クルスニク・オーケストラ
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第九楽章 実らぬ恋の必勝法
9-1小節
今日はイラート海停に来ております。何でもここでまたユリウス室長の目撃情報が上がったとか。
今回はリドウ先生主導で追跡チームを組んで、エージェントを海停のあちこちに配置して、聞き込みと見張りを行っています。猫の手も借りたい現状ですので、イバルまで連れ出しましたのよ。
「ジゼル!」
ああ、やっと来ましたのね、ルドガー。それに、もう同行するのが自然になったDr.マティスを初めとする皆様。
その中には、分史世界からエルちゃんが連れ出してしまった、ミス・ミラもいらっしゃる。
ミス・ミラの姿を見て、イバルが顔を輝かせた。
「ミラさ……っ」
でもイバルはすぐにはっとしたみたいで、急いでしかめっ面を作る。
「お前も来たのか、紛らわしい!」
ドスッ!
「~~~! 何をする貴様ぁ!」
「《何って、お前の頸動脈をチョップしたんだけど》」
腰に両手を当ててドンと仁王立ち。イバルに迫った。
「《ミラさまに向かってお前だの紛らわしいだの、お、ま、え、こ、そ! 何様のつもりよ》」
「な、なあっ!?」
「――ジゼル」
リドウせんぱいの低い呼び声。文字通り我に帰った。
何てこと。この《レコードホルダー》、侵蝕力が強すぎます。《レコード》の内容を検めた限りでは2000年近く前の方なのに、未だに自我を残してらっしゃる。それがわたくしの口を奪った。
「ごめんなさい、イバル。今のはわたくしの手落ちでした」
「へ? あ、いや、う、うむ」
ああ、困らせてしまってる。そうよね。急に態度が乱高下したら、おかしいと思いますよね。
「捜索を始めるぞ」
「了解であります、室長!」
リドウ先生……フォロー、ありがとうございます。本当に。わたくしなんかのために。
「この海停で奴の目撃情報が途切れた。手分けして探すんだ」
Dr.マティス、Mr.スヴェント、ミス・ロランド、ローエン閣下は街道の西。ルドガー、エルちゃん、エリーゼちゃん、ミス・ミラはハ・ミル方面に別れました。
どうでもいいですが、ルドガー? あなたのほうのメンバー、どうして異性だけなのかしら。
「ユリウスは生きて捕えろよ。借りは返さなきゃならないからな」
あらまあ、これは。相当怒ってらっしゃいますわね。
もう。室長もリドウ先生の怒りを煽るだけだと分かってらっしゃったでしょうに。あの方、土壇場で反撃が雑なんですのよねえ。茶番の逃亡なんですから穏やかに行けばよろしいのに、お二人とも。
「俺たちは海路を――」
「俺も同行しよう」
「え、何で!?」
イバルに同じく、です。ガイアス陛下はてっきりルドガーかDr.マティス、どちらかの組に入ると思ってましたのに。
「エージェントというものに興味がある」
「好奇心旺盛な王様だ」
「意外とな」
「こ、このパーティは……」
イバルの肩を軽く叩いてあげた。気持ちは分かりますわ。お互い頑張りましょうね。
いざ解散となって、わたくしはルドガーを呼び止めた。
「今回わたくしは同伴できません。現場での判断を貴方に委ねることになります。ですからもし自分の手で対処できないと判断したなら、わたくしかリドウ室長に連絡を入れてください」
「俺、そんなに信用ない?」
「いいえ。貴方の決断力にはこれでも一目置いてますのよ。だからこそ、貴方がご友人のために自身を傷つける決断をしそうで不安だから、こうして言ってるの」
「あ……そ、か。ありがと」
ルドガーはわたくしが言い含めたことを納得して、ハ・ミルに向かうグループを追いかけて行った。
「ジゼル! さっさと来い」
「はい、室長。すぐに」
埠頭に戻って行く先生方。いけないいけない。わたくしもお仕事しなくちゃ。
海路を探ると言っても、船に乗るわけじゃありません。船便から降りるお客様にユリウスせんぱいが紛れていないかチェックするのです。
「な、なあ。ちょっといいか?」
「はい?」
「い…よ、よろしいでありますか、補佐」
ちょっと笑顔で凄んだだけですのに。さっきの《レコードホルダー》の時といい、イバルってば高圧的な女性に弱いのかしら。
「冗談ですよ。ルドガーも敬語を使いませんし。それで、何か用事ですか」
「ええっと…その、さっきのあれが、《クルスニク・レコード》ってやつか?」
……リドウ先生、イバルにバラしましたわね。わたくしの《呪い》のこと。
まあ、知られてしまったものは仕方ありません。
「そうですよ。さっきイバルを撲ったのは一族中、最古のお人です。ミス・ミラとお慕いしていた女性を勘違いしてらっしゃるようですわ。無理もありません。《レコード》にあった女性の容姿はミス・ミラそのものでした」
容姿が同じ。まさにそれが原因で大ポカをかましたイバルは、バツが悪そうです。
「加えて貴方も、その方の許婚の男性そっくりでした。だからよけいにお怒りになったんですわ」
「い、許婚ぇ!?」
「はい。つまりその方にとっては、夫が母に暴言を吐いたも同然の光景だったわけです。怒鳴りたくもなりますわよね」
イバルは真っ赤になって鯉みたいに口をぱくぱくさせています。初心ですわねえ。
「そ、そんにゃものっ」
噛みましたね。元気な子。
「そんなもの俺には関係ない!」
あ。言い直した。
「ええ、関係ありません。この方が面影を求めた男性は、貴方とは全くの別物ですわ。筋違いもいいところ。人の頭に割り込んでまで、ヒステリーはおよしになってほしいものね」
先だってニ・アケリアでイバルの剣を掴んだ右手を見下ろす。
Dr.マティスの精霊術ですぐに治せたからいいものの、下手をするとエージェント生命に関わったでしょう。
「……と、ぼやいてみても、わたくしにはあのような経験、日常茶飯事ですがね」
「に、日常?」
ええ。縁もゆかりもない他人のせいで、傷つき、苦労し、時間を奪われた。何度も、何度でも。
「あんなことが、何度もあったのか?」
「ありました」
だとしても、《レコードホルダー》を恨むことなどできません。彼らはただ必死に生きて人生を駆け抜けただけなのですから。
「どうして――そこまでして、エージェントを続けるんだ?」
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