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小さな勇気

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第八章


第八章

「じゃあ学校の時はもてたんですよね」
「えっ!?」
(それはないよな)
 先生はその言葉を聞いて思わず声を漏らした。康則はそれを聞いて即座に心の中で否定した。彼はそうではないことをはっきりと知っていたからだ。
「それはね」
 先生は困った声で話しはじめた。見てはいないが多分顔も困ったものになっているのだろうな、と康則は思いながら聞いていた。表面上は何気ないものを装いながら。
「実はないのよ」
「ええっ」
「嘘っ」
「嘘じゃなくてね」
 声が苦笑いしていた。何処となく可愛い声でそれが康則の心にも届いた。
「先生本当にそういうことないのよ」
「嘘みたい」
「先生みたいな人が」
「先生もね、彼氏とか欲しいなあ、って思うけれど」
「じゃあ誰か告白してきたら?」
 康則が気にしている言葉であった。尋ねている女の子が誰なのかわからないがいいことを聞いていると思った。
「そうね、うんって頷くかも」
 先生はこの前までは何があっても出す筈がなかった可愛い声でこう言った。
「誰でもですか?」
「やっぱりうちの生徒とかじゃ駄目よ」
 それ位の分別は普通にある。しかし。
「それ以外ならね。先生なんかを好きでいてくれる人なら誰でも」
「そうなんですか」
「けれどいないのよね」
 それが先生の最大の悩みであった。困った顔をしているのが声でわかる。康則はそれを黙って聞いていたが何か先生が可愛く思えた。段々と先生が好きになってきていたのであった。
「いいかな」
 そうも思いだした。
「転勤したらもう生徒じゃないしな」
 抵抗もなくなる。あれこれそう考えている間に時間が経ち三学期になった。先生が転勤するというのが確実になってきていた。康則はそれを確かめて意を決した。
「来年の一学期の始業式、いや」
 彼はここで気付かないうちに焦っていた。三学期の最後に言おうと決めたのだ。だがこれは大きな間違いであった。転勤することがわかるのはその時ではなかったのである。
 卒業式が終わり三年生が卒業した。それからすぐに終業式だ。それが終わると康則はすぐに真子先生のところに向かった。先生は一人職員室で机の周りを整えていた。
「あの、先生」
「あら、馬場君」
 先生は康則の言葉に応えて顔を向けた。ベージュのブラウスと青のミニスカートと上着といった格好であった。脚はやはり黒のストッキングであった。
「どうしたの?一体」
「先生に話がある人がいるそうですよ」
「私に?」
「はい」
 表面上はひょうきんな様子を演じていたが内面は違っていた。やはりドキドキしていた。それが先生に知られてしまわないか不安で仕方なかった。
「何かしら」
「それはちょっとここでは」
「別に変なことじゃないわよね」
「そんなのじゃないですよ」
 彼にとっては真剣な話である。だがそれは決して言わないし言えはしない。彼は本等に今一世一代の勝負をかけようとしていたのであった。
「じゃあ何処で?」
「それはちょっと」
「生徒指導室なんかどうかしら」
「えっ」
「そこなら誰もいないわよ。どうかしら」
「それはそうですけど」 
 これは意外な言葉だった。だがその通りだ。あの部屋なら誰にも何も言われないし二人きりになれる。康則にとっても思いもよらぬ提案であったがいい提案でもあった。
「じゃあそこでいいわよね」
「はい」
 康則は頷いた。そして二人はそのまま生徒指導室に入った。その中にある机に向かい合って座った。
「で、話って何かしら」
「はい」
 言おうとする。だが胸の鼓動が高まり、緊張してきた。それをどうにも止められなかった。どうにも言えそうにない。それでも言わなければならない。しかし勇気が出ない。どうしても。言おうとしても言えないのだ。それがどうにももどかしいのであった。
 先生はそれに気付かない。どうもこうしたことにはかなり鈍感であるらしい。普通に何か悩みがあって来たのだとばかり思っていた。確かに今康則は悩んでいる。しかしそれが自分に向けられたものであるとは思わなかったのである。
「先生、転勤するんですよね」
「ええ、そうよ」
 その話かと思った。それまで少し緊張していた先生は急にリラックスした様子になった。
「今日でこの学校の行事とかは終わりなのよ。来年度からは鷹田高校でね」
「やっぱり」
「馬場君達ともお別れよね。君達とは何かと色々あったけれど」
「そうですね」
「悪ガキで。困ったわ」
 先生はくすりと笑ってこう言った。
「手を焼いたしよく怒ったし」
「はあ」
 確かに。康則はその中でも一番怒られたくちであった。
「けど。それももう終わりね」
「そうですよね」
「それ聞きに来たのかしら」
「はい、あと」
「まだあるのかしら」
「・・・・・・・・・」
 康則は言葉を出せなかった。どうしても言えない。それでも言わなくてはならない。それはわかっている。どうしても言えなくてもだ。それでも言葉が出ない。
「何?」
「はい」
 覚悟を決めた。遂に言おうと決めた。
「それで先生」
「ええ」
「付き合ってる人とか。います?」
「?いないけど」
 こう答えるのは予想していた。まずは第一段階は越えた。
「欲しいけれどね」
「じゃあ。俺じゃ駄目ですか?」
「えっ!?」
 先生には最初この言葉の意味はよくわからなかった。
「あの、馬場君」
 そして康則にあらためて問う。
「今何て」
「俺と。付き合ってくれませんか」
 隠さずに直接言った。
「誰もいないのなら。もうここの先生じゃなくなるし」
「・・・・・・・・・」
 今度は先生が黙ってしまう番であった。思いも寄らない話にキョトンとした顔になっていた。その整った形のいい顔が埴輪みたいになっていた。
「それじゃあ。いいですよね」
「駄目よ」
「えっ」
 役がまた変わった。今度は康則が声をあげた。
「何で」
「何でって先生と生徒じゃない」
 先生の返事は素っ気無いものであった。
「だから駄目なのよ」
「けれど転勤するんじゃ」
 康則は少しムキになって反論してきた。
「そうしたら」
「馬鹿ね、先生はまだここの学校の先生なのよ」
「えっ!?」
 この言葉には動きを止めてしまった。
「だって。まだ始業式の時の転勤の挨拶してないでしょ」
「あっ」 
 それを言われてやっと気付いた。康則は自分でも気付かないうちに焦ってしまっていたのだそして言うタイミングを誤ってしまったのであった。
「しまった・・・・・・」
 顎が外れんばかりに愕然となった。机の上で固まる。けれど彼は運命の女神と恋愛の女神には捨てられてはいなかった。先生はにこりとして康則に言ってきた。
「もう一度ここでね」
「もう一度って」
「だから一学期の始業式の後よ」
 先生はどうにも楽しそうな、嬉しそうな顔になっていた。
「また来て」
「それでここで」
「ええ、また言って。そうしたら」
「いいんですね、それで」
 康則はようやくどういうことか頭の中でわかってきた。そして先生に確かめた。
「始業式の後で」
「いいわよ、けれど約束よ」
「はい」
 その顔に急に生気が戻る。どういう事情なのかわかったのだ。
「それじゃあまた」
「始業式の後で」
 二人はまた確かめ合った。
「ここで言ってね」
「はい、同じこと言いますんでその時は」
「私もここの先生じゃないから」
「お願いしますね」
 彼はやったと思った。一生で最大の勝利を収めたような気持ちであった。それに満足感を覚えていた。そして先生と二人で部屋を後にしたのであった。
「それじゃまた」
「はい」
 挨拶を交わして別れる。見れば先生の足取りは軽やかで何か鼻歌混じりですらある。どうやら告白されたことが内心とても嬉しいらしい。
「じゃあ俺も」
 心がうきうきしてきた。年上の可愛い恋人。そのことを思うと嬉しくて仕方がなかった。春休みが終わるのが待ち遠しくて仕方がなかった康則であった。


小さな勇気   完


                  2006・8・8
 
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