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山の人

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第九章


第九章

「この山でいいんだよね」
「ええ」
 亮子は自分の方に振り向く宗重に対して答えた。
「この山よ。今日登る山はね」
「そうか。ここなんだ」
 宗重は山の入り口を見つつ述べた。
「ここを登るんだ」
「嫌かしら」
「いや、山は大好きだから」
 これは亮子が思った通りの返答だった。
「だからね。是非ね」
「そう。山だったらね」
「山は何処でも大好きだよ」
 その剃り残しがやたら目立つ顔での言葉だった。
「何処でもね。だから」
「この山でもいいのね」
「うん」
 妻の言葉に微笑んで答えた。
「だから。山なら何処でも」
「そう。よかったわ」
 夫のその言葉を聞いて彼女も笑顔になった。
「私も選んだかいがあったわ」
「それで。頂上まで行くんだよね」
「そうじゃないと登ったことにはならないでしょ」
「そうだよね」
 夫は妻の今の言葉にも頷いた。
「やっぱりね。それはね」
「だからよ。二人で」
「頂上までね」
「行きましょう。張り切ってね」
「うん。それにしても」
 ここでまた彼は言うのだった。
「意外だよ」
「意外って?」
「君がこうして登山に誘ってくれるなんて」
 彼は今考える顔で述べていた。
「最初はまさかって思ったけれど」
「あなたが好きだって思ったからよ」
 何故かは隠して答える妻だった。
「だからよ。山にね」
「誘ってくれたんだ」
「そう。いつも公園の森に行ってたじゃない」
「うん」
 夫のことがわかった原因の一つである。
「それもあったし」
「緑は。好きだよ」
 宗重は自分でも言った。
「確かにね」
「だったら。この山はいいのね」
「奇麗な山だよね」
 入り口から山を見上げての言葉だった。
「秋らしくてね」
「私は。紅葉が好きだから」
 実は自分の好みも入れている亮子だった。この辺りはちゃっかりとしていた。
「ここにしたのよ」
「紅葉は僕も好きだよ」
 宗重の目はここでも微笑んでいた。
「僕もね」
「山が好きだからね」
「そうだよ。だから」
 やはり理由はこれであった。
「この紅葉の中山に登れるなんて」
「私も一緒だけれど」
「それも勿論だよ」
 妻のことも忘れてはいなかった。こちらはどうにも山の前にはいささか負けている感じではあったがそれでも、なのであった。この辺りは微妙なものもあった。
「当然ね」
「じゃあ。二人で」
「うん、行こう」
 先に足を踏み出したのは宗重だった。その大きな靴で一歩前に出た。
「頂上までね。二人でね」
「山は。今が丁度いいわね」
 亮子は山について語った。
「そういえば朋絵は今は」
 ここで親友の朋絵についても思うのだった。
「海ね。南の」
 彼女は彼女で夫婦で南のバカンスに出ているのだ。その願い通り海に行っているのである。
「楽しくやってるかしら。スタイルも整ったし」
 彼女はスタイル、そして亮子は体力。それぞれ欲しいものは身に着けることに成功したのである。やはり身体を動かすことこそが大事であった。
「夫婦仲良く」
「じゃあさ」
 考えていると宗重が彼女に声をかけてきた。
「行こうよ」
「あっ、そうね」
 声をかけられ我に返る亮子だった。
「それじゃあ。二人でね」
「途中でへばったら駄目だよ」
「わかってるわよ」
 笑顔で夫に返す。
「その為に。しっかり身体整えてたのよ」
「走ってだよね」
「そうよ」
 このことは夫も知っているのだった。
「それでよ。だから」
「そこまでするなんて」
「驚いた?」
「そうだね」
 妻の言葉を認めて頷く。
「僕はそこまでしないからね、とても」
「すると思うわ」
 しかし亮子はここでこう言ったのだった。
「あなたも。するわ」
「するかな」
「するわ、絶対にね」
 絶対と言い切ってさえみせる。
「私もそうだから。あなたも」
「僕も。そうかな」
「するわ。ほら、いつも」
「いつも?」
「散歩の時だけれど」
 彼女が話すのはその時のことだった。二人が休日にいつも並んで歩くその散歩のことだ。二人にとってはかけがえのない時間にもなっているのだった。
 
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