Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第3章 禁書目録
26.Jury:『Necromancer』Ⅲ
夜の闇に目を凝らす。街灯など無い路地裏の深い闇の最中で、饐えた空気を引き裂きながら飛来する『それら』を見逃さぬように。背後の彼女に、怪我一つ負わせる訳にはいかないと。
「目ェつむってな。すぐ、終わらせるからさ」
「は、はいっ」
闇の彼方より認めたのは五つ。空き缶に大きめのボルト、車のホイールに打ち捨てられた立て看板、そして金属製のゴミ箱。後半になればなるほど、当たれば洒落にはならない。
「────!」
だから、問題はない。何故ならば、その身に染み込ませた練武こそは合気道。加えて、かの英国探偵騎士がライエンバッハの滝より生還する際に用いた『理合』を標榜する隠岐津流。故に、生還する事こそがその真髄。
右手を前に大きく突き出す、独特の構え。今回は、装甲として纏わずに偃月刀を握って。そのしなやかな刃先で、念動能力により飛来する危険物を次々と受け流していく。勢いは弾丸そのもの、少しでも加減を誤れば腕ごと持っていかれるだろう。
それを可能としたのは、今どき『鍛冶師』などと言う骨董品じみた職に就いている義父から仕込まれた鍛冶師としての最低限度の剣術があればこそ。
それらの間隙を縫う『火炎放射』の放つ炎の礫もまた打ち払い、綱渡りの如くタイトな重心と理合の鬩ぎ合い。舌打ったのは、ゴミ箱で。運悪くか、それとも端から狙っていたのか。中身の空き缶がバラ撒かれ、アルミとスチールの入り交じった散弾じみて降り注ぐ!
「────」
ついつい、癖で『クソッタレ』と叫びたくなるのを口内で噛み殺し、堪える。背後の彼女に、ぎゅっと目をつむって震えている涙子に不安を与えぬ為に。代わり、周囲に潜むショゴスにテレパシーで命じる。
(もしこれでもう一人が『量子変速』だったらと思うと、冷や汗モンだぜ……全弾捕捉、迎撃排除────出来るな?)
『てけり・り。てけり・り!』
言われるまでもない、とばかりに有りもしない胸を張ったかのように。宵闇に版図を広げたショゴスが、主の求めに応じて『防御』を為す。
複眼にて、狙いを定めて一息に。飛び出したのは、影の速度を持つ牙や爪、骨といったモノによる弾幕。しかもそれらはショゴスその物であればこそ、自在に空間を疾駆しながら次々に空き缶を穿ち、喰らう────!
「──“ヨグ=ソトースの空間掌握”!」
最後に、空間ごとゴミ箱本体を捩じ斬る────よりも速く、ゴミ箱が引き戻されて歩く死体の前に滞空する。その意味を図りかね、嚆矢はゴミ箱の方を睨み付ける。
しかし、おかしい。そう、おかしいのだ。何故ならば、『念動能力』使いは逆の死体の筈。彼方は、『火炎放射』の筈なのだから。
その疑念に答えるように『火炎放射』が、ゴミ箱に触れる。強固な金属製の直方体の箱、それが……融解し白熱、沸騰した液体金属の塊になるのにそう時間は掛からなかった。
その意味に気付いた瞬間の『クソッタレ』も、何とか呑み込んで。振り撒かれた灼熱の溶鉱に備えて第一防呪印『竜頭の印』を発動する。
「ッ────!!」
撒き散らされた灼熱の散弾を、空間に浮かぶ魔法陣が防ぐ。先程の空き缶によるモノとは較べるべくもない範囲と個数、そして殺傷力。『竜頭の印』が軋み、燃え尽きつつも防ぎきった。後に残ったのは焼けた壁と路面、呼吸すら苦しい熱気のみ。
だが、何よりも面倒なのは────それが一部に過ぎず、まだ四つの金属液球が浮いている事!
(クソッタレが……あれじゃあ、四発目で殺られる……!)
確かな事だ。何故ならば、この熱金属液塊を操っているのは『念動能力』。『火炎放射』は、手を出していない。
では、どうするか。簡単だ、殺られる前に元を絶てば良い。
その結論に従い、『念動能力』に向き直る。見ればその死人は答えるかのように、真っ直ぐにこちらを向いており────
「────が、ア?!」
視界が歪むかのような、衝撃を感じた。その刹那、目ではなく、耳からでもない。直接、脳味噌に情報が流し込まれてくる。こちらの都合などは当然にお構い無し、廃人になろうと構わないとばかりの圧力で。
(────讃エヨ、遥カナル惑星とぅんっあノ鐘ヲ! 崇メヨ、壮麗タル鐘ノ音色ヲ! 偉大ナリシ、我ラガ“嘲笑ウ大吊リ鐘”ヲ!!)
幻視する異星の風景と信仰、幻聴する人外の声色と思考。まるで、激流の最中の木の葉のように意識が揉まれて消えそうになる。
それを何とか、膝を付かずに。ルーンの加護と食い縛った歯が頬肉を食い破る痛みで辛うじて堪え忍んだ。堪え忍んで、思考を高速で回転させる。
「巫山戯やがって……『念動能力』じゃなくて『精神感応』だと?!」
『精神感応』、即ち他者との精神活動の共有を可能とする能力。それを今、受けたのだ。無論、それだけならば不快な程度だろう。人間同士であれば、だが。
つまり、草食獣に肉食を強制したとでも言うべきか。受け付けないものを押し付けた結果、破綻しかけたのである。
否、それも問題ではない。問題なのは────
「『二重能力者』だとでも言う気かよォ、あの女は」
吐き気を呑み込んで、睨み付けた先。ぎこちない動きで立っているだけの、蠢く死体を。
有り得ない事だ、一人の人間が二つの能力を持つなど。。理論として否定された、学園都市の常識の一つ。科学全盛のこの世において、絶対の詔だ。
だが、知っている。能力では無理でも、魔術ならば幾らでも持てる。では、あの娘は魔術師だった?
それこそ、莫迦な。あの制服は長点上機学園の物に相違無い。置き去りなら兎も角、この学園都市で能力開発を受けていない学生など居ない。
そして能力開発を受けた者は、余程の幸運と能力に恵まれない限り、生涯、魔術は使えない身体となるのだ。例外こそあれど。
──否、違う。死人には、演算を必要とする能力も生命力を必要とする魔術も使えない。つまり────
だから、結論に辿り着く。あのゾンビが使う技は。
(全天周警戒……捜すぞ、ショゴス! 必ずどこかに術者がいる!)
『てけり・り。てけり・り!』
使役する魔術師、それを叩く。確かに、『誓約』は死体には働かない。今なら、問題なくあの死体を『葬る』事も出来る。しかし、都合が良すぎるのだ、何もかも。まるで、誂えられたように。何か、裏がある。致命的な罠の気配を感じた。
「あ、あの、対馬さん……」
「ああ、涙子ちゃん。もう少し待ってくれ」
背後の涙子の不安げな声に、漸く思考を切り上げる。余り不安にさせるものでもない、
わざと名前で呼び掛けて、安心させようと。実のところ、進退窮まっているだけだが。
「────ッ……!」
刹那、第二防呪印『キシュの印』と第三防呪印『ヴーアの印』を発する。その身体は『念動能力』に縛られ、更に精神を『精神感応』に掻き乱されて。もう一方のゾンビ、『火炎放射』だけではない。浮かぶ灼熱の液体金属、それを操る『液体操作』か何かの使い手。その放った炎の礫と、長く延びた溶鉱の鞭打に。
精神攻撃と物理攻撃の持ち分け、大したコンビネーションだと舌を巻きながら。
「……ッ……さて、そろそろ本気でいくか。きな、お嬢さん達?」
残る防御は最終防呪印『竜尾の印』のみ、対して敵には『火炎放射』と残弾二発の液体金属、加えて『念動能力』による拘束と『精神感応』による精神破壊。ほぼ、詰みの状態だ。
だからこそ、奮い起つ。今、倒れてはいけない。背後の彼女の為? 確かに、それもある。だが、何よりも────対馬嚆矢は変態紳士だ。例え死体でも、それが女性であるのならば。
「……終わりに、してやる」
黄金の蜂蜜酒色の瞳、輝かせて。目の前の死体二つに憐れみを。望む望まざるに関わらず、『あるがままの人間』として終わらせる為に。その自我を、貫き通す!
「飢える────飢える、飢える、飢える!」
放たれた溶鉱と火炎礫、拘束と精神破壊を『竜尾の印』が阻み、砕けた。最早、残るは生身だ。抗いようもない。
だが、知るが良い。砕けた四つの印は、虚空に消えた。四つの御印は、『この世ならざる虚空』に御座す『神』に届いたのだ。
泡立つように、ショゴスが虚空に球を為す。やがてそれは、導かれるように形を成して。
「来たれ────ヨグ=ソトースの十三の球体従者。汝が名は『エリゴル』、鉄の冠を頂く赤い男なり!」
『Ka────kakakakakaka!』
現れ出た悪魔の一柱、赤い道化じみた矮躯の男。まるで戯画のような無茶苦茶なデザイン、見れば間違いなく精神に異常を来そう。マトモな人間であれば。
『人が壁をすり抜ける確率は、如何に』
「……ックソッタレ」
その囁きが耳を打つ。恐らくは、嚆矢以外には理解できまい。エリゴルの加護は、『戦いの知識とこれから起こる戦い』。役目を果たしたエリゴルが消える。後には、力を使い果たしたショゴスが残るのみ。これで、もうショゴスの防御も使用不能。だが……切り札足り得ない。意味の分からなかった言葉など。
(『人が壁をすり抜ける確率』……ンなもン、有る訳が!)
そして、止めの一撃が放たれる。四つの能力による挟み撃ち、明らかな過剰威力が、嚆矢に向けて、構えられて。
「……『トンネル効果』?」
「──え?」
言葉は、背後から。意外なほど、近い場所────
「『原子は陽子の周りを小さな電子が回転して構成してるものだから、電子の回転の周期が上手く会えば、壁をすり抜ける事も出来る』……だとか何とか、昔、都市伝説のサイトで見たような……」
即ち、涙子の口から漏れて。明らかな間違いだ、浮薄な情報にすぎない。そもそも、それは量子論の誤った解釈の一つに過ぎず、裏付けも何もない。だが、だが。
「……成る程ね、だから『これから起こる戦い』か」
その言葉の意味を察して、嚆矢はほくそ笑む。そう、それで良い。勝つ意味など、この戦いにはない。だから────例えそれが、無限に零に等しかろうと。
零でなければ、嚆矢の『確率使い』は可能とする。
「じゃぁ、また。甦生して来やがれ!」
「ふあっ、ええ~~っ!?」
故に、涙子を抱き寄せながら壁をすり抜けてその虎口を凌ぐ。
耐震耐火の強固なビルの外壁、それを瞬時に破壊する術は二体の歩く死体にはない。溶鉱も火炎も、念動も精神破壊も。何の意味もない。
残された二体は恨めしげに壁を叩きながら、腐った吐息を夜闇に吐き続けるだけだった。
「あら、あら……ふふ、大したものだこと」
その空間に、涌き出るように女が現れた。波の紋様を刺繍された青いチャイナドレスを纏った……黒い扇で口許を覆う、妖艶な女だった。
そんな、たった一人の女に────歩く死体達は目に見えて恐怖し、逃げるように走り去っていった。
「孫子曰く、『三十六計逃げるに如かず』……間違いの無い判断です、陛下?」
クスクスと嘲笑いながら、嚆矢の消えた壁を撫でる。まるで、愛でも囁くかのように。
潮の香気を漂わせる女は、熱の籠る声を、口の有る場所ではないところから響かせた…………。
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