新説イジメラレっ子論 【短編作品】
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第8話 グラスピング
どうでもいいこと。
俺には関係のないこと。
そう言い聞かせて、今日何度目の我慢をしただろうか。
忘れても忘れても湧き出るように思い出す、行き場のない苛立ちと失望感。ベッドに体を横たえた今では、それは疲労となって全身に圧し掛かる。
あんないじめられっ子は日本中探せば何所にでもいる。そして負け犬はその殆どが、負け犬のままで終わる。だからあいつが諦めようと不貞腐れようと不思議ではない筈だ。
なのにどうしてこうも、感情が波立つ。
彼女を見ていると思い出すものがある。その思い出すものが何なのかに気付いた時から、俺はあの少女の事が気にかかっていた。
彼女も「そう」なるのか、それとも全く別の形になってしまうのか。
ただ、それを気付いておいて放っておくのは逃げているようで自分が許せなくて。
あいつが本当に負け犬かどうかを確かめるまではと自分に言い聞かせて、ずっと彼女を見てきた。
最悪の記憶。
手を伸ばせば伸ばすほどに本当に欲しいものは遠ざかり、信じれば信じるほどに、抱く期待は露と消える。それでも、と自分に言い聞かせてもがき苦しんだ末に、俺は人を信じるのを止めた。
「人を信じてもないような馬鹿が他人に期待しようなんて、ちゃんちゃらおかしい話だ」
要はそれは自分の希望を他人に押し付けたかっただけだ。
そして、いつだって俺の期待というのは一方通行でしかなかった。
だからそれが裏切られたところで、俺が怒るのは道理に合わない。
こっちは口にも出さず一方的に期待を抱いていただけだ。信頼も何も相手はそんな期待をされていた事すら知らないんだ。
だから、俺が口を出す事じゃない。
「……くそっ」
それでも湧き上がる感情を理屈で抑えきることは出来ず、何度目かも分からない悪態をついた。
結局は自分が何をしたかったもかも分からない事に、気付いてしまった。
俺はまだ、あの時の答えを見つけきれていない。
どうすべきだったのか。
どう在るべきだったのか。
そして――どう在ればいいのかを。
階段を上る音がした。
二階建てのこの一軒屋では階段の音が良く響く。九宮律華だろう。恐らくは俺の機嫌が悪いことか、それとも学校での殴り合いの件。あの浜埼という奴は喧しくぎゃあぎゃあ喚くのが鬱陶しかったので、もう二度と顔も合わせたくなくなるよう脅しを聞かせておいた。その事で相手方の親が出張ってきたのかもしれない。
うんざりだが、聞かない訳にはいかない。
俺は自分の性分を曲げたくないが、その結果としてあの人に迷惑が及んでいることには悪く思っている。俺みたいな迷惑なガキを抱え込んで数年間、随分苦労を掛けただろう。俺の世話を諦めて別の場所に押し付ける事も出来た筈だ。
でも、あの人は俺から逃げる事はいつだってやらなかった。
少し馴れ馴れしすぎて、時々説教くさいあの人には感謝している。
だからとっとと自立して恩を返したら、それっきり会う気はない。
何故なら、今も昔も、そして恐らくは将来も、あの人と俺は平行線のままだから。
足音が俺の部屋に近づいてくる。
気のせいか、いつもと足音が少し違う気がした。
歩幅が狭い。
音も少し軽い。
――あの人じゃ、ない?
= =
果てしなく高く感じる階段を上り、言われたとおりにそのまま直進し、右から二番目のドアの前で立ち止まる。
この部屋の中に、風原くんはいる。
今日はことさらに機嫌が悪いらしく、部屋に入ったまま出てこないそうだ。
まず、何と声をかければいいだろう。多分いきなりの来訪に驚くだろう。それとも声を出さない方がいいのだろうか。私だと気付いたら入れてくれないかもしれない。いいや、そもそもノックしたら開けてくれるのだろうか。無視されたらどうしよう。
どのようにしてスタートを切ろうか考えた挙句、私は奇襲作戦を取ることにした。
この家のドアには鍵がついていないようなので、逃げる暇を与えず一気に突入してしまおうという訳だ。相手の顔色を伺う受け身ではなく積極的な攻勢、風原くん直伝の方法だ。
「よしっ」
掌を固く握って覚悟を決めた、その刹那。
がちゃり、と目の前のドアが開いた。
「……………お前、何してる?」
ドアの中から、驚くやらいぶかしがるやらで複雑な表情をした風原くんが出てきた。
「あっ…………その、お邪魔してます」
部屋の前で足音が止まったことに気を揉んで、確認に出てきたのだ。奇襲も何もとっくに気付かれていたらしい。作戦があっさり失敗した私は、色々と悩んだ最初の一言をすっかり忘れて普通に挨拶してしまった。
一人で悶々と悩んでいた自分が恥ずかしくなるほどにあっさり会ってくれたので、何となく恥ずかしい気分だ。どことなく感じる温度差がまたいたたまれない気分にさせる。
風原くんは何所かうんざりした様子でため息をついた。
「………九宮さんだな、家に上げたのは。その私服も九宮さんに借りた奴だろう」
「う、うん。雨で濡れちゃったからって……」
「それで、お前は雨が降りしきる中、誰に俺の住所を聞いて、何のためにここまで来たんだ」
言外に伝わる拒絶の圧力が迫る。歓迎の色を一切見せず、折角来たのだからとお世辞や温情を見せることもしない。そうやって積極的に自分から相手を遠ざける。近づく見返りのない存在だと教え込むように。
でも、ここで引き下がっては意味がない。
勇気を出して、前へ一歩踏み出す。
「私がこれからどうやって生きていくかを決めるために、風原くんとお話に来た」
「……なんだそりゃ。俺はお前の人生なんかに興味はない」
「でも私は自分の人生にも風原くんの人生にも興味があるよ」
一歩も引いてはいけない。引いたら風原くんとお話しできない。
風原くんは相手を徹底的に拒絶して、距離を置いている。
でもそれは、本当の意味では逃げているのと同じこと。
距離を置くために自分が動くか他人を動かすかの違いでしかない。
だから、前へ。
風原君は動かない。だって彼は他人の為に自分が道を空けるのが嫌だから。それが他人に付け入る隙を与えると思っているから、彼は決して逃げはしない。
ならば近づけばいい。何を言われようと近づけば、距離は詰る。
「それに……話は聞くだけ。決めるのは私だから」
「…………」
「……………部屋、入っていいかな。立ったままだと互いに疲れちゃうし」
「…………」
ドアの前で、視線がぶつかる。
風原くんは何も言わずにこちらを鋭い目つきで見つめている。
いつもより険がある目だ。思わず圧されそうになるが、足を踏ん張って耐える。
不安はあるけど、今の私には風原くんは怖くない。
今までは風原くんの行動の意味が分からないことが恐怖だった。でも、今は風原くんの行動に納得している。だから私は彼の行動を受け入れたうえで、堂々としてればいい。
しばしの沈黙の後、風原くんは舌打ちしながら身を翻した。
「話が終わったらとっとと帰れよ」
「うん。ありがとう」
「……住所を教えたのは西済麗衣か?」
「そうだよ。やっぱり知り合いなの?」
「一方的にな。俺はあいつの事は分からない。あいつは……知っているみたいだが」
風原くんにとっても彼女は分からない存在らしい。忌々しげに眉を顰めた風原くんは、部屋のドアを開けたまま中に戻っていった。慌てて後を追って中に入る。
とても簡素な部屋だった。
1,2世代ほど前のゲーム機や古びた漫画などの本は少しばかりあるが、他に私物と呼べそうなものはノートパソコンと壁に立てかけられた釣竿くらい。後は最低限の家具がある程度だった。
生活感のない部屋。彼が普段何をしているのか感じ取れない部屋。
いや、一カ所だけ部屋に汚い場所がある。勉強机だ。
メモやプリントがきちんとまとめられないままに積み重ねられている。遠目に見たところ、勉強した形跡に見えた。少なくとも絵の類ではない。
「勉強、よくするの?」
「するさ。しなけりゃ馬鹿のままだ」
そういえば彼の成績が悪いという話は聞いたことがない。宿題も忘れず提出しているし、勉強に関して彼が教師から小言を貰っているのは見たことが無かった。頭が悪いと言う常套句のような悪口を避けるためかもしれない。
というか、風原くんは先生に対して敬意のようなものがない。きっと内心で敬意を払うに値しないとか思っているんだろう。そして、自分が評価に値しないと相手に思われているのが気に入らないから自分の能力を上げて釣りあいを取ろうという訳だ。評価されるだけの能力もないのに相手をけなすのは単なるひがみ化負け犬の遠吠えだから、負けず嫌いの風原くんならそうする。
勝手な想像でしかないが、案外とこの予想には奇妙な自信があった。だとしたら本当に素直じゃないな、と思った私は、ちょっとカマをかけてみた。
「とかいって、本当は先生に勉強を教わってる立場なのが気に入らなくて独学してたりしない?」
「………知るか」
図星だったのか、風原くんはふいっと顔を逸らして自分のベッドに座り込んだ。
こちらのペースだ。風原くんに近づくにはペースをつかんで言葉を引きずり出していく必要がある。私は勉強机の椅子を借りて、向かい合った。
「九宮さんから何を吹き込まれたんだ。話したんだろう?」
「……そんなことまで分かっちゃうの?」
「吹きこんでなけりゃまずあの人が俺の所に確認取りに来るだろう。それとも黙って忍び込んだわけじゃあるまい?」
「それはそうだけど……会いに来たのは私の意志だよ」
「それも西済に吹き込まれたからなんじゃないのか?」
「……い、いいじゃん別に。誰かの意見を聞いて物の見方が変わることだってあるもん」
いけない、いつのまにか風原くんの攻勢に押されている。押し切られる前に話を変えなくては。
でも、具体的に何を話そうか、と考えた私は、そもそも風原くんが私の事をどこまで知っているのかが気になった。
「風原くんは私の事をどれくらい知ってるの?」
「知らん、お前なんか」
「人聞きの話では?」
「………ふぅ」
外の雨が、少し強くなった。
手に顎をついた風原くんは、ため息交じりに答える。
「母親が死んで父親と二人暮らし。父親は飲んだくれ。お前は気弱でひ弱で、ついでに負け犬気質。だから学校で体のいいストレス発散機扱いされていた。知ってるのはそれくらいだ………お前の知り合いの宮本から聞いた」
「宮本……香織ちゃんが、そんなことを?」
意外な名前が出てきた。香織ちゃんは風原くんの事を毛嫌いしている節があったから、てっきり面識はないものだと思っていた。
「ふん。あいつが一方的に言ってきただけだ。……それで?お前はこれからお涙頂戴の不幸自慢でもするのか?」
「不幸自慢じゃないけど……私は風原くんの事を聞いちゃったから、代わりに私の事を少し話しておきたかっただけ」
「………喋りたきゃ勝手に喋れよ」
ぞんざいな態度で風原くんは先を促した。
私は、自分でも驚くほどすらすらと自分の身の上を話した。
母の死を機会に崩れ出した家庭の話。
可笑しくなっていった同級生たちの話。
母の代わりに家を支えようと努力すればするほど父が荒れていくこと。
最近はもう何を切っ掛けに怒っているのかも理解できず、父が理解できなくなったこと。
そして――
「ずっと我慢してればいつかはこんな生活が終わるのかなって、最近まで思ってた。そんな時、風原くんに言われた。自分の身は自分で守れって。でも、私は自分で自分の身を守れるほど強くないって思って、だから私には幸せまでたどり着けないのかなって思ったら……次の日から、何もかもどうでもよくなった」
「………」
「でも、どうでもいいって心の中でずっと呟いてたのに、目はいつのまにか風原くんを追ってて。その理由が分からなかった」
吹いてきた風によってうねる激しい雨が窓を叩く。
荒れる天気は憂鬱を呼ぶ。雨の降った日の父は絶対に荒れているからだ。雨の日に帰りに遅れたりしようものなら、凄まじい剣幕で怒鳴り付けられ、顔を殴られることさえある。でも今日だけは――今日だけは、私は帰れない。
「風原くんに会って、見てて、それで律華さんに話を聞いて、私は漸く分かった気がする」
初めて出会ったあの日、私の手を取ってくれた風原くんはきっと私の事を助けたかったんだと思う。理由は分からないけれど、風原くんなりに助けたいと思ったんだと。
そんな風原くんの手の感触を忘れられないのは。
そんな風原くんの言葉が頭を離れないのは。
実体を伴わない人間関係の中で、本当は私が味方以上に望んでいたのかもしれない存在だから。
「私、思ったの。あの負け犬って言葉は本当は風原くんが自分に向けた言葉だったんじゃないかって」
「俺が、俺を……負け犬だと?俺はやられてやり返せずにいられるほど大人しくない」
風原くんの顔に、微かな怒りが浮かぶ。
でもそれも、私は受け入れたい。
「逃げられる場所にいない。私も、風原くんも。逃げ場のない世界の内にいた。二人ともそんな檻を壊したいと思っているのに壊すことが出来ない。そして、出口までの隘路に躓いたのが私で、出口から外に行く勇気がないのが風原くん」
「人の事を臆病ものだって言いたいのか、お前……!」
「うん。きっと私たちは似た者同士なの」
風原くんの声に、殺意のようなものが混じった。ぎりぎりと握り込まれたその手は今にも私の細い体を吹き飛ばすために振り上げられそうだ。
でも、私は例え殴られても、今日だけは引きたくない。
「家族を亡くして周囲が変わった私と、家族がいなくなって自分を変えたあなた。辿る道はきっと一緒。親に守ってもらえないままおっかなびっくり前へ進んでる」
家族がいない孤独を、彼は知っている筈だ。それでもかつての家族が忘れられないから、別の人間が親だと名乗ってもそれを受け入れられない。ほんの少し手を伸ばせば届くのに、それが出来ない。
――きっと、裏切りが怖いから。相手に期待を抱くことが怖くてたまらないから。
私は、その手を取りたい。
前へ前へと進む力を、引っ張れるだけの力を、風原くんはきっと持っている。
なのに、足りていない私と同じ場所で燻っている。
だから、私は言いたいのだ。
「風原くん……私に足りないものを壊すのを一緒に手伝って。私も、風原くんに足りないものを一緒に壊すから」
「……煩い」
「風原くんが私に期待したのは、自分が持っているものを私が持っていなかったから。自分の持っているそれが私にあれば虐められずに済む事が我慢できなかったから。私にそこにいてほしくなかったからだよね」
「……煩い、止めろ」
「それは今わたしがあなたに抱いている気持ちときっと同じ……でも、私達って歩み寄ってないんじゃないかな?私だけ風原くんに歩み寄っても、私の知らない所で風原くんが歩み寄ってきても、どっちも中途半端で終わっちゃうじゃない」
「止めろ、千代田!」
「一緒に歩こうよ。一緒に檻の外の星を見よう。一人で上りきれない壁もあなたとなら登れる。あなたに手を差し伸べることだって出来る。二人なら出来るよ!」
「止めろと言っている!俺に近づくな……!」
「私、いまの貴方が大嫌い。でも今の自分も大嫌い!だから……だから……あと少しで乗り越えられる壁を越えれば、嫌いは逆転する!その逆転が怖くて竦んでいる足を動かすために!」
風原くんが私に真剣になってくれたことを知って胸が痛んだ理由は――きっとわたしも風原くんに真剣になりたかったから。
人生できっと初めて、与えるでも与えられるでもなく、自分の世界を彼の世界と繋げたい。
「私を受け入れて、一緒に歩んで、私の事を好きになって欲しいの!!」
どうしようもなく独りよがりで、自分勝手な我儘。でもこれが私の本心だから。
苦しそうに呻く風原くんに、立ち上がって近付く。
「来るな……!」
「……………」
「来るなよ!来るなって言ってるだろ!!」
風原くんに触れようとした手が振り払われて、私は突き飛ばされた。
フローリングの床に背中がぶつかって、肺から空気が漏れる。背中が痛い。
でも、立ち上がる。痛みから咳が漏れるが、それでも引かない。
「風原くんが敵だからでも、味方だからでもない。……私、もう負け犬でいたくないの。だから……痛みからは逃げないよ」
「何でだよ!来るなよ……帰れよッ!!」
叫ぶ風原君の顔には、もう怒りはない。
あるのは受け入れることへの恐怖と、本当は相手を拒絶したくない優しさの二律背反。
風原くんには、他人を退ける方法が暴力しかない。
なら、暴力を諦めさせることが出来れば――手が届く。
滅茶苦茶で強引な、そんな方法しか思いつかないけど……かまうものか。
風原くんが怖がろうが怖がるまいが、私にはもう今の自分の思いを止めることが我慢ならないのだ。そんな程度の暴力で引くほど半端な覚悟で風原くんの部屋に来たわけじゃない。
それを証明するために、わたしは今だけは決して引かない。
また近づいて、伸ばした手を振り払われて。それでも前へ進んで、また繰り返して。
手が痛い。肩が痛い。背中が痛い。涙が出そうになる。
でもそんな私以上に、風原くんは苦しそうで、今にも泣きだしそうだった。
「怖くないよ、風原くん……」
「もう……もう来るなよ!もう沢山だろう!そこまで痛い思いをしてまで何で俺に近づく!?」
「違うよ。これから沢山、一緒に歩きたいんだよ」
二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めた。
一人は泥を見た。愛など幻想なのだと言い聞かせ、泥の中で足掻く術を探した。
一人は星を見た。いつかは求める愛が手に入ると、寒さと餓えから逃れようとした。
でも、もしも二人の囚人が手を取り合う事が出来たなら――
「あ………」
「捕まえ、た」
風原くんの手は、止まった。私は風原くんの身体を抱きしめた。
どくどくと心臓の高鳴りが私にも届き、恐れから来る汗のにおいがした。
でも、風原くんの身体は驚くほどに暖かくて、こわばっていた力は少しずつ解かれて。
「……ちくしょう。ちくしょお………なんなんだよ、もう……訳、わかんねぇよ………!」
「教えてあげる。つまり風原くんは……本当はびっくりするくらい甘えん坊だったってことだよ」
そう伝えて、微笑んだ。
やがて風原くんは、全てを諦めたように身体をベッドに横たえた。
引っ張られて私もベッドの上に横たわる。ちょうど、私が押し倒しているような形だった。
風原くんは私の肩に顎を乗せたまま、静かに泣きながら――私を抱き返した。
「……親に騙されてたんだと信じ込んでたんだ。それで騙された自分が許せなかった……本当は、ただ愛されてなかったのを認めるのが怖くて逃げただけなのに。それでもう二度と騙されるものかって……
「それで、人を心の底から信用できなくなったんだね。そして、それが本当は人間関係から逃げる事だって気付いてた。だから人を信頼するのは、風原くんにとっては甘さだったんだね」
「お前の言うとおり、俺は甘ったれだ。たった一回近付かれただけでこの様なんだからな」
「もう逃げなくてもいいんだよ。ちょっとずつでいいし全部じゃなくていい、風原くんに伸ばされた手を……握り返してあげて」
「また裏切られたら………どうする。俺は今度こそ、誰も信じられなくなる」
「そうなっても、私は一緒にいてあげる。だから風原くんも、私が駄目にならないよう一緒にいてほしいな。新しい幸せを見つけるために」
「…………ッ」
――ごめんなさい。さようなら、お母さん。
風原くんは、小さくそう呟いた。
私はその言葉の意味を、いずれ知ることができるのだろうか。
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