アスタロト
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第一章
第一章
アスタロト
部屋は異様な雰囲気に支配されていた。
部屋の中央には魔法陣が描かれその周りにはなにやら様々なものが置かれている。塩があれば松ヤニにもある。その他にも何かの内臓や死骸らしきものもある。そしてその魔法陣から離れた場所に結界がありそこに黒い髪に学生服の男の子がいた。彼はそこでやけに古い本を開いてそのうえでブツブツと呟いていた。
「我は求め訴えたり」
呪文のようである。
「我が元に来たれ魔界の王の一人にして偉大なる大公」
次にはこう言う。
「アスタロトよ。我が前にその姿を現わせ」
その言葉が終わると共に魔法陣から氷の柱があがりそれを壊したうえで巨大な竜が姿を現わした。見ればその竜の背に誰かがいた。
黒い服でその身体を包んだ天使である。翼は黒く王冠は黄金で髪は長く豊かだ。そのうえ黒い瞳を持つ顔は流麗で女なのか男なのかわからない程だ。
右手には蛇を持ちその手の爪は紅く禍々しく伸びている。その天使が姿を現わしたのであった。
「私を呼んだのは御前か?」
天使は血で染めたその唇で少年に問うた。
「このアスタロトを呼んだのは」
「そうだ」
彼は何とか落ち着きを保ちつつ彼に応えた。
「僕だ」
「名前は何という?」
「椿谷榮一」
彼はこう名乗った。
「これが僕の名前だ」
「椿谷だと?」
その名前を聞くと急にこの魔王、アスタロトの態度が一変した。
「若しかして御前は日本人か」
「そうだが?」
「またか」
アスタロトは彼が日本人と聞くと何故かうんざりとした声をあげた。
「日本人か。また私に何の用だ」
「何の用だって」
「最近日本人の召還者がやたらと多い」
彼は次にこう言った。
「しかしだ」
「しかし?」
「御前もどうせそうだと思うが日本人は我々悪魔を悪魔と思ってはいない」
これは実に奇妙な言葉であった。
「違うか?」
「悪魔だから召還したんだけれど」
「そういう意味ではない」
困ったような顔になった榮一にまた言った。
「我々を神のそれとは異なる正義を主張していると考えているな?」
アスタロトは単刀直入に彼に問うた。
「そうだな。間違いあるまい」
「まあね」
そして彼の方もそのことを認めた。
「それで何かおかしいの?」
「悪魔は悪だ」
考えてみれば当然の理屈を出してきた。
「悪を為すから悪魔だ」
「けれど失楽園とか読んだらあの神の行動はかなり問題があるじゃないか」
榮一も榮一で負けてはいない。
「それを見たらどっちが正義か悪かわからないよ」
「日本人は正義が幾つもあると思っているな」
「百人いたら百人の正義があるよ」
その日本人の榮一もそれを認める。
「そういうものじゃないの?」
「だから嫌なのだ」
アスタロトはここまで話したうえでまた述べた。
「日本人に呼ばれるのはな。我々を悪とは思っていないのだからな」
「だったら来なかったらいいのに」
「召還されたら来なくてはいけない」
声がまたしても憮然としたものになった。
「それが悪魔の掟だ。掟に逆らうわけにはいかない」
「じゃあ話を聞いてくれるよね」
榮一はその憮然とした彼に対して尋ねた。
「だから呼んだんだし」
「断るわけにもいかない」
アスタロトの声はさらに不機嫌さを増していた。
「それで何だ?」
そのうえであらためて彼に問うた。
「用件を聞こう」
「実は好きな人がいてね」
「ふむ」
ここでは榮一の話を真面目に聞いていた。
「それで力を貸して欲しいんだ」
「そういう話も苦手ではないが」
アスタロトは恋愛の話を持ち出されてまずはこう述べた。
「だが。より得意な者もいるだろうに」
「シトリとかゴモリーとか?」
「わかっているではないか」
どちらも魔王である。シトリは豹の頭に鳥の翼を持つ男の姿をしておりゴモリーは駱駝に乗った赤毛の美女だ。どちらも恋愛成就を得意分野としている。
「そちらを呼んだ方がいいと思うがな」
「それがね」
ところがここで彼は言うのだった。
「その娘の趣味が変わっていてね」
「日本人そのものが変だがな」
「それでね。彼女が言うんだよ」
ここではアスタロトの言葉は奇麗にスルーしていた。
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