横浜事変-the mixing black&white-
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宮条麻生は少年にこの世での根本的な生き方を説いた
深夜2時 新港埠頭
ホテル『ニューグランド』での殺し合いは、天井のシャンデリアが落下した事による不祥事という事で片づけられた。実際、壁のあちこちに銃弾による穴が開いていて、どう見ても普通の事故として処理出来ない惨状なのだが――殺し屋統括情報局はケンジが想像している以上に規模が大きい組織だった。
一部の暴力団や麻薬密売組織ならまだしも、殺し屋統括情報局は警察の一部との癒着もあるようだ。ほとんどのコネが局長絡みだというので、彼の本性はさらに不可解なものに包み込まれた。
今回の件も、本部からの要請で組織と繋がりがある警察だけが現場に送られ、証拠隠滅に尽力したそうだ。正義を掲げる警察内部に仲間がいるとなれば、どれだけ街を荒らしてもほとんど問題にされないのも頷ける。
そんな中、ホテルという舞台で生死の削り合いをした殺し屋達は新港埠頭に集まっていた。本来なら作戦が終了次第、各自解散の筈だったのだが、本部すら予想していなかった事態が起きたため、急遽招集がかかったのだ。
ちなみに局長からは連絡がないらしい。彼なら全てを把握していそうなものだが、彼の電話番号を唯一持っていた八幡はもうこの場にはいない。今はチームCのリーダー、大河内が本部にいる副局長に電話を掛けて、報告や連絡を取り行っている。
ケンジは初めて来た時よりも円が空疎になっているのを感じ、胸が苦しくなった。あのあと宮条と共にホテルを脱出し、チームCの車に乗って直行で来たため、今はまだ狩屋の生死情報は届いていない。だがケンジの中にはある種の諦めがあった。
『改めまして、私が副局長の阿久津だ。よろしく』
野太い男の声が送話口から聞こえてくる。ケンジは内心に溜まる悲しみを表に吐き出さないように、取り繕った笑顔を携帯に向かって浮かべながら挨拶した。
「初めまして。暁ケンジです」
『学生だそうだね。我々は強要するつもりはない。逃げ出したい時はいつでも逃げ出てくれて構わないよ』
ケンジを試すような言葉に、彼はすぐに言葉を返した。
「大丈夫です。もう逃げる位置にはいませんから」
『そうか』
声からは読み取れなかったが、ケンジには阿久津が笑っているような気がした。
簡潔な自己紹介が終わったところで、携帯の持ち主である大河内降矢が事後報告を始める。
「まず作戦の結果ですが、半分成功、半分失敗でしょうか。敵の更なる詳細と新たな敵勢力の存在を知る事が出来ましたが、我々にも被害が出てしまいました。チームAの八幡隆太、そしてさっき仲間から入ったのですが、狩屋達彦の死亡も確認されたそうです」
「……!」
ケンジが息を飲んだのを黙殺して、大河内は言葉を紡いでいく。
「今回の依頼相手だったヘヴンヴォイスは敵でした。詳しい情報は分かりませんが、八幡は彼らによって殺されたと思われます」
『彼らについての情報はこちらで収集した。ロシアからやって来た殺し屋だそうだ。その理由は分かっていない。それと』
阿久津は一度咳込んで、それから殺し屋達に敵の簡単な情報を伝えた。
『今回ヘヴンヴォイスに殺害予告を出した奴らは横浜の殺し屋達だ。普段個人営業の奴らが纏まって何をしようとしているのかは分からない。京橋会が雇っている殺し屋もその一人だそうだ』
「京橋会のデマという可能性は?」
『奴らは我々に忠実だ。武器の一部を渡している貸しも作っているんだ、嘘は付けまい』
阿久津は携帯越しに余裕の言葉を吐き出す。そのとき円の遠くにいる赤島がゆっくりと手を挙げた。「赤島さん」と大河内が彼の名前を口にすると、彼は疑問を孕ませた言葉を吐き出した。
「そいつらって昔から俺らの事をあまり良く思ってないだろ。今頃とは思うが、まさに復讐なんじゃねえの?」
『だとしたら、外国の殺し屋はどう片付ける。まさか二つの勢力の抗争に我々が巻き込まれたと?』
「それも考えられるんじゃないですかね。少なくとも、こっちは被害を受けてる。もう他人事では済みませんぜ」
極めて落ち着いた様子で結論を口にする赤島。と、彼はそこで思い出したように阿久津に問い掛けた。
「そういや、玉木達は来ないんですか?俺らとは活動条件が違うとはいえ、少しは警戒させた方が……」
『……子猫はもうお休みの時間だよ』
阿久津は呆れた声と共に盛大な溜息を吐き出す。携帯越しでくぐもったそれが、冷たい風が吹く新港埠頭に溶け込んでいく。
そこで円の一部――チームCが固まる場所から第三者が声を上げた。「法城」と大河内が清澄な声で相手の名を呼ぶ。呼び捨てにしている事から、同期なのかもしれない。
法城と呼ばれた男は黄緑色のパーカーを月光に浮かばせながら、誰よりも大きい声で提案した。
「Dは一旦置くとして、今はチーム編成について考えた方が良いと俺は思うなあ。Aなんて、もう宮条さんとケンGしかいないじゃん」
――その語尾止めてくれないかな……。
初めて話したときから、法城だけがあの呼び方なのだ。古い芸人みたいでケンジは嫌だと思ったのだが、先輩の殺し屋に直接そんな事を言う度胸は残念ながらなかった。結局彼だけにそのあだ名が定着してしまった形となる。
しかし、今の彼の案はかなり重要だと言えた。
現状、二人の殺し屋を失ったチームAは活動出来る状態ではない。どこかと融合する必要性は否めないものとなる。
「私は法城君に賛成するわ。暁君は?」
そこで初めて宮条が口を開いた。脱出する際に「ありがとう」とお礼を言われてからずっと口を開いていない気がする。そんな彼女はいつも通りの達観した面持ちで、法城の言葉に同意していた。
それはこの先について考えれば当然の答えであり、否定する余地は全くない。それを十分に理解しているのに、ケンジはどうしても奥底で突っ掛かっていた。
「その、僕も法城さんの意見には賛成なんですけど、一つ気になる事があります」
「ん?ケンG不安事?」
「いや、不安とかじゃないんですけど……」
そこでケンジは法城から宮条の方に身体を振り向かせ、深夜の埠頭に声を投げかけた。
「宮条さんは、何も感じないんですか?」
「感じないって、何に?」
ケンジの視線を受け止める彼女の表情は平然としていて、その内情を覗かせる素振りも見せない。それがケンジには納得出来なかった。
「八幡さんと、それに狩屋さんもこの殺し合いの中で殺されました。殺し屋だから仕方ない、とかそういうんじゃないと僕は思います。殺し屋だって人間じゃないですか。悲しいとか、そういう気持ちは無いんですか?二人が死んだ事実を簡単に受け入れて、他のチームに混ざれるんですか?」
「……純粋なのね、君は」
ケンジの疑問の言葉を受けながら、尚も宮条は涼しい顔をしていた。青シャツにトラッキングパンツという統一性のない服装に身を包み、ビルの間から覘く観覧車のシルエットを眺めている。まるで自身の感情を意識せんとしているかのように。
だが、そんな彼女から負のオーラが湧き出ている事を、ケンジは素人ながらに察知した。宮条の口が慣性に任されて動き出す。
「私だって、二人が死んだ事に悲しみ一つすら浮かべてないわけじゃない。リーダーとは4年、狩屋とも1年近く一緒に仕事をしてきたんだから、仲間だって意識は勿論あった。でもね」
宮条はケンジの目を見据え、ゆっくりと言葉を吐いた。
「今は止まっていられない。過去はね、無慈悲なまでに変えられないの。二人が帰ってくる事はもうない。だったら……私達は『事実』だけを飲み込んでやればいい」
「頭の中には、いつだって彼らとの思い出が詰まってるんだから」
自分にも言い聞かせるように呟いたその言葉は、とても柔らかくて、どうしようもなく痛烈だった。
*****
次の日 ケンジの部屋
目覚まし時計の連続した音が耳の奥にある鼓膜を振動させる。それはコンマにも満たない光速の速さで脳に伝達して、少年の意識を目覚めさせる。
ケンジは針が差す時刻を見て『もう12時か』と肩を落とした。一応8時間の睡眠は取ったが、それでもまだ眠れる自信がケンジにはあった。そのため、今の目覚めはとても最悪な形だった。
深夜の会合で、チームAの残存戦力はチームBに取り込まれる事で決定した。最初は各チームに一人ずつ分担して収める案があったのだが、それだと戦力に偏りが出るという大河内の見解で中止になった。
ケンジは挨拶としてチームBのリーダーと初めて会話した。新人だから迷惑がられるのではないかと心配したが、リーダーの赤島は何の事はないと片手を横に振って言ったものだ。
『むしろ新人の方が殺しに拍車がかかるってもんだ、期待してるぜ』
――僕はそんな過激な事はしないけどね……。
顔に戸惑いの笑みを浮かべたのはまだ記憶に新しい。つい半日程前の会話を思い出して、彼は苦笑いした。しかしその笑みも次には一瞬で消え去る。
――でも、笑ってもいられない。
ケンジは一階に向かって昼食の準備に取り掛かる。母親はとっくに仕事で家にはいない。今日は学校だというのに起こしてすらくれなかったらしい。テーブルに『遊んでたぶん勉強すること』と書かれた置き手紙があった。それを見て溜息を吐いている間も、阿久津の言葉が脳裏に思い出される。
『京橋会が雇いの殺し屋に事情を聞いたところ判明したのだが……殺し屋集団の名前は裂綿隊というそうだ』
――意味は『綿のようにヤワい物にも容赦せずに亀裂の刃を立てる』。
ケンジは味噌汁を作る一方で、阿久津が口にした集団名の意味を心の中で反芻する。そして彼らのやり取りをまた脳内で再生した。
『彼らの行動が一体何に繋がるのかは分からない。今後は警戒も兼ねて行動してもらいたいと……』
阿久津が報告書を読み上げるような口調で殺し屋達に敵の存在を伝える中、大河内が言葉を発していた。
『ならば、我々はその裂綿隊なる集団を排除するべきではないでしょうか』
突然の提案に、阿久津はともかく、円を形作る殺し屋達すらも息を飲んだ。そんな彼らの反応などに気圧される事なく、大河内は輪郭の細い容姿を真剣な色に変えていた。
『敵は横浜の殺し屋。つまり我々が過去に戦った事のある人間もいる。これを機に、奴らとの決着を付けて、殺し奴統括情報局の存在を誇示する方が良いかと』
『待てよ。さっき俺は他人事じゃ済まないとは言ったが、何も全面戦争の火蓋切ろうぜとは言ってねえぞ』
赤島が引きつった笑みを顔に貼り付けて大河内の意見を否定した。一見おどけているようにも見えるが、彼の目は一切笑っていない。
そんな先輩殺し屋に対しても、大河内は冷静沈着な態度で論に言葉を付け加えた。
『何もこの街を滅ぼそうとしているわけじゃありません。この組織の情報網なら、相手さえ解れば位置なんて特定出来る。そうでしょ?』
それ以外の意見は許さないと言っているようにも聞こえる彼の言葉に、二人の会話に耳を傾けていた副局長がノイズの混じった声で呟いた。
『確かに我々の力なら、敵の位置を絞れるだろう。しかし、危険すぎるのも事実だ。ロシアの殺し屋共の行動も気になる。奴らが裂綿隊の他に我々も敵と見なしているなら、漁夫の利を狙われて終わりだ』
『だからこそです。何も正面衝突だけが敵を葬る手段というわけではないでしょう』
大河内の言葉はまさに的を射ていた。あのときのケンジには理解出来なかったのだが、他の殺し屋メンバーには通じたらしい。法城が大河内の言葉を補足する形で呟いた。
『……長距離射撃による暗殺、攪乱。そこからの戦闘』
そこまで回想にふけったところで、ケンジは鍋に出来上がった味噌汁の味見をし、納得のいく味に仕上がっている事で口角を緩めた。冷蔵庫にあった昨日の夕食の残り物と思われるチンジャオロースと白飯を用意して、一人昼食にありつく。護衛作戦開始前に菓子パンとコーヒー牛乳を含んだ以来なので、いつも以上に食が進んだ。くたびれた身体に栄養が直に入り込んでいる気がして、なんだか安心する。
――腹が減っては軍は出来ぬって言うけど、ホントその通りだなあ。
そんな事を考えながら、何となくテレビの電源を点けるケンジ。最近のトピックや事件などを評論家の意見を交えて議論し合っているテレビの向こう側の人達にケンジは呟いた。
――芸能人が逮捕されたり、会社の横領が問題になるより、現実はもっとどす黒いよ。
それは表側の人間達は決して知りえない話。自ら首を突っ込まなければ交わる事すらない、遠い世界の事情。
少年はテレビを見ながらご飯を食べるという有り触れた日常の額縁で、自分だけが絵の中から浮いているのを実感した。
街の裏側に足を踏み入れたからなのか、自分の手で人の命を抹消したからなのか、果ては生まれたその瞬間からそうだったのか――
「きっと全部だね」
普通の人間とは違う歯車が内に混在する事を自覚した少年は、しかしそれでも、額縁の中に居続けた。
自分が復讐を遂げたあと、裏世界には留まらず、安寧の地へと帰ってくるきっかけとするために。
しかし今はまだ終わらない。終われない。
『殺し屋統括情報局は、山下埠頭に集う裂綿隊の襲撃作戦を実行する』
阿久津の声がケンジの心に木霊する。
――そうだ、今は終われない。八幡さんと狩屋さん、そして彼女の……。
復讐に燃えるケンジの目は、どこまでも真っ直ぐだった。だが、彼を知らない人間から見たら、その姿はこう映った事だろう。
あの少年は、何故あんなに歪んでいるんだろう、と。
暁ケンジは誰よりも他人思いで優しく、初志貫徹という言葉が具現化したように芯の太い人間だ。それが時に頑固となるのも、彼の持つ一面であり、否定は出来ない。
しかし、ケンジは究極的なところを間違えている。それは自身の熱意を捧げる相手だ。
故に彼は止まらない。例えその先に待つものが殺し屋だろうが軍隊だろうが化物だろうが宇宙人だろうが、彼は諦めない。
怖いものは怖いと言う。綺麗なものは綺麗と言う。悲しい事には悲しむ。
そして仲間や大事な人が傷付けられたら怒る。ただ、それをぶつける場所が間違っているだけなのだ。もしくは彼すら気付かない自身の内に秘められた狂気的な何かが行動を促しているのかもしれない。
とはいえ、結果的に暁ケンジは歪んでいる。裏の住人が彼の想いを聞けば、こう言い放つだろう。
一度浸り込んだ世界から綺麗さっぱり消える事なんて出来る筈がない。何故なら、そこには自分が歩いて来た足跡が確実に残っているから、と。
けれど、彼はそれを知らない。復讐が終われば全てが終わると思っている。だからこそ、それを知った時、彼はどんな行動を取るのだろうか。
答えはまだ、藪の中だ。
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