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青い春を生きる君たちへ

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第10話 愛の在り処

目が覚めると、そこには白い天井。まだ怠く、鉛のように重く感じる体を捻って、部屋の中をゆっくりと見回してみると、時刻と一緒に日付を示している時計があって、その日付は最後に覚えていた日付から、いくつか進んでいた。つまり、その進んだ日付の分だけ、自分は眠っていたという事だろう。それだけ寝た後でも、自分の体はまだ元気を取り戻してはいない。飲まず、食わず、眠らずの一週間……普通なら、死んでいたかもしれない。普通じゃない自分でも、ここまで堪えたのだから。


「……おー、起きたのか」


病室の隣のベッドには、耳が完全に隠れるほどのボサッとした髪、レンズの大きな黒縁眼鏡に、飄々とした笑みをたたえた頬のこけた顔の男が横たわっていた。この男も、あの地獄の野戦訓練に参加していた。ここに居るという事は、何とか生き残ることができたという訳だ。恐らく、それが可能だった理由は、自分と同じだろう。要するに、普通ではないのだ。この男は研修期間全体を通じて、自分と張り合い、しかも、彼なりの手抜きをしているにも関わらず、ずっと自分の上を行ってみせた。


「お前、大したもんだよなー。あのウスノロと組んで、よく脱落しなかったもんだわー。俺ならとっくに愛想尽かして、ミスった事にして二、三発ブチ込むくらいはやらかす自信あるよ。最後はヘタれたあいつを、おんぶまでしてやってさァ。その人の良さと我慢強さは俺にゃ真似できねーよ。海兵師団の連中も、たまげてたよ。ホント、大したもんだ」
「…………」


自分より明らかに上の人間に、ここまで褒められるというのも、何だかむず痒い気がした。多分、自分の方が上だという自信があるからこそ、ここまで素直に人を讃えられるのだろう。その行為が、自分自身を脅かさないと分かっているから。負けている自覚があったら、尚更相手を褒める事はできない。自分が傷ついて、惨めになってしまうから。


「……彼は?」
「うん?」
「彼は大丈夫ですか?彼も結構、参ってましたから……」


自分の背中の上で、何度も何度もすすり泣いて、泣き言を言っていた彼。自分の足を引っ張り続け、何度も2人を窮地に陥れた彼。本当に役に立たなかったし、苛立ちがこみ上げてきた事は一度や二度の話ではなかった。でも、守り抜いた。仲間だったから。口では何度も殺してくれと言っていたけど、その声がいつも震えていて、本当は死にたくないんだと、希望を捨てたくないんだという事が、痛いほど伝わってきたから。そして、そういう無力で、それでいて愛おしい凡人を助ける為に、自分の力はあるんだと思ったから。


「ああ?あいつ?処分されたよ、訓練終わりと同時に」
「えっ……」


一瞬、この隣の男が何を言ってるのか、分からなかった。処分と言えば、それが意味する所は一つだという事には気づいていたはずなのに。


「あいつ、研修期間中ずーーっとゴミだったじゃん。あいつのせいで罰受けた事なんて、いちいち数えちゃいられねえぞ。何でか、しぶとさだけは一人前で、脱落こそしなかったが、本来ならとうの昔に、無能さが理由で処分されてるよ。何で局長、こんな奴キャンプに残してるんかなーって、俺不思議だったけど、多分あれだぜ?一応優等生な俺かお前とペア組ませて、ハンデつけるのが目的で残してたんだぜ?ま、その役目も終わって、生かしとく理由も無くなったんだろ」
「…………」


体の力が抜け、隣を見るべく捻られていた体が、元の仰向けに戻った。元々、力なんてほとんど入ってなかったけど、それでも中に一本通っていたはずの芯までもが溶け伏して、自分自身が泥の中に沈み込んでいくような気がした。気がつくと、見上げた天井が、ボンヤリと滲んでいた。溶けた自分の芯が、熱い水滴となって、目から浸み出してきた。


「……おいおい、何でお前が泣くんだよ?あいつ、元々前科8犯なんだぜ?社会のルールに則って、真面目に平凡に生きることもできないし、その癖、必要悪にもなり切れずに、非力な善人面してきやがる、クズの中のクズだ。再利用もままらないクズなんだぜ?あんなクズには、お前の重石となるくらいしか使い道が無いんだ。お前が、あいつを生き長らえさせてやってたようなもんなんだ。……なのに、何でお前が泣くんだよ」


隣の男が呆れた声を出す。その言葉の中身は、理解できないでもない。しかし、涙は一向に止まらなかった。小さな嗚咽を漏らしつつ、自分は泣き続けた。



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11月になると、学校でも皆冬服になり、カッターシャツの白があまり校内に見られなくなっている。女子の中にはカーディガンを着てきたり、膝掛けを持ってきたりする者も居て、生徒指導の先生との校則違反か否かの不毛なやり取りがそこかしこで繰り広げられるようになってくる。寒いだのなんだのというのは、ただ装飾物を増やしたいが為の口実に過ぎない事が多く、冬は冬でも、まだまだ真っ盛りではない。しかし、寒いとか何とか、身体的苦痛を傘に着られると、途端に強く言えなくなってしまうのが、この、権利意識を肥大させてしまった社会の、学校の先生たちだった。


「……」


小倉は、今日も1人で席につき、静かに本を読んでいる高田の後ろ姿をちらっと見た。高田は紺のブレザーをキッチリと地味に着こなしている。ふと、半月ほど前の事が思い出された。小倉は、このキッチリと着こなされた制服の下に潜む、高田の生身を知っている。白い肌、無駄が削ぎ落とされたかのような控えめな身体のライン、うっすら滲んだ汗の匂い、少し苦しげな息遣い……

体を重ね、肌を触れ合わせてみても、分かった事と言えばそれくらいの、実に下らない情報以外にはなかった。何故、突然そんな事を高田がする気になったのか、小倉には分からない。顔をしかめるようにぎゅっとつむられたその瞼の裏に、何が映っていたのかも分からないし、その苦しげな喘ぎの裏に隠された、悲壮の程度など、想像する事もできなかった。結局の所、高田との心的距離など、縮まってはいない。

世のカップルというのは、アレを究極の"愛"の形態かのように思ってるらしい。そんな事を話してるのを、小倉はそこかしこで聞いたし、アレさえできれば幸せを感じる事が出来ると思ってそうな、まさに幸せな思考回路の連中もウヨウヨしている。しかし、物理的距離が縮まった所で、それが何だと言うのだろう。アレをヤレる関係であれば、即ち分かり合えるという事ではない。相手を布団の中に上手に連れ込める事を、まるで相手を理解できているかのように自慢する輩は、もう少し理解の難しさを分かった方が良い。快楽の有無だけを問題にしているのなら、それは相手の身体を使った"自慰行為"に勤しんでいるだけで、それは相互理解とは何の関係もない。

男女の関係を築く上で、行為としてそれ以上のものがないと思われているのが、アレだったが、ゴールなはずのそこを過ぎても、一切何も変わることのない自分と高田の関係に、小倉は自分と彼女の限界というものを感じずには居られなかった。



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「なぁ、田中」
「何?」
「愛ってなんだ?」


いつものように昼休み、田中と外のベンチでコッペパンをかじっていた小倉は、単刀直入にこう尋ねた。田中はふふっと笑うが、それは真面目くさってこんな曖昧な事を聞いてくるおセンチな態度に対しての、笑いではなかった。


「……何で俺に、そんな事を聞くんだい?」
「……お前、モテるだろ?」
「それとこれとは、繋がらないなぁ」


田中は今度は声を上げて笑う。活発さに満ちた張りのある声が、校庭に響いた。


「俺はまぁ、それなりにモテるかもしれないさ。自分で言うのも何だが、顔も良いし、性格も良いやつそのもの。嫌われるとしたら、一方的な嫉妬によるものくらいだよ」
「……否定はしない」
「でもね、それは愛ではないよ。俺に寄ってくる女の子は……彼女らの中では、自分が一番俺の事を知ってるつもりでいるみたいだけど……でも結局、俺の事なんて、よくは知らないんだ。彼女らの中で出来上がった、田中智樹という名前と、俺の見た目を持った虚像に惹かれているだけなんだよ」


田中は眉をハの字にした困り顔で、肩をすくめた。小倉はコッペパンの最後の一口をサッと口に運んで飲み下し、飄々としている田中を睨んだ。


「……それを言ってやるのは可哀想だろ。お前自身、誰にも自分を開示しようとはしてないんだから。積極的に自分を見せようと、してないじゃねえかよ」
「おお!……よく分かったねえ」
「ここまで評判が高い割に、結局誰とも付き合ってない。昼休みに毎日俺の事を構ってられるくらいで、いつも一緒に居るような特定の友人なんて居ない。お前くらいのスペックならほっといても周りに人が寄ってくるし、普通はその中から特定の友人ができるはずだ。でも、実際のお前は、誰に対しても平等。お前の方から、人を避けて、深い関係になるのを防いでる。そうなんだろ?」
「That's right!」


田中はウインクしながら、パチンと指を鳴らした。どうしてこの少年の仕草はこう、いちいち芝居がかっているのだろうか。それがまた、似合っているのが憎らしすぎる。


「俺と謙之介と、あとは紫穂と。多分この三人の間には、本質的な違いは無いんだよ。謙之介と紫穂は、最初から人と距離をとってる。自分を曝け出したくないからだ。俺がやってる事はその逆。誰とでも"平等な友情"を築き、自分から人に近づいているようでいて、やってる事は虚構の田中智樹を作り上げて周りを誤魔化してるってことだ。結局、自分の中身を隠してるって点では、同じだよ」
「…………」


やたら悪戯っぽく笑っている田中だが、言ってる事の中身は、自分の人間関係を全て無下にしてるようなものである。それほど多くの人に語っているとも思えない本音を、笑みを浮かべながら語る田中。小倉は田中の事を、「良いやつすぎるほど良いやつ」だと思っていたが、やはり、それも虚構。この学校に来てからいくつも目にしてきている虚構と同じだったらしい。


「……愛って何かって話だったね?ハッキリ言おう。分からないよ。分からないから、今自分がそれを手にしていて、それに気づいてないだけなのか。それとも、虚構を通じた付き合いししていない、自分だけがそれを持ってないのか。もしくはこの世の誰もがそんなもの持っていないのか。それすらも分からない」
「……俺も、全く同じだな。分からねぇや」
「でもね。仮説はあるんだよ。一応、言ってみようか?」


田中は確認するような言い方をしたが、その自信たっぷりな目は、小倉が首を縦に振る事を予測しているようだった。少し癪に思いながらも、小倉はその通りに、頷いてやった。


「信じる事に尽きるだろうな。相手を、信じる」
「信じる?」
「そう。でも、疑いを持たないって事じゃないよ。その点では、覚悟に似てるかな」


田中はベンチからサッと立ち上がる。そして冬の空に向かって、大きく伸びをしてから、さっぱりとした笑顔を、小倉に向けた。


「……試してみるかい?」
「は?」
「愛の実験、始めよう。ほら、謙之介の誕生日にはまだ少し早いけど、プレゼントだ。受け取ってくれ」


軽やかに言いながら、一つのUSBを投げてきた田中。それを受け取りながら、小倉は首をかしげるほかなかった。
それは、田中の持ちかけたゲームの、始まりの合図だった。


 
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