あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.
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02
「君の名前は?」
白衣の男が尋ねた。
「モモです」
少女は答える。
「モモ、君は一体何だ?」
男は尋ねる。
「次世代型人工義肢・サイバネティッスATD-06。担当官、蔵馬辰己」
少女は答える。
「私は日本国家と国民に忠誠を誓います」
少女は誓う。
国立児童社会復帰センター。
奥多摩の奥地。山を切り開いて作られた、広大な施設だ。
病気や事故によって日常生活を送れなくなった子供たちや、児童虐待などで心に傷を負った子供たちのリハビリテーションと社会復帰の促進を促すために作られた、国営の社会福祉組織である。
ここに傷を負った子供たち全国から集められ、自然に触れ、互いに協調し合い、高度な医療とカウンセリングを受けながらのびのび健やかに生活している。
――というのが、国が国民に向けて触れ込む、このセンターの内容だ。
では真実はどうなのか。
ここは、ある技術の研究と試験、運用の為に作られた秘密諜報・研究機関だ。
その技術とは、義体化技術。
イタリアで開発され、数年前に技術交換と多額の非公式な資金援助によって日本に入ってきた新技術だ。
人間の身体パーツを人工物と入れ替え、人ならざる膂力と瞬発力を与える。加えて薬物と洗脳によって『条件付け』と呼ばれるプログラミングを施し、担当者の命令に我が身を省みず服従するサイボーグを創り出すのだ。
その被検体は年の若い女性が最も適合率がよく、その為に社会福祉を謳い子供を集める施設を作ったのだ。
まるで漫画やアニメの世界だが、これが実際に運用されたイタリアでは、義体研究から得た技術で先端医療の分野では目覚ましい発展を遂げ、そして国内対テロ作戦においても多くの実績を残している。
ならば使ってみようというのが為政者の考えることだが、やはり少女をモルモットにしての人体実験は世間体が悪すぎる。イタリアでも研究は秘密裏に行われた。
だから義体の研究・運用は、日本政府の人間にも総理大臣と少数にしか知らされていない。
対外的には研究は社会福祉を名目にして、運用は将来創立される予定の日本版CIAの仮組織を隠れ蓑にして、国立児童社会復帰センターは運営されているのだ。
当然、ここに勤める職員たちも、いわゆる普通の就職活動を経てここに来たのではない。
全員が、何か問題を抱えてここにいるのだ。
それは蔵馬辰己も例外ではない。
センター内にある医療棟。義体の修繕や条件付けを行うのもこの施設である。
「モモの具合は?」
蔵馬は病室の質素なベッドに寝かされたモモを見下ろす。
静かに寝息を立てるモモの左肩には手術痕の影も無い。昨夜の銃撃戦でライフル弾を掠ったと言うのに、綺麗な丸い肩があるだけだ。
「大きな傷ではなかったから、少し筋肉と皮膚を替えただけだ」
義体外科医の正木が、目の下にクマを浮かべ、欠伸を噛み殺しながらモモの肩を撫でる。
「肩の傷より、この義体、少し条件付けで調整が入ったぞ。やっぱり作戦中に集中を欠いたのはマズかったみたいだ」
「まあ、そうだろうな……」
「じゃあ俺は上がるぞ。これから作戦に出すって言うから徹夜で直したんだ。頼むから今日はこれ以上俺に働かせないでくれよ」
「ああ、すまなかった」
正木は今度こそ大きな欠伸を放ち、蔵馬の背を軽く叩いて病室から出て行った。
義体はいくら傷付いても、即死でなければ直せる。
だが手術の度に、条件付けの度に使用される薬品が、彼女の脳の機能を少しずつ奪っていく。最後には脳が完全に機能を停止してしまうだろう。
今晩だけで、モモの寿命はどれだけ縮まったのだろうか。
「頼むから、もうこんなヘマをしないでくれよ」
蔵馬の声が呼び水になったのか、モモの瞼がかすかに動く。
同時に蔵馬の腕に巻かれた時計が、小さく短い電子音で午前六時を知らせた。
一日が始まる。
スーツの若い男と紅のカーデガンを羽織った少女が並んで歩いていた。
親子ほど歳は離れていないが、兄妹にも見えない。
通常なら怪訝の目で見られてもおかしくない組み合わせだが、この街では誰も気にしない。『そういう店』の客と従業員だと思われているのだろう。強いて言えば、少女の端正な容姿に目を釣られる男がそこそこいる程度だろうか。
秋葉原。他の街とは似ても似つかない、独自の進化を遂げた現代文化の中心地だ。
どこ彼処からけたたましい電子音や甘ったるいアニメ声が聞こえてくる。
最近のゲームPVやアニメCMがあちらこちらのモニターに映され、美少女キャラクターやら男前なキャラクターが描かれた極彩色のポスターが、どこを見ていても視界に入る。
かと思えばビルとビルの隙間にひっそりと、何やら電子機器の部品を売っているらしい飾り気のない質素な店が収まっていたりする。
一言でいえば、混沌としている。そんな街だ。
「凄いところですね」
美少女キャラクターがデカデカとプリントされた看板を見上げて、少女――モモは感極まったように呟いた。
「秋葉原に来たのは初めてだったか?」
隣を歩く蔵馬は、スーツのポケットから煙草を取り出し、しかし秋葉原は路上喫煙が禁止されている事を思い出して悲しそうに元に戻す。
「はい。何だか目がチカチカします」
「確かに、少し目が疲れる街ではあるな……っと、曲がったぞ」
蔵馬が目で追う先、青いブルゾンと灰色のパーカーの男二人組が、中央通りからドンキホーテの角を右に曲がった。
今二人は、この男たちを尾行している最中だ。
昨夜の捕り物で得た情報で、今日テロリストの会合があることを掴んだのだ。
諜報部の調べでは情報交換程度の小さな集会らしい。だから今回は蔵馬とモモの二人だけだ。モモのタボールも目立つので置いてきた。
浅草の東横インから出てきた彼らの後ろを着かず離れず追って、秋葉原までやってきたのだ。
「あの人たち、秋葉原で何するつもりなんでしょう?」
「会合だ。ブリーフィングで言ってただろう」
「こんな人の多い場所で、ですか?」
モモが首を傾げ、黒髪がさらりと揺れる。
「ああ。連中は秋葉原を好む。あいつらが街中で何を言ってても、誰も気にしないからな」
「どうしてですか?」
「あいつらがどんな物騒なことを言っても、漫画かアニメの話だとしか思われないからだ」
「……?」
モモは首の角度を深くする。
内緒話はあえて人の多い所で、というのはよく言われる話だが、実際ただ人の多いだけの場所では、話す内容によってはかえって目立つこともある。何かを話すにもTPOを弁えなければならないのだ。
蔵馬がそう教えると、モモはよく分かってないのか変な表情でフムフム頷いた。
「分からないならそう言え……。まあ例えるなら、混んでる動物園のちびっ子ふれあい広場で日本でAAV-7の運用を運用する上での課題は、なんて話をしてたら逆に目立つだろ?」
ちょっと例えが下手すぎた。
昔から人と話すのは得意な方ではなかったし、まして子供の相手などしたことがない。こういう時にはどういう風に言って聞かせればいいのだろうか……。
「何と無くですけど、分かりました」
「本当かよ……」
彼女ら義体には、意識下に主だった兵器の情報が一通り刷り込まれている。むしろ今のような例え話の方が、分かりやすかったのかもしれない。
「話題にも相応しい場があるのは分かったんですけど、秋葉原だと大丈夫っていうのがよく分からないです。こんなにたくさん人がいるんだから、少なからず不審に思う人がいるんじゃないんですか?」
「その辺は生後半年のお前には少し実感がないだろうがな、日本って国は、少し前まで本当に平和だったんだ」
「平和?」
「この国じゃあ、今もそうだが、国防意識というものがほぼ皆無と言っていい。いや、国防レベルまで話を大きくしなくてもいいな。みんな自分が犯罪に巻き込まれるかもしれない可能性すら、考えもしない。暴力事件ってのは、それこそ遠い世界――漫画やアニメの中でしか普段は目にしない物だったんだよ」
「だから襲撃だとか爆破だとか言っても、まず漫画の話だろうと考えちゃうんですね。この街では特に」
「そういうことだ」
さすがにテロリストも、往来でテロの計画内容を話したりはしないだろうが。万が一誰かに聞かれた時の保険程度だろう。
前を歩く二人組は、どんどんと秋葉原の街を進んでいく。中心街からは少しずつ外れ、人気も徐々に疎らになってくる。ここまで来るとサブカルチャーの街という風でも無くなってきた。
「でも現実に犯罪やテロはありますよね」
モモは話を続ける。
「そういう危ないものを、水面下で全て一身に背負うのが公務員だ」
「何だかそれ格好いいですねクラマさん」
モモは嬉しそうにピョンピョン跳ねた。
「じゃあ私も公務員ですか?」
「扱いとしては、公務遂行上の備品だろうな」
「備品っすか」
「そうだ。事務所のコピー機とかシュレッダーと一緒だな」
「もしかして、コピー機達にも私たちみたいに名前とかあったりしますか」
「勿論だ。今度紹介してやる……っと、連中止まったな。このまま歩き続けろ。話も止めるな」
二人組が寂れたテナントビルの前で立ち止まった。玄関前に設置された自動販売機を眺める振りをしながら、周囲の様子を窺っている。ブルゾンが前を、パーカーが来た道を警戒している様子だ。
パーカーの男の目が、二人を追っていた蔵馬たちに向けられた。
男の緊張が籠ったヒリつく視線を感じながら、蔵馬は歩みを停めずに話し続ける。
「まず一人目がブル。こいつはパッと見厳ついが、実は凄く優しいし冗談も通じる。二人目はモール。彼は見た目も性根も温厚そのものだが、冗談は嫌いだ。三人目のハンブルはのんびりした奴だ。お前とは気が合うかもな…………よし止まれ」
話しながら二人組とすれ違い、そのまま次のブロックの角で曲がってから、ようやく蔵馬は足を止めた。
「……今の人たち誰です? ブルとかモールとか」
「コピー機さんとシュレッダーさんとコーヒーメーカーさんだ。うちのエースだからよく覚えとけよ」
蔵馬はポケットからスマートフォンを出して、カメラアプリを起動させる。レンズをビルの角から覗かせ、男たちがいる道路の写真を撮った。
取れた画像には二人組は映っていない。既にビルの中に入ったのだろう。
アジトは突き止めた。これからが正念場だ。
「よし、行くぞ」
ビルの内部は驚くほど暗い。北南東の三方を他のビルに囲まれて、日光はほとんど入ってこない。節電の為かそれとも切れているのか、天井の蛍光灯も点いていなかった。西側の窓からの外の光が、唯一の光源だ。
蔵馬は玄関を入ってすぐの所にある階段にモモを置いて外と上階を見張らせ、自身は一階の探索に回った。腰のホルスターからP220を抜いて、サプレッサーを取り付ける。
階段の奥にはエレベーターがあり、最上階の五階に止まっている。恐らく二人組はそこにいるのだろう。
長方形の敷地を持つこのビルは、北側に階段と廊下があり、南側には部屋が三つ。ビルの奥の東側に狭いトイレがある間取りだ。
一階を回り終え、蔵馬は階段にいるモモに五指を開いて見せてから、上を指差した。
奴らは五階。その意は伝わったらしい。頷き、カーデガンの下からサプレッサーの付いたPx4を抜いたモモに背後を任せ、蔵馬は階段を登っていく。二階、三階、四階は扉に鍵がかかっていた。中に人がいる様子もない。
五階。階段からゆっくりと頭を覗かせて廊下を窺うが、無人だった。
だが、この階にはやはり人の気配がある。
身を屈めて、素早く静かに一番西側の部屋の前に移動する。扉に耳を寄せると、話し声が聞こえた。ここだ。
蔵馬はモモと頷き合い、扉をノックする。
中の話し声が止んだ。
しばらく沈黙が流れる。
予想外の来訪者に警戒しているのだろう。
待っていると、向こうが痺れを切らして廊下の様子を確認しに来た。ドアノブが回り、扉が開いた。蝶番側にいた蔵馬は、半開きの扉のノブを掴んで全力で思いっ切り、叩き付ける様に閉めた。
「ごあっ!」
部屋から顔を出そうしていた男が、突如閉まったドアに顔面を押し潰されて吹っ飛ぶ。
閉めたドアを勢いよく開き、蔵馬は室内に踏み込んだ。
「何だお前!?」
唐突な荒々しい来客に面を食らっている男たちは、鼻血を吹いて失神している者を含めて中に五人いた。
部屋には中央に置かれたテーブルと、部屋の隅のスーツケースが三つのみ。
蔵馬が室内の状況を一瞬で確認する間、彼らは突然の事態に驚嘆し固まっていたが、蔵馬の手にある拳銃にすぐ反応した。
「敵だ!」
各々が懐や腰に手を伸ばすが、彼らが目的の得物を手にする前に、二人が蔵馬に大腿部を撃たれて蹲る。
「どうした!?」
室外からの声。隣の部屋にもまだ仲間がいたらしい。知らされていたよりもテロリストの数が多い。諜報部め、いい加減な仕事をしやがって。
「モモ! 行け!」
「はい!」
命じられたモモは、猟犬の如く敵を狩りに駆る。
そのモモに目を向けた一瞬のうちに、先ほどのブルゾンが距離を詰めて飛び掛かってきた。手にはサバイバルナイフが握られている。P220の銃口は間に合わない。
蔵馬は横に跳んでブルゾンの刺突を躱す。間合いと取ったが、銃を構えるより先に、残っていた巨漢の男がテーブルを乗り越えて蹴りを放ってきた。爪先が中途半端に伸びていた、拳銃を握る手を突いた。P220が弾き飛ぶ。
巨漢の追撃を避けて、蔵馬は部屋の奥へと転がった。出口はブルゾンに塞がれ、正面には巨漢の男。その手にはブルゾンが持つナイフが爪楊枝に見えるほど大型のボウイナイフ。
「お前らそれ銃刀法違反だぞ。よく秋葉原に持ってこれたな」
「お互い様だ」
ブルゾンと巨漢が落としたP220を見て笑い、ブルゾンの方が拳銃を拾い上げて蔵馬へ向ける。
二人の動き、何か格闘技をやっていた者の動きだ。
さすがに銃と刃物で武装した格闘技経験者を二人同時に、素手で相手にするのは分が悪い。が、まあ勝てないことはない。
「おい、それもう弾切れだぞ」
「え?」
ブルゾンは蔵馬の言葉に目を奪ったP220に落とす。巨漢の意識も一瞬逸れた。
十分な隙だ。
「――シッ」
溜めておいた足のバネを開放して、床を蹴る。瞬時に巨漢との間合いを詰めブッシュナイフより内側に入った。
右掌底鉤突きを顎に打つ。次いで左アッパーカット。巨漢が思わず後ずさり距離が開いた。
アッパーの引手で腰を回転させ、全力の右フックを巨漢の左脇腹にめり込ませる。拳の感触で、肋骨を砕いたのを感じる。
巨漢の体から力が抜けた。初撃の顎が効いて、脳震盪を起こしているのだろう。
蔵馬は巨漢の襟首を掴んで無理矢理立たせ、ブルゾンに撃たれないように盾にする。
そしてそのまま突っ込んだ。
「くそ!」
ブルゾンは突撃を避けたが、もう蔵馬の間合いだ。ブルゾンの拳銃を持つ手に、蔵馬の回し蹴り。P220は再び宙を舞う。
銃を失ったブルゾンは、ナイフで切り掛かってくる。
蔵馬は紙一重で躱し続け、間隙を縫ってジャブをブルゾンに放つ。三発目のジャブが、顎に綺麗に入った。
脳を揺らされブルゾンの膝がカクンと折れた。蔵馬は身を回してブルゾンの襟と手首を掴み、そして手本のように綺麗な背負い投げを放つ。だが綺麗なのは投げるまでで、投げたブルゾンの胸に自分の肘を突き立て、一緒に地面に飛び込んだ。床に叩き付けられた衝撃と蔵馬の肘に挟まれて、ブルゾンの肋骨は粉々に砕ける。
「ふう」
蔵馬は立ち上がると一息ついて、落としたP220を拾う。
部屋の中は、蔵馬が作った重傷者の山が出来ていた。
近頃満足に訓練出来ていなかったが、案外体は動くものだ。
「おい、モモ」
隣室のモモに呼びかけると、モモははいはいーと呑気な返事を返す。大して心配はしていなかったが、無事だったようだ。
スマフォを出して、待機班に作戦終了の連絡を入れた。数分で諸々の回収に来るだろう。
「そっちはどうだ」
蔵馬が隣室を覗くと、返り血で顔を真っ赤にしたモモと、死体が四つが出来ていた。
全員撃ち殺してしまったらしい。
「……おい、生け捕りにしろと言ったろ」
「え? ……あ!」
つい溜息を吐く。まあ、全員とは言われていない。昨日ミスをして叱ったばかりだ。これ以上責めたら、必要以上のストレスを生じさせることになるかもしれない。
「まあ、いい。こっちで何人か生け捕りにした」
「ごめんなさい……その……」
モモは目尻に涙を浮かべる。
「その……私、生け捕りの仕方を知らなくて……」
「……………………。そうか」
蔵馬は。
そっとモモの頭を撫でた。
引き金を引き、人を殴った手で、今度はモモの頭を撫でる。
何故そうしたのかは、蔵馬自身にも分からない。
叱咤の代わりの、予想外の蔵馬の手。きょとんと眼を丸めるモモ。
「今度、生け捕りの仕方を教えてやる」
「……はい」
「今日はよくやった」
「…………はい!」
蔵馬は少女の頭を撫で続ける。
死体に囲まれて。返り血を浴びて。硝煙の臭いを体に染み込ませて。
それでも男に頭を撫でられるモモは、幸せそうに笑うのだった。
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