イリス ~罪火に朽ちる花と虹~
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Interview10 イリス――共食いの名
「永遠に詫び続けなさい」
「……ここには時歪の因子はない。もう行こう」
「ああ……」
「そうですね……」
ルドガーが歩き出したのを皮切りに、ジュードたちもルドガーに続いて歩き出した。自分とはぐれては異世界から帰れないかもしれないのだ。これである程度の方針はルドガーに決められると分かった。
『イリスよ』
殿だったイリスが銀髪を翻してマクスウェルを見上げる。石でも観るようなまなざし。
『あの日、儂とミラを襲った輩、いかに処した』
「あの方に刃を向ける不忠者なんてクラン=スピアには相応しくない。断界殻のない頃の分史を創らせるために時歪の因子化させたたり。骸殻の研究に使ったりもした。お前がリーゼ・マクシアで楽隠居してる間にね。裏切り者とはいえ血縁者だから、体外受精用に種子を摘出して、ミラさまの子を増やしたりもしたわね。子が欲しい、それもまた尊師の願いの一つだったから」
カツッ
イリスは靴を鳴らし、マクスウェルと完全に向き合う態勢を取った。
「忘れるんじゃないわよ、マクスウェル。お前がリーゼ・マクシアを閉ざしたせいで、イリスたち血族は不必要な犠牲を払い続けた。お前はミラさまの子どもたちを2000年に渡って殺し続けたのよ。そのことを胸に刻みなさい。そして、お前との子を誰より望んだミラさまに、永遠に詫び続けなさい」
「よかったのか、あれで」
合流したイリスにルドガーがかけた第一声である。何言ってんだこいつ、といわんばかりの皆の目線が少々痛かった。
「ここは分史世界だからね。ここで感情を爆発させても意味がないわ。さっきのあれは失態だったわね」
イリスは片手を頬に当てて溜息をついた。こうして人間として在る時のイリスはこんなに優雅なのだから、精霊態が不気味でもルドガーは気にならない。
「『ここ』の老害は満足でしょうけど、こちとら目の前であの方が息を引き取られたのを見てるのよ。恋人の死に様を人づてに聞いて安心するなんて虫が良すぎるわ。正史のマクスウェルには――こんな容赦しないわよ」
イリスは空中に融けて消えた。
ルドガーは、レイアたちが複雑な面持ちをしているのに気づいた。
「どうかしたのか?」
「……正史には、マクスウェルはもういないの」
「いない?」
「正確には、あのじーさんがとっくに死んじまってんだ。断界殻解放のためにな」
「あ、そうか――」
レイアが言っていたではないか。「断界殻を消すために消滅した」と。
「その後で精霊の主マクスウェルを継いだのが、ミラ=マクスウェル。お前らのご先祖様と同じ名前の女だよ」
「だからイリスが憎んでる『マクスウェル』は、もうどこにもいない。復讐なんてしなくていいのに」
痛ましく面を伏せたレイア。
「心配か。イリスのこと」
「心配に決まってる。1000年も自由を奪われて、ようやく解放されたのに、自分の幸せなんかそっちのけで、ただ恨むだけで生きてこうとしてる。あんなんじゃずっと心から笑えないよ」
イリスを案じているのは自分だけではない。ルドガーは密かに喜んだ。一番近しくなりたい相手が、母のように想う人を心配してくれる。
同じ心配を抱くことで、ジュードたち以上にレイアと近づけた気がした。
世精ノ途を抜けてルドガーたちが出た場所を、ルドガーも知っていた。
ル・ロンド。
リーゼ・マクシアの島国の一つで、レイアとジュードの故郷だ。
「ここに時歪の因子が……レイア、何か変わったとこ、分かるか? 地元だろ」
「――静かすぎる」
「うん。なんか、嫌な感じの空気だ」
同じくル・ロンド出身のジュードも顔をしかめている。ル・ロンドにはレイアの取材旅行で一度だけ来たことがある。たった一度の来訪者の自分でも分かるくらい、町の空気が不穏だ。
「! 誰か来ます!」『かくれてーっ!』
エリーゼとティポが言ったので、ルドガーたちはとっさに二手に分かれて近くの民家の軒先に入った。
現れたのは金蘭の長髪をなびかせた一人の少女、否、幼女と称して差し支えない年頃の女の子だった。
女の子の手には細く長い剣が握られ、からから、と地面を擦っては血の跡を残していく。
「ひ…っ」
「エル、静かに」
ルドガーはエルの口に掌を当てた。エルは目を白黒させたが、すぐにコクコクと肯いた。
「幸運ね。あの童女が時歪の因子だわ。よくご覧なさい、ルドガー。そして覚えて」
「あっ」
ルドガーたちが隠れた場所の正面を幼女が横切った途端、彼女の胸部から黒煙が噴き上げたのをルドガーは見た。
(あれが時歪の因子。あれを破壊するのがエージェントの仕事、クルスニクの使命。じゃあ今回は、あの女の子を殺すのか?)
無意識に双剣の柄に手が伸び、握りしめる。ここで事を起こそうというのではなく、単に、人を殺すという行為への言い様のない恐れを紛らわせたかった。
幼女が見えなくなるまで待ってから、ルドガーたちは隠れていた軒先から路上に出た。
「今のが時歪の因子の反応ってヤツか?」
アルヴィンに問われ、ルドガーは首肯した。
「さっきの子、剣に血が付いてましたよね。魔物と戦ったんでしょうか」『まさか人斬りー!?』
「あのような幼いお子さんが……いえ、全くありえないこともないのですが」
「――追いかけよう。時歪の因子だって分かった以上、あの子を放ってはおけないんだ」
これには全員が一様に険しい顔をして肯いた。
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