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Holly Night

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第1章・一年前
  ―8―

最年長の少女の言葉を纏めた紙を持った課長がホワイトボードの前に立ち、一課と生活安全課合わせて二十四人の刑事を会議室の椅子に座らせた。そして、交通課があの家の住所で車の登録が無いかを今調べている。
「迷っとるんだよなぁ。」
「何が?」
課長の一番近く、右腕側に座る木島は聞く。
会議室に集まった時、此の席に座るのは木島しか居ない。一課の権力の象徴であり、課長がホワイトボードの前に立った時の其の椅子は、誰もが座りたい場所でもある。課長の次に権力と権限を持つ者にしか与えられない椅子、其れが木島の座る椅子だ。
課長と木島、階級は警部と同じで、課長が退いた後に課長の地位に行くのは、今の所木島以外居ないと云って良い。其の次、三番手が警部補の本郷だ。
「此れって結構でかい問題だと思うんだ。」
自分の子供への児童買春なら“児童虐待”の枠で扱えるが、最年長の少女が云うには、自分以外両親の子供では無い。詰まり、誘拐によって集められた子供なのだ。
「やだ!」
「児童略取が絡んどるのが問題なんだよなぁ。おい生安。」
「はい。」
「照合出来たか?」
「少女の記憶が曖昧で、何時誘拐されたかも判らないんですよね。此れだけの人数を誘拐する…そして今迄何の問題にもならなかった、ニュースにもならなかった…、他府県の可能性が高いんですよね。」
生活安全課の刑事が少女達の特徴を、捜索願一覧で照合試みるが、抑に何時誘拐されたかが判らないので難しい話ではあった。
「詰まり其処迄でかい案件。他府県を動かせるのは本庁(おや)しか居ない。」
会議室に子供を入れて良いのか、一番後ろの席で筆談少女を膝に乗せる拓也、課長の足元には最年少の子供が居る。其の幼女が課長の足にしがみ付き、抱っこよー、と云うので課長は抱っこした侭、書類とホワイトボードに向く。
奇怪な光景ではあるが、課長が怒鳴らないので有難い話ではある。
「御前はどっから来た?ん?お空からうっかり落ちたか?」
詰まり天使と課長は云っているのだ。案外ロマンチスト。
「おそとよー。」
「名前も無いもんなぁ、困ったなぁ。」
「まゆちゃんよー。」
「マユ、か。」
生活安全課の刑事はパソコンに“まゆ”と打ち込み、管轄内から探したが、居たには居たが、全員自らの意思で家出する年齢だった。
「まゆちゃんはずっとまゆちゃんか?」
「う?まゆちゃんよー?」
「課長、如何言う意味?」
「源氏名かなと。名前も知らん子供を誘拐する訳だから。」
「嗚呼、そうか。」
「源氏名…課長。」
「あん?」
拓也が云った。
「此奴、名前が無いって云っ…書いてんだけど。」
「名前が無い?御前、名前無いのか。」
筆談少女は頷き、外の彼奴等は?と課長は親指を向けた。
「節子ぉ。」
「ああい。」
拓也に呼ばれた柳生は顔だけ会議室に出し、子供達の名前知ってるか?と聞かれたので、一旦引っ込み、そして、皆名前ないみたいです、とドアーを閉めた。
課長は瞼を掻き、困ったな、と唸る。
「何で御前は名前があるんだ?」
「まゆちゃんていうのよー。」
「皆がまゆちゃんって呼ぶのか?」
「そうねー。」
肉厚な唇を突き出した課長は拓也に向き、筆談少女を指した。
「何でまゆちゃんはまゆちゃんって呼ばれるんだ?誰が付けたか判るか?」
聞かれた筆談少女は“お姉ちゃん”と書き、“まゆちゃん”は最年長の“お姉ちゃん”が付けた事が判った。
「節子ぉ。」
「ああい。」
「最年長のお姉ちゃんに、何でまゆちゃんにだけまゆちゃんって付けたのか聞いて。」
「ああい。」
段々と柳生が哀れに思えて来た。
「呼び易いから、らしいです。」
「おいお姉ちゃん。」
キャスター付きの椅子をドアー迄滑らし、拓也は廊下に身体を向けた。
「他の奴等には何で付けなかった?」
「他の子には付けちゃダメってママが云ったの。」
「何で?」
「“パパ”達が好きに呼ぶからって。でもまゆちゃんはまゆちゃんだよ。真由美ちゃん。ママが付けて良いって云ったから。」
「なんでも真由美にしたんだ?」
「私が亜由美って云うの。」
課長の目が動いた。其れを木島は見逃さなかった。
「…御前、名字何?何亜由美って云うんだ?」
「如月亜由美って云うの。」
“お姉ちゃん”…亜由美の言葉を聞いた瞬間、木島と其の相方が腰を上げ、役所行ってきます、と会議室を出ようとしたが、課長は一旦止めた。
「何?」
「もう少し待て。」
拓也は言葉を続けた。
「此奴はさ、文字が書けるよな?此奴学校行ってたのか?」
「ううん、私が教えたの。話せないけどお話ししたかったから。」
「御前、学校行ってるの?」
「前迄は行ってたよ。」
「其れって何時くらい?」
「三年生迄かな、お家に教科書あるよ。」
其の言葉に課長は、鑑識から少女の持ち物を持って来いと一課の刑事に指示を出した。
「何処の学校行ってたんだ?っていうか御前、ずっと東京か?」
ローン会社曰く購入されたのは三年前前、丁度彼女が三年生の時である。
「ううん、引っ越して来たの。」
「どっから?」
「佐賀。」
「…遠いな。」
課長が一旦木島を引き止めたのは、購入者の名字と少女の名字が異なっていたから。
名義は“町田”となっている。
「令状持って、如月亜由美の戸籍取って来い。」
木島と入れ替わりに交通課の刑事が、あったあった、と書類を持って来た。あの住所での車登録があったのだ。何と言うか、馬鹿としか言い様が無い。
「イノ、最悪だぜ。…課長さん、あんた子供似合うな。」
「なんだよ。」
「御前が一ヶ月前ぶつけた車、彼奴だよ。」
「は…?」
「あのクソだせぇ改造ワゴン、あれが此の住所だ。名前は町田サトシ。ほんで此奴、何回も免停食らってる。今二十二歳。」
其の言葉に拓也はジャケットから電話を取り出し、亜由美に画面を見せた。
あの事故の時、破損した車体を取った時、偶然“町田”という其の男が映ったのだ。
町田の顔を拡大し見せると亜由美は
「あ、お兄ちゃん」
と筆談少女にも見せた。筆談少女も少し音を出し、お兄ちゃん、と云ってる風だった。
拓也は無意識に口角が上がり、此れお兄ちゃん、と課長に電話を投げた。
かしゃん。
電話はホワイトボードに激突した。
「何で避けんの…?」
「まゆに当たるだろう。」
大きな手で真由美の顔を防御していた。
「頑丈な電話だから良かったけど、iPhoneだったら死亡だぜ…」
「iPhoneみたいな軟弱なら受け取ったさ。…多分。」
床から電話を拾った課長は、此れは酷い、と腹から笑った。漏れなく車もダサい、とも。
「まゆ、此の兄ちゃん知ってるか?」
「パパよー!」
真由美は小さな手で電話を持ち、嬉しそうに笑うが、課長の絶望し切った表情と云ったら無い。
「まゆ、悪い事は云わん、俺をパパにした方が良いぞ。な?姫扱いしてやる。」
木島が居たら腹から笑いそうな言葉である。パパ、課長がパパ、ゲラゲラゲラ、と。そしてど突かれると云う流れも想像出来る。何故居ないんだ木島さん、と本郷は悔しがった。
木島が課長にど突かれかり八つ当たりされるのを見るのが本郷、職場での唯一の癒しである。
「お、良いね。じゃあ御前は俺の所に来い。」
膝に乗せる筆談少女に拓也は云い、本当に適当に云うな此の男共、と本郷は呆れた。
「今其の車、こっちが保管してんだけど見るか?引き取りに来ねぇんだよ。イノの車もあるぜ。」
「俺のはもう処分して良いぜ。」
署に軟禁されてる時、新しく納車契約したから、と。
「又御前税金使う!警察が処分すると税金なんだよ!」
「良いじゃん、税金なんて使う為にあんだぜ。使う為に徴収してんだろうが。」
「そして還付された自動車税を懐に納めるんだな、把握。」
「いっひっひ、悪いねぇ。悪代官めぇ。」
「オメェが悪代官だよ!で、課長さん、見る?」
「一ヶ月だろう?危ない物ならもう見付かってるだろう、無いって事は無い、時間の無駄だから見ない。」
「ま、も一回見てみるけどな。なんか出たら持って来るわ。廃車通告送ったし、ひっくり返すわ。イノの車は部品取りでディーラーに送って良いんだな?」
「良いよ。」
判った、と交通課の刑事は去って行き、続いて珍しい課の刑事が姿を現した。
「少年課だけど。…何で子供?」
「何か用か?煩い。」
「町田の事で来たんだけど。情報要る?五万だ。」
「帰れ。」
「嘘嘘。入って良い?」
此の町田と云う男、どれだけ警察の世話になれば気が済むのだろう。
「町田サトシって、あの町田サトシだろう?」
「有名人か。」
「まあな、少年課では結構有名。アッチコッチの署に名前あるぜ。で、此の署が本籍かな。」
「で?其の有名なヤンキー君の素性は?」
ホワイトボードの前にある椅子に座り、真由美を下ろしたのだがよじ登られた。
「バイク盗んで改造して、事故って放置、其の繰り返しかな。で、十八になって車に変わったってだけ。バイクはほぼ無免。何回も免停食らってるから時期が追い付いてないんだよ。」
「俺のバイク盗んだの其奴じゃないか?」
「何、課長さんも被害者?」
「盗んだのは中国人だが、其奴が盗んだ事にしとこう。腹立つから。」
「ひでぇな…」
内の大将も酷いけど、一課の大将も酷いな、と少年課刑事は一課刑事に同情した。
「若しかして、此の子、町田の娘か?でかくなったな…、一瞬判らんかった。」
「そうだが、…知ってるのか?」
真由美を見た刑事は、目元がそっくり、と云った。課長は、小動物みたいな此の目が可愛いと思って居ただけに一層落ち込んだ。
「俺、此奴の母ちゃん知ってるぞ。」
「は?」
真由美を膝に乗せた侭身を乗り出したので落ちそうになり、慌てて背中を支えた。
「すげぇ年上。三十代、かな?」
「井上。」
「へい。おい、あゆちゃん。」
「何?」
廊下から亜由美は声を出し、母ちゃんの年知ってる?と聞くと、三十代だよ、と云った。
「なあ、御前の母ちゃん何処居るんだ?」
「知らない、何時も居ないもん。」
「あの兄ちゃんが御前達の面倒見てたのか?」
「ううん。お兄ちゃんはママと一緒に来て、誰か連れてって、又戻してどっか行くの。でも、ママよりお兄ちゃんの方が良くお家に来て、まゆちゃんと遊んでたよ。お家の掃除とかもしてたし、皆にお洋服とか着せてたよ。」
亜由美の言葉に、一体何の事件が起きてんだよ、と少年課刑事は当然顔を険しくした。
課長は真由美の耳を両手で塞ぐと、児童売春と児童略取、其れに町田が絡んでる、と小声で教えた。
亜由美の云った、“誰かを連れて行く”は、ホテルか何かに少女を運ぶ事、“又戻す”は仕事が終わった事を意味した。
「御前も、ママ達に連れられて行ってたよな?」
「うん。」
「其処で…」
拓也の口は止まった。喉元に言葉が詰まり、息さえ出来なかった。
「御前、ママの事、好きか…?」
「うん。お兄ちゃんも好きだよ、優しいから。」
亜由美の大きな目は純粋で、息苦しさに息が熱くなり、目元を思わず塞いだ。
「きっついな、此の事件…」
出た本心は自分でも判らぬ程小さく、掠れていた。
小さな手が、拓也の手に触れ、指の隙間から拓也の目を見た筆談少女は膝から降りると慌ててノートに文字を走らせた。そして、両手でノートを持った。
――だいじょうぶ?――
柳生も思わず拓也の肩に触れ、会議室から出た拓也は廊下に座り込んだ。其れを見た本郷が前のドアーから会議室を出、早足で拓也の元に行った。
「拓也、休むか?」
「きつい…」
「井上さん!」
廊下に座り込み歯を鳴らす拓也を見た菅原が、大きく白衣を揺らし同じに座り込んだ。鼠色の廊下に純白の白衣は良く映えた。
「こっちです、こっち来て下さい。」
拓也の肩を掴み、しっかり抱えた菅原は本郷に向いた。
「此処は僕の本業です、大丈夫。井上さん、行きましょう。」
「先生、教えてくれ…」
拓也の掠れた声に菅原は大きな目を向けた。
「如何やったら、泣けるんだ…、死ぬ程痛ぇのに、泣きてぇのに、何で泣けねぇんだ…」
拓也の言葉に、菅原の視界が霞んだ。
「俺は、此奴等を思って泣く事さえ出来ないのか…」
一体貴方に何があったんですか。
菅原は黙って肩を摩り、本郷だけが知る拓也の過去を癒す様に、本郷は拓也の背中を撫でた。
「…目付き変わったな。」
会議室に戻った本郷に課長は云った。
本郷は無表情で真由美の頭を撫で、何がなんでもあの子達を親元に返す、そう本郷は云った。 
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