クルスニク・オーケストラ
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第七楽章 コープス・ホープ
7-6小節
ここがニ・アケリア。マクスウェルを祀る里、ですか。本当に自然がエレンピオスとは段違いに溢れてますのね。
落ち着かないわ。四方を植物に囲まれるのなんて、ガーデニング中くらいで……
「ルドガー!」
この声は。やっぱりエルちゃん。こっちに走ってくる。Mr.スヴェントとローエン閣下も。――あ。
ユリウス、せんぱい……
「まったく、心配させないでよね」
「こっちの台詞だ」
ルドガーがエルちゃんの頭を撫でたような押したような。とにかくも仲良しね、お二人さん。
顔を上げる。ユリウスせんぱいの真剣なまなざしにドキッとする。
……ばか。わたくしじゃなくてルドガーを見てるんですから。
「一か八かだったが、上手く行ったな」
そんな顔でお笑いになったり……するんですのね。
「助けてくれてありがとう――って言っとくべきなんだろな」
「これで分かっただろう。分史対策エージェントの仕事は生半可なもんじゃない。後は俺たちに任せて、時計を渡せ。ルドガー」
ルドガーがホルスターから時計を取り出して、悩ましげにその時計を見下ろす。
はっきり言ってルドガーが探索エージェントを辞めるのは大きな痛手です。これしきのことで辞められては《道標》は集まりません。
けれど、ユリウスせんぱいのお心を汲んでさしあげるなら、ルドガーにはここでリタイアしてもらうのが一番の選択肢。
悩ましい。わたくしはどちらを望めば……
「これはエルのパパの!」
ルドガーが時計を手放すかもしれないという危惧を抱いたのでしょう、エルちゃんがルドガーの腕に飛びついた。
少しの揉み合い。そして、エルちゃんはルドガーから懐中時計を奪い取って抱え込んだ。
「君のじゃない」
「パパの、って言ってるでしょ」
「パパのでもない」
「そーなの! パパとルドガーの時計が、一つになったんだから!」
つい室長と目を合わせた時だった。
「騒がしいわね。親子ゲンカならよそでやって」
この女性……さっき助けてくださった方。
エリーゼちゃんが嬉しげに呼びかけた。けれど、この女性は冷たく突っぱねた。
少しの問答があって、女性と、猫さん、それにエルちゃんが先に行ってしまわれました。
「追いかけよう! 彼女が時歪の因子かも」
いいえ、あれは時歪の因子じゃございません。今回はルドガーの実地研修も兼ねていますから、わたくしは口を閉ざしますけれど。
ミス・ロランドがそう言うくらい、つまり時歪の因子だと誤解されるくらい、あの方と正史のあの方は隔たっているということかしら。
皆さんが次々とお行きになる。ルドガーはすれ違いざまにユリウス室長を睨んで、Dr.マティスたちを追いかけて行ってしまいました。
「すっかり嫌われ者だ」
わたくし以外いなくなったところで、室長が自嘲なさった。
「しょうがありませんわ。ルドガーに不都合な真実は伝えておりませんから。それとも今からクルスニクの因縁と呪いについて教えてあげます?」
「あいつには不要な知識だ」
「弟さんに嫌われても?」
「…………ああ」
意地張り屋さん。顔に「嫌われたくない」とハッキリ書いてましてよ? そういう所がユリウスせんぱいの魅力ですけどね。ほんと、愛らしいほど不器用な方。
「お久しゅう、でよろしいですかしら。ユリウス室長」
「だな。相変わらず室長補佐か、お前は」
「ええ、今はユリウスせんぱいでなくリドウせんぱいの、ですが」
「まさかそのポジション、あいつに取られるとはな」
「わたくしたちの居場所はどうやって突き止めましたの?」
ユリウス室長はポケットからGHSをお出しになりました。
「これの開発者が誰か忘れたか? 俺はマスターコードを知ってるんだ。お前のGHSのコードも登録済みだ。GPSでお前のGHSの座標を辿らせてもらった。リドウが馬鹿正直に俺をルドガーのいる世界に連れてくとも思えなかったんでな」
信用されてませんよ、リドウ先生。まあ結果として両者とも思惑通りに事を進めたのですから、ここはおあいこでよろしいかしら。ただ。
「わたくし、室長にGPSコードをお教えしましたっけ?」
「したぞ。いつかの家飲み会で。覚えてないのか? 機種変したからアドレス教えるついでにって」
「申し訳ありません。最近《症状》が進んでおりまして……」
「――無理はするなよ、と言っても聞かないんだろう?」
「ええ。聞けません」
わたくしが目指すエンディングのためには、多少の無茶無謀は避けては通れませんもの。
「! ジゼル!」
え? ……きゃっ。な、何ですの。急に引きずらないでください。どうして家の壁に隠れるんです?
「! あれは、精霊でしょうか?」
「少なくとも翅を生やして浮いて移動する人間を、俺は見たことがない」
「奇遇ですね。わたくしもです」
翅の精霊が通るだけで、道にいた村人さん方が慌てて拝礼する。畏敬より畏怖が濃い。怒りを買うまいと必死ですね。
「あの翅の精霊、村の中でも権威を持つ立場のようですね」
「この村における崇拝対象といったとこか」
翅の精霊が充分に遠くに行ってから、そっと家の陰から出る。
「気づいたか」
「時歪の因子の反応ですか。ええ。視認はできませんでしたが、気配は感じました。ルドガーも、骸殻能力者が近づけば反応が可視化しますから、気づくでしょう」
ルドガーはわたくしが指導するまでもなく、めきめきと探索エージェントとして成長している。これもクルスニクの血のなせる技、かしら。
「そうだ。室長、先ほどわたくしがお貸しした時計、お返しいただいてよろしいですか?」
「ああ。そうだったな。――ほら」
「ありがとうございます」
ポインセチアのレリーフの白金時計を受け取って、ネックリングから垂れ下がるチェーンに取り付け直す。
はあ。やっぱりこれがあるのとないのとでは、安心感が大違いですわ。
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