ソードアート・オンライン 少年と贖罪の剣
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第七話:決意決着
前書き
ウチの茅場さんは少し変人です。
視界がノイズの海に沈んだ。五感全てを封じられ、意識だけが世界に取り残される。
この感覚を味わうのは一体何度目だろうか。
ナーヴギアと脳の接続不全。この現象はそれによって引き起こされたものだ。
恐らく仮想世界でのオレのアバターは、PoHの目の前でポリゴン片として散っただろう。奴の驚く顔が見れないのが残念だ。
ーー復讐、か…
無感の空間で、意識のみが活動する。いつこの意識が仮想体へ復帰できるのかは分からないが、ゆっくりと考えるいい機会ができたとでも思うことにしよう。
思えば、黒鉄宮へ自主投獄されてから、感情の整理をつける事はしなかった。ただひたすらにこの世界を終わらせる為に剣を握り、振り続けた。黒鉄宮の管理を行っている《軍》の連中には呆れられたものだ。
ーーアイツらを殺してから、なにも考えられなかったからな
オレが殺した。理由がどうあれ、直接アイツらの命を絶ったのはオレだ。それは決して許されることではないし、許されてはいけないことだ。
オレは心が弱かった。だから、考えることから目を背けた。罪の意識に苛まれるのが耐えられないと怯え、約束を果たす為だと思考を閉ざした。
ーーけど、いつまでも逃げているわけにはいない
今日、PoHにオレの目的は復讐かと問われ、オレは答えることができなかった。
ラフィン・コフィンについて思う事は大してなかったはずだった。いや、今回の事件に恨みや嫉みといった感情はなかった。だが敢えて言うのならば、アイツらが苦しんでいる事に気づくことができなかった自分への呪詛だけがあった。
しかしそれは誰に向けられるわけでもなく、ただオレの心を苛むだけだったはず。はずだったのに、PoHやザザ、ジョニー・ブラックの姿を見た時には、オレの体は奴らを殺そうと動いていた。
PoHに復讐かと問われた時、そうしてしまおうかと考えた自分がいた。
なにせラフコフさえいなければ、アイツらは装備資金を揃える為に攻略組の情報を流すこともなかったのだ。
だがそれでラフコフに怒りをぶつけるのは見当違いもいいところだ。
ーー選んだのはアイツら。ラフコフは、選択肢を与えただけ
分かっている、理解している、納得している。
だからオレがPoHの首を撥ねても、アイツらへの弔いにもならないことも分かっている。
だが、奴はアイツらを自分と同じだと言った。
アイツらは、自らの快楽の為ならばどんな事でもする畜生と同じにされたのだ。
ーーそれだけは認めることはできない
アイツらがレッドギルドと繋がろうと、アイツらの意志は本物だった。
このデスゲームから全プレイヤーを解放する。それまでは、自らの体を盾にして人々を守る。その信念を通すため、神の盾は結成されたのだ。
一体どれ程の覚悟を持っていればそんな信念を抱くことができるのだろうか。
ああ、そうだ。アイギスはラフィン・コフィンとは違う。
アイギスはこの世界からプレイヤーを解放せんと剣を掲げた英雄であり、ラフィン・コフィンはその英路の邪魔をする障害でしかない。
アイギスの最期となった結果などどうでもいい。その過程、彼女らの魂は、信念は本物だったと、オレが覚えていればいい。
ーーアイギスは、オレと共に在る
ならばこそ、PoHを殺してはならない。もしアイギスのリーダーだったネロがオレと同じ立場であってもそうしただろう。
なにせ、アイギスは万人を守り救う盾なのだ。アイギスの敵はプレイヤーではなくソードアート・オンラインこの世界自体。
幾ら人を殺してきたPoHであろうと、アイギスであるオレが殺すわけにはいかない。
故に、憐れな殺人鬼には、死以外の哀れな末路を。
「貴様を、救済する」
ーー即ち、永久投獄である。
† †
目の前で起きた複数の不可解な出来事に、PoHは舌打ちを漏らすことしかできなかった。
麻痺毒で痺れさせたレンの命を狩ろうと友切包丁を振り上げれば彼のアバターが自壊したり、少ししたら麻痺、ダメージ、その他諸々の弱体化が完全に治癒した状態で、まるで散ったポリゴンを掻き集めるようにレンの体が復活していた。
「貴様を、救済する」
なにがあったのだろうか。なにが起こったのだろうか。
迷いのない瞳でこちらに剣の切っ先を向けるレンに、PoHは胸中でそう喚くしかなかった。
「救済、だと…?」
「ああ、救済だ。貴様はこれから、このゲームから助け出されるのを安全な黒鉄宮の牢獄で待っていればいい」
それはこの世界に囚われたプレイヤーにとって何よりもの救済となるだろう。なにせプレイヤーにとってはこの世界からの解放こそが救済となるからだ。
このデスゲームがクリアされるまで、自分は危険を冒さずにただ助けを待つ。
死ぬ危険など万一にもない。
一体、これを救済と言わずしてなんと言うのか。
だが、それは常人にとってのものだろう。
殺人鬼である彼にしてみれば、その提案は認められるものではない。
そもそも基準が違うのだ。
プレイヤーはこの世界から逃れたいがために戦う。しかし殺人鬼は違う。
彼らは歪ながらもこの世界を愛し、そして楽しんでいる。
ならばこそ、万人にとっての救済は彼にとっての救済足り得ない。
それ故に、PoHは剣を執った。
「シッ!」
鋭い気勢から放たれるは攻略組のトッププレイヤーと比べても遜色のない速さの突き。
幅広の剣から繰り出されたそれは、躱す為に大きく体を動かさなければならない。
レンの体が回避しようと左へ動く。しかし、それこそがPoHの狙いであった。
幾ら彼の殺人鬼が攻略組のトッププレイヤーと同程度の実力を持っていようと、それではレンに及ばない。
そんな事はPoHも承知の上だ。だから、汚い手でもなんでも使う。
「Stupid」
回避を選択したレンの体目掛け、PoHは友切包丁を握るのとは逆の手に持っていた小型のダガーを伸ばした。
剣先には緑色。先ほどレンを麻痺状態にした毒が塗られてあった。
レンの体勢から回避は不可能。勝利を確信し、笑みが浮かぶ。
「喰らうとでも?」
レンの体がブレた。遠心力が加わった下段からの斬り上げが、ダガーを弾き飛ばす。
「馬鹿な…!? 速すぎる!」
それは異常なまでの反応スピードの速さ。
レンがPoHの持つダガーに気づいたのはPoHがレンを罵倒した時その瞬間。そこからダガーがレンの体を貫くまで、一秒はかからないだろう。
しかし、それは右回転による遠心力の加わった斬り上げで阻止された。
「くっ!」
強烈な一撃を受けて後方へ流された左手をすぐ様、友切包丁へ添える。
「イッツ・ショウ・タイム」
己のセリフが聞こえてきた時には既に、白銀の英雄の姿は漆黒の暗殺者の懐の内に在った。
黒の十字架剣が下段から首を斬り落とさんと振り上げられる。
途轍もない殺気を辿って中華包丁のような剣を掲げると、それが弾き飛ばされる。
「ぐっ、ぉおおおお!!」
紅い眼光がPoHを見据え、そして殺意を迸らせて動き出す。
本能が告げる警鐘に従い、友切包丁を振り回すもレンは一撃一撃を余裕を持って捌く。実力差は明白。搦め手すら防がれた。攻撃に移られれば防ぎきる事はできない。正に八方塞がり。
数字で全てが決まるこの世界では、覚醒などということはまずあり得ない。
「ーー終わりだ、PoH」
紅い眼光と青白い眼光に睨まれ、そしてPoHの体にV字の斬撃が刻まれた。
《バーチカル・アーク》。片手直剣用二連撃ソードスキルによって、PoHのHPは残り10%を切った。
「……く、クク…」
膝をついたPoHが、フードによって隠れた唇から笑い声を漏らした。
「哀れだ。哀れだなぁ、英雄サマよォ! 結局お前が頑張った所でアイギスが裏切った事実は変わらねぇ! 幾らお前が訴えようと、アイギスは悪名高い裏切りギルドのまんまだぜ!」
裏切りギルド。それは正しい。紛れもなくアイギスは攻略組プレイヤーを裏切り、そしてあの惨劇が生まれた。レンもそれを否定する要素など持ち合わせていないし、するつもりもない。
それについて何を言われようと、もう、どうでもよかった。
「それがどうした? アイツらの信念は本物だった。アイツらの魂は紛れもなく英雄のものだった。そしてそんな魂が、オレと共に在ればそれでいい」
レンの意思は固まった。恐らくそれが揺らぐ事はないだろう。
彼はこれから、常にアイギスと共に生きていく。
「じゃあなPoH。せめてオレがこの世界を終わらせる時まで、牢屋で頭を冷やしていろ」
トン、とPoHの胸が軽く押され、そして彼の体は青白い光に呑まれていった。
終戦の鐘が響く。定刻に鳴るようになっている鐘は、皆から恐れられた殺人鬼への敗北宣告であった。
回廊結晶の光が消えていく。殺人鬼は英雄によってその身を永久牢獄へ投じられた。
薄暗い谷底に似合わない、清涼な風が吹いた。
「…終わったよ、ネロ、みんな。
ああ、もう迷わない。この世界は、オレが、オレこそが終わらせる」
誓いを剣に。思いを胸に。過去の因縁を絶った英雄は、聳え立つ迷宮区を見上げた。
「あ、ユメのこと忘れてた」
† †
「レン!」
55層のプレイヤーホームに帰ったレンを迎えたのは、今にも泣き出しそうな表情を浮かべたユメという名の黒い弾丸であった。
「ぐ…っ、ユメ…離れてくれ…!」
見事に鳩尾にクリーンヒットした弾丸は、ペインアブソーバが働いていないせいでその威力をそのまま伝えてくる。
「なんで一人で無理したの!? 心配したんだよ!?」
「そりゃお前が気絶していたから仕方なくだな…」
「だからって転移させることないでしょ!? 復帰したら二人で戦えたのに!」
「あーあーあー、悪かった。悪かったから、取り敢えず脛を蹴るのはやめてくれ」
地味に痛いです。
それにしても、ユメの心配性は相変わらずのようだった。最近では関わりが少なくなってきて少しは変わったかとでも思っていたが、どうやらそんなことはないらしい。
「そういえば、PoHたちは!?」
それが一番に聞くべきではないのか、というツッコミはぐっと堪える。
「オレが全員倒して黒鉄宮に送ったよ。軍の奴から報告と感謝のメールが来たから間違いない」
「え…レン一人で三人も倒したの?」
「まあ、ほとんど不意打ちみたいなものだけどな。運が良かった、ってことだな。だからその人外を見るような目をやめろ」
その目を向けられると結構傷つく事を彼女は理解していないらしい。
「依頼主に依頼達成の報告をしなくていいのか?」
「あっ! そうだった、行ってきます!」
騒がしいのも変わらない。
その少女の不変に、レンは己がどれ程歪んでしまったのかを自覚していた。
「ああ、行ってこい」
しかしそれでも構わないと思う。
自分が歪むことでこの世界から解放されるのであれば、躊躇う道理はないはずだ。
「あ、そうだ……」
「どうした?」
玄関の取っ手に手をかけたところでユメが立ち止まっていた。
どうかしたのかと思い声をかけると、彼女が振り返った。
「レン、助けてくれてありがとう!」
そう言うなり、ユメは家を飛び出して行った。きっと恥ずかしかったに違いない。
部屋に一人残されたレンは、唐突の事に反応できず立ち竦んでいた。
「ーーああ、最近感謝の言葉を聞いてなかったからかな……すげぇ、嬉しかった」
虚をつかれた顔をしていたレンだったが、次第にその表情は和らいでいった。
「オレからも言わせてもらうよ。お前のお陰で前を向くことができた……ありがとうな、ユメ」
決して本人の前で言うことはないであろうから、今の内に感謝の言葉を言っておく。
「…さて、オレも一応アイツに報告しに行くか」
指名手配されている三人を捕縛したのだ。報告に行く義務はあるだろう。
実に面倒だが、仕方ない。幸い目的地は目と鼻の先だ。
† †
「おや、こんな時間にどうしたのかね? レン君」
「報告だよ」
白亜の尖塔の内、最も巨大な建物である『血盟騎士団』本部。そのリーダーの部屋をレンは訪れていた。
「指名手配されていたPoH、ザザ、ジョニー・ブラックの三人をさっき黒鉄宮へ強制投獄した」
「ほう…レン君が一人でやったのかい?」
「いや、一人協力者がいた。そいつと合同だ」
「そうか。素晴らしい成果だ。感謝するよレン君」
憮然と自身を見やる英雄の姿に、ヒースクリフは慇懃に頷いた。
その態度が気に入らないのか、彼は不機嫌そうな顔をする。
「……次の攻略戦は参加するんだろうな?」
「勿論。だが、前回の攻略戦を見るに、しばらくレン君とアスナ君に指揮を任せたい。頼まれてくれるかな?」
「…何故だ? オレよりもアンタの方が信頼されているだろう」
どうやら彼は、自身を過小評価する傾向にあるらしい。
レンの指揮能力は現血盟騎士団副団長のアスナにも引けを取らない上に、彼はプレイヤー全員の期待を背負う『英雄』である。例えヒースクリフが『聖騎士』と呼ばれていようと、英雄には勝てないだろう。
しかし、それは彼には言うまい。
「ふむ…私の正体は知っているだろう? そして、私の身の振り方も」
「……なるほどな。今の内にプレイヤーをアンタがいなくても平気な状態にするということか」
ヒースクリフの正体はこのSAOの開発者であり、SAOのラスボスとして最上階の『紅玉宮』へ君臨する予定の魔王である。
しかしゲーム序盤のプレイヤー達の様子から100層まで到達可能か不安を覚え、テコ入れの為に自らこのゲームに入り込みプレイヤーを纏めて育てたのだ。
「そういうことだ。依存し尽くした所で裏切った時の反応も見てみたいが、しかしそれでは立ち上がれなくなる危険がある。それでは、ヒトの輝きが見ることが叶わなくなってしまうのでね」
「……ぶっ壊れてるな、アンタ」
ヒースクリフ/茅場晶彦 がこのSAOというデスゲームを作ったのは、幼少の頃の夢を叶えるのと、もう一つ、『ヒトという生物の本性』を見たいという知的好奇心が理由であった。
そして見つけたのだ、目の前に立つ男を。
『レン』というプレイヤーは、茅場がこの剣の世界と同時に憧れた『英雄』という存在と呼ぶに相応しい。
その魂の輝き、決して諦めない不屈の闘志、そしてそれを周りに伝播させる人徳。それを見た時、茅場は思ったのだ。
『この魂の輝きをもっと見たい』と。
きっと極限の状況に陥った彼は、今までに見たことのない輝きを放ってくれるだろう。そして、彼の魂に感化された幾つもの光が私の前に立ち塞がるはずだ。
私一人に向けられる数えきれぬ程の見たこともないヒトの輝き。ああ、背筋が凍る程に恐ろしく、そして体が熱くなる程に興奮する。
「そうだな、私は壊れている。だからこそ、このような世界を創れた。しかしそう言う君こそ、中々の壊れっぷりではないか」
「……否定はしない。だからこそ、壊れたお前が創った世界は、同じ壊れているオレが終わらせてやる」
身に纏うは同じ白であっても、抱く夢は対極の位置にある。
壊れた創造主と壊れた英雄、二人が相見える時は、そう遠くないだろう。
to be continued
後書き
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