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あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.

作者:ふじやま
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08

 白く塗られたコンクリートの壁と、畳が敷かれた床。
 国立児童社会復帰センターの体育館。一階に間取られた一五平方メートル一二八畳の柔道場。
 白壁の上部に嵌められた窓からは午前の青い光が差す。遠く外の運動場からは時折銃声が響く。

「それじゃあ、モモ。お前に俺の近接格闘術を叩き込む。俺の沽券にも関わるから、これからは出来るだけ負けないように」

 その静寂の中に、低い男の声。蔵馬だ。場所に相応しく、使い込まれて袖や襟のすり減った道着を纏っている。

「顎を引いて、身体は正面に向かって斜めに傾ける。肝臓がある右側が後ろだ。
両手を顎の近くまで挙げて、脇は締める。拳は固く握るな。筋肉が強張って動きが遅くなる。
脚は肩幅より少し広く。重心に常に気を配れ。転んだら死ぬぞ」

 言葉が向けられた先、長い黒髪を後ろで一つに結った少女が、彼の言うとおりの姿勢を取る。
 純白の新品道着を着たモモだ。
 蔵馬はモモを一周して全身の構えを確認し、頷く。

「まあいいだろう。その構えが基本だ。忘れるな」

「はい師匠!」

「いやそういうノリいいから。じゃあまず、格闘技の基本、分かるか?」

「パンチですか?」

「そう、パンチだ。今から教えるのは基本中の基本パンチ――ジャブだ。
これが全ての攻撃の始点であり、初めのジャブ一発で終わらせるのが理想だな」

 言いながら、蔵馬は左手を顎まで挙げ、ジャブを宙に放つ。
 肩が、腕が、手首が鋭くしなる。道着の袖が乾いた音を立て、鳴り終わった時には既に蔵馬の左拳は顎の位置に戻っていた。
 常人には反応が難しいほどの速度。全身の筋肉が無駄なく作動し、体重が乗せられた一閃。
 これを一発顎に受けた人間は、間違いなく脳震盪を起こして行動不能になるだろう。
 現に蔵馬はこのジャブだけで、今までに幾人ものテロリストを倒してきた。

「やってみろ」

「はい」

 モモは左の拳に力を込め、そしてジャブを打つ。
 とろっとした、鈍く、遅いジャブだった。重心も拳に乗らず、上半身だけ打っているから姿勢が前のめりになっている。

「…………」

 これでは格闘技を少し齧った事のある人間なら簡単に躱せる。
 蔵馬はモモの姿勢を直し、要点を一つ一つ説明していく。
 重心の移動。腰の回転。肩と腕の動作。そして拳の固め方。

「十発くらい打ってみろ」

 モモは十回、錆びたぜんまい人形のような動きでジャブを打つ。

「どうですか?」

「うーん……」

 思わず唸ってしまう。
 初めから変に銃器の知識があったり、すんなりとその撃ち方を覚えたりしはしたが、こっちの方は一筋縄ではいかなそうだ。
同じ体術でも、タンポポはすぐに斧の扱い方を体得した。初瀬が案外教え上手という事もあるだろうが、それ以前に義体の潜在能力の差であるようにも思える。
 そういえば、と蔵馬は思い出す。
日本製義体の運動性能は、ある程度義体の素になった人間の影響を受けると技師たちが言っていた。耐久年数を伸ばすため、神経系は多くが素体の物をそのまま使われている為らしい。
 確かに同じ人工筋肉を用いて作られている割には、義体たちには身体能力にある程度のバラつきがある。例えばアザミは信じられない程の瞬発力でノミのようにピョンピョン飛び跳ねるし、タンポポはセンターに至る山道でエンストした初瀬のデカいアメ車を、センターの駐車場まで一人で押してきた。
 比べてモモは、300キロの訓練用丸太をなんとか一人で担げる程度の膂力しか持たない。恐らく元は運動が苦手な少女だったのだろう。

「まあ、何事も初めから出来る奴なんていないか」

 そう結論付け、蔵馬はモモの肩を叩いて。

「じゃあ取り敢えず、ジャブ千回」

「千回……頑張ります。一、二、三、四……」

 マンガみたいな目標設定だが、蔵馬の眼は本気だ。モモは黙って拳を刻み始める。
 地味な稽古だが、これが案外キツイ。人工筋肉は本物の筋繊維よりも持久性が高いが、それでも三百を超えた辺りから肩の辺りが熱くなってきた。

「……クラマさん、義体って鍛えたら筋肉つくんですか……?」

「つかん」

「じゃあなんでこんな事を……」

「筋肉を鍛えてるんじゃない。神経を作ってるんだ。いいから黙ってやれ」

 そう言われたらやるしかない。柔道場内に、ジャブの動きに弾かれる道着の袖音だけが響く。
 モモが千本ジャブを始めてから数分後。
回数が残り三百を切った頃に、柔道場に顔を覗かせる者がいた。眼鏡の女、坂崎だ。
 開けっ放しだった戸を潜り、足音を立てずに畳の上を歩く。蔵馬の背後まで行き、モモと向かい合って悪戯っぽく笑んだ。
 モモと目が合う。
 モモは助けを求めるような目をするが、坂崎はいつもの笑顔を振りまくだけだ。

「動きが鈍くなってきたぞ。ロボコップみたいな動きしやがって、ヤル気あるのか」

「……あります!」

「だったらもっと気合い入れろ。一九八〇年代のロボットに負けるんじゃない。最新型だろうが」

「……はい!」

「腕が下がってきてるぞ。どんなチビと戦うつもりだ、腕挙げろ」

「腕挙げろー」

 声が混じった。
 背後からの坂崎の声に蔵馬は肩の筋肉をピクリを動かし、しかし落ち着いた態度で彼女に振り返った。

「……いつからいたんだ」

「たった今来たところですよ。楽しそうにしてるから、邪魔するのもあれかなーと」

「本当に邪魔しにきたなら仕事に戻れ」

「いやー蔵馬さん全然気付かないからちょっと興が乗っちゃって。ちゃんと用はありますよ」

 背の高い蔵馬を見上げて口角を柔らかく上げ、坂崎は手に持っていた黒いバインダーを差し出した。

「お仕事です」





 神奈川県厚木市。東京や横浜のベッドタウンとして人口を抱える街だ。
 蔵馬はヴェゼルの助手席にモモを乗せて、厚木市の中心である本厚木駅までやって来た。衛星都市としての機能が強い街だが、本厚木駅の周辺は繁華街の様相を見せて雑多としている。
 蔵馬はヴェゼルを路肩に停め、車内時計で時間を確認。
午後三時過ぎ。奥多摩から高速道路をかっ飛ばして遥々やって来たが、一時間以上かかってしまった。

「ここに対象が潜んでいるんですか?」

 停車したヴェゼルの周囲を見渡すモモは、外の人々を大きな瞳をクリクリ動かして追いかけている。

「対象……まあそうだな。ここらでクレジットカードを使った形跡がある」

 坂崎が持ってきた仕事は、人物の捜索だった。
 ただいつもの違うのは、捜索対象がテロリストでもその協力者でもない。一般人の少女だ。
 蔵馬はダッシュボードに置いていた黒いバインダーを手に取る。そこには三白眼気味な黒髪の少女の写真と、彼女の詳細なデータが書き込まれた書類がある。
 名前は斎藤美希。十五才。神戸にある私立高校の一年生。父親は外交官。母親は専業主婦。そして母方の祖父は――。

「西京重工業の重鎮、斎藤孝三か……やれやれだ。こういうのは常盤が大得意なんだが、あいつ今大阪に出張中だしな」

「その人って私たちと何か関係あるんですか?」

「西京重工業は、センターの資金提供元の一つだ。公な資金提供じゃないが」

「その大口投資者の孫娘が行方不明になったから、私たちまでその捜索に駆り出されてる訳ですか」

「行方不明ってほどでもない。ただの家出らしい。とりあえず俺は一旦警察署に行って情報を集める。もしかしたら補導されてるかもしれん。お前は……そうだな」

 バインダーを閉じてモモに渡し、蔵馬はモモの顔を見る。
 いつも通り、幼気な美少女だ。この娘を連れて行って、事情を知らない警察官は自分の話をまともに取り合うだろうか。否だろう。車の中に置いておくのも、それはそれで人目を引く。

「その辺ぶらぶらしてろ」

「ええ、なんですかそれ。私も一緒に行きますよ」

「連れて行きたくないから置いていくんだ。この辺はセンターの顔が効かない。お前がいると目立って仕事が滞る。情報が集まったら迎えに来る。ほら、これ持ってろ」

 蔵馬は懐から、今や旧式となった折り畳み式の携帯電話を出してモモに渡す。
任務中に担当官と義体が別行動を取る際に、連絡用にと支給されている物だ。
フィルタリングが掛けられており、インターネットには接続できないように設定されている。担当官との連絡以外には使えない、まさに電話としてのみにしか使えない代物だ。精神年齢が時折見た目の齢を、見た目の齢分下回る義体にインターネットは害悪でしかないのである。

「念のために言っておくが、絶対に銃を抜くなよ?」

「分かってますよ、それくらいの常識はあります」

「そうか、まあそうだよな。すまん」

 さすがに心配し過ぎたか。
 先日焼き芋と詐称してセンター内で飼育している鯉をアザミたちと密かに貪り食った事件が、変な疑心の尾を引いているのかもしれない。
 モモは普段からどこか抜けているし不真面目でもあるが、最低限の常識はある。
 蔵馬はモモへの信頼に欠ける発言に反省し、そして今日の昼食がまだだったことを思い出す。

「モモ、金の使い方は分かるか?」

「失礼な! こう見えてもやりくり上手なんですよ!」

 モモは鼻を鳴らして胸を張った。
 以前、アザミやムラサキ、タンポポらと石室に連れられて青梅まで出た際、石室にお小遣いとして百円を貰って駄菓子屋でお菓子を買った経験がある。そこでモモは、十円の駄菓子のみを攻めて物量による満足感を得ることに成功している。五十円の高額商品二つで済ませたアザミや、三十円前後の商品で中途半端な買い物をしたムラサキ、何故かおみくじを引いて吉と書かれた紙切れを手にしたタンポポと比べて、格段に買い物上手と言える自負が、モモにはあった。
 自分ならば、百円どころか、一つハイランクな五百円硬貨すら使いこなすことが出来るに違いない。
 モモの内心を与り知らぬ蔵馬は、何故か自信満々な様子のモモの怪訝そうな顔をしながらも、自身の黒革財布から適当に中身を抜いた。

「じゃあこれで適当に飯でも食って待ってろ」

「………………………………」

「どうした?」

「ごっ……ごっ……!」

 五千円だった。樋口一葉だった。身の丈を大きく上回る大金だった。
 過去に使った金額の五十倍だ。こんにゃくスティックゼリーを五百本買える。おみくじだって五十回も引ける。確実に大吉を引けるだろう。

「いいんですか……こんな大金……!」

「大金……? うん、まあ好きに使え」

「うわああぁ…………!」

 まるで待ちに待った補給の食糧を受け取ったガダルカナル島の日本兵のように爛々と目を輝かせるモモに、蔵馬は自分の義体に対する接し方に不安を持つ。
 ――俺はそんなにモモに貧しい思いをさせているのだろうか……?
 欲しいと言った物はだいたい買い与えてやっているつもりだったのだが、年頃の娘と言えば娘な彼女にしてみれば、色々と不足していたのかもしれない。
それとも、センターの食事が足りていないのだろうか。彼女らは基本的に現状に対する不満をあまり言わない。だから黙って耐えているだけで、本当はいつもすきっ腹を抱えているのかもしれない。だからアザミはこっそり救荒食であるジャガイモなんぞを育てていたし、その空腹が限界に達した故に、この前はつい池の錦鯉など食ったのだろう。
 飢餓の辛さは身に染みて分かっている。よもや自分がそのことに気付いてやれなかったなんて、担当官、いや、大人失格だ……。

「すまなかった。帰りに美味い物をお腹いっぱい食わせてやる」

「え、本当ですか!? やった!」

 蔵馬の憐憫溢れる面持ちとは対照的に、モモはルンルンニコニコで車を降りた。
 車を発進させる前、蔵馬は窓からモモの顔を覗いて言う。

「お前ならたぶん知らん男に声を掛けられるだろうが、絶対について行くなよ。無視するか、しつこいようなら俺に電話しろ。いいな?」

「分かりました」

 モモの頷きに頷きで返し、蔵馬はハザードランプを切って、シフトレバーをニュートラルからドライブに切り替える。アクセルを踏み込んで車線に戻り、手を振るモモが後方に消えていくのを見ながら、小さく溜息。
 そしてスーツの内ポケットから煙草の箱を取り出した。





 蔵馬を見送ったモモは、五千円を丁寧に折りたたんでブレザーのポケットに入れ、ぐるりと周囲に目を巡らせた。
 本厚木駅前の広場。あちらこちらから人が湧き出て、駅に吸い込まれていく。そして同じだけの人間がまた駅から流れ出てくる。平日の午後だけあって、制服姿の少年少女が多い。
 とりあえず人ごみに入ったモモは、ある場所を探して足を動かしていた。
 いくつかの信号を渡り、路地を抜け、そして見つけた。
 赤い看板に黄色のM。アメリカ合衆国が誇る肥満と塩分過多の殿堂、暴力的なまでの脂質と化学調味料で世界中の舌を虜にして止まない、ファーストフード界の首領。マクドナルドだ。

「……えへ」

 その店舗前で、モモは緩んだ笑みを漏らす。
 たまに任務で街に出るとかなりの頻度で目にしていたこの店に、モモは変な好奇心と憧れを抱いていた。
 マクドナルドに対して、モモは様々な評価を耳にしている。
 蔵馬曰く、日本に住んでいるならわざわざ食う必要のない物。
 常盤曰く、味が濃すぎて舌がバカになる物。
 石室曰く、太るための食事。
 初瀬曰く、美味い。
 坂崎は『時々食べたくなるんですよねー』と言っていた。
 他のセンター職員も、似たり寄ったりな、肯定とも否定とも取れない事を言う。そんな不思議な食事を提供するのが、モモにとってのマクドナルドであった。
 ずっと前から訪れてみたかったのだが、機会に恵まれなかった。そもそも奥多摩にマクドナルドは無い。
 そしてこの度、ついにマクドナルド入店のチャンスを得た。軍資金もたんまりある。価格設定は知らないが、きっと足りるはずだ。なんたってこちらには五千円もあるのだ。
 モモは意気揚々とガラスのドアを潜り、店内に踏み込む。
 中はそこそこ混雑しており、特に学生の客が多い。
 どう振る舞えばいいのかは、坂崎から学習済みだ。
 モモは数人並んでいるレジの最後尾に着いて、前の客が掃けるのを待つ。
 その間にモモの後ろに男性客が並んだ。ついに列の中に組み込まれた事に謎の感動を覚えつつ、モモはレジの後ろに張られたメニュー覧を眺める。
 やはりここは、王道にして全ての礎たるハンバーガーだろうか。いやしかし、チーズバーガーと言うのも美味そうであるし、てりやきバーガー何ていうものもある。
 思案している間に、モモの番が来た。
 レジの向こうにいるのは長い髪を三つ編みにした女性店員だ。

「いらっしゃいまセー、店内でお召し上がりでしょうカー?」

 言葉に訛りがある店員だ。外国人だろうか。
 モモは首をカクカク縦に振って、

「えっと……」

 再び考え込む。まだ何を食すか決めていない。
 こういう時、どうすればいいんだろうか。蔵馬ならどうするだろうか。
 モモは頼れる担当官の言葉を思い出す。
 『モモ、怪しいと思った所はとりあえず全部撃て。たぶんどこかにゲリラがいる』
 なるほど、つまりこういうことだろう。

「これと、これと、これと、これ、あとこれも全部ください」

「えと、全部ですカ? 多いですヨ?」

「大丈夫です。よろしくお願いします」

 言って、折りたたんだ五千円を差し出す。店員もそれ以上は何も言わずに注文を通した。
 数分後、モモが頼んだ商品各種がトレイに乗って来た。
 ハンバーガーにチーズバーガーにてりやきバーガーにポテトにオレンジジュース。完璧だ。これだけ買って、まだ四千円近く残っている。やはり自分の買い物スキルは天性のものがあるに違いない。モモは鼻高々になって、トレイの上の物を食する席を探して店内をうろつく。
 疎らに埋まってはいるが、空席もいくつか見受けられる。
 もっとも近くの空いている席に、モモは腰を下ろした。
 そこは椅子が向かい合った二人用席の通路側。
 壁側のソファー席には既に、茶色く毛染めしたセーラー服姿の少女がおり、スマートフォンから突如現れたモモに顔を上げて、目を丸くしていた。

「……あんた誰?」

「私はモモです」

 少女に問われ、モモは素直に名を答える。

「そう、モモね。そんで、何でここに?」

「? ご飯を食べに来ました」

「いやそれは分かるって。そうじゃなくて、何でその席に座ったの? あたしに何か用?」

「あれ、マクドナルドって空いてる席に座っていいんですよね?」

 もしかして、自分の知らないマクドナルドルールが存在するのだろうか。席に座った後のことは坂崎に教わっていない。あるいはこの席には既に先客がいたのだろうか。
 モモは冷や汗を一筋垂らすが、少女はしどろもどろするモモの様子に吹き出した。

「まあいいや。あんた変わってるね」

「そうですか?」

「うん、普通そこに座らないし、そんなたくさんハンバーガーばっかり食べないよ」

 山積みのバーガー類を指差して笑う少女。
 モモは首を傾げながら、ハンバーガーを手に取って包装紙を剥く。そして一口。

「……おいしい!」

 濃い味付けの薄い肉と味の薄いパサパサのパンがケチャップを伴って口の中で混ざり合い、条件だけなら不味いとも言えるはずの代物を、舌は何故か美味いと判断して脳に伝える。
 大企業の幾星霜に渡る試行錯誤の末に作られた、脳に直接叩き付ける科学の旨味が、そこにはあった。
 二口三口と美味しそうにハンバーガーを齧るモモを、少女は珍しそうに見ている。

「ハンバーガーをそんな美味しそうに食べる人初めて見た」

「だって美味しいじゃないですか。想像していた通りです。来てよかった!」

「想像通りって、もしかして初めてマクドナルドに来たの!? あんた歳幾つよ!?」

「半……十五歳です。私の住んでるところって、マクドナルドとか無いんですよ」

「へー、そんな場所が日本にあるんだ。あんた――同い年だしモモでいっか。モモってもしかして、滅茶苦茶田舎にある旧家のお嬢様だったりする?」

「滅茶苦茶田舎ではありますけど、旧家とかそういうのじゃないです。どうしてですか?」

「なんか雰囲気それっぽいじゃん。言葉遣い綺麗だし、見た目もザ・清楚って感じだし」

「清楚……」

 モモはハンバーガーの一片を口に入れ、チーズバーガーの包みを剥がしながら鏡に映る自分の顔を思い出す。
 思い出したところで自分の顔以外の何物でもなく、とりあえず顔を設計した技師が優秀だという事にしておこう。

「モモは今高校生だよね? それ制服?」

「私服です。私学校に行ってないんで」

「って事は中卒? このご時世にやるね」

「中卒でもないです」

「え、嘘、小卒!? そんなのあり得るの!?」

 あり得ないだろう。
 モモは言葉を返さずチーズバーガーを食い尽くして、てりやきバーガーに取り掛かった。
 そもそもモモは教育機関など通ったことも無いし、生後半年なら行くとしたら託児所だ。
 ただこれ以上の情報は出すべきではないと、頭の中で誰かに言われた気がして口を噤む。
 何も言わないモモに、勝手に事情を想像して解釈した少女は神妙そうに頷いて、それ以上は聞いてこなかった。

「貴方のそれは制服ですよね?」

「そりゃそうでしょ。コスプレじゃ無いんだし」

「学校の帰りですか」

「んー、いや。あたしはあたしで事情があってね。今は家出中だから学校もサボり」

「そうですか」

「え、それだけ?」

「じゃあどうして学校サボったんですか?」

「そして訊くのはそこか。……別にサボった訳じゃなくて、正確に言えば停学中。そんで親とケンカしちゃって、こんなところまで来ちゃった」

「よく分からないですけど、それって結構プライベートな話題ですよね。どうして初対面の私にそんな話を?」

「なんでだろうね。誰かに聞いてほしかったのか、それともモモが話しやすい子だったのかも」

 モモは首を傾げながらバーガー系を食べ尽くし、ポテトをつまむ。
 塩辛い。確かにこれは舌がバカになりそうだ。

「どうぞ」

「ありがと」

 単独で食べるのはキツイと判断して、少女の方にポテトの山を差し出した。
 二人で揚げ芋を減らす。最後の一本を溶けた氷で薄まったオレンジジュースで流し込み、空になったトレイにモモは手を合わせる。

「ごちそうさまでした」

「ねえ、モモってこの後暇?」

「暇ではないです。人を待たないといけないので。駅の近くにいないといけません」

「じゃあ駅前なら良いわけでしょ? ここで知り合ったのも何かの縁だし、その人が来るまでどっか遊びに行かない?」

 少女の提案に、モモは手を顎に当てた。
 年頃の娘がいったいどんな遊びをするのか、正直好奇心がくすぐられる。
 蔵馬は知らない男について行くなと言ったが、相手が女の場合については禁止されていない。

「念のためにお尋ねしますが、貴方は女性の方ですよね?」

「は? 当然でしょ。ほれ、これが見えぬか」

 少女はかなり豊満なその胸部をモモに見せつける。センター基準で言えば石室サイズだ。

「分かりました。連絡が来るまでの間ならいいですよ。えっと――」

 モモは少女の名前をまだ聞いていない事に気が付いた。

「貴方のお名前は?」

「あれ、言ってなかったっけ。あたしは斎藤美希。どうぞよろしく」





 蔵馬は厚木の警察署の玄関扉を出て、煙草を咥えた。
 先端に火を点して、警察署の外壁に背もたれる
 結局警察では禄に情報は集まらず、全くの無駄足だった。
 こうなったら写真を手掛かりにして、地道に探していくしかない。
 過去にこういった仕事をしたことが無いわけではないが、やはり権力者に私用として働かされるのは乗り気がしないものだ。
 紫煙を深く肺に吸い、溜息と一緒に煙を吐いた。
 ともかくモモと合流しよう。それから女子高生が訪れそうな場所を当たる。
 蔵馬は携帯を取りだし、モモに渡した携帯の番号を履歴から探す。

「はーやれやれや」

「お前次同じことしたらぶっ殺すからな」

 警察署から、坊主と、顔面に傷のある二人組の大男が出てきた。
 人相が極めて悪く、スーツの襟元には揃いのバッチ。そして漂う血の臭い。明らかに堅気の人間ではなかった。
 彼らから何かを感じ取ったのか、蔵馬は煙草を握り潰して携帯と一緒にポケットに入れ、彼らの後ろに追く。
 男たちは蔵馬の追跡に気付かず、話を続けた。

「まさか話しかけただけで通報されるとはな」

「お前みたいな厳ついのに声かけられたら、誰でもお巡り呼ぶわ」

「黙れ、殺すぞ」

「ええから、早う探すぞ。ただでさえ無駄に時間使って食ってんねん。なんて名前やったか」

「斎藤美希。ったく、なんで俺らがこんなこと……」

「――おい」

 人気の疎らな裏道に入ろうとする二人に、蔵馬は後ろから声をかけた。
 二人は眉間に深く皺を寄せ、威嚇する猛犬のような容貌で振り返った。

「誰や兄ちゃん」

「あんたら、斎藤美希を探しているんだな?」

「だからお前誰や」

 坊主の方が蔵馬の胸倉を掴んで、道路脇の民家の塀に押し付ける。
 そして顔面を近づけ、瞳孔の奥を覗き込むようにして睨みつけてきた。

「斎藤美希の事、兄ちゃん何か知ってるんか? なら教えてくれんか?」

「訊いてるのは俺だろうが」

 恫喝するような声色と手荒い扱いに蔵馬は嘆息。
 周囲に通行人がいない事を確認し、そして器状にした右手で坊主の耳を叩き、鼓膜を割り裂いた。
 蔵馬の先制攻撃に驚き、思わず胸倉の手を緩めた坊主。蔵馬は体を落としながらその手首を取って捻り、地面に投撃。
 坊主の巨体がコンクリートに当たって歪み、苦痛の呻きを上げた。
そこに容赦なく、頭部に足裏でのスタンピング。頭蓋を強打し、坊主は気を失った。

「お前……!」

 傷の男は咄嗟にボクシングスタイルの構えを見せた。

「俺の質問に答えてくれたら、俺はすぐに消えるんだが」

「殺す!」

 傷の男は素早いステップで距離を詰め、ジャブを繰り出す。
 モモの数倍は様になってる、良いジャブだった。が、蔵馬はそれを上半身の反りだけで躱し、間隙を縫って男の喉の手刀を入れた。
 傷の男は気道を潰された激痛に動きを止める。
 命取りの停滞だった。
 側面に回った蔵馬は踏み込むような膝蹴りが男を跪かせ、低い位置に来た頭髪を掴む。
 そして民家のコンクリート塀に顔面を叩き付けた。

「斎藤美希を探しているのか?」

 再度尋ねる。

「うるせえ……絶対に殺す……!」

 蔵馬は男の口を手で塞ぎ、顔面を横に滑らせた。粗い表面の塀が、男の顔の肉を削ぎ落す。苺の果肉のような小さな赤い塊が、塀にこびり付く。

「――――――!!」

「静かにしろ。そして答えろ。斎藤美希を探しているのか? 何故だ?」

「…………黙れ、絶対にころ」

 口を塞いで滑らした頭を元の位置に擦り戻す。感触がゴリゴリと硬い物の擦過に変わった。どうやら傷が骨まで届いたらしい。
 くぐもった男の絶叫に、蔵馬は言葉を重ねる。

「早く言えよ。これ以上人ん家の壁汚すな」

「わ、わかった……言う、俺らは斎藤美希を拉致るように言われたんだ」

「誰に?」

「親父にだよ!」

「親父……やっぱり暴力団かお前ら。それで、何人で来た? 人探しなら他にもいるだろ」

「若いの入れて八人だ……もういいだろ……早く放せ……」

「狙う理由までは聞かされてないよな。まあいい」

 蔵馬は髪から手を放し、襟の代紋を毟り取る。そして男の後頭部に膝蹴りを入れた。
 失神して崩れ落ちるヤクザをその場に残し、足早に立ち去る。
 そろそろ騒ぎを聞きつけた地元住人か、通報を受けた警察がやってくる。ここは警察署から徒歩数分の場所である。
 道を右往左往。数百メートル離れて、なんとか安全圏まで逃れた蔵馬は携帯を取り出す。
 カメラで奪った代紋を撮影し、その画像を添付したメールを常盤に送る。
 そしてメールに続いてダイヤル。

『蔵馬君か、今の画像は何だい?』

「ヤクザの代紋だ。どこのか分かるか?」

『ちょっと待ってね……大柳組だって。関西の暴力団扇組の直系だね』

「関西の? どんな連中だ?」

『詳しくは僕も知らないけれど、確か外国人の不法就労斡旋とかを主な資金源にしていたはずだよ』

「……そうか。分かった」

『どうしたんだい? 何かトラブルでも?』

「いや、大丈夫だ。助かった」

 通話を切り、続いてモモの番号にかける。

『もしもし』

 電話に出たモモの声は、荒い息が混ざっている。聞こえる音も何やら騒がしい。どうやら走りながら話しているらしい。

「モモ、今どこだ? 何してる?」

『えっとですね、何と言えばいいのやら』

「どういうことだ。状況を説明しろ。短く的確にだ」

『短く的確……斎藤美希を見つけました。そして』

 そして、

『怖いおじさんたちに追われています』
 
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