| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

異々、心葉帖。ことこと、こころばちょう。~クコ皇国の茶師~

作者:もいこ
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
< 前ページ 次ページ > 目次
 

プロローグ

 
 
 食べ物がしゃべるはずない。

 『そと』から来た人は大抵口を揃えて、そう笑う。
 初めて店に来た人間に、蒼《あお》が「あのね!いいこと教えてあげる!」と瞳をとろけさせて、とっておきのお話もしくは両親自慢をするたび、大方の大人に同じ顔を並べて見せてくる。
 茶葉店を経営する両親のお店には、色んな国の色んな人がやってくるけれど、ほとんどの人間は、蒼に同じような顔で笑って見せるのだ。
 大人ってどうしてそんな風に自分の瞳中の映像で『ない』と鼻で笑うのだろう。
 大好きな父にその疑問をぶつけた時には、

「蒼、言葉というのは不思議でね。言葉じゃないと伝わらないこともあれば、言葉では表現しきれないこともあるのだよ?」

 困ったように微笑まれてしまった。
 よくわかんないの。だって、言葉で伝えても目で見ても、物事の真ん中にあることは同じなのに。それは6歳になったばかりの小さな女の子の蒼でもわかることだ。なのにどうして、もっともっと色んな世界を知っている大人に伝わらないのだろうと、唇を尖らせた。
 といっても、実際のところ蒼自身も直接茶葉たちが『話す』ところを見たことはなく、両親から聞いただけだったので強く反論も出来なかった。
 でも、まぁ。確かに、目の前の人参や葱に「食べてもらえて嬉しい!」とおはしでぶっすりと刺した瞬間、笑い声をあげてもらっても、蒼だって「はい、そうですね。おいしく頂きます」と頬張ることなんて出来ないわけで。
 でもでも、わたしはしゃべるって思ったんだもん。
 なんて、淡藤色の長い髪を揺らしながら、頬をほおずきのように膨らませたのは一週間前のこと。


 そんな、思い出というには近い記憶を思い浮かべている最中、風に髪を撫でられ顔を上げれば、満天の星空が広がっている。いつもは部屋の中から見ている光景を風を感じながら見上げていることに、蒼の鼓動が全身をふるわせた。
 今、蒼は店の裏側にある家の、さらに奥へと向かっていた。とても広い庭にある、水晶の道。
 庭の中を駆け巡っている、川と言っても良いほどの水の流れ。それが水晶の板でふさがれ道となっているのだ。その水晶が、空の星と月を吸い込み、透明な身に光をうつして天の川を作っていた。
 蒼はその上を、そろりそろりと歩く。星の金平糖と月の穴を踏んで歩いていると、水晶の下を流れる水が、水晶板の所々にある穴から流れ込む風で、波を打つ。
 水晶の道に映った星を踏んでいた蒼は、風で揺れたそれに慌ててしまう。危うく転びかけた蒼は、早くなる胸を押さえ、深呼吸をする。再び見上げた先には昼間の太陽と同じ形の月が浮かんでいる。けれど、太陽とは違って、どこか優しいと感じる光は、不思議と蒼の心を落ち着かせてくれた。
 夜の空で淡く光っている月は、闇の中に出来た穴にも見えた。でも、穴の方が明るいなんて変なの。いつもは白くて綿菓子みたいな雲が、今は真っ黒で月の側に近づいた時にだけ、ほんのり色づくなんて。
 蒼は自分がしようとしていることを笑われた気がして、ちょっとばかり熱に色を変えた舌をべーと伸ばした。それは拗ねからの行動だったのだが。ついさっき急いで飲んだお茶に悪戯された舌が夜の涼やかさに撫でられ、蒼の小さな鼻が鳴った。お茶がくれた熱が、身体から攫われていくようで。暖かさを逃さないよう、蒼は再び足を動かすことにして、相変わらず静かにそよいでいる星影の上を、今度は跳ねていった。
 敷地内とはいえ、お店と反対の方向にある蔵へ辿り着くためには、菜園やら池やらを抜けなければいけなくて。小さな足の蒼にとっては結構な時間がかかってしまう。瓦屋根を乗せた石造りの建物も、なかなか途切れてくれない。
 こんな夜遅くに子どもがひとりで暗闇の中をうろつくなど、普段ならば両親の勢いの良い言葉の下敷きにされてしまうことなのだけれど。運良く、今日は父親も母親も『おとなの付き合い』というものに出かけてくれていた。   
 蒼は寝台に潜り込む前に、両親が店で瓶の手入れをしている背中を見つめているのが大好きだ。そんな『お父さんお母さん大好きな蒼』にとっては寂しいことなのだが、今の『冒険者の蒼』にとっては、願ってもいない機会だ。
 めったに吸い込むことの出来ない、少しばかりひんやりと頬に染みてくる空気をめいっぱい吸い込む。蒼は、誰も見ていないのに、緩んでいく口元を小さな両の手で覆った。夜に浸っている場合ではない。蒼には、寝所を抜け出してまで見たいものがあるのだ。


 どれ程、歩いたのだろう。
ふわりと桜色の唇から出た白い息が綿毛のように宙を漂い、空気に溶け込んでいった。蒼は、予想以上に肌を刺す寒さに、だるま顔負けに着膨れた身体を震わせた。頭の横で結んだ髪の結紐をといていけば首は暖かいと、襟巻きを置いてけぼりにしたのが良くなかったかも知れない。
 そんな蒼にお構いなしにと、腹に宝物をいっぱい詰め込んでどっしりと座り込んでいる蔵が、徐々に瞳の中で大きさを変えていき、それにあわせて胸もばくんばくと煩くなる。見上げるとひっくり返ってしまいそうなほど大きな蔵を囲んでいるのは竹やぶだ。風に揺れる背の高い竹が不気味に笹葉を舞わせてくる。その笹の葉が瓦屋根に静かに舞い落ちる。  
 蒼はゆっくり転ばないようにと石の階段をあがり、蔵の大きさには不似合いの小さな穴へ鍵を指す。魔道の力が込められた鍵には大きさなど関係ない。そう五つ上の兄から聞いてはいたが、実際のところ半信半疑だった蒼は、あっけなさに目をしばたかせた。古さから硬いと思っていた扉も、幼い蒼の震えた掌でも案外簡単に身を引いていってしまったものだから。

「おじゃましま……す?」

 思いがけず、すんなりと開いた扉に瞬きをしたまま、それでも叱られることを覚悟してまできた蔵の中へと、靴音を響かせた。どうしても、自分の目で『あれ』を見たいのだ。
 背の後ろからおじいのいびきのような音が数秒聞こえるが、それも直ぐに消え、耳が痛むほどの静寂が戻った。それが余計にどくんどくと騒いでいる鼓動を体中に響かせ、苦しくなる。がっちりとお見合いさせたままの奥歯がききっと歌った。

「あれぇ、ここじゃないのかなぁ」

 目を細めてみても、握り締めてきた灯玉を光らせてみても、見えるのは砂糖漬けの花や蜂蜜がたっぷりと詰まっている瓶だけ。蒼が見たいものは並んでいない。
 やっぱり、ちょっとばかりやかましく軋む角灯でも、持ってくるべきだったのかもしれない。枕元においておく、仄かにしか灯りをくれない灯玉だけでは何だか心細いと、蒼は数分前の自分をちょっとばかり恨んだ。
 月明かりがにぎやかな夜とはいえ、窓がほとんどない蔵の中は吸い込まれてしまいそうな暗さだ。蒼は「うぅ」と唸り声をあげた。
 それでもきゅっと手を握り、前を見据える蒼。少しばかり歩き続けると下へ降りる階段と、上へと上る階段が蒼の前に姿を現した。さらに暗くなっている階段を数分睨んだ後、蒼は月明かりが差し込んでいる二階へ上がる階段に足をかけた。半分腰引けながらも足を動かす蒼を、足元にある階段がきしっと笑った気がするが。蒼は挫けそうな気持ちを押し込めて、一歩一歩階段を上った。
 そうして、最後の一段を踏みしめた時。

「わぁあー!」

 一瞬、蛍かと思った。

 「んっしょっ」という声で階段口から顔を出した蒼を出迎えたのは、戸棚に行儀よく座っている光たちで。思わず、一音高い声が出た。じんわりと手の内側で染み出ていた汗も、弾けてしまったような気がした。あんまり大きな口をぽっかりと開けてしまったので一斉に流れ込んできた冷たい空気に咳が出てしまう。
 瞼を擦りよくよく見れば、そこにある光は塊ではなく、何かから染み出ているようだ。もしかしたら、これが自分が見てみたかった、茶葉のしゃべるところ。蒼の足は、緊張と興奮で固まったまま動けずにいる。
 そうこうしている間に、目の前をゆっくりと流れていた雲がやっと通り過ぎ、天井近くにある窓から差し込んできた月光が照らし出したのは――。

「びーどろの入れ物?」

 最初目にした時には一色だった光は、いつの間にか纏う色彩を変えていた。一番低い棚のソレを手にとって見ると、実際に光を放っていたのは瓶の中身だとわかった。店先で茶葉が入っているのと同じちょっと厚めの瓶。
 そして、中にあるのも同じ、蒼も見慣れたお茶の葉だった。ただ、どうにも店先に並んでいるものと違う香りがする。ような気がした。
 くんかくんかと、鼻が香りの流れを吸い込む。

「おぬし、茶葉が好きか」
「お茶の葉がしゃべった!」
「って、そんなわけあるかい。こっちじゃ、こっち」

 突然沸いてきた声に驚いてしまい、瓶が蒼の手から滑り落ちていってしまう。きゅっと瞼に皺を寄せて耳に届くだろう音を待つが、いくら待っても頭の奥をひっかく振動は生まれない。蒼は恐る恐る視界を広げると、梅干みたいな表情で身体と同じくらいの大きさの瓶を抱えている小人がいるではないか。

「まぁ、光が見えるというのはつまり、声を聞いておるとも言えるがのう。発想が子どもらしゅうて可愛らしいことよ。おぬし藍と竜胆の娘じゃな。ほうほう、その年で既にアゥマを物理的に認識できるのか。」

 藍は母、竜胆は父の名だった。両親の名をいたく偉そうに口にして、しかも勝手に納得しているうえ「子どもらしい」とからかうように笑った小人。そんな小人に蒼は悔しくなり、驚きも忘れ手が伸びた。

「わわっ!」

 焦った声が、蒼の指によってあがる。指先で突っつかれている若干広めの額を押さえ、小人は「やめんか」と上空に飛んでしまった。見た目は蒼とそう変わらないのに、おじいみたいな怒り方に話しっぷりだ。灰色の服だって、おじいが拳法を教えてくれる時に着ている服にそっくりだった。

「だって。不審なものを見つけたら、とりあえず突っついてみろってお兄ちゃんが」
「不審なものをみたら触るな。って、普通に通報しておけ」
「そっかそっか。じゃあ、きみのことも」
「って、ワシかい。ちゃうちゃう、こんな話をしようとわざわざ溜まりからあがって来たのではない」

 自分がのせたくせに。ぷぅっと頬をめいっぱい膨らませ、おまけにと唇を尖らせた蒼。
 目の前で綿毛のように浮いている小人は、絵本で見た妖精みたいな七色の羽はなく、ただ本当に、立つ様に空中に留まっている。
 軽口を叩きながらも若干の警戒心を持っていたのだが。それが解けてしまったのは、

「お主、茶師にならんかの?」

 そんな嬉しそうな声にうっとりとなってしまったからだった。優しい、染みてくるような声。そうだ、この光と似ている。瞳を瞼で覆っても褪せることのない、柔らかな色を纏った光の粒が舞う空気。
 蒼は横に頭を落としたまま、にんまりと満面の笑みを浮かべている小人を数秒見つめ続ける。
 次第に、小人の言葉は蒼の耳の奥に潜っていった。一番奥に言葉がたどり着くと、ぱぁっと輝いた蒼の表情。

「茶師って、お父さんやお母さんみたいになるってこと? だったら蒼、なりたい! ここに来たのだってね、お父さんが『蒼にもお茶の葉の声が聞こえたら、お父さんみたいになれるよ』っていったからなの!」
「まぁ、光の色まで判別できるとはいえ、両親のような茶師になるにはそれなりの修行や心が必要じゃからな。今すぐというわけにはいかぬが」
「どうしたらいいの?」
「よいか? そもそも茶師というのはな、生命の樹であるヴェレ・ウェレル・ラウルスの葉が一枚一枚もつ適正を判断し、茶葉として使えるようアゥマを注ぎ込む――つまり、浄錬《じょうれん》するっちゅー職人のことじゃ」
「ふんふん」
「その浄錬の修行は職についてからもするべきものであるからに、おぬしもまずその術を学ぶべきところから――」
「だから、どうすればいいの!?」

 くどくどと。葉っぱの詰まった茶壷からお茶が出るようなはやさで話し続ける小人に痺れをきらし、蒼が地団太を踏んだ。
 一瞬だけ小人の瞳が見開かれるが、すぐに「最近の若いもんは自分で考えるっつーことを」と肩を落とす。至極小さい声は蒼の耳には届かず、ただ愛らしい眉が怪訝に顰められただけだった。
 「まぁ、よいか」と気をとりなおした小人の口から飛び出る咳払い。それが合図となり、淡かった光が色を変える。いつの間にか、肌のすぐ傍にも、ゆらゆらと、何もないはずの空間から溢れてきていた。

「蒼、お主が人の心と身体へと流れ込む、龍脈《りゅうみゃく》の泉たるヴェレ・ウェレル・ラウルスに誓うに値する願いと想いがあるならば、母たる樹に成り代わり、此処が溜まりの守人たる我が祝福を授けよう」

 少しばかり畏まった小人はすぐに「形式であるからしてこのように難しい言い方をするが、要は人の口へ入る物に責任を負う勇気があるかということじゃ」と表情を崩し微笑んだ。伝わってくる温度は至って暖かいものだったが、真っ直ぐに向けられる視線は蒼を射る。
 思わぬ方向へ進む話に、ごくりと蒼の乾いた喉がなった。つばを飲み込む音が、喉元にひっかかって耳に響いてくる。一緒に跳ね上がった心臓は静かになるどころか、時間が流れるほどに煩さと熱を増していって。
 けれど、今下を向いてしまえばもう二度と自分を包んでくれている光たちと話せない気がして。蒼は光たちも一緒というくらい、思いっきり鼻に空気を吸い込んだ。凛と開かれた瞳が小人を映した。

「では、此処が溜まりの守人《もりびと》麒淵《きえん》が契りを交わそう。人が心、人が身体、そして基盤たるものへと耳を傾ける茶師となれ!」

 やんややんやと、光が騒いだ。
 
< 前ページ 次ページ > 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧