イリス ~罪火に朽ちる花と虹~
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
Interview10 イリス――共食いの名
「その子はミラだ!」
幼女は一軒の家に入った。ルドガーたちもその家の前に駆けつける。
「僕の、家……? 何で」
その家は小さな病院らしき設えで、看板には「マティス治療院」と書いてある。
「ジュードはあの子に心当たりないのか?」
「ない、はずなんだけど。さっきから妙に、どこかで見たような……」
ジュードの語尾に被せるように、マティス治療院の一角が爆発した。
「なっ!?」
「童女であれさすが時歪の因子。派手にやってくれるじゃない」
「父さん、母さん!」
「大先生、エリンおばさん!」
ジュードが一番にマティス治療院に駆け込んだ。二番手にレイアが続いた。ルドガーたちも急いで二人を追って治療院に駆け込んだ。
院の中は煙が立ち込め、火のにおいが未だ残っていた。
煤けた廊下に倒れているのは、看護士らしき女性。ジュードがその女性に駆け寄り、抱き起こした。
「母さん、母さん! しっかりして!」
「おばさん! ――まさかこれ、さっきの子が?」
ジュードが彼の母親に治癒術を施し始めた。
だが、治療を遮るように、奥の部屋から男のものらしき悲鳴と、重い物がひっくり返った音が聞こえた。
「――父さん?」
「ジュードっ、行ってあげてください」『お母さんはぼくらが治すからー』
「ごめん、頼んだっ」
ジュードは歯噛みしたが、すぐ立ち上がって奥の部屋へ走った。
「ルドガーも行ってあげて。嫌な予感がするの」
レイアがエリーゼと揃ってエリンを治療しながら言った。
「危ないと思ったらすぐ建物から出るんだぞ」
「ここは私が引き受けます」
「頼む、ローエン。――エル、ローエンから離れるなよ」
「うんっ」
「俺も行かせてもらうぜ」
ルドガーはアルヴィンとイリスを後ろに、遅れて奥の部屋に踏み込んだ。
部屋は強盗にでも遭ったように荒れていた。倒れた薬品棚やベッド。壁にいくつも残った大きな、魔物がつけたかのような爪痕。
ジュードは部屋の奥にいた。眼鏡をした若い男を背に庇って構えている。
驚いたのは、若い男が腕に赤ん坊を抱えていたことと、その男に長剣を向ける金蘭の髪の女の子だった。
「増援がいたの」
「ルドガー、避けて!」
部屋の奥にいたジュードが叫んだが、間に合わなかった。
女の子が掲げた掌に、青い魔法陣が浮かび上がり、魔法陣から大量の水が流れ出した。水流の勢いに勝てなかったルドガーとアルヴィンは、押し流されて背中を壁にしたたかに打ちつけた。
「アルクノア……しぶとい奴ら。黒匣を持って私の前に出て来るなんて。命が惜しくないのかしら。ねえ、姉さん」
部屋に女は彼女一人なのに、彼女はそう見えない何かに語りかけた。
浮くことで水流の難を逃れたイリスが、ふわりとルドガーの傍らに戻ってきた。
「俺が壊す。いいな、イリス」
「ルドガーがそうしたいのであれば」
ルドガーは真鍮の時計を突き出した。白い歯車が展開し、ルドガーの体に入り込み、体を造り変える。ビズリーが言っていた精霊の「呪い」がルドガーを変貌させる。
「大精霊の力!? どうしてアルクノアがっ」
「応えなくてよくてよ。所詮は分史世界の住人なのだから」
槍を構える。骸殻を使った影響なのか、数分前に感じた、殺害への恐れは消え失せていた。
この槍で目の前の女の子を殺せば、この世界は砕け散る。
「待って、ルドガー、アルヴィン! その子はミラだ!」
ルドガーはジュードが止めたから、アルヴィンはミラの名を聞いたから、攻撃に転じようとしていた姿勢を崩した。
「ミラ、だと!? そのガキが!?」
「アルクノアの生き残りの父さ……ディラックさんとその子供を追って来たんだ。ミラの、マクスウェルの使命として」
「その子供、って」
ジュードが父と呼んだ人物ならば、ジュードに庇われているディラックが抱えた赤ん坊は、分史世界のジュードということになる。
「黙っていれば、ごちゃごちゃごちゃごちゃ。うるさいのよ! いいからそこをどきなさい!」
「ミラ」はジュードとディラックに掌を向けた。緑の魔法陣が浮かび上がり、小規模の竜巻が生じた。竜巻はジュードとディラックを襲い、いくつもの鋭い切り傷を負わせていてから、それぞれを逆方向に吹き飛ばした。
「やめろ!!」
ルドガーはがら空きの「ミラ」の背中に槍を突き出した。
しかし「ミラ」は背中に目でもあるように、もう片方の手に持っていた長剣で槍を受け止めた。
「その人が何したっていうんだ…っ、それに、赤ちゃんがいるんだぞ!?」
「だから何よ! アルクノア風情が知ったふうな口を利くな!」
幼女の腕力とは思えない威力でルドガーは吹き飛ばされた。
「全部お前たちのせいよ。アルクノアのせいで、姉さんはこんな姿になってしまった……っ」
「ミラ」が長剣を胸に抱いた。まさか、あの剣が姉だとでもいうのか。戦慄を禁じ得なかった。
怒りと嘆きに燃えるバラ色の目がディラックと赤ん坊に向けられる。
「例え赤ん坊であっても、エレンピオス人なら長じて黒匣を使うでしょう。そうなる前に殺す。黒匣とそれにまつわる物を消すのが、私と姉さんの使命!」
「やめてミラ!! 『僕』を殺さないで!!」
鮮血が飛び散った。肉を裂く音がことさら生々しく響いた。
「ミラ」が振り上げた長剣は、過たずまっすぐにディラックの胸を貫いた。
若いディラックが倒れ、腕の中から血塗れになった赤ん坊が転がり落ちた。
ページ上へ戻る