青い春を生きる君たちへ
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第十三話 同居人
走れメロスって、太宰治の小説を知っているかい?友人の為に自ら死地に赴かんとするメロスと、メロスが死にに帰ってくるのを信じて、死刑の保証人とでも言おうか、代わりに死刑台に繋がれてあげたセリヌンティウスの、美しい友情譚だ。教科書にも載っていたっけか?とにかく、良い話だって言われてる小説だよ。
でもね、あの小説は少し、不思議な点があるんだ。まず、メロスとセリヌンティウスとの関係さ。親友という事になっていながら、メロスとセリヌンティウスは二年ぶりに会った事になってる。話の展開上、大親友のように思われがちだけど、大親友が二年も会うこともなく離れ離れでいると思うかい?市には、買い物に立ち寄ったりしてるのにねぇ。
もう一つ、王城とメロスの故郷の村との距離だ。たったの十里、約40キロなんだよ。しかも、与えられてる時間は3日だ。人の平均歩行速度が4キロなんだから、ずっと普通に歩いてたって、トータル20時間で着くんだ。3日は72時間だから、妹の結婚式の時間を考慮しても、そこまで絶望的にタイトなスケジュールという訳でも無いんだよ。だからこそ、様々な障害があっても時間通りにゴールインできたのかもしれないけど、メロスは本当にヤバくなるまで、果たして本当に走っていたのだろうか?急いでいたのだろうか?
最後は、終盤での「間に合う、間に合わぬは問題では無いのだ」という、メロスのセリフだ。本当にセリヌンティウスを助けたいなら、間に合うかどうかこそが一番の問題だ。そこにしか焦点は無いと言ってもいい。でも、メロスはそんな事はどうでもいいと言ってるんだ。友の為に頑張る、そういう物語のテーマを覆しかねない台詞だろう?メロスの言った、「もっと恐ろしく大きいもの」とは、一体何だったのだろうね?
以上の事を踏まえて、俺は思うんだ。あの話は、男同士の壮絶で滑稽な、意地の張り合いだったのだと。大して仲良くも無かったのに、メロスに親友として引き出されたセリヌンティウスは、「いやいや、こんな奴なんて俺知らねえよ」とは言えなかったんだ。ダサいからね。見ようによったら、死刑の場に引き出される事を恐れて、友人関係を無かった事にしたと、見えない事もない。そう見られたら、名誉が傷ついてしまう。だから、大して仲良くもないメロスの究極のお願いを、平気な振りして聞かざるを得なかった。
メロスもメロスで、恐らく、友の為に、燃える思いで王城に戻ろうなどとは思ってなかったんだ。殺されるのは、嫌だからね。ダラダラと、休み休み道を歩んでいたに違いない。でも、タイムリミットが近づくと、セリヌンティウスと大勢の人の前で約束した手前、どうにも逃げられない事に気付いて、そこでようやく走り出すんだ。「恐ろしく大きいもの」とは、世間からの目の事だったんだよ。その点、メロスは上手いことやっていたように思うよ。途中までダラダラしながら、最後だけは本気出す。見てる人は最初から最後まで本気で走っていたように思うから、例え間に合わなくっても、そこまでメロスを責めるまいね。その点で、もっと恐ろしく大きな、世間の目の為にこそメロスは走っていたし、間に合う間に合わないは、どうでも良かったんだ。
メロスもセリヌンティウスも、世間の目を気にして、「美しい友情物語」の虚構を作り上げるために、最後まで本音に反して、「友を信じている」と言い続けた。ダサい臆病者だと思われない為に、意地を張り続けたんだ。自分の命を賭けてね。いや、もはや"賭け"てもいないね。どちらかは必ず死ぬ事になっていたんだから。賭けにもなっていない。命を削っていたんだね。
壮絶だねえ。滑稽だねぇ。でも、俺はそうやって作り上げられた虚構を、美しいものだと思うんだ。たまらなく好きなんだよ。
どうせ、世の中みんなが虚構で、本当なんて、無いのなら。命と引き換えにしてでも、美しい虚構を創り上げた方が、クリエイティビティ豊かで、美しいじゃないか?
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「いってぇ……」
「久々に食ろたわ。ホンマ、誰かさんのせいでのぉ」
「1年がやられてない事を、何で俺らがやられなアカンねん。ホンマにやってられへんわ。甘すぎるっちゅうねん」
室内練習場から出てきた二年生達の、顔や体の節々を押さえながら歩いているその足取りは重く、その怒りの視線は未だ室内練習場に残されている1人の少年に向いていた。彼らにしてみれば、その少年の考えは理解できなかった。その身を以って甲洋野球部の掟を理解したはずなのに、その掟に従って行動しようとはしない、その少年の思想・信条というものは。
「なぁ、小倉よ」
室内練習場の端っこで、顔にいくつも青痣を作ったまま正座している小倉に、三年生の主将が歩み寄ってきた。リズムスクワットの繰り返しによって疲弊した両足は正座することによって既に感覚がなくなっていた。身体中に出来た打撲傷は熱を持って痛み、小倉の意識も、ぼうっと霞んできていた。
「……お前なぁ、なんでそこまでアレをやらん事に拘るんや?お前もされてきた事やがな。当然、俺もされてきた事やで。まぁ、ええ思い出とちゃうけど、それでも今の甲洋をアレが作ってきたんとちゃうん?」
「……非合理的だから、自分ではやらないだけです。殴られて上手くなった事はありませんから」
何も見ていないような視線を、正面に向けたままで小倉は答えた。主将はため息をつきながら、その視界に割り込むようにして小倉の前にあぐらをかいた。
「まぁなぁ。殴られた事で上手くなりはせなんだよ、うん。でもな、お前がいつもと違う事やるやんか。ほいたらな、全てのミスが、お前がやる事やっとらんせいやって、そうとられるんもしゃあないんと違う?理屈で考えて正しいとか、間違ってるとかやなくて、みんながお前のやり方に納得してへんねんて」
「…………」
「今日もイレギュラー出たやんか。ほんで、橋本は鼻の骨折ったねんぞ。あいつもう、夏出られるか分からへんわ。俺らはな、ボンボンのお前と違うて野球しかあらへんねん。野球で結果出さな、大学にも行かれんし就職もイマイチなボンクラばっかりやねん。野球に人生かかってるんや。そんな野球をな、1年の整備ミスに邪魔されたないんは分かるやろ?まぁ、ミスは出るもんやけど、少なくとも、ベスト尽くしたミスやないと納得できへんわ。その点、お前はベストを尽くして1年を指導したんか?」
「……シバく事がベストなんですか?」
「お前はそうは思わんかもしれんけど、みんなはそう思ってんねんて。それが一番効くと思ってんねん。1年の教育係なる、言うたんはお前やろ?みんなに、任されてるんやで?だったら、みんなのな、そういう希望にもちょっとは応えたらなアカンのとちゃうか?なぁ、頼むでホンマ」
理解があるような話し方をする主将の姿を、小倉は初めて見た。その目には呆れと、同情と、懇願の色があった。今は厳しい事ばかり言っている人だが、もしかしたら、自分が考えているような事を、この人も考えた時期があったのかもしれない。しかし、この人は結局、主将として、自分の中の正しさよりも、チームの民意の受け皿となる事を選んだのだ。自分の正しさは、一方で自分だけの正しさである。それを分かっていたのだろう。
小倉も、揺らいだ。ぼんやりとした意識の中で、ある決意が固まっていった。
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「……これ、どう?」
小倉がふと視線を上げると、高田が栄養ドリンクの瓶を片手で持ちながら、自分の前に立っていた。小倉は黙ってその瓶を受け取る。中身をグビグビと飲み干していく小倉の様子を、高田はジッと見下ろしていた。
「……最近、顔色が良くないんじゃない?」
「……かもしれないな」
「無茶はしちゃダメよ」
高田はそれだけ言い置いて、踵を返して自分の席に戻ろうとした。小倉は咄嗟に手を伸ばす。小倉の伸ばした手はまた、素早く振り向いた高田の身のこなしにかわされてしまった。初めて言葉を交わした時のように。
「何?」
「ありがとう」
一言、空になった瓶を見せながら言った小倉に、高田はまた背を向けた。
「どういたしまして」
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「……そう、それでね。また私達がアテにされた訳。何せ、公安も警察も日本赤軍の検挙に追われきりでね。本来ないことになっている事件のもみ消しになんて、走り回っていられないらしいのよ。その点、私達は誰の目を気にすることもない、幽霊達だから」
市ヶ谷の穴ぐらの一角、紅茶の香り漂うあの執務室。上戸は電話をかけていた。国内のどの電話会社の回線とも違う、彼ら"幽霊"同士の会話にしか使用されない、幽霊回線で。
《……という事は、増員も……》
「しないわよ。あなたに任せる。好きなように決着つけてちょうだい。あなた自身のやり方でね」
《わっ……私に、任せる、と……》
上戸は、妙に楽しそうだった。それとは逆に、電話の相手は言葉を詰まらせる。上戸には、受話器の向こうの彼女の、困り顔がありありと脳裏に浮かんでいた。その顔を想像すると、上戸は更に楽しくなってしまうのだった。
「ええ。とにかくね、丸く収めさない。ただそれだけよ。結果がそうなら、過程はどうしたって構わないわ」
《……そうやって、丸投げされると、かえって迷いが出てしまいます……まだ、未熟ですので……》
「迷いながら、決断していくのが人生じゃないの。とにかく、私からは具体的な指示は出す気は無いわよ。頑張ってちょうだいね」
上戸は電話を切った。デスクの上に置いていたティーカップに手を伸ばし、艶やかな唇でそっと啜る。電話中に少し冷めてしまったようだが、しかしまだ、冷たくはなっていなかった。上戸はふふん、と鼻で笑った。
(冷めてるようでいて、まだ温かさは残ってる。誰かさんみたいよね。この一件で、また熱くなるのか、それとも更に冷えていくのか、楽しみだわ)
上戸の浮かべた蠱惑的な笑みを見るものは、その部屋には居なかった。
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《やぁ!久しぶり!まだ俺は元気でやってるよ!謙之介はどう?》
「……お前みたいな奴とつるんでんのに、いつもと変わらず元気で居られる奴が居るとしたら、そいつ自身もお前みたいな犯罪者か、それとも死ぬほど鈍感かのどちらかしかない」
ため息混じりにパソコンの前に腰掛ける小倉の目元には、うっすらと隈ができていた。追われる身の田中と秘密裏に連絡をとっているという事実は、ただそれだけで神経をすり減らし、小倉の安眠を妨げていた。特にこの前の爆弾設置の件については、自分の知らないうちに何かヘマをこいていなかったか、明日にでも警察が自分の事をしょっぴきにやっては来ないか、後になって気になる事が多すぎる。サイレンの音が近くでする度に目が覚めてしまったり、警官が居る所を避けて通ったり、自分が何かしら罪を犯している自覚がある以上、それを追及される可能性は絶対に捨てきれないので、どうしても臆病になってしまう。小倉は、当の自分が追われる身であるはずの田中が、なぜこんなに元気な声を出せるのか不思議で仕方がなかった。やはり、普通ではないのだろう。自分などとは、違うのだ。
《謙之介は結構参ってるみたいだねえ。ま、リスクをキチンと理解しているという点では好感だな。リスクの存在をそもそも知覚する事なく、俺に従った所で、それは愚かだからこそ思い切れるだけの話だ。俺への信頼を試すには、リスクをしっかり分かった上で、俺に従うかどうかを問わないとねぇ。実験の条件はますます、整ってきていると言えるだろう》
「御託を並べるのはよせよ……次は何をやれってんだ……」
《もう。謙之介はせっかちだなぁ》
田中の呆れた声と共に、画面にメモ帳のウィンドウが開いた。しかし、これまでと違い、メモ帳中に書き込まれている文章の量は比較的少なかった。スクロールせずとも、全文を確認できた。
「拓洲会の本部事務所に、お前の使者として赴けと……?」
《そう。拓洲会は名前のイメージの通りヤクザでね。多分中共の敵偵処かCIAか、どっちかに雇われて俺を追っかけてる。警察と公安が身動きとれないんでね。今度は徳洲会からの追跡が盛んになってきてるんだ、公的機関が日本赤軍への対応に追われている隙を突いて、ね》
「……今度はヤクザ相手にしろっていうのか……」
小倉は少し声が震えた。交渉の使者。今度は、コソコソ監視の目をかいくぐるような真似ではなく、相手の前に堂々と姿を現さねばならない。それだけでも、今まで二つとは違う。これまでは、バレさえしなければ、一連の事件への関与も無かった事にできただろう。今度は自分の顔もバレる。完全に、事態の当事者となってしまう。田中は着実に、要求のレベルを上げてきている。自分を、より深く巻き込もうとしている。
《ああ、そうさ。ヤクザも俺を追ってはいるけど、あいつらは金目当てで行動してるだけだから、まだ交渉の余地が十分にあると踏んだんだ。どうせ、俺が国内から逃亡を図ろうとしたら、あいつらの助けも必要になるんだし、ここらで一つ話をつけておこうと思ってね》
「それは分かったが……しかし、今度は指示が少ないな。まず、拓洲会の本部事務所なんて俺は知らんぞ?ネットで検索してすぐ出てくるようなもんでもあるまいに……」
小倉の言う通り、今度の指示はかなり少ない。それこそ、拓洲会の本部に行け、としか書いていなかった。これまでは綿密に計画が練られていたり、細工が為されていたり、とにかく田中が完璧に敷いたレールを、小倉が走るかどうか、その一歩を踏み出すかどうか、という部分が"実験"の焦点だった。しかし、今回のものは、そもそもレールが存在していなかった。
《あぁ、それはね。その程度の事なら、謙之介個人でもできるだろって踏んだからなんだ》
「はぁ?」
《謙之介なら、必ず拓洲会の本部まで辿り着く。それを為すための機会もあるし、その機会に気づける頭もある。俺はそう判断したんだ。だから細かく指示は出してない》
「ちょっ……ちょっと待て。俺は別にヤクザの方面に顔が効いたりしないぞ?俺は善良に生きてきた一市民なんだ。期待する方がおかしい、その見立ては間違ってるだろ」
《じゃあ、ヒントをあげようか。210号室の同居人》
田中からそれを聞いた時、小倉は一瞬で身が粟立った。なぜ?田中はどうしてその事を知っている?自分自身でさえも、その事実は忘れかけていたというのに。いや、もしかしたら、積極的に忘れようとしていたかもしれない。田中の能力には、"実験"の一回目から驚かされているが、まさかその力が、こんな所にまで及んでいるとは……
《分かった?分かったよね?じゃ、"愛の実験"三回目のミッションは、拓洲会本部に行くこと、たったそれだけという事で。それだけやってくれれば、後は何とかなるよ。今度は少し、リスクは上がるね。だけど、俺の計画通りに進めば、必ず謙之介は無事に帰ってこられる。それは間違いがないし、これまで2回も、そうだっただろ?信じるか、信じないかは謙之介の自由だが……俺を信じて、行動してくれる事を期待しているよ》
田中とのホットラインは切れた。静かになった部屋に1人残された小倉は、ポケットから自分のスマホを取り出す。小倉が操作を進めると、アドレス帳のアプリには、数少ない連絡先の一つの、ある番号が表示された。小倉は発信のボタンをタップする。程なくして、スマホのスピーカーからは、トゥルル……という発信音が流れ始めた。
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《おーす!どしたん小倉、急にかけてきてよォ!》
電話に出た相手は、少し枯れ気味の声ながら、元気に自分の名前を呼んだ。小倉は、その声に、かつての友人の人となりを唐突に思い出した。大柄な身体つき、厳つい顔をしているが、しかし鈍足でノロく、仕草は妙に可愛い所があり、手癖の悪い連中も多かったあの学校の中では、まだ一本筋を通している所もあった。
彼の名前は町田一正。甲洋野球部野球部寮210号室に、小倉と一緒に住んでいた、
関西のヤクザの息子である。
後書き
あけましておめでとうございます。暗く暗く話を進めていきたい所なのに、帰省で手厚い待遇を受けて家族の温かさに触れる度に尖った感性が丸くなっていっちゃって困りますね!
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