温泉旅行
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温泉旅行(中編/最終日)
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温泉旅行(中編/最終日)
ぼんやりと意識が戻ってくるのが分かった。
あぁ、起きないと、と思うが目を開けようとはせずにそのままそこに居れば、不意に何かに抱きつかれるような感覚がしてうっすらと目を開ける。
何に抱きつかれているんだろうと思いながら、視線を後ろにしてみると、そこには弟の恋也が抱きついて眠っていた。
……マジか。
そう言えば、昨日の朝枕に抱きついて寝ていたのを今思い出し、溜息を零す。
「恋也、起きろ」
声を掛けてみても起きる気配がない。
一体どうすれば良いのだろうと思いつつも、手は動かす事が出来るので、左手を右肩の後ろに持って行き、恋也の体を揺する。
それでも起きる気配がない為、もう一度溜息を零して、恋也の腕を退けようと思うが、このままにしておくのも悪くはないだろうと思い、左手を元に戻し、時間つぶしに近くに置いてある端末を手に取る。
昨夜暖房を低めに設定した温度で、タイマーしていたため、寒さは感じる事はない。
問題があるとすれば抱きつかれた状態から動けないという事。
何十分が経った頃、もぞりっ、と恋也が動くのを背中で感じ、視線だけを向けるとどうやら目が覚めたようで、瞬きを繰り返していた。
多分恋也自身も今の状態に理解ができていないのだろう。
「あ……ごめん。今離れる」
そう言って恋也は腕を解いて、ゆっくりと俺から離れていく。
すぐ傍にあった体温は無くなっていき、虚しさだけがそこに存在する。
尤も恋也自体の体温、平熱は35.0だが。
俺が何故恋也の平熱を知っているのかなんて、意外にも簡単な話で、中学の時にただ気になったから聞いただけの事だ。
それ以外に理由がない。
「なぁ――」
声を掛けた瞬間に手に持っていた端末が吹き飛ばされた。
恋也の居た方に。
プロ野球選手の投手が、キャッチャーに目掛けて全力で投げたのと同じぐらいの速さで、俺の端末は恋也の目の前まで吹き飛ばされた。
俺は確信した。
恋也に当たる、と。
俺は振り向いていないが、あの速さなら誰でも、当たると確信した――、
――その瞬間。
バシッ、なんて音が聞こえたから思わず振り返る。
俺が振り返った瞬間に端末は恋也の手の中に存在して、何事もなかったような顔で俺に手渡してくる。
「わ、わりぃ……」
そっと手を伸ばして端末を受け取ろうとしたのだが、恋也から「何か隠してるだろ」と疑問系でも命令でもない言葉が告げられる。
隠していると言えば、多分、恐らくアレは……。
「ねぇよ。何を隠す必要があんだよ。昨夜恋也と此処に来た理由は言ったはずだ」
聞かれていたら困る為、保険をつけておく。
恋也は普段と変わりない表情で「何か言ってたけど、よく聞こえなかった。まぁ、それが此処に来た理由なら、隠し事なんてして……ない、よな?」と、疑問系で尋ねてくる。
隠し事などはしていない、と否定は出来ないでいた。
俺の目の前に腰を下ろして胡坐を掻いている恋也にどう言い訳をすればいいのだろうか、そうやって悩んでいる時にも、不気味な空気が漂う。
どこか冷たいような、ぬるいような、そんな空気が。
『こっちにおいでよ』
ゾクリ、背中に冷たい風が通ったのが分かり肩が震える。
耳元で聞こえた声は一体、いつまで俺につきまとうのか、それすらも考えるのが恐ろしくなってしまう。
「隠し事なんか、して、ねぇよ」
それでも、隠し事などしていないと抵抗をした。
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「なぁ」
「…………」
「なぁって」
「…………」
「なぁって!!」
「何だよ!」
どうしてなのか、急に耳元で叫ばれて、無理矢理恋也と向き合う様になる。
あの後、俺が海でも行くかと呟き、旅館を出て、森の中を歩いていれば恋也が急に俺の腕を引っ張って、無理矢理向き合うような体勢になった。
「何で俺が逆にキレられないといけない訳?ずっと呼んでるのに無視してるのはそっち……」
何かに気が付いたのか、落胆したように恋也は溜息をついて「そりゃぁ、イヤフォンしてたら聞こえないな」と呟いた。
今気付いたのか、と突っ込みを入れそうになるがそれでキレながら俺の腕を引っ張ったのかと、理解できたので別に気にする事もなく、森の中を歩いていた。
「って、聞いてないだろ」
腕が伸びてきたと思えば、イヤフォンを取って溜息をつく。
何故両方のイヤフォンを取ったのかは分からないが。
「聞こえてねぇよ」
「聞け!」
少しの言葉を交わしてから、俺たちは森を抜けて、海に出る。
波の音は聞いたことのある海そのものの音で、塩の匂いもいつも通り。
ただ何が違うのかと、問われると砂の色が白い。
この辺りには山はあるが、火山があるわけではないから、火山灰が降ってくるというわけでもないのだろう。
波の音を聞いていると、隣から自分の歌声が聞こえたきたのは聞かなかった事にしよう。
どうやらメールだったようで、端末を取り出して、すぐに返信をしていた。
「……確か、中央中学校の修学旅行って海だったよな?」
2年前、面倒だからなんて言って、行かなかった修学旅行の行く場所を尋ねる。
恋也は特に思うことはないのだろうか、未練がないような返事を返した。
「さぁ。修学旅行とかにはあまり興味がないからよく覚えてない」
恋也が学校行事に興味がないのは俺は知らない。
ただ知っているのは小学生の修学旅行の時、熱を出して行けなかった事と、身内以外誰一人、お土産もなにもくれなかったという事。
推測でしかないが、きっと、恋也は……。
「そうか」
変に返答せず、そのまま、頷いた。
きっとお前は、誰からも相手にされなかった事が、寂しかったんだろう。
特に会話もないまま、お互い全く別の方向に歩いていって、数十分が経つ。
俺は近くにあった石の階段に腰を掛けて、海を眺めていた。
**
10年前 教室にて
『なぁ、このクラスで【修学旅行に行ってないヤツ】は1人で掃除な!』
『それって私も……?』
『お前は仕方ないだろ。インフルエンザだったんだから』
『……って事は……』
『恋也1人で頑張れよー』
小さい子供の声と共に、1人の少年に掃除で使う道具が置かれる。
否、置かれるというより、放り投げられる。
派手な服装をあまり好まない少年――恋也は、他の生徒からしてみれば「地味」で「気持ち悪い」だけでなく、「化物」と言う。
恋也本人は雑巾を投げつけられても、塵取りを投げられても、表情を変える事はなかった。
小学6年生の恋也にとって、人間自体が興味がなく、ただの道具でしかない、なんて小学生は絶対に考えないであろう事ばかり考えていた。
自分が興味を示さなければ、誰も変に近付いてこない。
自分が口を開かなければ、家族に迷惑がかからない。
難しく言えば、繕っている。
逆に簡単に言ってしまえば「人間不信」。
そんな浮世離れした事を思いながら、掃除道具を手に取り、溜息も舌を打つこともなく、ただ掃除をするだけ。
そんな姿を誰一人「可哀想」と声を発する者は居なかった。
『つかさー……、友達居ないヤツが修学旅行に来ても邪魔なだけだよなぁ』
茶髪の少年が頭の後ろで手を組みながら、後ろにいる三つ編みの少女に声をかける。
少女は気にする様子もないのか、本を読みながら『馬鹿言ってる暇あるなら、家に帰って勉強しなさいよ。私立の中学校行くんでしょ?まぁ、今の貴方には無理ね』淡々と、棘のある言葉を発しては、読み終わった本を閉じ、ランドセルに本を仕舞い、恋也の元に行き『先に帰ってるわよ』と一言発し、その場を去っていった。
無論、三つ編みの少女――六条道彩に激怒する小年の表情は、優秀な生徒に散々言われたせいなのか、半泣きになっていた。
『お前の妹どうにかしろ! 誰に対してあんな事……!!』
茶髪の少年は恋也の服を掴んで上記を口にすれば、今にも殴りそうな勢いで利き手の右手を引いていた。
『中央小学校6年A組。出席番号34番。血液型O型Rh+。魚座、3月4日生まれ、身長145cm、体重45kg、右目の視力0.3、左目の視力0.4。利き手右手、得意科目算数。苦手科目国語。好きな食べ物美味い物。嫌いな食べ物不味いもの。将来の夢、紳士になる、の渡里知に対してだけど』
と、小学生にして、長文を言い、知っているはずのない個人情報まで言いのけた、小学6年生に返す言葉も無いのか、渡里は力が抜けて、腰を抜かしたのか尻餅をついて暫くの間動けないでいた。
当時中央小学校では、渡里知というのは特に優れた面もなく、元気すぎる小学生として有名であったが、恋也ほど有名ではなかった。
『……やる気、なくしたから帰る』
恋也は素っ気無く呟いて、ランドセルを背負い、教室を後にする。
**
10年後 兄貴とは反対側にて
多分、そうなんだろう。
何となく見たことのある奴が目に入った。
茶髪で目つきが悪いアイツはアイツでしかない。
きっと、小学生の時、話したとは言えないが、掴みかかってきた「渡里知」だろう。
ゴーグルをつけて、海に潜っているのを見るのは初めてだが、あまり得意そうに見えなかった水泳が今では、プロ並に上達しているように見えるのは、会っていない期間が長いからだ。
それ以外に理由がない。
波が岩に当たり、辺りを少し濡らしているのを繰り返しては、波は再びやってくる。
その岩に登って見ると、海が少し遠くまで見えて少しだけ良い気分になれた。
アイツが声を掛けてくるまでは。
「おい!! 危ないから下りろ!!」
そんなに高くもないのに大袈裟だと思っていたら、急に風が吹いた。
――あぁ、なるほど。
返事などしたくはないので、無言でその岩から砂場へと飛び下りる。
その瞬間、海から上がってきたのだろう渡里が俺の方にやって来て、目の前で立ち止まる。
「危ないだろ! あそこは急な風や波で人や動物が亡くなりやすいんだ! だからむやみに上るな!」
この辺りに住みだしたのか、何てどうでも良いことなど聞く気にはなれないので、適当に頷いていれば、俺が恋也だという事に気が付いたのか「お前、六条道恋也だよな!? 小学校の時、一緒のクラスだった……」と首を傾げながら言われたので、適当に返事をするわけにもいかず、頷く。
「久しぶり!! 懐かしいな……。どうした? この辺りは何もないから案内する所もないけど、何か用か?」
「……ただの付き添いだ」
へぇ……なんて、興味深く頷いてはいるけれど、早く去ってしまいたい。
俺が渡里を苦手と言うより、嫌いと思うのは小学生の頃のことが一番原因だろう。
あの頃俺は大分ひねくれ者で、歪んでいた。
今はまだマシにはなっていると思いたい。
証明する方法なんて、探すのも面倒だが。
「まさか恋也と再会できるとは思ってなかったな……。いやぁ……恋也あんま変わってないな」
「うるさいな」
「そこまで毛嫌いするなよ……。俺も後悔してんだからさ」
何を後悔しているんだろうか、そんなこと聞く意味すら無意味だと思えてくるのは自分が経験した事に意味があるかもしれない。
正直あまり後悔の理由は聞きたいとは思わない。
「丹神橋高校に入学した元クラスメイトで友達って言ったら、周りの奴ら皆おど――」
「見んな喋んなそれ以上近付くな」
言いたい事が分かった所で、その先は聞かない方が良いだろう。
大分聞きなれた言葉でも、やっぱり嬉しい言葉ではない。
『名門高校に友達が居るって言ったら、周りの見る目が変わる』なんて中学の時に散々理解した。
周りは一気に態度を変え俺の元へ集って来た。
その姿に吐き気を催し、同時にくだらない生き物だと思った。
「どうせお前は自分が良く見られたいが為に、俺と仲良くしていれば良かったなんて思っているんだろ。分かってんだよ、お前みたいな奴が考える事なんて、くだらない事だってな」
「えっ……?」
状況を把握していないのか、目が点になって一歩後ろに下がって、焦ったような表情を浮かべている。
ここから先は俺のセリフだと思う。
特に重要でも何でもない、ただのセリフだ。
過去を述べたセリフなので、読み飛ばしても構わない。
「お前はいつもクラスで1番強くて、1番頼りになる奴で、周りには仲良しな奴が沢山いて、自分が強い事を見せ付けたかったのか、俺に放課後掃除を押し付けたり、時には殴ったりしてたけど、そんなに楽しかったのか? 俺を殴ったりするのが? 変わった趣味の奴だな。頭が可笑しいにも程があるだろ。っで、挙句の果てには俺と仲良くしてなかったのを後悔して、お前、何様のつもりなんだ?」
今にも殴りそうになったが、コイツを殴ったところで、俺に何の得もない。
だからその場から去ろうと渡里の横を通り過ぎた時にふと僅かに、消え入るような声が聞こえてきた。
「【修学旅行】……、行けなかったんだ」
渡里はそれから続けた。
自分の過去を、続けて話した。
「中学3年の時に高熱を出して、修学旅行に行けなかった。俺さ、中学の時苛められてたんだ。学校に行けば殴られて、家に引きこもっていたら、心配だからと嘘を言って家まで来たクラスメイトが、俺を連れ出して道端で殴られた。そのせいで修学旅行の前日に熱を出した。悔しかった。俺が行きたかったところだったから余計に悔しくて仕方なかった。その日は泣いて過ごしたんだ。その時俺は、恋也を思い出した。俺と同じように熱を出して、修学旅行に行けなかったのに、俺はそれを理由にして恋也に色々した。許される事ではないと思っている。だけどな、俺は、クラスメイトが丹神橋高校に入学したのを理由に、してまで、俺は自分自身を良く見て欲しいなんて、思ってない」
それだけ言って足音が聞こえた。
俺に何も返すな、という事なのだろうか。
振り返って見るとTシャツに水着と言う渡里の姿が、とても成長したように見えたのは目の錯覚ではなかったのだろう。
彼もまた何かをキッカケにして成長していっているんだろう。
それだけは分かった。
それから数十分立った頃、端末が震えてりとから帰るとメールが届いていたので、振り返ることなくその場から歩き出す。
俺も渡里も互いの表情には全く触れていないので、俺と渡里はどんな表情で話していたかは俺たちしか知らない。
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「何かあったのか?」
「小学校時代の知り合いに会った」
「……俺が知ってる奴か?」
「いや、6年の時転入してきた奴だから……彩に聞いてなかったら知らないと思う」
「そうか。仲が良いのか悪いのかは聞かねぇけど、喧嘩はほどほどにしろよ」
「聞いてたのか?」
「距離的に見えてた」
特に喧嘩をする事はなく、互いに他愛もない会話をしながら旅館に戻って行くのだった。
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