IF物語 ベルセルク編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第十四話 毒
帝国暦 488年 8月 10日 マールバッハ星域 ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド アントン・フェルナー
艦橋にエーリッヒが戻ってきた。あまり顔色は良くない。
「大丈夫か、疲れはとれたか」
「多少はね。嫌な仕事をすると疲れるよ。心配をかけてすみませんでした」
そう言うとエーリッヒは指揮官席に座った。リューネブルク中将とオフレッサーは無言だ。
ローエングラム侯との通信は唐突に終わった。エーリッヒに論破された事も有るがグリューネワルト伯爵夫人が泣きながら制止した事でローエングラム侯が一方的に艦隊を退いた。ガイエスブルク要塞で人質三人、リヒテンラーデ公、グリューネワルト伯爵夫人、マリーンドルフ伯爵令嬢の三人をローエングラム侯に引き渡す。決まった事はそれだけだった。
人質の受け取り人はメックリンガー提督だ。彼の艦隊はこの艦隊の後方を航行している。ガイエスブルク要塞に着いたら、或いはその直前で人質を引き渡す事になるだろう。
「もう少し休んでいても良かったのに」
「そうもいかない、司令官が寝込んでいては部下達が心配するだろう」
エーリッヒは苦い表情をしている。
交渉が終わるとエーリッヒは崩れ落ちるように床に座りこんだ。ローエングラム侯を挑発し苛立たせて自分を優位に持っていく。そして相手が感情的になったところでそれを叩く。一つ間違えば戦闘になる。余程に緊張した、神経を擦り減らしたのだろう。蹲るエーリッヒは疲労で蒼白だった。
ギリギリだったのだ。伯爵夫人の制止が無ければどうなっていたか……。背筋が凍る思いだった。直ぐにエーリッヒをタンクベッドに運び休ませた。本当はベッドでゆっくりと休んだ方が良いのだが本人が受け付けなかった。何処かで自分を大事にしていない。痛めつけたがっている、そんな気がした。
ローエングラム侯と戦うのは本意ではないのだろう。以前からエーリッヒはローエングラム侯を高く評価していた。その侯を貶し辱めそして勝とうとしている。その事がエーリッヒを苦しめているのかもしれない。ローエングラム侯以上に自分を追い込もうとしている……。俺とリューネブルク中将の推測だ、オフレッサーも同意している。
「無理をするなよ」
「無理はしていない。必要な事をしているだけだ」
「……」
俺が納得していないと見たのだろう、エーリッヒが大きく息をするとさらに言い募った。
「ローエングラム侯相手に中途半端な勝利は有り得無いし共存も無い。そんな生易しい相手じゃないんだ。いったん敵対した以上潰すか潰されるかだよ。どんな非情な策であろうと勝つためには使う。卑怯卑劣と罵られようともやる。躊躇っていたら負けるからね。敵である事を惜しまれるよりも憎悪されるぐらいでなければ彼には勝てない……」
淡々とした口調だった。だが何処かで自分に言い聞かせているような響きが有った。自分を追い込むな、エーリッヒ。
「勝算は上がったのではありませんか?」
空気を変えようというのだろう、リューネブルク中将が茶化すように問い掛けてきた。オフレッサーも“そうだな”と頷く。エーリッヒが“遮音力場を使います”と言った。オペレータ達には聞かせたくないか。
「勝利の定義にもよります。向こうの大義を否定し正当性を喪失させるという事なら勝ちました。今回の一件、そして例の一件でリヒテンラーデ・ローエングラム連合が権力欲、野心から貴族連合を反逆者に追い込んだという事が明確になった。たとえ戦争に負けても貴族連合が一方的に悪という事にはならない。滅んで当然という事にはならない」
「そしてリヒテンラーデ公とローエングラム侯、例え彼らが勝者になっても長続きはしない。いずれは滅ぶ……。帝国は混乱するな、新たな秩序が生まれるまで混乱する。私がした事は帝国を徒に混乱させる事か……。馬鹿げているな」
エーリッヒが自嘲した。何処かで虚ろな響きが有った。かなり落ち込んでいる。
「卿が勝てば良いではないか、そうなれば混乱はせんだろう」
オフレッサーの問いにエーリッヒが小首を傾げた。
「勝てば、ですか。オフレッサー上級大将、困った事に私にはラインハルト・フォン・ローエングラムが敗北するという事が想像出来ないのですよ。勝てるのかな、彼に」
皆で顔を見合わせた。エーリッヒは冗談ではなく本当に疑問に思っている。
「今度の一件でローエングラム侯から人が離れるという事は有りませんか? 誰もが彼について行く事に疑問、不安を感じると思うのですが。それに例の件も有ります」
リューネブルク中将の言う通りだ。かなり有利になったはずだ。
「そうかもしれません。しかしそうじゃないかもしれない。向こうは必ずこの内乱を権力闘争ではなく階級闘争として皆に訴える筈です。門閥貴族の横暴を訴え平民達の権利を確保する為には已むを得ない事だったと訴えるでしょう。そして今更降伏しても貴族達の報復から逃れることは出来ないと指摘する。上手く行けば離反は避けられる可能性は有ります。被害を受けたのは辺境の十億人だけなんです。帝国全体から見れば五パーセントに満たない」
皆が唸り声を上げた。
「それに例え全銀河が敵になろうともジークフリード・キルヒアイスがローエングラム侯の傍を離れる事は有りません。あの二人に勝つ? どちらか一人でも持て余しているのに? 至難の業だな、馬鹿みたいに犠牲が出るでしょう。ウンザリだ」
駄目だな、エーリッヒは落ち込む一方だ。俺も溜息が出そうになった。他の話題を提起するか。
「あの三人、オーディンに戻るようだがどうなるかな?」
エーリッヒが首を横に振った。
「どうにもならないだろうな。……リヒテンラーデ公、グリューネワルト伯爵夫人、フロイライン・マリーンドルフ、あの三人はもう終わりだ。いずれオーディンでは血で血を洗う様な凄惨な政争が始まるだろう。あの三人はまず生き残れない」
「……」
どうにもならない、俺もそう思う、どうにもならないと。そして生き残れないと。
「あの三人が抱えている秘密は誰にも相談出来ない。公になればその瞬間から全てが崩壊する。伯爵夫人があそこで私を止めたのも私が全てを暴露すると恐れたからだろう。だが私は彼女が懺悔するのではないかと思った。そうなればとんでもない混乱になったはずだ。ローエングラム侯は自暴自棄になってこっちを攻撃する可能性も有った。震え上がったよ、もう駄目かと思った。心臓を鷲掴みされたかと思うほどの恐怖を感じた……」
なるほど、エーリッヒが崩れ落ちるほど疲労したのはそれの所為か。グリューネワルト伯爵夫人の制止は助けではなく恐怖だったか。
「あの三人は、いやオーベルシュタインを入れれば四人だが事が公表されれば彼らは終わりだ。だがローエングラム侯は彼らを切り捨てれば生き残る可能性は有る。しかし侯に伯爵夫人が切り捨てられるか……、難しいな。多分その時は苦しんでいる侯を見かねて伯爵夫人は自ら命を絶つだろう」
エーリッヒの言葉に皆が頷いた。
「だがそうなればローエングラム侯とジークフリード・キルヒアイスは帝国の覇権を得るためではなく復讐のためにだけに生きる事を選ぶ筈だ。復讐鬼の誕生だよ、ウンザリだな……」
エーリッヒが溜息を吐いた。
帝国暦 488年 8月 25日 アルテナ星域 ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド エルネスト・メックリンガー
ガイエスブルク要塞を目前にしてヴァレンシュタイン提督から人質の解放が伝えられた。そして小型の連絡艇で受け取りに来て欲しいと。私と副官のザイフェルト中尉、他に五名の兵を連れてスクルドに向かった。スクルドからは中に入るのは私だけにして欲しいと連絡が有った。
ザイフェルト中尉を始め皆が危険だと言ったが宥めてスクルドには一人で向かった。出迎えはフェルナー少将と数人の兵士だけだった。リヒテンラーデ侯達人質は居ない。はて、騙されたか?
「フェルナー少将、人質は?」
幾分声がきつくなったかもしれない。それに気付いたのだろう、少将は苦笑を浮かべながら兵達に人質を連れてくるようにと命じた。兵達の姿が見えなくなるとフェルナー少将が近寄ってきた。そして“これを”と言って掌を差し出す。掌にはチップが乗っていた。
「これは?」
掌を見ながら訊ねた。簡単には受け取れない、危険だ。
「真実」
「真実?」
フェルナー少将が頷く。
「謀略では有りません。いや謀略と取られても仕方がない。しかし知らなければさらに危険です」
「……」
已むを得ず受け取ったが後悔と後ろめたさが胸に押し寄せてきた。
「あの三人にはそれの存在を知られないようにしてください」
「あの三人……」
リヒテンラーデ侯、グリューネワルト伯爵夫人、マリーンドルフ伯爵令嬢の三人か、あの三人が絡んでいる?
「それとローエングラム侯とオーベルシュタイン総参謀長にもです。危険です」
思わず掌の上のチップを見た。人払いをしてまで渡した事を秘匿しようとしている。禍々しい瘴気を漂わせているように見えた。フェルナー少将に“早くしまって下さい”と言われて慌ててポケットに入れた。少将は緊張している、かなりの代物のようだ。
「メックリンガー提督はクレメンツ提督と士官学校で同期生だったそうですね」
「そうだが……」
「四回生の頃から髭を生やし始めたと聞きましたが」
何の話だ? 今更……。通路に人質を連れた兵士たちの姿が見えた。なるほど、当たり障りのない会話をしていた、そういう事か。
「そうだな、確かその頃からだろう」
「クレメンツ提督が閣下の事を若い頃から身嗜みが良かった、お洒落だったと言っておられました」
「残念だが男からの評価が高くても余り意味が無い。肝心のご婦人達からの評価は低くてね、まだ独身だ」
軽く笑い声を上げるとフェルナー少将も釣られた様に笑い声を上げた。
人質が引き渡された。三人とも顔色が良くない、そして憔悴している。チップの事を思い出した。あれが関係しているのだろうか? 何が記録されているのだ?
「間違い有りませんか?」
「確かに、人質は解放して貰った」
「では、お気を付けて」
「うむ」
互いに礼を交わしてスクルドを後にした。“お気を付けて”か……。意味有り気に聞こえたのは気の所為だろうか?
帝国暦 488年 8月 26日 ガイエスブルク要塞 アントン・フェルナー
ガイエスブルク要塞が爆発した。実際に爆発したわけでは無いが爆発したとしか言い様のない騒ぎに包まれている。皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世を擁した事、ローエングラム侯を完膚なきまでに論破した事、そして大量の補給物資。誰もが頭のネジが二、三本吹っ飛んだんじゃないかと思うくらいに弾け飛んだ。
貴族達はエーリッヒを褒め称え、いや崇め奉った。“糾弾者ミュンツァーの再来”、“帝国の守護者”、“古今無双の名将”、“帝国の勝利の剣”、美辞麗句の嵐だ。いい気なもんだ、エーリッヒの苦労を知っている俺にはとてもじゃないがそんな事は言えない。
ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は新無憂宮を砲撃した事を驚いていた。“余り無茶をするな”、“公に心配をかけるな”、二人の言葉にエーリッヒは素直に頭を下げた。二人は満足そうだったけど俺は騙されない。必要と判断すればエーリッヒはまた無茶をする筈だ。なんで年長者は簡単に騙されるんだろう? 謎だ……。
皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世をブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人に預けるとメルカッツ総司令官の元で作戦会議だ。エルウィン・ヨーゼフ二世はエーリッヒと離れるのを嫌がったが“大人しくしていろ”と言われると素直に従った。御婦人方が眼を丸くしていた。
今回の作戦会議は参加者が多かった。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、メルカッツ総司令官、オフレッサー上級大将、エーリッヒ、クレメンツ提督、ファーレンハイト提督、リューネブルク中将、アンスバッハ少将、シュトライト少将、ザッカート少将。
「作戦会議を行う前に見て頂きたいものが有ります」
「……」
「今回の作戦において判明した事実です。今後の戦局にも影響する事は間違いありません」
空気が重いな、俺が話しても誰も何も言わない。黙って聞いているだけだ。内心気圧される物が有ったがエーリッヒとリヒテンラーデ公達の遣り取りを再生した。
映像が流れる。誰一人身動きしない、黙って見ている。
“……しかしその大部分が公文書を貰っていない”。
“……ローエングラム侯の姉君は先帝陛下、フリードリヒ四世を……”。
“……暗殺にはリヒテンラーデ公にも責任が……”。
“ローエングラム侯排斥、その情報はリヒテンラーデ公の所から……”。
“先帝陛下の御恩情を忘れたか! この不忠者が!”
映像が終ると彼方此方から溜息が聞こえた。
「陛下が、いや先帝陛下が暗殺された可能性が有るとはブラウンシュバイク公から聞いていたが……、それにしてもとんでもないシロモノだな、これは。公になればローエングラム侯だけではない、リヒテンラーデ公もお終いだ」
リッテンハイム侯の嘆息に皆が頷いた。マリーンドルフ伯爵家は眼中にないか。
「素直には認めまい、捏造だと否定する筈だ」
「だが影響は出る、抜ける人間も出ると思うが」
ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の言葉、それぞれに皆が頷いた。
「ヴァレンシュタイン提督、卿は如何思うのかな? 今後の予定ではリッテンハイム侯が辺境星域奪還軍を起こす事になっているが」
メルカッツ総司令官の言葉に皆の視線がエーリッヒに向かった。
「ローエングラム侯は先日、焦土作戦の真実を暴露され政治的に窮地に立っています。おそらくはこの戦争は権力闘争では無く階級闘争だと言い自分が平民、下級貴族の味方だと言って周囲の動揺を抑えようとするでしょう。焦土作戦は力を付けるために必要だったと言って」
「ずいぶん時間がかかっているな」
クレメンツ提督の言葉にエーリッヒが苦笑を浮かべた。
「人質が心配なのですよ。返還前にやればこちらが人質を返さない可能性が有ると考えた。だから沈黙していた。しかし返還は無事終了しました。そろそろローエングラム侯の声明が出ると思います」
「ではここでもう一度ダメージを与えるか?」
「いえ、総司令官閣下。今回は毒として浸透させたいと思います」
毒、という言葉に皆が顔を見合わせた。
「既にローエングラム侯の部下の一人にそれを渡しました。少しずつ密かに広げていく。ローエングラム侯が気付いた時はどうにもならない程に浸透させていく。リヒテンラーデ公の周辺とマリーンドルフ伯の周辺にも毒を埋め込みたいと思います」
ヒヤリとするほど冷たく聞こえた。“どんな非情な策であろうと勝つためには使う。卑怯卑劣と罵られようともやる”。口だけじゃない、本気でやろうとしている。
「シュトライト、任せて良いか?」
「はっ」
「そして予定通り、リッテンハイム侯の軍を使って辺境星域の奪還を目指します。エルウィン・ヨーゼフ二世陛下を奪いました。向こうはブラウンシュバイク公が手中に収めたと見る筈です。リッテンハイム侯はそれに反発して辺境星域奪還に向かったと思うでしょう」
リッテンハイム侯が笑い声を上げた。
「なるほどな、陛下を攫ったのはそれが目的か。となればブラウンシュバイク公から私に援軍が出るとは思わぬだろう」
リッテンハイム侯の言葉に皆が笑顔で頷いた。エーリッヒだけが頷かない、笑みを見せない。
「ローエングラム侯の軍は補給に不安を抱えています。こちらは貴族達を使ってリッテンハイム侯に競り合うかのように攻撃を本格化させます。ローエングラム侯の目をこちらと辺境に集中させ補給の不安を煽る。そして何時か、オーディンの毒がローエングラム侯を襲う……」
エーリッヒがじっと俺を見た。“敵である事を惜しまれるよりも憎悪されるぐらいでなければ彼には勝てない……”。そう言っているように聞こえた。
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