IF物語 ベルセルク編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第三話 効率
~ノルン:北欧神話に登場する運命の女神。複数形はノルニル。その数は非常に多数とも言われ、アールヴ族や、アース神族、ドヴェルグ族の者もいる。しかし通常は巨人族の三姉妹である長女ウルズ、次女ヴェルザンディ、三女スクルドの事のみを意味する場合が多い。彼女ら三人の登場によりアースガルズの黄金の時代は終わりを告げたとされている。~
帝国暦 488年 4月 20日 アルテナ星域 ビッテンフェルト艦隊旗艦ケーニヒス・ティーゲル リヒャルト・オイゲン
『後背からシュターデンに攻撃をかけた直後に側面からヴァレンシュタインの攻撃を受けたらしい。その一撃がベイオウルフに命中した。かなりの衝撃だったようだ、ミッターマイヤーは指揮官席から放り出されその時の衝撃で負傷、人事不省になった』
スクリーンから溜息が聞こえてきた。ケーニヒス・ティーゲルのスクリーンには艦隊司令官達の姿が有った。
『無事なのか、ロイエンタール提督』
『無事だ。命に別状はない。だが酷い怪我をしている。肋骨が何本か折れているし腕も骨折した。頭も強く打ったようだ。首の骨が折れなかったのは幸いだった。だが当分はギブスが必要だろう、それほどの衝撃だった。医師は暫くは絶対安静が必要だと言っている』
問い掛けたケンプ提督は複雑な表情だ。助かったとは言っても当分は絶対安静が必要とは……。正規軍は有力な指揮官を失った。
『しかし、それでは艦隊はまともな防戦など出来なかっただろう』
メックリンガー提督の言葉にロイエンタール提督が頷いた。いつもは何処か不敵、昂然に見えるロイエンタール提督が意気消沈といって良い表情だ。余程に衝撃を受けたらしい。ビッテンフェルト提督は腕組みをしたまま無言で提督達の遣り取りを聞いている。
『負傷の直後、軍医にミッターマイヤーを診察させていた時に敵艦隊から通信が入ったそうだ。“ウォルフガング・ミッターマイヤー提督戦死”とな』
スクリーンから呻き声が聞こえた。一つではない、複数だ。皆が顔を強張らせている。
『その瞬間から艦隊は恐慌状態になった。ミッターマイヤーの姿を見せられなければ声も聞かせられん。どうにもならなかったと参謀長のディッケルは言っている』
溜息が出そうになって慌てて堪えた。
『前と横はヴァレンシュタイン、後ろは機雷源。後退して隊形を整える事は出来ん。兵力は敵の約七割、押し返すことも出来ん。不意を突かれて何も出来ず一方的に叩かれたそうだ。そうしているうちにベイオウルフが危なくなった。ディッケルはミッターマイヤーを守って艦から艦へと移乗した。指揮など執れんし執る暇も無くなった』
『……』
ぼそぼそと抑揚が無かった。本当にロイエンタール提督が話しているのだろうか、そんな事を思った。
『良くやったよ、ディッケルは。俺が駆け付けた時、最終的に生き残った艦はボロボロになった五百隻程だった。ディッケルが移乗先を間違えればミッターマイヤーは死んでいただろう。降伏を受け入れず味方の来援を信じてミッターマイヤーを守った。俺には奴を労わる事しか出来なかった。来援が遅れた事を詫びミッターマイヤーを守ってくれた事に礼を言う事しか出来なかった……』
『緊張が切れてしまったのだろうな。ディッケルは泣き出してしまった、余りの惨めさ、悔しさ、いや或いは安堵からかもしれん。人目も憚らずに肩を震わせて泣いていた……』
ロイエンタール提督が首を振っている。また溜息が聞こえた。思わず目を閉じた。本当に現実なのか、これは。
『……ディッケル中将は良く降伏しなかったな』
ケスラー提督が問い掛けた。
『コルプトの件が有るからな。降伏すればミッターマイヤーの身に何が起きるか、それを思うと降伏は出来なかったとディッケルが言っていた』
コルプト大尉の一件か。確かにそうだ、ミッターマイヤー提督が降伏すれば何が起きたか……。
『ローエングラム侯は何と?』
『ミュラー提督、俺が報告した時ローエングラム侯は呆然としていた。最初は何が起きたのか分からなかったのだと思う。だが直ぐに“おのれ、ヴァレンシュタイン”と言って宙を睨んだ。鬼気迫る表情だった』
ミュラー提督が視線を伏せた。親友が僚友を大敗北に追い込んだ。何とも遣る瀬無い気持ちだろう。皆も困ったような表情をしている。
『それにしても恐るべき相手だ』
場の雰囲気を変えようと言うのだろうか、メックリンガー提督がヴァレンシュタイン大将を評した。
『ああ、戦闘中に通信で心理戦を仕掛けてくるとは……』
ケンプ提督の言葉にメックリンガー提督が首を横に振った。
『それだけではない、ケンプ提督、それだけではない。この一戦、ヴァレンシュタイン提督は全てを見切って攻撃をかけている。シュターデン大将の動きもそれに対応するミッターマイヤー提督の動きも完璧に見切った。そうとしか思えん』
『……』
提督達が顔を見合わせている。しかし反論は無かった。同じような事を考えていたのだろう。自分もそう思う、しかしそんな事が現実に可能なのだろうか?
『それにヴァレンシュタイン提督はミッターマイヤー提督を確実に斃す為にシュターデン大将を見殺しにした、いや餌として利用したようだ。ミッターマイヤー提督が死なずに済んだのは奇跡に近いだろう。恐ろしい相手だ、或いはヤン・ウェンリーを凌ぐかもしれん』
誰かが溜息を吐いた。その音がやたらと大きく響いた。
通信が終るとビッテンフェルト提督が溜息を吐いた。
「遣りきれんな、ミッターマイヤー提督も辛いだろう」
「……」
「俺もアムリッツアでは旗艦以下数隻にまで撃ち減らされた。部下を無意味に大勢死なせてしまった。あの惨めさ、苦しさは……、言葉では表せん」
余程に苦しかったのだろう、普段の提督からは想像もつかない程暗い表情で首を振っている。
「ですがミッターマイヤー提督は戦闘直後に人事不省に……」
「だから責任が無いとでも? そんな事でミッターマイヤー提督が自分を欺けるとでも思うのか? 百万人以上の将兵が死んだのだ。ドロイゼン、バイエルライン達分艦隊司令官も皆死んだのだぞ」
「……申し訳ありません、思慮の無い事を言いました」
確かにそうだ。ミッターマイヤー提督なら自分を許せないだろう。自分は何を言っているのか。
「俺は動けたからな。苦しくてどうにもならん時には無理矢理身体を苛めて疲れ切って眠る事が出来たが絶対安静では只々苦しみ続けるしかあるまい。辛い事だ……」
我々の前ではいつも変わらぬ豪放磊落な提督だった。提督がそんな苦労をしていたとは……、知らなかった……。
「雪辱の機会が有れば良いが」
雪辱の機会? ヴァレンシュタインとの再戦という事か。
「その希望が有るだけでも違うのだがな」
そうか、提督はヤン・ウェンリーと……。提督には希望が有る、だがミッターマイヤー提督は……。溜息が出そうになった。
帝国暦 488年 4月 20日 アルテナ星域 ヴァレンシュタイン艦隊旗艦スクルド アントン・フェルナー
艦橋に一歩足を入れるとそこは他の場所とは別世界かと思う程静かだった。強敵を相手に大勝利を収めた興奮は何処にもない。理由はエーリッヒだ。指揮官席に座るエーリッヒは何かを考え思い悩んでいる。時折溜息も吐いているようだ。その姿を見て部下達は騒ぐのを控えている。ビスク・ドールが悩んでいる、部下達にとっては天変地異の前触れだろう。部下を不安にさせるとは、指揮官失格だな。
「困ったものだな、フェルナー参謀長」
「全くですよ、リューネブルク中将。一体何を悩んでいるのか」
お互い苦笑しか出ない。二人でエーリッヒに近付くと後五メートル程の距離で柔らかく押し返してくるものが有った。遮音力場? リューネブルク中将も気付いたようだ、訝しげな表情をしている。エーリッヒがこれを使う事は殆ど無い。構わず中に入ったが気付く様子も無い、心ここに有らずだな。
「いけませんな、提督。大勝利を収め皆が喜んでいるのに提督だけが思い悩んでいる。兵達は皆提督を心配していますよ」
リューネブルク中将に言葉にエーリッヒがチラッと周囲を見た。心配そうに見ていた部下達が慌てて視線を逸らす。エーリッヒが軽く溜息を吐いた。
「何を悩んでいるんだ? 完勝出来なかった事か?」
エーリッヒが首を横に振った。そうだろうな、そんな事で思い悩むような奴じゃない。
「じゃあシュターデンの事か? 利用した事を悔やんでいるとか」
「まさか、狙い通りで大喜びだ」
肩を竦めてあっさり答えた、詰まらない事を聞くな、そんな口調だ。犠牲が多くて悩んでいるのかと思ったが……。
「内戦というのは嫌だね。知っている人間と殺し合いをする事になる。おまけに殺したくない人間ばかり向こうにいる。ウンザリだよ」
エーリッヒは心底嫌そうな顔をしている。なるほどな、そういう事か……。リューネブルク中将が肩を竦めた。
「ミッターマイヤー提督は無事ですよ、提督。重傷を負ったようですが無事だと政府軍が通信しているのをスクルドのオペレータが傍受しています」
「……」
本当かと言う様に俺に視線を向けてきた。
「リューネブルク中将の言う通りだ。遮音力場なんて使っているから分からないんだ。一時間も前に分かった事だぞ」
「……そうか、無事だったか。姿も見せなければ声も聞こえない、もしやと思っていたが……、無事だったか……」
ほっとしたような表情をしている。リューネブルク中将と顔を見合わせた。また中将が肩を竦めた。おかしそうな表情をしている。
戦闘中は冷酷なまでに殺そうとしていたのに終わってからは心配の余り塞ぎ込んでいる。全く、困った奴だ。
「シュターデン大将の艦隊だがヒルデスハイム伯達の別働隊は全滅した。本隊は二千隻程の損害を出している」
「シュターデン大将は今何処に?」
「レンテンベルク要塞に向っている。戦闘中に負傷した。かなりの重傷で要塞で治療をするようだ。当分動けないだろう」
リューネブルク中将が“今日二番目に良いニュースですな”と言って笑った。酷い事を言うと思ったが俺も笑ってしまった。エーリッヒだけが笑わない。付き合いが悪いな。
「結局こっちは一万隻失った、向こうは一万三千隻。1対1.3か、効率は良くないな」
「そんな事はない、効率良く殺しているさ」
皮肉か? エーリッヒは冷笑を浮かべている。リューネブルク中将も困惑している。中将も真意が掴めないのだろう。
「冗談だよな」
「本気で思っている。敵も味方も効率良く殺している」
エーリッヒが低く笑い声を立てた。拙いな、こいつがこういう笑い方をする時は大体碌な事が無い。一体何を言い出す気だ、リューネブルク中将も引き攣っているぞ。
「もし、貴族連合軍が内乱に勝利を収めたらどうなると思う?」
内乱に勝ったら? 考えた事が無かったな、リューネブルク中将と顔を見合わせた。中将は困惑を浮かべている。多分俺と同じで考えた事は無かっただろう。
「貴族共が今まで以上にやりたい放題やりだすだろうな。この世の終わりだ、ウンザリだよ」
おいおい、まさか……。顔が引き攣った。エーリッヒが俺を見て声を上げて笑った。
「分かったか。万一貴族連合軍が勝つ事になっても戦後処理に困らないようにしないとね。あの阿呆共は叩き潰す。まあ叩き潰すのはローエングラム侯だけど。こっちはそれに協力するだけだ」
「それがつまり餌ですか」
リューネブルク中将に言葉にエーリッヒが頷いた。とんでもない事を考える奴だ。
「帝国貴族四千家、餌には不自由しない。効率良く餌を蒔いて正規軍を釣り上げる。実際そういう戦い方しか出来ない。あの連中と正面から戦っても勝つのは難しいし長引けばジリ貧になりかねない。なにより貴族共が暴走して滅茶苦茶になりかねない。利用しながら潰していくしかない」
だから餌として利用して帝国軍の指揮官を釣り上げるか。餌の第一号がシュターデンとヒルデスハイム伯。釣り上げたのはミッターマイヤー大将……。なるほど、効率が良い、いや良すぎるな。遮音力場を使っていて良かった。こんな話、兵達には聞かせられない。
「レンテンベルク要塞に立ち寄りシュターデン大将をこの艦に収容する。アントン、準備をしてくれ」
「本気か?」
「本気だ。直ぐにローエングラム侯が来る。怒り狂っているだろうからね、早めに収容しないと酷い事になる」
「……」
おやおや、シュターデンを心配しているのか? さっきまではシュターデンなどどうでもいい様な口振りだったが。エーリッヒが俺を見た、視線がきつい。
「勘違いするな、シュターデンなどどうでもいい。だが彼の率いる艦隊は未だ六千隻程有る。それをガイエスブルクに撤退させろと言っている。シュターデンを収容しなければ彼らは撤退出来ない。このままだと無意味に失う事になるぞ」
「なるほど、狙いは艦隊か」
「そうだ、シュターデン大将はおまけだ」
リューネブルク中将が“酷い話ですな、シュターデン大将はおまけですか”と言って笑い声を上げた。兵達が談笑する俺達を見ている。兵達に笑顔が有る、エーリッヒが元気を取り戻したと見て安心しているのだろう。遮音力場を使っていて本当に良かった……。
「レンテンベルク要塞には艦隊が配備されているが連中は如何する?」
問い掛けるとエーリッヒが顔を顰めた。
「レンテンベルク要塞は難攻不落とは言い難い代物だ。本当は全部ガイエスブルクに引き揚げさせた方が良いんだが……」
「難しいでしょうな、あそこにはオフレッサーが居ます」
リューネブルク中将の指摘にエーリッヒが大きく息を吐いた。なんだってあの野蛮人、あんなところに籠っているのか。死ぬ気か?
「それに撤退が間に合うかという問題も有る。一つ間違うと追い付かれてローエングラム侯の追撃を受けかねない」
「有り得るな、今頃は頭から湯気を立ててこっちに向かっているかもしれない」
エーリッヒが“卿は嫌な事ばかり言うな”と文句を言ってきた。ローエングラム侯が怒っているのは事実だろう。それにいずれはこっちに向かってくる、これも事実だ。現実逃避は良くないぞ。
「已むを得ないな、確実に出来る事をしよう。シュターデン大将の収容と残存艦隊の撤退、これを優先させてくれ。後は向こうの判断に任せよう」
「分かった。ところでエーリッヒ、頼みが有る」
「何だ?」
「シュターデン大将を収容したら」
「したら?」
鼻がヒクヒクする。いかん、ここは笑うところじゃない。もう少し耐えるんだ。
「傷心のシュターデン大将を見舞ってくれ」
「……」
「教え子に見舞って貰ったら喜ぶぞ」
リューネブルク中将が吹き出した。俺は急いで遮音力場の外に逃げ出した。何にも聞こえない、後ろは振り返るな、仕事をするんだ。先ずはレンテンベルク要塞に連絡だ。それと病室の手配だな……。
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