剣の丘に花は咲く
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第十四章 水都市の聖女
第七話 戦いの始まり
前書き
アーチャーと李書文の戦いを期待されていたらすみません(´Д`;)ヾ
「アーチャーッ!!?」
驚愕の声を上げ士郎は目を覚ました。
「―――っ、ここは……」
簡素なベッドの上で上半身だけを起き上がらせた士郎は、全力疾走した直後のように全身を汗で濡らしながら息を荒げている。状況が掴めず混乱しながらも周囲を見渡した士郎は、見慣れぬ光景に訝しむように眉根に皺を寄せた。
「監禁―――ではなさそうだな」
周りを見渡した士郎はそう口する。場末の安宿のような板張りの部屋。衛宮士郎の事をある程度知っている者がいれば、こんな場所に閉じ込めようとはしないだろう。例え壁が“固定”等の魔法で強化されていたとしても、元が木材であるならばその強度は程度が知れる。最低でも鉄格子と石壁の部屋を用意しておかなければならない。
だが、目が覚めれば見知らぬ場所にいたということが、士郎が混乱している要因ではなかった。
そう、目が覚めた後の事ではなく、その前―――あの不思議な―――否、奇妙な体験。
「……夢、なのか?」
それが一番まとも答えだろう。
自分はベッドの上にいて、先程目が覚めたばかりであるという点からしても。
しかし、だからといってアレがただの夢であったとは到底思えない。あの場所で感じた匂い、味、感触、痛み―――あらゆるもの全てが現実的であった。唯の夢だと断じるには、流石に無理がありすぎた。
あの生々しさは夢ではありえない。これまでの様々な経験からしてアレが夢ではないと分かる。だが、それならばアレは一体なんだったのか……。
幻覚や幻術とは違うと断言出来るからこそ、もしや過去にタイムスリップしたのではと、そんな馬鹿な考えさえ浮かんだのだ。
夢だと断じるには余りにも現実的に過ぎており、現実であると断じるには余りにも不可解に過ぎる。
夢でも現実でも、何かの証拠があれば―――。
「―――っ」
士郎はハッと何かを思い出すと自身の胸の上に手を当てた。もし、アレが夢でもなく真実現実であったとしたら―――この胸当ての下にはルーンが刻まれている筈だ。“リーヴスラシル”というルーンが。
「……アーチャー」
確かめるようにあの男の名を呼ぶ。
あの時、最後に残った意識が聞いたのは、懐かしさすら感じるあの男の名前であった。
李書文から致命的な一撃を受けてからおかしくなった。自分が自分で無くなっていくかのような感覚。意識が身体から離れ、自分の意思とは関係なく動く身体と声。身体が乗っ取られていくかのようでありながら、何故か焦りは感じなかった。当事者から第三者へと変わりながらも、どうしてか違和感は感じていなかった。
―――解析開始―――
「―――異常は……なし、か」
胸に手を当て呟く。自身の身体を調べるも、異常はなし。胸に“リーヴスラシル”と思われるルーンも、怪我の一つすら見つからない。
「夢―――だったのか」
にしては、あまりにも真に迫っていた。
だが、状況から察するには夢か幻かにしか思われない。
では、一体なんなのか、士郎にはその答えが―――
「―――“虚無”」
可能性が高いのは一つ。自身の主が使う魔法。その能力の全容が未だハッキリとしないあの力ならば、可能性がないとは言えない。そして、それを使いそうな使い手にも心当たりはある。
「ジュリオ……ヴィットーリオ」
そもそも今自分がここにいる理由もそこだ。
あの奇妙な体験に、あの男が関わっていない方がおかしい。
「……取り敢えずは、状況の把握が先だな」
今は何時で、ここは何処で、何故自分はここにいるのか等、全くわからないのだ。
まずはここから出なければ、と士郎がベッドから降りると、まるでタイミングを見計らったかのように部屋の扉が開いた。
士郎は入ってきたものを取り押さえるかと考えたが、直ぐに自分は別に拘束されていた訳でもないことを思い出し、上げていた腰をベッドへと下ろした。ギシリと木製のベッドが安っぽい音を立てて軋む。そのまま直ぐに動けるよう浅く座った姿勢で、部屋に入ってくる者を待つ。
「―――おや、目が覚めたんですね」
「ジュリオか」
ベッドに腰を下ろす士郎に気付き、僅かに目元をピクリと動かしたジュリオは、そのまま何も気負う様子もなく部屋に入ってくる。軽く微笑みながら士郎に挨拶をしたジュリオは、部屋に置かれたベッド以外の家具である椅子に腰掛けた。
「気分はどうですか?」
「さて、どう答えればいいか……そうだな、複雑だ、といっておこうか」
「複雑、ですか?」
返って来た答えが予想と外れていたのか、戸惑いを見せるジュリオを、士郎はジロリと睨みつけた。
「全く状況が把握できていないんでな。怒ればいいのか笑えばいいのかそれさえわからないんだが―――さて、どちらの反応が期待に添えるのか」
「ふ、ふふ―――本当にあなたは冷静何ですね。まあ、こちらとしても冷静に話し合えればそれにこしたことはありませんからその態度は歓迎しますが……」
チラリとジュリオの視線が士郎の左手に向けられる。
「……何か、ぼくに聞きたい事はありませんか」
「聞きたい事、か……聞きたいことが多すぎてな」
「そうですね。例えば―――何かおかしな夢を見た、とか」
士郎とジュリオの視線が交わり。互いに何かを探るように見つめ合うが、直ぐに視線を外した。
「おかしな、か。今のこの状況も大概おかしいとは思うが……そうだな。確かにおかしな夢を見た」
「……どんな夢か聞いても?」
椅子に腰掛けたままジュリオがずいっと身体を前に出した。
「ブリミルと会う夢―――と言ったら笑うか」
「他の人が言うなら笑いますね」
ジュリオはニッコリと笑いながら顔を横に振った。士郎は口の端を微かに曲げると、ふっと、小さく息を吐く。
「夢にしては妙に生々しくてな。まるで本当にそこにいるかのようで……痛みや息苦しさ―――目が覚めた今でも夢とは思えないぐらいにはな」
「それは確かにおかしな夢ですね。それで、その夢で会ったという始祖ブリミルはどうでした?」
前に倒していた身体の背筋を伸ばし、ゆっくりとした動作で背もたれに背中を預けると、ジュリオは大きく足を組みその上に肘を置き顎に手を当てた。顎に当てた指が落ち着かないように細く動いている。落ち着いている様子を見せようとしているジュリオの姿を数秒確認した士郎は、小さく頷き口を開いた。
「俺が会った始祖ブリミルはまだ二十歳前後に見えたな。神々しさやら威厳なんてものも感じられない人のいい青年といったところだった。ああ、初代ガンダールヴにも会ったんだが、驚いた事にエルフでな。かなり気が強いようで、ブリミルも随分手を焼いている様子だったな」
「へえ、それは確かに変な夢ですね」
「ああ、他にもエルフたちが“悪魔”と呼ぶ奴とも会ったな」
「―――ッ!?」
ビクリとジュリオの肩が揺れた。士郎はそれに気付かない振りをしながら「ああ、そういえば」と改めてジュリオを見る。
「そろそろ教えて欲しいんだが、今は何時で、ここは何処なのかを聞いてもいいか」
「え、ええ。あれから随分時間が経っていまして、教皇聖下の創立三周年記念式典も半ばが過ぎていますね」
「そうか、つまりお前がここにいるという事は、ここはアクイレイアということか」
「……良く分かりましたね」
目を細め窺うようにジュリオが士郎を見る。
「お前があの男から離れるとは思えん」
「……何だか随分と刺々しいですね」
「ハッ―――お前がそれを聞くか。自分たちがしたことを顧みれば分かるだろうが」
口元を歪ませながら士郎は鋭くジュリオを睨み付ける。ガタリと椅子が大きく揺れ、床が軋む音を立てた。椅子に座ったまま、ジュリオが身構える。
「それで、どうするつもりだ」
「どう、とは?」
「俺をここに閉じ込めておくのか、と聞いているんだが」
挑発するようにわざとらしく大げさに肩を竦めて見せると、ジュリオはニッコリと笑って。
「大人しく閉じ込められてくれますか?」
「断る」
「……ならぼく達にはどうすることも出来ませんよ」
一言で言い切られると、ジュリオは士郎の真似するかのように大袈裟に肩を竦めると顔を横に振った。
「なら、さっさとルイズたちの下へと帰らせてもらうか。随分と心配を掛けてしまっただろうからな」
「暫くはその心配はないと思いますよ」
ベッドから立ち上がり扉へと向かう士郎が、未だ椅子に座ったままのジュリオの横を通った時、囁くようにジュリオが話しかけた。士郎の足がピタリと止まる。士郎が顔を動かさず目だけで背後のジュリオを見る。ジュリオは顔を動かさず士郎に背中を向けたまま。
「―――それはどういう意味だ」
「それどころじゃないという事ですよ」
嫌な予感を士郎は感じる。
扉へと向けられていたつま先が向きを変え、椅子に座ったままのジュリオの背中へと向けられた。士郎の目が、ジュリオを見下ろす。
「それどころじゃ、ない?」
「実はガリアが攻めてきていまして。国境では今も激しい戦闘が繰り広げられています」
「っ、貴様ッ」
一瞬にして、士郎は何があったのか理解する。ジュリオ―――ヴィットーリオは力を欲していた。戦うための力を。そう、戦争の決定打となりうる可能性を持つ力―――“虚無”を。
そして士郎はそういった輩が必要ならばどんな方法も取ってくる事を知っていた―――知っていた筈であった。
油断―――していたのだろう。
自分の油断で大切な人たちが危険な目にあっている。自分に対する怒りで一瞬に血が頭に上り、硬く握り締められた掌に爪が食い込み血が滲む。
「あなたの主や水精霊騎士隊も丁度着いた頃だと思いますよ」
「―――俺を人質に取ったか」
食いしばった歯の隙間から押し殺した声が漏れる。ゾクリとジュリオの身体が震えた。
「……否定はしません。ガリアが攻めてくるのは確定でした。ぼくたちだけでは勝てるかどうか分かりませんでしたので」
「判断を誤ったな。一度無くした信用は取り戻すのが難しいぞ」
士郎の脳裏に笑いながら怒りを見せるルイズたちの姿が浮かぶ。同時に頭に上っていた血が戻り、深く息を着き落ち着きを取り戻した。
「それほど事態が逼迫していたということですよ。ミョズニトニルンが例の騎士人形を大量に運用しているようで。最初に迎撃に向かった者たちは全て全滅しました。残念ながらこの国にはあなたたちのような化物がいないので、手を選んでいる余裕がないんですよ」
「…………言い訳は後で聞く。それで、ルイズたちは今何処にいる」
愚痴のように言葉を吐き捨てたジュリオの後ろ姿を切り捨てるように扉へと身体を向ける。
「ここから北へ十リーグ先にある“虎街道”の入り口です。あなたの足ならそう時間も掛からないと思いますよ」
「分かった」
扉へと向かって歩き出す士郎。その足が、唐突に止まる。
「……一つ聞きたい」
「何ですか」
背中を向け合い、言葉を交わす。
「俺が見たあの夢……あれは一体何だ」
「……夢じゃないんですか」
僅かに遅れた返事、微かに揺れる声。
士郎は再度聞く。
強く、有無を許さぬ声を持って。
「もう一度聞く―――あれは、何だ」
沈黙が部屋に満ちる。
一秒―――十秒―――互いの呼吸の音のみが響く。
そして、耐え切れなかったように、鋭く息を呑む音の後、ため息と共に絞り出された声が溢れた。
「……夢、ですよ……“ガンダールヴ”が見た……遥か過去の夢」
ギュッ、と靴底が床を踏みしめる音と―――深く、大きく息を着く音が響く。
足音は―――まだ響かない。
「……ジュリオ、お前は初代“リーヴスラシル”がどんな者だったか知っているか?」
「え? それは……知りません、と言うよりも、誰も分からないのではないのですか? “リーヴスラシル”は虚無の使い魔の中でも特に謎に満ちています。その役割も、力も……何せ詩にも『記することもはばかれる』とあるぐらいですからね。それが何か?」
あまりにも予想外の方向からの問いに、最後まで士郎に背を向けていたジュリオが反射的に背後を振り返ってしまう。士郎は扉へと顔を向けたまま振り返ってはいない。ジュリオの視線が彷徨うように士郎の背中を彷徨う。
士郎はその視線に押されるような形で足を動かし扉へと手を伸ばした。
「いや。少し気になってな」
「シロウさん」
僅かに空いた状態で士郎の手がピタリと止まり扉の隙間から風が入り込む。
「何だ」
「勝てますか?」
ジュリオからの問いに、士郎は止めていた手を一気に開き―――
「―――誰に言っている」
―――部屋の外へと姿を消した。
「「「「―――はぁ~~~~~~…………」」」」
馬や人の足音、大量の荷物を積み込んだ荷馬車の車輪が回る音、甲冑の擦れる音、騎馬の嘶き―――数百人による行軍の騒音の中、四重の溜め息が重々しく響いた。すると、発生源たる馬に跨り横並びに進んでいる四人の背後から顔を顰めたキュルケが抗議の声を上げた。
「……景気が悪くなるからそんな溜め息つかないでよ」
「そうは言うがね。いきなりガリアと戦争が始まったといわれるやいなや『“虎街道”に潜む敵部隊を殲滅せよ』だよ。全く無茶を言ってくれる。そりゃ溜め息の一つや二つ着くのも無理はないよ」
「そうそう。まあ隊長たちがいれば少しは気は楽だった筈なんだけど……肝心の隊長は戦争が始まったっていうのに未だ姿を現さず、頼りの副隊長殿は別の任務について別行動。上の連中は本当にぼくたちだけで勝てると思っているのかな?」
「さてどうだろう。まあ、ぼくたちを戦力とは思ってはいないんじゃないかな。ぼくたちが受けた命令はルイズが詠唱するのを援護することだから。戦力は戦力でも精々“盾”程度にしか期待されてないんじゃないかな?」
「ま、そんなとこだろうな」
キュルケの悪態にチラリと背後を振り返った水精霊騎士隊の騎士四人は、ぶつぶつと現状に対する愚痴を呟きあった。
彼らが口にした通り、今彼らは向かっていた。
対するは大国ガリア。
教皇ヴィットーリオが発した“聖戦”の宣言の下、死と怨嗟に満ちる戦場―――現世の地獄へと。
事の起こりは今日の朝、国境に“ガリア義勇艦隊”と名乗る百を超える艦隊が現れた事から始まった。突然現れた“ガリア義勇艦隊”と名乗る集団は、『ガリア王政府の暴虐に耐えかね立ち上がった義勇軍であり、ロマリアに協力を仰ぐ』とロマリアへの亡命を希望してきたが、だからといって『はいそうですか』と答えられる訳がない。対応したロマリア艦隊の者は直ぐに本国政府へと連絡を取ろうとしたが、しかし、その行動は無意味となる。本国からの返信が返ってくるよりも先に“ガリア義勇艦隊”は行動を始めたのだ。何の予告も警告もなく、“ガリア義勇艦隊”から無数のゴーレムが投下された。それは異様なゴーレムであった。遠目からでも分かる程に巨大であり、人間のように甲冑を着込み更には剣や大砲で武装していたのだ。
そのゴーレムと最初に相対したのは、“虎街道”の出口付近に展開していたティボーリ混成連隊であった。彼らは“砲亀兵”と呼ばれる巨大な亀にカノン砲を積んだ部隊を率いていた。並のメイジの部隊ならば、それこそ鎧袖一触に出来る程強力な部隊である。たかがゴーレムがどれだけ集まろうと、砲亀兵大隊の一斉射撃を受ければひとたまりもないだろうと連隊長は考えていた。通常であればそれは間違った判断ではなかった。
しかし、残念ながら彼らが相手をするゴーレムは唯のゴーレムではなかった。
意気揚々とティボーリ混成連隊が虎街道にある唯一の宿場町で部隊を展開し、敵ゴーレム部隊と相対した結果は―――全滅。
部隊の何割が、等ではなく。唯一人の生存者を残しての全滅であった。
その情報は直ぐにロマリア本国とロマリアの上層部が集まるアクイレイアへと届けられた。亡命を求めておきながら攻め込んでくる“ガリア義勇艦隊”。最初からガリアの陰謀であると理解していたロマリア本国の上層部は、ティボーリ混成部隊の全滅に対する驚きはあったが、攻め込んでくる事態に対する驚きはなかった。しかし、それ以外の者たちにとっては全ては理解の外にあること。
突然の戦争に何も出来ず怯え震えるだけの神官。
教皇のミサが中止となり、その理由がガリアと戦争が始まったからとの噂を聞きつけアクイレイアから逃げ出そうとする信者たち。
ガリアの侵攻を打ち倒さんと燃える武官。
そんな混乱の坩堝と化したアクイレイアを一つに纏めて見せたのは、アクイレイアに集まったブリミル教の頂点に立つ男―――教皇ヴィットーリオ。
怒り、恐怖、哀しみ、怯え―――様々な感情が沸き混沌のアクイレイアをヴィットーリオは一つの意志に纏め上げ―――狂乱へと落とした。
“聖戦”という名の敵を全滅させるまで終わらない狂気の祭りへと。
『エルフと手を組み戦争を仕掛けてきたガリアを打倒し、エルフより“聖地”を奪還する』と聖戦を宣言したヴィットーリオの行動は早かった。百隻を超える“ガリア義勇艦隊”は何故か国境付近で動きがないままロマリア艦隊と睨み合いを続けているとのことから、攻め込んできているのはティボーリ混成部隊を全滅させた謎のゴーレムの集団だけ。とはいえ相手はティボーリ混成部隊を一蹴した謎のゴーレム。何も考えず軍を仕向けても二の舞を演じるだけである。謎のゴーレムが“虚無の使い魔”であるミョズニトニルンの手によるものだと理解していたヴィットーリオは、巫女として務めさせていたルイズを聖女に祭り上げ、虎街道を進むゴーレムに対しルイズを中心にした部隊を差し向けたのだった。
かくして“アクイレイアの巫女”となったルイズは、カルロ率いるアリエステ修道会付き聖堂騎士隊と民兵の連隊、そして水精霊騎士隊を従え虎街道へと進んでいた。
「はぁ~……せめて副隊長がいてくれたら……」
「そういうなって。副隊長は副隊長で無理難題―――それこそぼくらよりも大変な所へ行っているんだぞ」
「まあ……大変というより無茶だよね」
「普通に考えれば死にに行くようなものだよ」
水精霊騎士隊の面々は顔を見合わせ溜め息を重ね合うと、示し合わせたかのように同時に同じ方向へと顔を向ける。精霊の如く美しくも恐怖の代名詞となった我らが副隊長が向かった戦場―――二つの艦隊が睨み合う空中の戦場へと。
「……何十隻っていう艦隊同士の戦場だ。副隊長一人が加わったって変わらないじゃないか」
「一人でも戦力が欲しいんだろ。敵の艦隊はロマリアの倍近いって聞くからね。副隊長は竜に乗れるし、貴重な戦力なんだよ」
ギーシュが吐き捨てるように言うと、ズレた眼鏡を直しながらレイナールが応える。
確かにレイナールの言葉の通りなのだろう。国境での艦隊同士の睨み合いは何時戦闘へと変わるかは分からない。もし戦闘が始まれば竜騎士は貴重な戦力である。そんな戦力を放っておける程の余裕はロマリアにはなかった。そのため竜を騎獣とするセイバーは、ロマリアの司令部より『ロマリア艦隊を支援しろ』と命令を受け国境へと一人向かったのである。
そして残されたのは隊長、副隊長がいない水精霊騎士隊の騎士四名のみ。
ハッキリ言えば戦力は半減どころか一分(1%)程度に落ちてしまっている。
そしてその事をギーシュたちは正確に理解していた。
自分たちはまだ隊長と副隊長におんぶにだっこである、と。
そう、ギーシュたちは日々の地獄のような訓練により、自分たちの実力を正確に把握していた。英雄や勇者と呼ばれるような士郎やセイバー等の人物とは違い、自分たちは凡人に過ぎないと。だからと言ってギーシュたちは別に自分たちの事を卑下しているわけではない。と、言うよりもそんな事すらさせてもらうような余裕も暇もなかった。日々の訓練では気絶は当たり前。骨折、脱臼、打ち身、捻挫は毎日の如く。その度に水魔法により治療し直ぐに訓練へ参加。日々身体と精神を虐め抜く日々。そのお陰か、まだ一年も経っていないにも関わらず、ギーシュたちは、既に身体能力にのみに限り現職の軍人のソレを軽く凌駕していた。
「ま、ままずは、い、生き残らないと」
「落ち着けよマリコルヌ。焦らず慎重にやればいい。何時もの訓練だと思え。ほら、前に副隊長との模擬戦が終わってから隊長が言ってたじゃないか。竜に乗った副隊長から追いかけられて殺されかけた時ぼくたちに『戦場の方がましだな』って」
「……あれって本気だったのかな」
「まあ、目がマジだったからね」
「た、確かにあ、アレは酷かった」
“最後の晩餐事件”と呼ばれるセイバーのとっておきのオヤツを、士郎を含む水精霊騎士隊が誤って食べてしまった事から行われた模擬戦を思い返し、馬による揺れとは違う揺れで身体を震わせていたマリコルヌの肩を、馬を寄せたギムリが叩きながら笑う。肩を叩くギムリもマリコルヌと同じく震えていたが。
「ま……焦らずに落ち着いていこう。隊長も言ってただろ。戦場では冷静さを失ったものから死ぬって」
「“聖戦”って聞いただけでも冷静じゃいられないよ」
「……エルフと戦うかもしれないってのは覚悟してたんだけど、確かに“聖戦”は流石に想像の外にあったね」
「だからってあまり弱気にならないでよ」
「一応は頼りにさせてもらってるんだからね」
マリコルヌとギーシュが顔を見合わせ同時に溜め息を吐くと、ルイズとキュルケが会話に割り込んできた。ギーシュたちの後ろには、ルイズとキュルケは並んで馬を歩かせ、その後ろを本を読みながら馬に跨ったタバサが揺られている。そこにタバサの使い魔であるシルフィードの姿はない。航空戦力として徴集されたセイバーを見たタバサが、シルフィードを人間形態に変えてアクイレイアに置いてきたのである。
「最悪君たちが逃げる時間は稼いで見せるから、そこのところだけは安心してくれ」
自分たちの力不足を自覚しているギーシュたちであっても、女を置いて逃げるよな真似だけは絶対に出来ない。それは貴族としての矜持の前に男としての言葉であった。ギーシュの言葉にマリコルヌたちも背後を振り返りルイズたちに頷いて見せた。
「……ま、期待しないでおくわ」
「無理しない程度にしておきなさいよ。学院に残してきたモンモランシーが泣くわよ」
ギーシュたちの目の奥に見えた硬く強い意志に、ルイズとキュルケは悲しみの色を混ぜた苦笑を返す。キュルケの返答にそれぞれ思うところのあるギーシュやマリコルヌは、頭を掻きながらそっぽを向き。思い相手が浮かばないレイナールとギムリは互いに視線を交わし合い同時に肩を竦めてみせた。
「―――あ、あれじゃない“虎街道”の入口って」
暫らく無言のまま進んでいると、森の向こうに切り立った巨大な峡谷が姿を現した。ロマリアとガリアを繋ぐ火竜山脈を貫く細い道―――虎街道である。十数キロに渡りロマリアまで続くこの街道は、数千年前にメイジの魔法により作られたと伝えられていた。左右を切り立った崖に挟まれた幅数十メートルのこの街道は、ロマリア東部から唯一ガリアへと繋がる道であり、常に行き交う旅人や商人の姿が見られる場所であったが、ガリアとの戦争が始まった今では、虎街道の入り口に展開しているロマリアの軍の者の姿しかなかった。戦闘の跡が見られないことから、どうやら敵勢力は未だ峡谷の中にいるようであった。入口を封鎖するように展開していた軍勢に向かって進んでいくと、一人の騎士が駆け寄ってきた。指揮官の所在を呼びかけながら駆け寄る騎士の姿に、ルイズが前に進み出た。
「わたしです。聖下より敵勢力殲滅の命を受けたルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです。そちらに指令が来ていると思いますが―――」
「では、あなたが“アクイレイアの聖女”殿ですか。指令は承っております。あなたの命令に従えと」
ルイズに敬礼する騎士に頷くと、ルイズは虎街道の入口に視線を向けた。
「戦況はどうなっていますか?」
「敵勢力は全長二十五メイル程の甲冑を来たゴーレムです。数は今現在把握しているだけでも最低十体。厄介な事に防御力、攻撃力、更に速度までもが桁違いであり、先行したティボーリ混成部隊は全滅、先程偵察に向かわせた斥候部隊も―――」
騎士が言い切るよりも早く“虎街道”の入口の近くから爆発音と爆煙が立ち込めた。
「……どうやら全滅したようです」
「分かりました。それでは後を引き継ぎます」
目を伏せたルイズが馬を歩かせると、背後のギーシュたち護衛部隊も進み始めた。
ルイズたちのために包囲を左右に割って出来た入口までの道を通っていると、ロマリアの将兵から口々に応援の声が上がる。何時もならば調子に乗って馬鹿な行動を取るギーシュたちも、これからの激戦を考えているのか、硬い表情のままであった。その代わりカルロ率いるアリエステ修道会付き聖堂騎士隊と民兵の連隊の面々は胸を張り得意気な顔で進んでいた。
風に乗って広がる煙が立ち込める中、ルイズは入り口で馬を止めると背後を振り返った。
「……十体、か」
「なに? 自信ないの?」
ルイズの横に馬を進ませたキュルケが揶揄うように鼻を鳴らすが、ルイズはチラリと視線を投げつけただけで直ぐに虎街道の入口へと顔を向けた。
「四回、いえ五回ね……六回以上は無理よ」
「効果範囲は?」
目を閉じ自分の中に満ちる力の量を確認したルイズが冷静に自分の状況を口にすると、ルイズを挟むようにキュルケとは反対方向に馬を進ませたタバサが、読んでいた本を閉じ顔を上げて質問をする。
「甲冑を着たゴーレムが前に見たのと同じものだったら……上手く巻き込めても二体が限界ね」
「上手く巻き込めてもぎりぎり、というわけか」
指折り数を数えていたキュルケが眉根に皺を寄せると、重い溜め息に混じってルイズが不安を口にした。
「……だと、いいんだけど」
「含みがある口ぶりね。何か不安要素でもあるのかしら?」
キュルケが伏せたルイズの顔を覗き込む。向けられた視線をジロリと跳ね返したルイズは、口元に手を当て胸の奥で渦を巻く形の無い不安を、一つ一つ口から出して形と成す。
「鎧を着たゴーレムという事は、相手はあのミョズニトニルンの可能性が高いわ。何をするか分からないし、絶対に油断は出来ない。それに、あのゴーレムは一度倒されてる。いくら強力なゴーレムだからって、一度倒されてるゴーレムをそのまま使うとは思えないのよ」
「……つまり、何が言いたいの?」
伏せていた顔を上げ、ルイズが虎街道の入口を睨み付ける。
「何か対策を考えているかもしれない」
「……そういう事よ」
キュルケの疑問に答えたのはルイズではなくタバサであった。ルイズはタバサの言葉に頷くと、右手に握った杖を強く握り締める。
「考えすぎなんじゃない?」
「……そう、かな」
「最悪を想定して動くのは悪い事じゃない」
軽い口調のキュルケの言葉に自信が揺らいだルイズだったが、タバサの何時もの冷静な、しかし奥に潜む硬い声音にルイズだけでなくキュルケも顔を険しくする。タバサがその可憐な少女とは考えられない程の歴戦の戦士だとルイズとキュルケが知っているからだ。二人の視線がタバサに向けられる。
「最悪を想定、ね……なら、あなたならどんな作戦を考えるのかしら?」
「……敵の数が多すぎる」
「そう、ね」
タバサの言葉にルイズたちは頷く。
現実的に考えて最低でも十体はいる巨大なゴーレムを倒せる可能性はかなり低い。
タバサは顎先に手を当て考え込む仕草を見せると、眼前に聳える虎街道。その左右の切り立った崖を見上げるとポツリと呟いた。
「勝てる可能性は低い。なら取れる方法は一つ―――」
後書き
感想ご指摘待ってます。
次話は戦闘予定です。
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