浮気
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第三章
第三章
「兄貴、調子はどう?」
「調子はいいさ」
こう彼に返すのだった。
「それはな」
「調子はいいって」
「それはいいんだよ」
憮然とした顔で弟に告げるのだった。
「だから気にするな」
「気にするなて」
「言ったぞ、気にするな」
有無を言わせない口調だった。
「わかったな」
「あのさ、兄貴」
そんな彼の不機嫌を見て怪訝な顔になって問い返す。義人だった。
「何があったんだよ。昨日巨人勝ったからかい?」
「それはない」
実は克己はアンチ巨人である。そして義人もである。これは人間として非常に正しい考えではある。巨人はまさに日本の歪みの縮図だからである。
「確かにそれはむかつくがな」
「じゃあ何だっていうんだよ」
「だから気にするな」
先程のそれ以上にむっとした言葉だった。
「だからな。気にするな」
「そう言ったら気になると思わないのかい?」
「それだったら無理に忘れろ」
これまた随分な言葉であった。
「それでいいな」
「忘れないと困るんだね」
「わかったよ。そこまで言うんだったらな」
彼もこれで納得したのだった。もっと言ってしまえば納得するしかなかった。兄のその不機嫌な態度に対してこう返すのだった。
「それじゃあな」
「できたから持って行け」
また言う克己だった。
「いいな」
「何だってんだろうな」
その理由がどうしてもわからない義人だった。しかし兄の言った通りそのできたものを持って行った。彼等の話はそれで終わった。
悶々としたまま仕事は終わった。仕事の最後のチェックをした彼は店の戸締りを義人としてからそのうえで彼に対して声をかけたのであった。
「全部戸締りはしたな」
「したよ」
義人が答えたのだった。
「もうね。ちゃんとね」
「それでは帰るぞ」
それを聞いてこう告げた克己だった。
「それでな」
「ああ。じゃあな」
「御前はどうするんだ?」
「どうするって?」
店を出てその玄関で話をしながら問い返した義人だった。
「家に帰るだけだよ」
「そうか」
「そうかって当たり前じゃないか」
また怪訝な顔で言い返した義人だった。前に広がる夜のネオンは目に入っていなかった。ただその怪訝な顔で兄を見ているだけだった。
そしてその顔で。彼に告げるのだった。
「兄貴やっぱりおかしいよ」
「おかしいっていうんだな」
「そうだよ。何なんだよ」
「それならさっさと帰れ」
克己の言葉は無愛想なままだった。
「いいな」
「わかってるよ。じゃあまたな」
「明日な」
「ああ、明日またね」
こう話をして別れる二人だった。克己はそのまま行き着けの店に向かった。そこは駅前にあるバーである。そこに仕事帰りはいつも通っているのだ。
暗く静かな店である。幾つかの席がありカウンターには既に何人か客がいる。彼は仕事が終わるとまずはこの店で一杯ひっかけてそれから帰っているのです。
今日は祐子のことが気になるので気晴らしでとことんまで飲むつもりだった。それでカウンターにいる女のバーテンダーに言うのだった。
「ソルティードッグな」
「わかりました」
その言葉に頷くバーテンダーだった。見れば小柄で髪を後ろに束ねている。化粧は薄いがそのはっきりとした切れ長の目を中心とした整った顔立ちが映えている。白いシャツの上に黒いベストとズボン、それに蝶ネクタイという如何にもなバーテンダーの格好である。
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