砕するように靴音を響かせ、地下に降りた。
此の地下に居るのは鑑識、ある部屋は安置室と分析室である。解剖は大学病院でするので基本的に管轄所には無い。
地下に降りた課長は一目散に分析室に向かい、消毒薬の臭いを鼻腔に通した。
純白のスライドドアー、ノックもせず開くと、矢張り思った通りの人物が妻の遺体を前にパソコンに向いていた。
「びびった…、びっくさすな…」
唯でさえ不気味な場所なのに。
「なんで居る。」
「なんでって、仕事してるんじゃないですか。」
純白ジャガーの持ち主…宗一はパソコンから目を離し、椅子を回転させるときちんと身体を課長に向けた。
「なんか用。」
「何してるんだ。こんな場所で。」
「やから、仕事。お前こそなんし来てん。」
俺に会いに来たの?とからかい、使い捨てのマスクを片耳に掛けた。
「居ってもええけど、邪魔しなや。」
がーー、と椅子のキャスターを動かし、スライドドアーを閉めた。そして又パソコンの所迄椅子を動かすと音楽を流し、椅子を揺らし乍ら観察結果を確認した。
画面を睨み付ける目元を課長は眺め、そして宗一の全体を隈無く見た。
「…何?未だ居んの?暇か。仕事しなさいよ。」
ドアーに背中を預け、腕を組み自分を見る課長を訝しんだ。
何も云わない課長に宗一は、相変わらず変な奴だな、と取り合わない事にし、白衣のポケットからゴム手袋を出した。パチンパチンとゴム手袋が嵌る音を聞き、課長は目を閉じた。
「…なんで聖飢魔IIなんだ。」
「俺が好きやから。」
嫌いな音楽聞いて仕事はせんやろ、そう宗一は笑う。
「あー、エックスが良えの?」
「違う…」
「エックスなぁ…」
カチャカチャと画面を動かし、ベストが一個入ってる、と云い、後ガガも入ってる、と背凭れを深く倒した。
「ガガ…?御前好きなのか?」
ポップ嫌いな癖に、と云った課長に宗一はじっと視線を向けるだけだった。椅子から立ち上がり、課長に近付いた。其の灰色の目をじっと見上げ、ジャズの方なんやけど、とからかった。
「俺がポップなんて聞くかぁ。」
例え御前が好きでもね、と大きく反り、マスクをきちんと嵌めると其の儘妻の身体をすっぽり覆う布を剥がした。
宗一はマスクをしているので余り被害無いが、直に臭いを知った課長は手で鼻を塞いだ。
「一週間は経ってるからな。冷蔵保存やし、少し進んだな。今日で大学回すし。」
身を屈め妻を凝視する宗一は云い、口元を塞ぐ課長は近付いた。
伸びた白い手、瞬間怒号と共に叩かれた。
「勝手触んな!無知な人間が素手で触って、如何なっても知らんぞ!」
叩かれた手を掴んだ課長は、小さく謝罪した。怒りに細まる宗一の目、マスクの下にある口元は歪んでいるだろう。
「ていうか、ほんま邪魔すんなら帰ってくれ。」
「其奴は、自殺じゃ無いのか?」
「違うからこうして又確認してるんだろ。」
段々と語調が強まり、アクセントが標準に変わって来た宗一に、課長は顎を引き大きな目を向けた。
身体に染み付いた癖。宗一の機嫌を窺う時、決まって同じ動作をした。
「…見てて良い?」
「…結局俺に会いに来たんやないか…」
「違う。」
「違わん。仕事してる俺が好きなんやろ。」
否定せず、俯いた課長は唇を突き出した。
「そぉやって、普段から素直ならかわええのに。」
手の甲で頬を叩くと宗一は薄く笑い、睨み付ける課長にマスクを付けると放置した。
どれ程の時間が立ったか、真剣な目付きをする宗一を見ているとあっという間に時間が過ぎる。
「一時間十分経ったが、課長は憤死したのだろうか。」
十時を回った時計に視線を向けた龍太郎は呟き、木島の肩のマッサージを続けた。
「課長が居ないって良いなぁ、もう帰って来なくて良いのに。憤死万歳。」
加納の太腿に足を乗せ、龍太郎に肩と首のマッサージをさせる木島は、誠至高と云う顔で呟いたが、感じた獅子の視線に珈琲を吹き出した。其れが加納に掛かり、此のお馬鹿さんと顔面を叩かれた。
極楽から地獄に突き落とされた木島は慌てて課長を見たが、憤死寸前の怒りを纏う修羅所か菩薩のような顔で木島を見ていた。
「悟り、開いちゃったんじゃねぇの。」
井上の言葉に木島は身震い起こし、俺も悟りを開けんだろうかと、龍太郎は木島の肩から手を離した。
「電気治療してやるよ。」
「は…?」
聞こえた不吉な声。課長ですっぽり隠れていた秀一が白衣靡かせ現れ、逃げる木島の首を固定すると其の儘ショックペンを突き立てた。
「御苦労、シュウ。」
「なんのなんの、貴方の頼みなら。」
狼落とす位お安い御用、と床に倒れる木島を見た。調子に乗るなよ、と課長に蹴られたのは云う迄も無い。 
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