横浜事変-the mixing black&white-
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殺し屋の日常はありふれていて、人間臭いものである(前)
前書き
近ごろ一気に冷えましたね。自分は先週友達と駅前で鬼ごっこをしたら風邪を引きました。
「ぐっ、はぁ……」
久しぶりに全力疾走したので息が苦しい。脇腹がキリキリと痛みを訴え、額からは冷たい汗が流れてくるのが分かる。後ろからの追っ手はいつの間にか途切れ、ケンジはようやく解放されたのだと実感した。
学校を出た直後、見知らぬ女子生徒はもの凄いスピードで追いかけて来た。何度か捕まりそうになりながらも、信号や右折してきた大型トラックなどの障害物が功を奏した。おかげでこうして逃げ切れている。
――でも知らない人から追い掛けられるって、けっこう怖いかも……。
例え同じ学校の生徒であったとしても、知らない人は知らない人なのだ。しかも美人が鬼のような顔で追い掛けてくるので余計に焦った。時折足がもつれそうになったのが、今では恥ずかしく思える。
ケンジはそこで自分が横浜駅まで走り続けてきた事に気付き、内心で苦笑いする。ふと思い出して、携帯を確認。しかし仕事関係のメールは届いていない。やはり今日は休みなのだろうか。だが安易に決め付けるわけにはいかない。彼は一人の仕事仲間へ電話を掛ける事にした。二回目のプッシュ音が鳴った後に、気怠そうな男の声が受話口から流れ込んでくる。
『よぉ、俺』
「あ、もしもし。暁です。赤島さんですか?」
『んあーわりぃ。いつもの癖で名前出すの忘れちまった。で、どうした?』
「えっと、今日の仕事はオフってことで良いんですか?」
『その話か。まぁ俺も迷ったんだけどさ。でも本部から連絡来ねえし、今日はゆっくり休もうぜ』
「そ、そんなにあっさり……」
『あれだ、もし仕事したいなら言えよ。俺の方で二、三件仕事溜まってんだ』
「い、いえ大丈夫です」
『つかお前今ヒマ?』
「え?あ、はい」
美人との白熱した追いかけっこで息が切れていたが、すでに回復している。横浜駅西口前の雑踏に目をやりながらケンジは会話を続ける。
『そんなら俺らと飯食わね?中華街とかで』
「今からですか?」
『そうだが……。あれ、お前って横浜の方なんだっけ。じゃあちょっと遠いか』
「いえ、すぐに行けます。ご飯食べましょう」
『あー、無理しなくていいぜ?』
「無理なんてとんでもないです。むしろ、中華街はほとんど行ったことないし、たまには良いかなって」
『そういうことなら案内してやるよ。じゃ、西門でな』
「は、はい」
そう答えるとすぐに通話が切られ、携帯に通話終了の画面が浮かび上がっている。それを見ながらケンジは心中で疑問の種を膨らませていた。
――西門ってどこだろう?
*****
午後17時頃 横浜中華街西門
JR石川町駅を降りて本牧通り沿いを少し歩くと、白を基調にした絢爛たる門が建っている。これが中華街への入口であり、俗に延平門と呼ばれる歴史深い特徴の一つだ。
中華街には四つの門が存在し、それらにはちゃんとした意味があるらしい。この延平門という名前は、平安・平和の永続を願い名付けられたのだと赤島は説明してくれた。
日を重ねるごとに太陽の沈む時間が早くなり、この時間帯は街灯の力を借りなくては不便になりがちである。それでも人足は減る様子を見せず、むしろ会社帰りのサラリーマンや学校から直行して遊んでいる学生の姿で溢れていた。
そんな人口密度の高い区画の中で、ケンジは赤島と法城、宮条と一緒に店を見て回っていた。門を背にした大通りには左右に多くの中華料理店が軒を連ね、ときどき芳しい香りがケンジの鼻孔をくすぐり、腹がか細い音を立てた。他の通りとぶつかる十字路にはそれぞれの流れに沿う人の群が混在し、少しでも気を緩くしたら波に飲み込まれてしまいそうになる。
「ここ、本当に凄いですね……」
「ケンGあんま来ないの?」
「はい。小さい頃に母さんと来たぐらいです」
「そりゃ横浜市民として勿体ないねえ。おすすめしたい料理いっぱいあるよ?」
法城がいつもの黄緑パーカー越しに笑いながら語る。その隣にいた宮条は前を向きながら「あそこよ」と人差し指を向けて教えてくれた。
そこは他の通りが複数合わさった広大な場所で、それに見合った人数を動員している。宮条が指すのはまさに真正面で、再び分断された通りの真横に建つ店だった。周りの店があまり目立つ色を使っていないのに反し、その店は赤と黄色をふんだんに使った装飾が特徴的だった。
入口の上部に『朱華飯店』という大きな看板が吊り下げられており、その存在を否応無しに引き付けている。
赤島が先頭に立って店内に入る。その後に宮条、法城、ケンジと続いて座敷の部屋に誘導された。店内も外観と同じく煌びやかな色合いをしていて、壁に竜の絵や紋章などが描かれているのが中華らしくて楽しかった。
――竜の頭がメニュー版で隠れてる……。
注意して見なければ分からないような箇所を発見し、心中でクスッと笑うケンジ。そんな彼の様子には気付かず、座布団に腰を下ろした赤島達はすぐに何を食べるかという話をし始めた。隣に座る法城に促されてケンジも選ぶ事にしたのだが、彼は僅かに顔を引きつらせた。
「た、高い……」
「いやいや、中華街舐めすぎでしょケンG。学校帰りにパクッ!ぐらいならまだしもここはれっきとした中華料理専門店。でもここはまだ安い方っすよね、宮条さん?」
「ええ。他の店のほとんどは3000円以上だから、ここはまだ良い方ね」
「さ、3000?確かにこっちの方がお得ですね……」
――てっきり1000円クラスしかないのかと思ってた……。
透明なカバーで保護されたメニューに書かれている料理はどれも高価で、一番安い料理で2100円。値段が張る料理になると10000円は軽く越す。これが本場の中華なのだと実感しながら料理を選んでいると、突然耳元で誰かに囁かれた。
「……ご注文はお決まりになりましたか?暁ケンジくん」
「うわっ!?」
自分がメニューに夢中になっていたのか、それとも相手が気配を消して自分の隣まで来ていたのか。ケンジは身体を飛び上がらせながら法城の方へ身体をのけ反らせていた。その様子を見た宮条が呆れ混じれに言葉を紡ぐ。
「客を驚かせる店員ってどうなの、宇春」
「ゆ、ゆーちゅん?」
ケンジが疑問形で呟くと、目の前にいるチャイナドレスの女が妖艶な笑みを顔に浮かべて、恭しく自己紹介をした。
「初めまして。朱華飯店の店員やってる朱 宇春です。よろしくねぇ」
大人の魅力をあちこちから振り撒く彼女にドギマギしながらケンジも名乗る。しかし直後にもう一つの疑問が発生した。
「あの、なんでユーチュンさんは僕の名前を知ってたんですか?」
「前に狩屋くんから聞いたの。うちに新人が来た、って」
「なるほど……」
もしかして、ここは殺し屋の行きつけなのではないか。そう考えると近くで酒を煽っているサラリーマン達が滑稽に思えてきた。
そう遠くに意識をやっていたケンジは、顔の前に宇春の顔が近づいている事に気付いた。反射的に身体をのけ反らせる。
「え、その。何でしょうか……?」
思わず顔をまじまじと見てしまう。枝毛一つない黒い長髪、全てを慈しむかのような優しい目、ピンク色の柔らかそうな唇、チャイナドレスから覗く豊満な胸――あらゆる点が大人の色気を放出し、ケンジの思考を少しずつ尻切れトンボ状態にしていく。
「う……ぁ……」
「そこのエロ女、遊んでないで仕事しとけ」
と、今まで沈黙を貫いていた赤島が仕方なくといった風に言葉を投げかけた。「エロ女じゃないわよぉ」と軽く否定しながら宇春はケンジから顔を離す。それと同時にケンジは大量の汗を顔に流しながら、深い息を吐いた。
「ありゃ、やりすぎちゃったかしら」
「いえ、気にしないで、くださいぃい」
「暁も暁だぜ」
咎めるような声で指摘する赤島。何故自分が、と驚きを隠せないケンジは彼の方を向いて理由を問う。
「僕、今の状態で何か出来ましたかね?」
「胸を揉む」
「……はい、じゃあご飯頼みましょうか」
完璧に赤島の言葉を無視した宮条によって場が一瞬で元通りに冷めていく。宮条、法城、暁、赤島の順に頼まれた料理を、宇春が素早くメモ帳に書き取る。そしてケンジにウィンクしてから調理場へと戻って行った。
最後の最後まで気の抜けなかった展開に、疲れ果てたケンジは隣にいる法城に問い掛けた。
「ユーチュンさんって一体何者ですか?」
「何者って、ここの店員さんだよ。まあ、裏の顔もあるけど」
「裏の顔?もしかして……」
「ああ、殺し屋じゃないよ。『何でも屋』ってのをやってるんだ」
「何でも屋?」
「うん。許容範囲なら何でも引き受ける、副業みたいなもんかな。詳しくは彼女本人から聞きなよ」
「そうですね、そうします」
それから数十分後、頼んだ料理が到着した。ケンジは中華丼を頼んだ。本場の店まで来て定番なメニューもどうかと思ったが、価格的な話もあってこれが妥当だったのだ。
中国で使われているらしい散蓮華を使ってご飯と具をごそっと掬う。綺麗なしょうゆ色をした八宝菜に白米が絡み合い、それらが絶妙な風味を作り出している。掬ったうちの半分を口に入れる。そしてその瞬間、ケンジは『これが本場か』と無意識に目を見開いた。
少し濃い醤油味を持ったとろみが肉野菜と白米を軽くカバーしているが、その中でも野菜たちは生きていた。適度なサイズに切られた肉はとても柔らかく、臭味はないのに自然と肉そのものの味を出していて美味しい。木耳の独特な噛み応えは健在で、中華丼という世界で盛り上げ役に走っていた。
気付くと中華丼は全て胃の中に収まっていた。量が決して少なかったわけではない。夢中になり過ぎた結果、あっという間にたいらげてしまったのだ。
「おいしかった……」
自然と笑みと言葉が漏れ出す。すでに食べ終わっていた赤島が爪楊枝で歯を掃除しながらニヤッと笑った。
「だろ?仕事ばっかりやってても面白くねえ。こういうところで気を抜かないとな」
やがて法城と宮条も食べ終わり、宇春が食器を片づけに来た。今は仕事中なので何でも屋については今度聞こうと決めていたケンジだが、当人から話を振ってきた。
「私に何か質問があるんじゃないのん?」
「ありますけど、お仕事が終わってからの方が良いかと思って……」
「真面目なのねぇ。私そういう人大好きよ」
身体を艶めかしくくねらせながら呟く宇春に思わず視線を逸らすケンジ。だが「あんまイジるなよ」と赤島に釘を刺され、宇春は軽い調子で謝る。そして自身の副業について食器を持ったまま話し始めた。周囲から見れば不思議な光景だろう。通路の邪魔にしかなっていない。
「何でも屋っていうのはねぇ、簡単に言えば何でもする人。あ、Hはやらないわよ?」
「わ、分かってます」
「家のお掃除したり、お年寄りの荷物運びやったり、何故か市民マラソンに出たこともあるわねぇ。そういう表向きの仕事が大半だけど、中にはこの人達みたいな仕事もある」
『この人』というところで微笑みながら殺し屋一同を見渡す宇春。だが怖がっている様子はない。彼女もある程度裏側に浸っている人間なのだろう。ケンジはあまり追及しないように黙っていたのだが、彼女の口から詳細が吐き出された。
「警察の情報を奪えって言われたらクラッキングするし、ビルを燃やせって言われたら燃やす。あなた達みたいなことも、ね?」
つまり、人を殺せと言われたらそれに従う。指示された通りに命を軽々と消す。目の前の女性からそんな狂気じみた色は感じられないだけに、ケンジは身震いした。だが自分も彼女と似たような立ち位置だという事に気付くと、彼女の事も何となく納得出来てしまう。
――僕だって、見た目だけじゃただの高校生だしね。
「これが何でも屋ってところかしら。横浜には私以外いっぱいいるわよ?」
「そ、そうなんですか?」
「君も何でも屋になるといいわ。あ、学生じゃ突然の仕事に向かえないわねぇ」
宇春はそれだけ言うと食器を調理場へと戻しに行った。彼女がいなくなって束の間の空白が生まれるが、それを打ち破ったのは意外にも宮条だった。
「腹ごしらえもしたところだし、もう出ない?」
「そうっすね。どうします、ケンGに案内でもしてやります?」
法城が賛成し、一つの提案を口にする。てっきりご飯を食べたら帰るのだと思っていただけに、ケンジは慌てて携帯で時間を確認した。と、そこで一件メールが入っている事に気付く。送り主は母で、今日は早く帰ってこいという内容だった。
話が緻密に進む前にと、ケンジは三人の殺し屋に簡単な事情を説明した。すると彼らはあっさりと事情を飲み、料金を払って店を出る運びとなった。彼らとはここで別れるつもりだったが、どうやら行先が同じらしく、元来た道を一緒に歩く事になった。
「皆さんは普段何をされてるんですか?」
世間話がてら、ケンジが赤島に聞いてみる。すると彼は腕を組んで少し悩み、あっけらかんとした声で言った。
「遊んでる」
「え?」
「いや、殺し屋って基本専業でよ、午前中とか昼間はみんな暇なんだよ。そこの宮条とかいう納税者は除くけどな」
嫌味たらしく言葉を紡ぐ赤島に対し、名前を出された長身の女性は無表情を固めて嫌味を返す。
「社会不適合予備軍の一人には言われたくないわね」
「俺働いてるし。つか、俺もお前も社会不適合以前の問題だと思うぜ」
人を殺すのを仕事と呼んでいいのだろうか。少なくともケンジ達が裁かれるに値する存在であるのは間違いなかった。
それを改めて身に染みたケンジが僅かに顔を曇らせたところで、赤島が遠い目で呟いた。
「俺は人を殺す事を生業にする人でなしだ。捌きは受ける。俺の命でな」
やがて彼らは行きと同じ延平門の下を通り、JR桜木町駅前にまでやって来た。ケンジはここから横浜方面の電車に乗るが、赤島達は適当に歩いて時間を潰すらしい。
「なあお前ら、たまには東京にでも行ってみね?」
「何しに行くんすか?ナンパすか?」
「赤島さん、歳を考えて」
「俺はナンパなんて言ってねえよ。ああでも、下北沢か渋谷辺り行きゃ可愛い子いるか?」
「赤島さんやっぱり興味津々じゃないすか!」
「私、早く帰って寝ようかしら」
主体性のない会話を聞きながらケンジは思う。これが彼らの休みの使い方なのだと。他の人には分からない独特の感触を常に味わいながら彼らは生活している。
精神面ではかなりやられている筈だ。八幡や狩屋という仲間が死に、赤島と宮条本人は実際に怪我を負っている。『朱華飯店』で赤島はチャーハンを頼んでいた。きっと蓮華なら利き手ではない左手を使って食する事が出来るからだろう。しかし、少しだけ血が滲んだ包帯はとても痛々しいものだった。
「皆さんは」
そのときケンジは無意識に言葉を放っていた。人の喧騒が絶えない駅前付近で、三人の殺し屋がこちらに顔を向けている。そんな彼らの顔から目を逸らさずに、彼らから逃げないように、ケンジは胸の内に膨らむ疑問を吐き出した。
「皆さんはどうしてそこまでして戦い続けるんですか?」
たったそれだけ。どうしても腑に落ちないが故に口から漏れ出した言葉。しかしケンジにとって、この質問の答えは重要だった。
『殺し屋の電話番号』をきっかけに知った横浜の裏世界。そこは血と硝煙と殺意が立ち込める理性を越えた場所。復讐という陳腐な理由で世界を歩くケンジには、彼らの行動原理が謎めいたままだった。彼らはここにいなくとも生きていけるだけのコミュニケーション能力と『個』を持っている。だからこそ、理解出来ない。
ケンジの真剣な問いに、赤島は肩を竦めて答える。
「殺し屋ってのはなりたくてなるもんじゃない。お前みたいに復讐から世界に入って来た奴もいれば、一般社会から弾かれた奴もいる。現実で失敗して絶望した奴だってもちろんいる。だがな」
無精髭を生やした殺し屋は珍しく意志の籠もった声でケンジに言葉を突きつけた。
「俺らは今、この世界で生きてるんだ。人を殺して生きるってのもイカれた話だが、俺らには重要な事だ」
「……!」
「他の奴の事は知らんが、少なくとも俺は俺の命で代償を払う。ちっぽけなもんかもしれねえけど、それまでは生きてやるさ」
最後に二ヘラと笑いながら一言残して、彼は二人の仲間をつれて夕暮れの街から姿を消していった。
「今は他人より自分が大事なんでね」
後書き
ストックがなくなったため、週に一定の投稿が出来なくなると予想します。本作品の特性上、一気読みをお勧め致しますので、お話が溜まってきたら読んでいただければと思います。よろしくお願いします。
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