Muv-Luv Alternative 士魂の征く道
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第17話 解脱
沈黙が重い。
一面の銀世界とそれを照らし出す蒼天に反し、その積雪の重みがずっしり圧し掛かるように重々しい沈黙が場に圧し掛かっていた。
「あの……すみません大尉………つい」
「―――」
おずおずと詫びる唯依に忠亮の疑似生体移植によって変色した目線が向けられる。
思わず半歩後ずさる唯依。
如何に養子であり自分の婚約者とはいえ、摂家の人間に手を上げるとは元来絶対に許されないことだ。
それに加え、いくらテンパっていたとは言え、親しい人にさえ絶対に見せないような一面を見せてしまった―――恥ずかしい反面、嫌われたかと思うと心が怯え萎縮してしまう。
「それでいい、借りてきた猫みたいな態度は常々“気色悪い”と思っていた。そうやって軽く張り手を食らわせるぐらいが丁度いい―――まぁ、お前は存外にお転婆だからな予想はしてたさ。」
「き、気色悪い……」
顔に季節外れの紅葉を張り付けたまま皮肉気な笑みで忠亮が言った。そしてその言葉がダイレクトに心に突き刺さって抉る。
いや、そんなことよりも聞かなくてはならないことがある。と地味にショックを受けた精神を立て直す。
「あの大尉……怒ってないんですか?」
「寝小便漏らした子供みたいな顔でそんなこと言うな。何を詫びる必要があるか、君は俺の言動を不快に感じた。それだけのことだ――女の機微を読めないのは男不徳だ、いつの世でもな。」
あっけらかんと言ってのける忠亮、彼に怒りは不思議と微塵も無かった。でもさっきから例えがどうしようもなく酷い。
(気色悪いの次は寝小便漏らした子供……)
地味に傷ついている唯依だった。心の中で膝を折り、いじいじと地面にのを書く。
けれども、こういう風に接してくる男性の経験は唯依にはなかった。新鮮ですらあった。
「それでもご無礼だったと……我ら斯衛は貴方様方、摂家の方々をお守りするために存在しているのに手を上げるなんて……」
「気にするなと言っている。俺はむしろ、お前が純粋に憤りをぶつけてくれる相手として見てくれたことに喜びを感じている。」
――そうだ、あの一瞬。如何にテンパっていたとはいえ、篁唯依は何の遠慮もなくこの青年に自分の感情をぶつけてた。
それを嬉しいと言ってくれた――――少し、自分も胸に暖かい感触と言いようののない、が渦のような衝動が宿った。
かつて、民主主義が蔓延する以前の自殺は貴族や富豪などの高階級に多かったと聞く。その理由は立場ゆえの重責と孤独だ。
その理由を唯依は身を以て知っている。生まれながら、それが当然であり恭子の様に同じ境遇を理解してくれる人に恵まれた唯依でさえ苦痛だったのだ。
それに比べ、彼の自ら選んだとはいえ降ってわいたその境遇に対する負担は自分のそれとは比較にはならないだろう……もう、家族を家族として呼ぶことすら出来ない彼。
家族でさえ、自らとは違う存在となってしまった彼は―――孤独だ。その強さ故に孤高だった彼はその同意義の苦しみを深くしてしまっているはずだ。
だから、彼の傍に――彼に一人じゃないんだよ、そう実感させてやれる人間が必要なのだ。
雪うさぎに寄り添う、もう一匹の雪うさぎの様に。
彼が、人の世の冬。戦乱の世という冬の時代にしか生きられない雪うさぎなら、自分はそれに寄り添う雪うさぎになってあげたい。
「あ、―――俺に被虐趣向はないからな?勘違いするなよ」
「………ぷ、あはははは!!何ですかそれは」
不意に思い出した明後日な方向の疑念を忠亮が言ったのを耳にし、つい堪え切れず吹き出してしまう。
口元に手を当てクスクスと笑ってしまう―――いったい何時振りだろう、こんな風に軽い心で笑えるのは。
零れる暖かな想いと一緒に胸に宿るこの気持ちは何なのだろう。この悲しみにも、喜びにも似た絵具を雑多に掻き混ぜた様な感情は。
「そこまで笑われるとそれはそれで微妙なんだが……」
「だって……ふふふ!」
「やれやれ……やっと笑ったな。」
深い眼差し、唯依を見る忠亮―――その瞳の穏やかな色に呼吸を忘れそうになる。
彼の眼差しには色んな色がある。
野蛮にして冷徹に燃える戦意の眼差し、愁いを帯びた静寂深慮の眼差し。
花雲が如き遠くの何かを幻視する眼差し、春障子が如き穏やかな優しい眼差し。
春野の様に万様に複雑な色合いで、玉虫の様に決して単色を示すことのない感情を彼は目で語る。目は口ほどに物をいう、彼の場合それがより顕著だ。
彼の心は単純なようで複雑怪奇、それが混じり合って、万華鏡の様に色んな色を見せ、心を語ってくれる。
そんな彼の眼差しがいつの間にか――――好きになっていた。
「お前には笑っている顔が似合う―――だから、それを無くすな。俺の楽しみが減るのは困る。」
「……」
唯依の顔を見下ろす忠亮。そして彼女は思う―――ああ、この人はトンデモナイへそ曲がりの意地っ張りだと。
素直じゃない、意地が悪い、ついでにド不器用だ。……けれども性根は真っ直ぐだ。
「なら、見逃さないように傍に居てください。」
「……なんだ、お前は俺を口説いているのか?」
微妙にあきれ顔になる忠亮。それにちょっと困った風に唯依は苦笑する。
「そういう意味じゃないですけど、わざわざ見せに行くのも可笑しな話じゃないですか。」
「それもそうだな、作り笑いなんぞ見ても面白くないしな。特にお前は堅物だから笑うのを堪えようとして百面相している事があるしな――それはそれで面白いのだが、イロモノだな。」
「い、イロモノ!?」
再び唯依の心をぐっさりと突き刺して、ぐぎゃっと抉る一言。まさか、そんな風に見られていたとは夢にも思わなかった。
というか、彼からの評価を聞くたびに自己評価が今までにない勢いで暴落してゆく。オービットダイバーも真っ青になるだろう勢いで。
「もしやと思っていたが、やはり自覚がなかったのか……」
忠亮が呆れ果てた溜息を吐く。まるで通夜の様に重々しく。
そこまでか、そこまで珍獣扱いなのか!?そこまで絶望的なのか!?
内心の混乱により表情を強張らせる唯依だった――――が
「それが嫌なら、もう少し素直になれ。お前はお前だ―――他の誰かになろうとしなくていい。お前のままで良いんだよ。」
ぽんぽんと幼子をあやす様に、忠亮の残った左腕が唯依の頭に置かれ軽く撫でた。
「もう、勝手なんですから……。」
頬を若干朱に染めて唯依が唇をちょっとだけ尖らせる。
「己はそういう男だ。性分と諦めろ。」
自嘲気な笑み―――だが、唯依はその眼差しの裏に一抹の決意と哀愁の混じりあった色を見た。
そして、それが何なのか説いた質すことが出来なかった。
理由は自分自身でもよくは分からない。
ただ、花雲の走る大空を見上げながら春の日差しに溶けて消えて逝く―――独りぼっちの雪うさぎがなぜか連想された。
「あの大尉……一つお願いしてもいいですか?」
「なんだ?」
忠亮の左手の下で恥ずかしさに震えながら唯依はようやく絞り出した。
「名前で呼んでもいいでしょうか……?」
「ふっ、ずいぶんと可愛らしいお願いだ――――好きに呼べ。」
「はいっ!……忠亮…さん。」
大したことではない素朴なお願い、それが聞き入られ唯依が破顔する。
年相応の少女の微笑みだ。
野花が見る人の心を豊かにするように、彼女の笑みは忠亮の心に色を穏やかな色を齎す。
「そろそろ飯時だ、一緒に食うか?……唯依。」
「あ、じゃあ私は準備をお手伝いしてきます。」
唯依が嬉しそうに微笑み、それに頷くと彼女は白雪の中庭に足跡を残しながら駆けて往く。
その山吹の背を見送る忠亮は一人、思いをはせる。
―――ああ、守りたいな。
自分に向けられる無垢なる笑み……それを守るためなら例え世界を敵にしても構わない。
いや、世界そのものを壊したって構わない。
この一瞬の心打つ穏やかさをずっと見ていたい。もっと色んな笑顔を見たい。
心に宿った欲望が燃焼し始める。欲望の熱量は際限なく増大し、増長してゆく。
守りたいと思えるモノが欲しいという、忠亮のこれまでの人生で膨大に積み重ね凝縮された渇望と融合し、新たな渇望を生み出す。
刹那よ永遠となれ、時よ止まれ。
刹那よ疾走し駆け抜けろ、時よ流れろ。
この安らぎを永遠としたくて、この感動に浸っていたくて
次なる未知を得るために、次なる感動を得るために。
永劫回帰の既知の世界を望むか?―――望む。
前人未到の未知の世界を望むか?―――望む。
二律背反にして、その二律両者を求める。
それは矛盾、それは水と油。
何方かを選べば、何方かを捨てねばならない。
だが、何方でもいいのだ―――彼女さえ居れば。
未知でも既知でも、天獄でも地獄でも、希望でも絶望でも
彼女と触れ合えるのなら如何な世界であろうとも頓着はしない。
だけども、認めない許さない諦めてなるものか――――斯の掛け替えのない宝石を、刹那の輝きを踏み躙る結末など。
あんな終焉など―――!!
「―――なんだ。」
脳内を錯綜する言語化するのが不可能な渇望、だがそれを抱いた瞬間酷い既知感に見舞われる。
何故だ、何故だ、何故―――俺はそれを、この世界の結末を識っている?
「―――ぐっ!?」
激しい頭痛、意識に砂嵐が走る。
激しい頭痛、断片化し意味の成さなくなった膨大な情報の奔流が意識を灼く。
許さない、認めない、消えてなるものか―――このよう結末など!!
愛しきものを守り切れず消えてなるものか!!!
形を成さなくなった雑多な記憶、それに宿る感情が自我を焼く。
もう一度……繰り返そう。
一度でダメなら十度、十でダメなら百、百でダメなら千、千でダメなら万、万でダメなら億、億でダメなら兆、兆でダメなら那由他。
勝てるまで繰り返し続けよう――擦り切れ、磨り減った思念がしみ込んでくる。
違う、今までそれを認識できていなかっただけで、それは最初からあった。
「何だ……この苦さは――――嫌いだな。」
過ぎ去った既知感に伴う後苦さに眉を寄せ、忠亮は冬の空を見上げた。
何処までも透き通るような蒼天、そこに薄らと浮かぶ三日月を睨み付ける。
「―――此度の輪廻は些か趣が違うようだな。この貴重な回帰、是非ともモノにする。
己は、人類の存続程度で満足はしないぞ……我が怨敵悉くを滅尽滅相し、そして天へと攻め上る。」
気付けば、半ば無意識そう口にしていた。
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