薄暗い灰色の空とひんやりとした空気が漂う山の奥の奥。
雪に埋もれたバス停留所。時刻表には一日一回の運行しか記されておらず、それはここがどれだけ寂しい場所なのか物語っていた。
しかしそこに古びたバスが停まり、中から人が降りてきた。
「ずいぶん山奥まで来ましたね」
バスから降りた途端突き刺さるような冷気を肌で感じながら、新八は辺りを見渡した。
降り積もった雪で満たされた光景は、『銀色の世界』のように美しい……と言いたい難い。灰色の空や人気のない殺風景な景色のせいで、暗い陰湿な印象しか沸いてこない。
「バーさんの話じゃ知る人ぞ知る秘湯って話だからな」
続いて降りた銀時は外の寒さに震え、羽織っていた上着をより身体に寄せる。
お登勢の旧友が営む温泉旅館を紹介され、銀時たちは思わぬ冬休みを過ごすことになった。年明けはどこも予約一杯であり、そもそも旅行をするようなお金もない。
秘湯に入れておまけにお登勢の紹介だから格安の宿泊費。貧困な自分たちにとってこんなにおいしい話はない。せっかくのお登勢の好意を無駄にするわけにもいかないので、銀時たちは温泉旅館へ泊まることになった。
バスから降りるのは万事屋一行と銀時の妹・双葉、新八の姉・お妙、そして――
「いや~悪いね。俺まで連いて来ちゃって」
マダオこと長谷川泰三。
トレードマークにして唯一の取り柄であるグラサンをかけた彼は、銀時たちに申し訳なさそうに言った。だがその愛想は表情と口調だけで遠慮の気持ちなど皆無に等しい。
モンハン事件以来姿を見せなくなったが、やっと立ち直ったらしく数週間前『スナックお登勢』に久しぶりに顔を出した。その時偶然お登勢が銀時たちに旅行の話をもちかけている中に居合わせ、彼も参加することになったのだ。
「気にしなくていいですよ。旅行は大勢で行った方が楽しいっていいますからね」
「やっぱりそうだよな。にしても旅行なんてハツとの
新婚旅行以来だ。思い出すなぁ。……やべなんか前が見えなくなってきた」
かつては幕府の入国管理局局長。だが万事屋と出会ってしまったことでその後は負け組に転落。もう戻れない全盛期を思い出したのか、長谷川は哀愁漂う言葉をもらす。さらに目元には涙がたまり感慨にふけってしまっている。
だがそのことなど全く気にしない女性が、手にしていた荷物を長谷川に突き出した。
「荷物運びに適任だ。これ頼んだぞ」
双葉は無表情に告げ、自分の荷物を長谷川に無理矢理持たせ先を歩いて行く。
それに続いて神楽たちも長谷川に自分の荷物を押しつけ始めた。
「なら私のもよろしくネ」
「長谷川さんって優しいですね」
「じゃ俺のも」
「僕のもお願いします」
「え?ちょ、ちょっと待って。重ッ!!」
断る暇もなく長谷川の視界は一気に銀時たちの荷物で埋まった。
「アレ、なんかホントに前が見えなくなった。重すぎて前が見えないんだけど」
困り果てる長谷川を置いて、銀時たちは目的地の旅館を探し始めた。
周囲に人はおらず、頼りになるのはお登勢から渡された簡易な地図だけ。少々不安だったが、その建物は案外すぐ見つかった。
「………」
無数の漆黒のカラスが空を飛び交い、渇いた鳴き声が響き渡る。
瓦や柱は雪で半分押し潰され、今にも全壊しそうな廃屋が山の中に建っていた。
『仙望郷』と看板があるのでここで間違いない。ただ年月の経過のせいか、字はおどろおどろしく血文字のように滲み、湯につかる老人は全身から血を噴き出しているようにも見える。とてもグロテスクな看板である。
「マジかい。このボロ旅館に泊まんの俺たち?つーかここホントに営業してんの?人の気配がねーぞ」
「かつては営業してたんだろ、立派な旅館として。湯につかったまま極楽へ行けるほどにな」
「おいおい冗談じゃねーぞ。それってこの世の終着駅じゃねぇか。極楽っつーより地獄に行きそうだぞ、この旅館」
妹の皮肉めいた発言を聞いてる間に、神楽とお妙は旅館の人間を探しに行った。
ここで愚痴をこぼしているよりはマシだが、正直ここに人がいるとは思えない。
仮にいたとしてもそれは――
「オイオイオイ勘弁してくれよ。こんなもん完全に妖怪の住まいじゃねーか。気味悪ィって。なんでこんなたくさんカラス飛んでんだ」
実をいうと銀時はここに来るまで胸騒ぎを感じていた。
一ヶ月分でも滞納すれば「家賃払え」と毎日押しかけ、他に不満なことがあればネチネチとケチをつけまくるあのお登勢が、タダ同然の温泉旅館を紹介した。妙に思っていたが、その旅館は見ての通りオンボロ。とても人が寝泊まりできると思えない。
嫌な予感が当たったか、と不気味な雰囲気に包まれた温泉旅館を前に銀時は舌打ちした。
「おーい酷いよ。オジサン体力ないんだからさぁ」
銀時たちの荷物を背負った長谷川がようやく到着した。
「帰りも頼んだぞ」
「オジサンの話聞いてる?」
頷いて即答する双葉。敬いも遠慮も全くないその様に、長谷川はまたも視界がぼやけてくる。
「あぁ長谷川さん。アンタ来ない方がよかったよ」
「何言ってんだ。ところで旅館どこ?はやくこの薄情な重みから逃れたいんだけど」
「僕たちもこの現実から逃れたいです」
「現実逃避したって無駄さ。ありゃ余計心が折れるだけだ」
長谷川の頭の中にモンハンで『M』が抹消された出来事が蘇る。
あまり思い出したくないが、傷が深ければ深いほど忘れられないものはない。
一人悲しみに暮れる長谷川。銀時たちもその事を察したが、今はこの山に漂う淀んだ空気の方が気になって仕方がなかった。
「変だな。廃墟しかなくね。……なんか感じる廃墟だな」
「長谷川さんも……ですか……。なんか僕も……」
「『僕も』なんだよ。何言ってんの」
「別に霊感とか全然ないけど、ココ…なんか…アレなんですけど」
「アレだな…」
「……アレってなんだよ」
「ハハハ。俺向こうで煙草吸ってくるよ」
そうして荷物を背負ったまま長谷川は銀時たちから少し離れた所で一服し始めた。
二人の重い空気に押され銀時の額から嫌な汗が流れる。
「な、な、なんだよ長谷川さんまで……。ちょっとやめてくんない。頼むからやめてくんない」
「いや別に……」
表情を曇らせる新八につられて、銀時も不安になり始める。
しかしその時崖下に人影を発見した。
だが何度呼んでも反応がない。
おかしいと思って目を凝らしてよく見ると、その人物が歩く雪の上に足跡がついてなかった。
しかもかるく半透明の身体。それはこの世とあの世の境目をさ迷う徘徊者――まさしく『幽霊』だ。
「銀さん、あの人半透明ですよ。まさかあの人って……」
「今時なゴミ袋だって半透明の時代だよ!いるよ、半透明な人ぐらい!!」
だが銀時は動揺しまくって強引な理由をつけて否定するだけ。
新八はその態度に呆れながら、さっき見かけた半透明の『人間』に恐怖を感じていた。
もしあれが正真正銘の幽霊だとしたら、この旅館は―
「銀ちゃん、いたいた女将」
そうこうしているうちに神楽とお妙が戻ってきた。それに気づいた長谷川は煙草を片づけて、双葉も銀時の元へ集まる。
廃墟じゃなくただのオンボロ旅館だった。そう新八が安心していると、お登勢と同じくらいシワのあるパンチパーマの小柄な老婆が銀時たちを出迎えた。
「どうも当旅館の女将・お岩ですぅ」
歪んだ物体を背中に乗せて。
女将の背後にとり憑く半透明に歪んだ物体。黒く淀んだ瞳で銀時たちを覗いている。
それは明らかに『幽霊』と呼べるものだった。
その不気味な物体を目にすればまず悲鳴を上げる。だが神楽とお妙と長谷川は平然としている。気づいていないというより、見えていないようだった。
同じくリアクションがないところからすると、双葉も見えていないらしい。
つまり女将にとり憑いている霊が見えるのは銀時と新八だけ。
((この温泉旅館。かなりヤバイ所なんじゃ……))
銀時と新八は人知れず恐怖を感じながら、温泉旅館『仙望郷』へ足を踏み入れた。
=つづく=