Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第3章 禁書目録
26.Jury:『Necromancer』Ⅱ
涙子の消えた路地裏を走りながら、『影』に潜む使い魔に命じる。浮かび上がる無数の目や複眼、あらゆる感覚器官による敵や無関係な人間、或いは不審な物体への警戒を。その間、己は────ステイルのカードに魔力を流し、魔術的な警戒を。
首から下げる兎の脚の護符に刻まれた『大鹿』のルーンの恩恵を受ける健脚は、紺色の暮れ空より見詰める目印の如き黄金の煌月、その放つ道標の如き純銀の月影にしか照らされていない路地裏の薄暗い悪路を軽々と踏破する。背後に笑う、悪辣な虚空を知らぬまま。
『てけり・り!』
「チッ────!」
そして、何とか認識した。辛うじて、致命的なモノを。
警告と焦燥に従い、涙子の背中を見詰めたままに身を捻る。涙子の肩に伸ばしかけた右手をがむしゃらに引き戻し、一回転しながら右肩を背後に反らす。大袈裟なくらいに。
その空間を目にも留まらぬ速さで、『何か』が貫いた。
「クソッタレが────何だ、ありゃあ!?」
本来ならば、見る事も叶わない速さだった。拳銃弾などは及びもつかぬ、ライフル弾でもまだ遅い。さながら、衛星軌道を回るという宇宙塵芥の如き速さで頭の有った空間を貫徹した、その────。
「雀蜂────じゃねェよなァ、あンな化物!」
『────────────!』
怖気と共に吐き捨てた通り、尾節に黒い棘を備えたその姿は、全体的には確かに蜂にも見える形状だろう。大型犬ほどもある蜂が居れば、だが。そしてその忌まわしい菌類じみた頭部には、眼も鼻も口も触角も見当たらない。だが、言語すらないのに明確に敵意と害意を、そして悪意を伝えてくる嘲笑じみた雰囲気がある。我々人類が、足下に這いずる害虫を見付けた時のような。
そんなあやふやな姿を、一瞬だけ。ショゴスの複眼による恩恵、昆虫じみた動体視力をテレパシーによって得た事で、掠め見た気がした。
「今のは……何て、気にしてる場合じゃねェか」
『てけり・り! てけり・り!』
「ギャーギャー煩せェって……分かってらァ!」
そうして、辺りを見回す。先程から、がなり立てるかのように鳴き喚くショゴスの声に、身に刻むルーンに。
凝り固まる澱のような暗がりに消えた『化物』を見据え、その右手に『賢人バルザイの偃月刀』を握り締め────る事もなく、一顧だにせずに涙子の消えた隘路にその後を追って走り出す!
当たり前だ、彼にとって優先すべきは『女の子』の方。『化物』だとか、知った事ではない。そんなものは二の次だと、己の信念に従ったまでの事。
『────────?!』
だから、泡食らったのはその『化物』の方だろう。まさか、ここまで意味ありげに登場しておいての無視を受けるなどとは。今の今まで、能力者にしろ魔術師にしろ脆弱な人間如きを狩る際には一度たりとも無かった事だ。どんな『馬鹿者』も己を前にすれば平静を失い手向かいながら逃げるか、或いは狂うかしていた。
それを、一顧だにせずに逃げの一手などと。有り得ない、と。『化物』は自らの自尊心に掛けて再度、突撃し────ニタニタ笑う猫顔を『本来の顔』に戻し、天魔色の髪を靡かせて反転しながら突き付けられた、漆黒の南部拳銃の照星を睨む蜂蜜酒色の瞳に捉えられた事を知る。
そこは隘路、横の移動では避けきれぬ。かと言って、縦移動こそは射手の思う壺だろう。一発を受けて足を止めれば、追撃により仕留められかねない。ならば、取るべき手段は一つ。更なる加速、それによる突破。一発を受けようとも、一度最高速度に乗れば問題はない。若しも死ねども……その死骸の質量と速度は、縦回避すら出来ぬ獲物を穿ち殺すだろう。即ち、どう転ぼうが問題はない。
問答無用の最高速度、そこに至った『化物』が一気呵成に特攻する。見苦しいまでにひた走る、獲物に向けて。食らう一撃、腸まで食い込んだ銃弾にも構わず────
『────────??!』
そして、己の浅はかさを悔いる。そもそも、敵対者はそんな事は折り込み済みだった筈だ。この『化物』を相手にする以上、そのくらいの分別はつけていた。
そうだ、つまり最初から『必殺』を期して。その銃弾は最初から────『呪いの粘塊』であり。
『────てけり・り』
『Gyyyyyyyy?!』
その人知を越えた体内から、『化物』を……牙と臼歯の乱杭歯をガチガチと鳴らす、人知を越えた『より悍ましい化物』が喰らい尽くす!
風船が萎むように、体内に向けて消え果てた『化物』から一つの混沌が帰ってくる。再び一切を顧みず、走り続けていた嚆矢の元に。
勿論、最初に述べた通り嚆矢に取ってはどうでもいい事だ。だから、大して反応せずにそれを受け入れて。
「“ヨグ=ソトースの時空掌握”────!」
『てけり・り』
目の前の涙子、その身柄を拘束しようとしていたもう一匹に向けて。
『Gyaaaaaaaa!!?』
握る『賢人バルザイの偃月刀』により発した空間歪曲、その負荷により捩じ切れた目の前の空間と共に、もう一匹が断末魔を上げながら虚空の裂け目に貪られ消えた。
そうして、何とか捕まえた涙子。肩に手を掛け、無理矢理に振り向かせてみれば────虚ろな、まるで夢遊病か催眠術で操られているかのような、無気力な瞳がこちらを見た。
「チ────」
「ん────あ……?」
偃月刀を投げ棄て、その目の前で柏手を鳴らす、『解呪』のルーンを刻んだ掌で。それにより、正気を取り戻した涙子が、短く呻いて。
「あふ……ふぁぁ~……おはよう、初春……」
「いや、違うから。嚆矢君だから」
等と、欠伸を漏らしながら気の抜けた言葉を。ともすれば、『本当に寝ていただけなのではないか』と危惧しそうな程に。
「こうじ……嚆矢……ファッ!? つ、対馬さん?! ど、どうしてここに!?」
「それは此方の台詞だって、佐天ちゃん? こんな時間にこんな場所で、何してんだか」
「こんな場所って……あれ、私、言われた通りに病院の薬を飲んで……どうして、こんなところに?」
「だからそれ、此方の台詞だって」
先ずは泡食った涙子だが、言われて辺りを見回して……首を傾げる。よくよく見れば、パジャマ姿。
あからさまな異常事態であろう。こんな姿で、彼女の住む寮から歩いてきたなどと。
「兎に角、寮まで送ってくよ。ほら、これ着て」
「うっ……す、すみません」
黒のロングコートを彼女の肩に掛けてやり、スーツ姿で笑い掛ける。通常ならば、こんな蒸す夏夜にそんな厚着をしている人間などいないと気付くのだろうが。今の涙子は、理解が追い付いていないようであるが。
「まぁ……取り敢えずは────」
『てけり・り。てけり・り!』
その笑顔のまま、影に潜むショゴスの警告とルーンの警告が続く。危機感に従い、振り向きながら伸ばした右腕で────飛んできた火の玉を、合気により右斜め上に投げ逸らす。
「ッ……熱ィな、クソッ!」
前後の闇、そこから歩み出す者達。現れたのは二人、若い女二人。制服から、どちらも長点上機学園の学生らしい。ふらふらと、先程の涙子と同じ様子。しかし、一つだけ違うところがある。
「お、おォォォォォ……」
「ウぅウぅぅぅぅウ……」
虚ろな、などと生易しい話ではない。死んだ魚そのものの、濁りきり腐りきった瞳。肌もまた、屍蝋の如き蒼白。そして──呻き声を漏らすだけの、意思の欠片すらない表情。どう控えめに見ても話が通じる訳はないし、そもそも────生きていないと、ショゴスの感覚器と嚆矢の勘の二つが同じ結論を出した。単純だ、呼吸も体温もない人間が生きているはずはない。
だと言うのに、意思表示はハッキリと。差し出された片方の右手には炎を、もう片方は周りのゴミやら何やらの当たれば洒落にならない物を浮かせている。明確な、敵対行動を。
──発火能力……否、火炎放射に念動能力か。オーソドックスだが、面倒だな……。
「な、何ですか、この人達……何か、明らかにヤバイっぽいですけど」
「気にしなくていいよ、ほら、あれじゃね? 薬中かな?」
「これっぽっちも腑に落ちないご説明、ありがとうございます……」
不穏な空気を纏う学生らから壁際に涙子を庇い、立つ。何度も述べた通り、彼にとって優先すべきは『女』だ。幸いとでも言えばいいのだろうか、どうやら『死体は女にカウントされない』らしい。敵意を向けたところで、“誓約”は働かない。有り難い話だ、心置き無く潰せる。
不意に、背中に掛かる圧力。何の事はない、怯えた涙子が他に頼るものもなく、身を寄せただけ。ただ、それだけの事だ。他意などはない。
「心配無用、大丈夫。俺の理合は、科学程度にゃ破れない。否、もしも魔術が有っても、俺の理合の前には……たまさか得たチカラなんざァ、一から鍛え上げた俺の練武の前にゃア、風に吹かれる塵以下!」
「対馬さん……」
だからこそ、奮い立つ。長点上機学園はもともと不倶戴天の仇敵であり、更には背後に護るべき者。男として、武人として。これで奮い立たなければ不能野郎である。
悪辣に口角を吊り上げながら五体にルーンを、辺りの闇にショゴスを紛れ込ませて。戦意は十分、備えにも憂いなし。天魔色の髪を夜風に遊ばせ、闇に煌めく蜂蜜酒色の髪を嗜虐に歪めて。
「さぁ……て。そんじゃあ」
構える火炎放射と念動能力、その左右からの攻撃、全てを捉えて。
「モテる男は辛いねェ。来な……遊んでやるぜ、可愛娘ちゃん達!」
皮肉げに、或いは心底、生前に出逢えなかった事を悔やみながら。右手に偃月刀、左手に南部拳銃を構えて。その歩く死体達を、迎え撃つ─────!
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