探し求めてエデンの檻
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8-2話
前書き
命ぜられるは二つのルール。
其の者を見守って常に寄り添う事。
自身の命が危ぶまれるのなら、本能に従って生存を優先する。
その二つのルール。
理を識り、全に通じ、自然の個に繋がる糸は不可を奪略し、確かに命令を与えた。
そしてそのルールに従った小さな個は、天信睦月の元に戻ってきた。
その意味を知る彼女は、不安に心を締め付ける。
目の前には鬱蒼とした林が立ち塞がっている。
生やし放題に成長した樹木が乱立しているその密度は、雑踏の人集りよりも険しいものだ。
真っ直ぐ進んでも人と違って、目の前にそびえ立つ樹木は避けてはくれない。 だからそれを避けようと繰り返せば足取りがブレる事になる。
人はそれに方向感覚を失って、真っ直ぐ進んでいるつもりでも目印もない森の中では足先を見失う。
でもアタシにはそんなの関係ない。
草をかき分け、木の根を跨いで進む足取りに遅滞する余地はなかった
目の前に樹木があれば、あらかじめ傾いていた体は緩やかに足先の向きを変えて、流れるように横を通り抜ける。
木の根があれば、足場が悪いそれに躓く事なく、逆に踏み台にしてすいすいと進んでいく。
障害物はアタシにとって平地のそれと大した差はないのだ。
そう…平地と大差ないのだから、こうして早歩きなんてしなくても、アタシなら森の中を風のように駆け抜ける事が出来る。
しかし、そうもいかない理由が後ろで必死についてきているからだ。
「はぁ……はぁ…ま、待ってくださいっ…」
背後で息の荒い疲れた声をかけられた。
何度目かに呼び止めに振り返って、その姿を見やる。
木に手を当てて、息を整えようと足を止めていた赤神りおんがいた。
また少し距離が離れてる。
アタシは終始同じペースで早歩きしているのだけれど、赤神は逆にペースを落としているようだった。
やっぱり、野生慣れしていない一般人だとこの森は厳しい。
もうちょっと急ぎたいのだけれど、アタシの早歩きと一般人の走りとじゃ生い茂る森の中でのペースに差がある
歩幅が全く乱れる事なく突き進んでいくアタシと違い、段差のある地面、木々などの障害物が邪魔になって時々足がもつれるものだからまともに進めていない。
この場で彼女を振り切って、アタシが少し急げば森を抜けるのも簡単だ。
しかし見つからないように避けているとはいっても、大型の絶滅動物がチラホラといるこの森の中で置いていくわけにもいかない。
「さっきのアレは良くなかったわね…」
チラリと後ろを見やると、慣れない悪路で必要以上に体力を消耗しながら付いてくる赤神りおんがいる。
それでも喰らいつくようにアタシに付いてくるのは、アタシが先ほど口を滑らせた言葉のせいだろう。
赤神としてはアタシが口を滑らせた内容が気になるのだろうけど、今はそれを答えてやるつもりはない。
自分でもまだ状況は理解出来ていないのだから、今それを確かめようとしている。
なぜそれがわかるか。 その理由はアタシの肩に乗っている小動物がそれを知らせてくれたからだ。
アキラ達に…CAを宥めるためにこの仔リスのような子を宛てがっただけではなく、ある行動方針を刷り込ませておいたのだ。
その行動方針は二つ。
1つは、仙石アキラ達と離れずに行動する事。
2つは、命の危険に晒された時などでもはや共にいる事が困難な場合は、仙石アキラ達から離れてアタシのところに戻ってくる事。
この二つの命令はさじ加減がある。
基本的にいつも一緒にいるけど危険があれば離れるようになっている、だけどその危険を回避すれば再び戻って共に行動するように優先度を設定しているはずだ。
だからアタシの元に戻ってきた、という事は危険すぎて一緒にいる事が困難になっているという事……その場合、大抵は生きてはいない。
だけど…彼なら……“アイツ”と同じ真っ直ぐな眼をしている仙石アキラなら、あるいは…と考える。
あるいは、である内は彼らがどうなっているか、赤神りおんにそれを教えてやる事は出来ない。
今は、まだ―――。
――――――。
日が傾き、木漏れ日が角度を深くした頃、足をゆっくり止めた。
アタシの足音が潜み、獣の気配と木々のざわめきがより良く聞こえるようになる。
置き去りにはしてない程度に距離が離れていた赤神りおんが、ようやく追い付いてきた。
「はぁ……はぁ……どう、したんですか? 急に…んぐっ…!?」
「頭、下げて」
抑えこむように赤神りおんの頭を押して低くさせた。
アタシも体を低く下げて、草が顔に突っつくほどに低姿勢になり、人差し指でチョイチョイと赤神りおんを誘導しながら、小走りに近くの木を影にする。
森が姿を隠れ蓑になってくれるだろうが、念のためだ。
ショルダーバッグを降ろし、中からアタシの頭をすっぽりと隠せる丸ツバのブーニーズハットを取り出す。
その柄は緑、黄緑、茶、黒の色を散りばめたウッドランドパターン、いわゆる迷彩だ。
ポニーテール部分は帽子の中に押し込んで目深に被った。
「……これでも被ってないと目立つのよ、アタシの頭」
「はぁ…?」
後天的とは言え、空色のこの髪は森では実に目に付きやすい。
何しろこの先にあるのは…。
「……―――!」
「人の声…!?」
「待ちなさい、頭を下げてゆっくりよ。 アタシの前には出ないように」
木の影から出て、ゆっくりと前に進んで行くと森のカーテンが薄れた。
林の間の向こうを覗くと、そこには鉄の塊があった。
「あれはっ…!」
「シッ…森の景色ばかりでよくわからなかっただろうけど、ここは旅客機の近くよ」
秩序を失った飛べない鉄の砦。
獣に荒らされたこの場所に二度と来るつもりはなかったけど、この仔がアタシ達を呼び寄せた。
それが来てみれば……。
「―――よりにもよって獣よりも面倒なのに捕まったわね」
ただの猛獣に襲われる方がまだマシだと思えるような事態だった。
「あれはっ…真理谷、くむぅっ…!?」
驚きに大声をあげようとした赤神りおんの口を塞いだ。
そこには、大勢に取り囲まれた真理谷と、CAの人がいた。
衣服を繋ぎ合わせて代用しただけの縄とは言えないもので、上半身をグルグル巻きにした程度の粗末な縛り方で拘束されている。
…とりあえず、死んでない事にちょっとだけ安堵した。
「大声出さないの。 あの子と知り合い?」
「っ…んむぐぐ…!」
首を縦に、そして今度は横に振った。
…どっちなのよ?
「ぷぁ……あの、クラスメイトです。 親しくしてた、というわけじゃないですけど有名なんです」
「ふ~ん」
それで肯定と否定って事ね。
クラスメイト以上友達以下って所かしら、未満じゃない程度に微妙なラインで。
あの真理谷って子、気難しそうだし。
「どうやら捕まってるのは…あの二人だけのようね」
「みたいですね…」
二人だけってのがちょっと気になる。 もう一人は…仙石はどうなったのだろうか?
「周りの人達…すごく怖い顔してる……」
「一晩明けても、やはり暴徒化したままみたいね。 あれじゃあ獣と同じよ。 可哀想に、あの二人は猛獣に囲まれたも同然ね」
「そんなっ…!」
半端な理性で暴力的になっている人間。
心の均衡を失っている人間の集まりは、集団意識と相まって本当に厄介だ。
暴徒化してても一般人集団に変わりはないから、単純な暴力による力押しの手段は躊躇う相手だ。
ならどうするか。 面倒じゃない選択肢はあるにはある。
「面倒だし危険だから見捨てる?」
一応の確認。
「で、出来るわけないじゃないですか…!!」
「でしょうね」
勿論アタシも本音で言っているわけじゃない。
アタシとしても一度しか会ってなくて自己紹介もしていない、だけど知った顔をわざわざ目の前で見捨てるというのは気分がいいものじゃない。
けど…今のはちょっと意地悪だったわね。
「冗談はさておいて、今この瞬間に乱暴されてるわけじゃないから、どうすればいいか…考えるとしましょう」
「は…はいっ」
いくつか選択肢を脳裏に浮かべた。
ざっと考えてこんなところだ。
1.すぐに飛び込んで全員を斬り殺す…頭の悪い選択肢だわ。
2.囲いの中へと潜り抜けて二人を抱えて離脱…流石に二人を抱えて離脱は厳しいし、拘束を解く間がない。
3.煙幕で混乱させてさっきの同じ流れ…でもいいけど、こんな開けた場所でやっても効果が薄いわね、保留…っと。
4.人質を取って同じように相手に要求…これはダメね、理性のタガが外れてる連中に良心なんて期待できないわ。
5.赤神を使って囮にする…保留ね…あまり使いたくない手段だし。
6.火事を起こして混乱を招く……うん、この手段はいいだろうけど、それはちょっと困るわね、旅客機の中にはアタシも用があるから。
他に7・8・9と似たり寄ったりの方法を色々考えるけど、全部省略する。
一応こうしてアタシの考えはいくつか出てきた。
「(しかし気がかりなのはやはり…あの子よね)」
仙石アキラ…生きているのか、それともくたばったのか…それで選択肢に迷う。
割り切って仙石は死んだものと思ってあの二人を助けるのは難しい事じゃないけど…生きているというのなら、何とかして助けてやりたいとは思う。
情報が欲しいわね…。
「…ん?」
何か動きがあった。
ブーニーズハットの下から覗きながら窺うと、ガリ勉君…真理谷という子が怒鳴るように何か喋っているようだ。
遠目だけど、その唇が忙しなく動いて周囲の暴徒達に怒鳴りつけてる様子がわかる。
アタシはその唇の動きを追った。
「―――ア、キラは……どこに、つれさったんだ―――か」
「えっ、アキラ君がどうしたんですか!?」
唇の動きをそのままアタシが声に出して代弁した言葉に、りおんは反射的に食いついてきた。
「読唇術よ。 この距離だと一人に集中してないとわからないけど、あそこにいるメガネ君はそう言っているみたいね」
唇の動きを見れば内容を読む事が出来る技能だ。
生き抜くための多芸だけど、こんな時にも役に立つ。
内容に関しては平行線になっているらしく、仙石アキラがどこにいるか、それを喚いて怒鳴り合うばかりで全く進展がないようだ。
ただ、かなり危険な雰囲気だ。 あの真理谷という子はまだわかってないのだろうか、あの暴徒達は獣と同じで、同じ人間でも殺しかねない事に。
言葉はあいつらを歪んだ心に火をつける事になる。
「ふむ………よし、ここは一旦おいといて、行方不明の方を優先しましょう」
「え、な…何で…むぐっ…!」
「大声出さない。 あの子らの仲間が行方不明…それもあいつらに捕まっているわけじゃなく、どこかに失踪みたいだけど…。 それって考えようによっては最悪な事になってるかも知れないわ」
口に出しては言わないけど、今頃は…殺されているかもしれない。 獣によってか、あるいは人によってはわからない。
少なくとも、あそこにいる二人よりまずい事だ。
「そのために、先に拾っておくべきだわ。 二人には気の毒だけどね」
「でもこのまま見捨てては…!」
「誰が見捨てるって言った?」
アタシは懐に手を伸ばした。
取り出したのは、紐のようなもの。 片方の端には指を通す輪があって、中央辺りにはやや幅があるしなやかな紐だ。
「それは?」
「投石紐よ。 ちょっとここで隠れて待ってて」
アタシはブーニーズハットを被り直し、拓けた場所を迂回するように移動しようとする。
「…っと、その前に」
足を駈け出した直後に一旦止まり、赤神りおんの方を向いて指先で指すように腕を伸ばす。
アタシの“意思”を伝達させると、肩に乗っていた小動物は腕を伝って赤神りおんの胸元へと飛び込んでいった。
「きゃっ!?」
「その仔もお願いね」
顔を確かめるように赤髪りおんを覗きこむ小動物を見届け、アタシはこことは別の位置に向かって森の中を駆けた。
頭を低く、目立つ蒼髪はブーニーズハットと草木に隠れながら、女豹のような地面を這うような動きで、草木に紛れながら赤神りおんとは違う場所へと迂回する。
―――距離は45…いや、46メートル。
「…よし、この位置からで狙おうかしら」
少し離れてるけど、向こうの様子と怒鳴り声が伝わってくる。
いよいよと爆発しそうな空気の中、息を潜めて弾丸として手頃な石ころを拾い、紐の中央に包み込むようにして装填する。
投石紐、それはとてもシンプルな武器で、旧約聖書のサムエル記において羊飼いのダビデは巨漢ゴリアテを倒したとさえある。
これによって放たれた石は、弓矢と同等以上の射程でありながらヘタすると人体を貫通する事も可能になる代物だ。
ゆっくりと円を描くように紐を振り回し、石ころが包み込まれた皮部分が遠心力で縦回転してその回転速度から運動エネルギーが起きる。
狙いは一番怒鳴っているうるさい男、その耳。
笛のように風を切る音を鳴らす紐をその男に―――それを解き放った。
ピュゥ、と風切る石弾が近づいている事も知らず、男の耳を掠めた。
「―――ぎゃああああ!!?」
けたたましい悲鳴が上がった。
ちょっとは痛いだろうけど、たかだが耳を掠めて皮一枚を削った程度で激しく流血するほどでもないというのに。
だけど、不意を突かれて耳を削りかけた恐怖は意識を逸らすには十分だった。 男達は周囲に目を向け、真理谷達から森にへと標的を変えて怒鳴り声を上げ始めた。
「効いてる効いてる」
耳を掠めて肉を削りかけたという恐怖は怒鳴る余裕をなくし、正体のわからない相手に対して威嚇する事に必死になっていた。
石を掠めた恐怖が周りに伝染し、動揺が場を満たした頃に男は襲撃者をその目で確かめてやろうと森に向かって一歩踏み出そうとした。
だが、その一歩が地面を踏む前に、地面が弾けた。
次いで一つ、二つ、何かが当たる音と共に悲鳴が上がる。
一歩踏み出そうとした者は何事かと思って振り返ると、地面に蹲る二人の男を見た。
一人は手の甲を抑え、もう一人はズボンの裾が切れた足を抑えていた。
血は出ているわけじゃない。 ただ掠めただけで皮膚が擦れて痛い程度のきわどい狙い所。
一歩を踏み出す気もなくしてやろうと、はじめに動いた男の足元を狙って出鼻を挫き、複数だと思えるように場所を変えてもう二・三個ほど狙ってやった。
壁になるものが一切ない開けた場所にいて、相手がどこにいるかわからない森という壁に阻まれて、なおかつ襲撃者という存在がわからなくて幻の脅威に晒されている。
身を隠せない。
相手が見えない。
数も何もわからない。
圧倒的にリーチの差。
獣のように理性を欠いた頭でも、これがいかに不利な状況かわかるはずだ。
心を占める感情が何なのか獣だってわかる。
さあ、こうなったらどうするか?
「くそぉ! 中に逃げろぉ!」
誰が言ったか、その言葉をきっかけに後ろを警戒するのも忘れて皆我先に鉄の鳥の中へと逃げ込み始めた。
後ろから狙われる事を考えないようにしているのに、捕虜にしているメガネ君とCAの事は忘れずに引きずって行った。
ここまでは想定内。 置いて行ってくれたら言う事なしだったのだけれど、紐で引っ張っているのではなく拘束している縄もどきを直接鷲掴みしていては引き離すのは無理だろう。
無理やり引っ張られて縄が食い込んで苦しいのだろう、CAは苦悶の表情を浮かべて涙目になっていた。
悪いけれど、今はこれで辛抱してほしい―――あとで来るから。
悪い結果だけど、時間を作るという意味ではこれで十分である。
危機感を煽って、あの二人をどうこうしようとは考えないだろうけど…それも冷静さを取り戻すのに15分か20分くらいだろう。
「……もう10分ほど伸ばそう」
考えてみれば赤神もいるのだった。 彼女を連れてとなると余計に時間がかかってしまう。
思い直して投石紐に石を番えた。
余計に多めに回転をつけ旅客機の窓を狙いを付けて放つと、小型の砲弾となった石弾は多層構造の窓をぶち破った。
すると、中で蜂の巣を突付いたような騒ぎが起きた。
中で隠れる場所でも探してるのだろうか、混乱の大声を喚き散らしている。
これなら、あのCAも、すぐに乱暴される事―――特に胸とか―――はないだろう。
「さて、戻りましょうか」
――――――。
ブーニーズハットと草に紛れて戻ってきてみれば、あの子の姿はなかった。
「―――いない」
隠れていた場所に間違いないはずなのだが、どこにも赤神りおんの姿は見当たらない。
獣に襲われた? それとも別の人間が現れた? でも その場合は、小動物がその場で逃げて近くにいるはずだけどそれも見当たらない。
彼女がいたと思われる場所も、踏み躙られた草が元に戻っている…ついさっきではなく、別れた直後に移動した可能性が高い。
厄介な事になった。
仙石を探すために真理谷とCAを後回しにしてるというのに、りおんの失踪だ…。
こうなった以上要領悪く行動すれば、ヘタすると誰かが助からない事になる。
三者択一……確実を選ぶとするのなら、旅客機の中の二人だけど―――まだ、望みは残されている。
――――、―――、――。
CAの次に赤神りおんに渡った小動物。
アレが一緒にいるのならまだ…理想的な結末への道は残されている
旅客機を背にし、アタシが見上げた先には―――鬱蒼とした森の隙間から切り立った崖が見えていた。
後書き
まーたこんなに期間が空きましたがなんとか年内に投稿です。
せめてクリスマスまでにやっておきたかったのですが、牛歩執筆で申し訳ない。
また来年にも投稿数が増えたらな、と思います。
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