Muv-Luv Alternative 士魂の征く道
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第19話 回禄
「……あ、あの忠亮さん―――なに、をしてるいるんですか?」
恐る恐る語り掛ける唯依。
「見てわからんか?」
「いえ、分かるのですが……」
すさまじく気まずそうに言いかける唯依、その目の前に実に奇妙な格好で耳掃除をする忠亮の姿があった。
左耳なら普通に終わっている、問題は右耳だ―――右手が無い忠亮には右耳の掃除のさい、かなり無理のある体勢となるのは仕方がない。
「えっと、必ずしも自分でやる必要があるんでしょうか―――?」
「―――他人に急所晒して無抵抗になるっていうのはかなり怖いぞ。」
そういう問題だろうか!?と忠亮の答えに呆れと驚きが入り混じった衝撃を受ける唯依―――そういうのならこの状態でなにか衝撃が加われば耳かきが鼓膜をぶち抜きそうなものだ。
「そもそも気を許せる奴にじゃないとやらさんだろ、そういうのは。」
「た、確かに――というか、それなら今やる必要はないんじゃないですか?」
つい納得してしまう唯依。大して親しくもない人間に耳かきなんぞやらす訳がない。というか、何故今ここでやっているのだろう。という疑念を今更ながらにぶつける。
「ここは俺の家だ。俺が他人に気を遣う場所じゃない。それにお前には今更だろ?」
確かに、疑似生体の眼球移植後しばらく失明状態だった為、暇を見つけては見舞いついでに世話を焼いていた。
その一番弱っていたところは之でもかと云うほど目にしたので、耳かきくらい今更なのかもしれないが――――遠慮という二文字はあまりこの人には無いのかもしれない。と内心微妙な心境に陥る唯依。
「―――むぅ……微妙に痒いところに届かん…!!」
そりゃそうだ、左手で右耳を掃除しようとしても耳かきの手の角度的にどうしてもひっかけない部分が出来てしまう。
正直、見ていてかなりもどかしい。
「あの忠亮さん、私がやりましょうか…?」
「……嫌じゃないのか?」
「嫌なら最初から言いません、貴方が嫌なら仕方ありませんけど……。」
「しかし、その―――お前に頼むとすると、そのアレだろ……膝枕する事になるぞ。」
最後まで言い切らず、遠慮を残す言い方。それに対し忠亮は自力での耳かきを断念しつつ気まずそうに告げた。
それに対し―――
全く変なところで遠慮する。全く不器用だ。―――と思ったところで人の事は言えないな、と苦笑する。
「ふふふ、構いませんよ―――どうぞ、粗膝ですが。」
「どんな謙遜だよ……じゃあ、言葉に甘えて頼む。」
正座した唯依がぽんぽんと自分の膝を軽く打つ。それに対し、此処までお膳立てされて断れる筈もなかった。
「はい……」
静かに微笑む唯依の膝に頭を置くために体を横にする。
柔らかさと弾力のバランスが心地よく、高さも程よい―――そんな心地よさを感じていた忠亮に既知感……懐古の感傷が胸を絞めた。
そんな自分の感傷とは裏腹に、唯依の手に握られた耳かきが右耳に侵入する。
「――ちょっとカサカサというよりはしっとりしてますね。」
「家族以外に耳垢の感想を云われるのは妙な気分だ。」
「あ、あまりしゃべらないで下さい。折角剥がしたのが落ちてしまいます。」
「………」
耳の中の耳垢を押し込んでしまわないように慎重に掻き出しながら感想を漏らす唯依。
そんな彼女に一言いうが、彼女からの苦情が上がり沈黙する―――尻に敷かれ始めていた。
(―――)
それを他者なら不快だとすら感じるが、彼女の言であれば心地好くすらあった。もう二度と会えない前回までの俺達にとって其々の彼女たち。
時が逆巻いた時点で積み重ねた物は己以外は泡沫へと消え、俺自身もまた自分の記憶とも認識できない記憶――記録に残る残滓へと落ちる。
今回の己が唯一無二の己であるように、今ここにいる彼女は風化し劣化した知識と化した記憶の中の彼女ではない―――別人なのだ、始まりを同じくしただけの全くの別人。
だからこそ―――彼女は“今回の俺だけ”の……
(お前は俺だけの陽だまり……)
耳朶の安らぎを感じる神経を刺激されたのか、頭を預ける彼女の温もりによるものか、意識は微睡へと落ちて征く―――……。
「――っと、終わりましたよ……ああ、眠ってしまわれたのですか。」
吐息で湿らせた綿で雑多な耳垢を掃除すると唯依は自らの膝の上で静かに寝息を立てる青の青年を見下ろす。
こうして眠っていると、普段の鋭い表情も身を潜め、どこか可愛らしくある。
「…貴方はいま、どんな夢を見ているのですか―――」
そのやや色素が薄く茶にも見える黒髪をそっと撫でた。
―――始まりの記憶、それはもう劣化し風化し色褪せて、満足に残っていない。
だが、その感情は同じ感情を抱くことで共感し理解することが出来る。だからこの鮮烈な原初の記憶、守りたい大切な笑顔。
それだけは色褪せることなく、鮮烈に魂に焼き付いて離れない。
一度目の俺は、篁家の家訓。「威を翳すべからず、黙して為すのみを以て其を示す也」それを後生大事に抱え、国際共同開発計画の経験で左に寄った彼女に対し事あるごとに反発をしていた事だけは覚えている。
彼女とはあらゆる面で対立し、その家訓は篁が武具職人で在ったころのみに許された甘えだと断じた。
――その思想は今回の俺も大して変わらない。篁の家訓と左翼的な思想は不愉快で危機感すら抱く。どう考えても被虐思考にしか感じられない。
……だが、どうしてか強く惹かれ魅せられる。
人なんてモノは、そう良いものではない。人道だ平等だのなんだの言いつくろっては他者よりも楽に、そして怠惰に過ごそうとする。
自らの自己満足のためだけに独善を謳い、その結果に関しては見て見ぬふり。無辜の人々が故郷を追われようが、BETAに幼子が食い殺されようがだ。
そうやって、自分で自分を守る爪牙を切り落とし、自分で自分の住む国を腐敗へと導いていく。
革命は何時もインテリが始める、現実を見ない妄想家どもが美辞成句を歌い上げ、それに賛同する思慮なき白痴な愚衆が多くの人々の生活を破滅させ、内乱を誘発し、戦争を招く。―――それは簡単に言ってしまえば国を一個体の生命体とみなした場合、一種の癌だ。
歴史なんてのは大抵その繰り返しだ。だから人類の本質は旧石器時代から一歩たりとも進歩していない。
上辺だけの理想を論った人道こそが最も人を多く殺したと言ってもいい。どんなお為ごかしで着飾っても、世界の真理なんてのは弱肉強食。
この世の不利益は当人の能力不足に起因する。それ以外あり得ないのだ。
ならば、上辺だけの感情なんて殺し己を唯一振りの兇刃へと窶し、本当に守るべきものを守るために鬼となる事こそ、真に人道と呼べるだろう。
それ以外の、守るべきものが傷ついても意地だけ押し通すなんぞ、ただの独り善がりだ。外道の所業でしかない。
故に、己に悲傷を投げかける者どもさえも守るという、祐唯中佐も唯依も俺にとっては夢見がちな箱入りに過ぎない。脳に蛆が湧いて腐って溶けたと本気で思っていたくらいだ。
牙向くものには、威を以て滅尽滅相する。それ以外に道は無い―――失ってからでは遅いのだ。
力だけが力を止める唯一絶対の術、威を翳し相手が竦んだのなら流血は零だ。それこそ真に彼我のためだ。
それでも、惹かれ魅せられる。その夢どころか妄想に過ぎない理念に。
成功には破滅を、戦場では栄誉と死を、刃物を持てば自身の傷を、高所に立てば墜落を
人は忌避しながらもそう云った正反対の物に固執する―――或いは求めているのかもしれない。
それが自滅の願望なのか、それともまだ見ぬ可能性を求めているのか。俺自身にも分からなかった―――。今でも解答は分からない。
そして――幾つもの戦場を駆け、相容れ無いながらも互いを認めていった先に恋に落ちた。彼女の心からの微笑み、それを守りたいと感じた。
彼女は優しすぎるから―――それは彼女の微笑みを踏み躙る結末を招くから。
彼女が受け継いだ理念は、極大の汚濁を想定外に置いたものだから。
彼女に牙向く穢れを滅相しよう、この身がこの魂が穢れようとも―――彼女は美しいから。彼女が穢れることが無いように。彼女に光差す未来があるように。
呪いも穢れも毒も罪もあらゆるものを俺が引き受ける。
改めてこの存在を鬼となし、武威を以て仇名す全てを屠る。
自分自身を鬼と、屑としても―――たった一つ、武士の矜持だけは捨てぬと決めた。
そして、バビロン災害。塩の大地、食糧難に端を発する4つの国だけになってしまった国際紛争……何処かで己が力尽き、朽ちるのは不可避だと悟っていた。
それでも、それでも―――それが悪意の元、人の意志で死ぬのなら、志が受け継がれるのなら未だ納得出来た。
それが……あんな破壊し踏み躙る事しかできぬ薄汚い塵芥風情に、愛しきものを守るべきものを、全てを蹂躙され咀嚼された結末なんぞ――――許さない、認めない、消えてなるものかっ!
脳髄だけにされ、五感全てを失った程度でこの憎悪も狂気も消えはしない。
死に逃げる事は元より狂う事すらオレには赦せない―――己の無力が何より赦せないから。
赦せないのだッ!!!この恨みを晴らし、誓いを果たすには――――もう、それしかない。
そうで無ければ、この世界の時間は永劫に巻き戻され続ける。
流れを変えなくてはいけない……だけど、同じ事を同じまま繰り返し続けたところで結果は変わらない。多少の変動はあろうとも結末は変わらない。
無限の可能性なんて幻想だ……今のままでは人類は滅びの運命を何度も歩まされ続ける。
運命なんぞに舐めらされる敗北ほど耐え難い屈辱もない。
虐げられ、踏み潰され、敗北者として生まれ、敗北者として死に続ける。
そんな運命、認めてなるものかぁッ!!こんな茶番を繰り返させて良いものかッ!!
永劫に勝つためにこれから先、ここでの"選択"が真に意味あるものであったと思えるように、いつかまたこの無限に続く環を壊せるように――次の己に託す。
己の願いは己の力で完遂せよ――――足掻け命の最後の一片が燃え尽きるまで!!
これは、無力だった俺が無力な俺に掛ける――――呪いだ。
「―――我らながら悪趣味だな。」
不意に目が覚める、どうやらこの輪廻の“記録”は彼女の笑顔を守りたい。という守るものが欲しいという渇望が満たされたとき継承、あるいは甦るように設定されているらしい。
恐らく、共感を引き金にして撃鉄としているのだろう。
その記録とも言うべき記憶は、己にとって、過去とは失われてゆくだけの滅びの世界の物語の残滓に過ぎない。
だけど、今迄に逝った俺達が己に訴える――――今度こそ、今度こそ守りぬけと。
声亡き声で、嘆きとも憤怒ともつかぬ慟哭で。
あの黄泉平坂で見た屍たちと同じように……なまじ同じ人物で、今は強く共感している分より強烈で、鮮烈に、熾烈に。
もしかしたら、あの屍たちは亡き戦友たちの姿を借りた旧世界の自分たちだったのかもしれない。
「………ん?」
遅れながら自分が唯依に膝枕をされたままだという事に気づいた。寝起きで頭が満足に働いていないらしい。
一抹の名残惜しさを残し、上半身を起こす。するとどうやら、唯依も微睡の中に居るようで、すぅすぅと静かに寝息を立てていた。
パチリと火鉢で火の粉が弾けた。
「――――言われるまでもない。」
己の中で、怨嗟と憤怒を垂れ流すかつての己たちの残滓に語り掛けつつ、青い軍服の上着を脱ぐと、唯依の山吹の軍装の上からそっと肩に掛ける。
「守り抜くさ……己が全身全霊を賭けて。」
改めて、忠亮は唯依の寝顔を誓いとともに網膜を通し胸裏に焼き付けるのだった。
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