その魂に祝福を
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魔石の時代
第四章
覚悟と選択の行方5
前書き
お宅訪問編。あるいは不法侵入編。
1
我ながら血塗れた生き様だ。
自分の記憶を振り返れば、嫌でもそう言わざるを得ないだろう。もっとも、戦場から戦場へと渡り歩くその生き方を他に表現する言葉があるなら、それでも構わないが。
別に自分とて好き好んでそうしていた訳ではない。それほどに血に飢えていた訳ではない。少なくとも、そのつもりだった。だが、どうしてもそんな道しか選べなかった。他に選択肢があったかどうか。それすら分からないまま。
血に飢えていた訳ではないが――それでも、狂ってはいたのかもしれない。恩師とその相棒を生贄とし、世界を救ったあの日から。
それほど大げさな事ではないにしても、自分が平穏の中で生きている間も本当の意味で戦いとは無縁だったわけではない。魔物は日々生まれ、それに対する排除要請、または救済要請のいくらかは自分の手元に届く。それは、不死の怪物である自分を頼りに届く事もあれば、ただの魔法使いとしての自分に届く事もあった。
魔法使いとして生きる事を選んだあの日から、戦いは常に身近な所にあった。それは仕方がない。自分が受け継いだ世界では、魔法使いは必ずしも異端扱いはされていなかったが、それでも少なくない魔法使いが魔物と戦い続ける道を選んでいた。それは仕方がないことだろう。魔物の脅威は無視できない。暴徒化した魔法使いを最も被害なく鎮圧できるのも魔法使いでしかない。結局のところ、それはそれぞれが下した世界を救うための選択だったのだろう。自分と同じように。本質的に、そこに大きな違いなど何もない。
自分達はそれぞれが世界を救うために戦い続ける道を選んだ。ただ、それだけだ。
だからだろう。新しく放り込まれたその環境は、自分を困惑させるには充分だった。ごく普通の平和な家庭。文字通り忘れるほど長く生きてきた自分だったが、初めての経験だと言わざるを得なかった。せめてもの救いは、息子は相棒と同じ血筋で――上の娘に至っては相棒の実の娘という事だろうか。二人とも血の匂いが染みついている訳ではないが、それでもどことなく相棒と似たような考え方の持ち主ではある。なかなかうまく言い表せないが……多分、流派の根底にある思想なのだろう。あるいは血に刻まれたものかもしれないが。とはいえ、それを告げればただでさえ険悪な関係が余計悪化するであろう事は疑いなかった。特に相棒の実の娘である姉とはなおさらだ。だが、自分を困惑させたのはそんな関係ではなかった。自分とその兄妹達の関係が改善するまでそれほど時間はかからなかったし――ついでに言えば、殺伐とした関係にも慣れがあった。
自分を困惑させたのは、末の娘と彼女達の母親だった。どちらも殺しはおろか戦いとすら無縁な人間だ。永く生きてきた自分にとって、最も縁が遠かった存在である。
末の娘――なのはが無邪気に懐いてくる事に慣れるのにも随分と時間が必要だった。しかし、それは自分が誘導したという部分もある。慣れない事とは言え、覚悟は決まっていた。問題はむしろ母親――つまり桃子だった。彼女が自分を連れて帰った理由が分からない。子守が欲しかっただけ。夫の言葉に追従しただけ。仮説でよければいくつか立てる事が出来た。だが、それなら何故――
「ねぇ、光。昔のあなたの事を教えてくれない?」
何故こんな事を言い出すのか。そもそも自分の過去などとっくに話してある。人殺しで、異能者で、不死の怪物だ。そんな事は、この家に来る前に話してある。
「私がパティシエになったのは、もちろんお菓子作りが好きだったという事もあるけれど、美味しいって言って笑ってくれる人の顔を見るのが好きだったからなの。士郎さんと一緒になった切っ掛けも、美味しそうにシュークリームを食べてくれた事なのよ」
困惑していると、不意に彼女は言った。それはのろけ話かとも思ったが、どうやらそうではないようだった。
「ずっと笑って、幸せに暮らすこと。それが士郎さんとかわした約束なの」
そう言って、彼女はいつもと同じように笑って見せた。ただし、今浮かべているその表情が笑みだとは自分には思えなかったが。どちらかと言えば、泣き顔に見えた。
「私が今もその約束を守っていられるのは、あなたが士郎さんを助けてくれたからだと思うのよ」
だから、そのお礼ではないけれど――と彼女は言った。
「あなたにも。ずっと笑って、幸せに暮らして欲しいのよ」
きっと私の我儘なんでしょうね――と、笑みにも見える表情を浮かべた。
それでも、あなたが今まで何を想って生きてきたのか。何を願って生きてきたのか。私が想像もできないような過酷な生き方をしてでもやらなければならないと思ったのは何だったのか、それを教えて欲しい。そして、少しでも手伝わせて欲しい。彼女はそんな事を言った。
誰かが犠牲となるような世界を変えたい。それが、自分が受け継いだ望みだった。恩師達を生贄としたあの日から、ずっとその為に生きてきた。神に祈るのではなく、誰かの生き様に想いを馳せ、その願いを繋いでいく。そんな世界を作ろうとした。そのために、戦い続けてきた。矛盾すると分かっていてなお、多くの犠牲を積み上げてきた。そして、おそらく――あの『世界』はついに、自分の手から離れたのだ。少なくとも自分が生まれ育ち生きてきたあの世界に、もう不死の怪物は必要ない。
それでも、再びこの世界のどこかに舞い戻ってきたのは、それは――大切な仲間との約束があるからだった。その約束を果たさなければならない。
誰かが犠牲となるような世界を変えたい。それはもう自分の意志でもあるのだから。
「それなら、なおさらよ」
と、桃子は言った。
「誰かが犠牲となるような世界を変えたいのなら、あなただって犠牲になってはいけないの。だから、」
あなたにもずっと笑って、幸せに暮らして欲しいのよ――桃子は今度こそ笑って見せた。淡く優しく、それでも力強い笑み。その笑みは、時々は相棒が見せたものに似ているように思えた。この器――■■■■の記憶にもあるようだった。そして、どうやら■■■■■■■■■■■の……そう名乗る以前の自分の記憶にもある。
「だから、そんな生き急いだ顔をしないで。いいえ。もう、そんな顔はさせないわ」
それはつまり、母親の顔だった。不死の怪物を前に――それを認めてなお、そんな顔が出来る。そんな彼女に対する驚きは今も鮮明に覚えている。そして、今にして思えば――いや、改めて思う事がある。やはりなのはは桃子に似ているのだろう、と。
「あなたは私の息子なのだから」
この強情さはそっくりだ。そう思う。
2
「これからどこへ行くの?」
今までのように後を追ってくる妹――なのはが言った。未だにこの娘がここにいる事に納得がいかない……具体的にはリブロムと恭也に騙された気がしてならないのだが、こうなった以上は仕方がない。それに、
(確かに人手は必要なんだ……)
なのはを……というよりその肩に乗っていたはずのユーノの姿を思い浮かべて小さくため息をつく。本音を言えば、あのネズミの力こそが必要だった。何せ、あのネズミは単独でこの世界に侵入してきたのだ。入ったはいいが出られない、なんて間の抜けた事を言い出さない限り、必ず持っているはずだった。この世界から抜け出す――この世界から抜け出し、プレシア・テスタロッサの隠れ家に踏み込むための手段を。
「光お兄ちゃん?」
「まずはアルフと合流する。そうしないと、プレシア・テスタロッサの居場所が分からないからな」
覗きこんできたなのはにもう一度ため息をつきそうになったが、それは何とか飲み込んで答える。
「アルフさんって、あの狼さんのこと?」
「そうだ。フェイト――あの金髪の娘の名前だが――あの娘と直接合流出来ればいいんだが……どうも厄介な事になってるらしくてな」
「厄介な事ですか?」
続けて訊いてきたのは見知らぬ金髪の少年だった。
「ところでお前は?」
海上での一件の時から当然のようになのはに付き添っているが一体誰なのか。この魔力には何となく覚えがあるような気がするが――記憶を探っていると、先に彼が言った。
「えっと、ユーノです。こっちが元々の姿でして……」
「なるほどな。魔法で姿を変えていたって訳か。道理で妙な魔力を纏っていると思った」
常に纏っていた魔力はそれが原因か。ついでに言えば、それが消えたせいで微妙に魔力が違うように感じていたようだ。言われれば、確かにこれはユーノ――あのフェレットもどきの魔力だった。なるほど、少しはツキが回ってきたか。アルフはかなり深手を追っているらしい。万一彼女が魔法を使えなくとも、ユーノがいればまだどうにかなる。
「驚かないの? 私、凄く驚いたのに……」
納得していると、なのはが不満そうに言った。
「魔法使いが姿を変えられるくらいで驚いてたら身が持たないぞ」
問題は、温泉宿の時に恭也達がそれを知っていたかどうかだ。なのはの事だから、下手をすれば女湯に連れ込んでいきかねない。となると、必然的に被害は忍や美由紀達――それこそ、桃子にも拡大しかねない。もっとも、
(まぁ、子どものやる事ではあるけどな)
あと数年後ならまだしも、今の時点では目くじら立てるような事でもないか。なのはと同い年程度のユーノを見やり、肩をすくめる。それでも、恭也や士郎が知った時の反応はひょっとしたら見ものかもしれないが……それはこの一件にケリをつけてからゆっくり確認するとしよう。しかし、
『どうでもいいけどよ、相棒。あんまり色物系の魔法を増やすなよな』
魔法生物を作成するのではなく、自身が小動物に化けるというのも、ある意味便利かもしれない。例えば侵入工作や情報収集では使い勝手がよさそうだ。真面目に研究してみるべきだろうか――などと考えていると、リブロムに釘を刺された。色物系とは酷い言われようだ。ユーノも可哀そうに。
しかし、この少年がユーノだとするなら、何故管理局から離反しているのか……いやまぁ、好都合だからこの際どうでもいいか。リブロムが何も言わないところを見ると間諜の類という事もあるまい。
「まぁ、話は戻すとして。アルフは重傷を負っているらしい。やったのは十中八九プレシアだろう。となると、フェイトだって無事だとは考え辛いな」
もっとも。俺がジュエルシードを保有している以上、プレシアにとってもあの娘の利用価値はまだ残っているはずだが。陰鬱な気分で呻く。
「……えっと、アルフさんは今どこにいるの?」
無事ではない。その言葉に、なのはの表情が強張った。とはいえ、他に言葉を飾る方法もなければ、飾ったところで意味もない。最悪はすでに殺されている可能性もありえる。
もっとも。あの女が今あの子を殺す程に愚かだとも思えないが。
「どうやらアリサが拾ったらしい。見た目はでっかい犬だからな。落ち着くところに落ち着いたって事だろ」
何せ彼女の屋敷は犬屋敷だ。それこそ、月村の猫屋敷といい勝負である。
「じゃあ、今はアリサちゃんの家にいるの? それとも病院?」
「アリサの家のようだな。管理局とプレシア・テスタロッサ。こいつらより先に彼女と合流しないとならない。口封じでもされたら打つ手がなくなるからな。それに、俺だってアリサ達を巻き込むのは本意じゃない」
もっとも、今さらあらゆる意味で手遅れだとも言えるが。とはいえ、こんな形での接触まで防止できる訳もなく――仮に出来ていたらその時点でアルフの命は失われ、俺もまた身動きが取れなくなっていただろう。それを考えれば、アルフが適切な保護を受けられた幸運に感謝してもいいくらいだった。……素直に感謝できそうにないとしても。
「うん。……あれ? そういえば何で光お兄ちゃんはアルフさんがアリサちゃんのところにいるって知っているの?」
小首を傾げながらなのはが言った。当然の質問といえば当然の質問か。
(たった今知ったところなんだけどな)
義姉に預けた魔法生物が嗅ぎつけた――いや、素直に義姉が探しだしたというべきか。それをやはり魔法生物経由で教わったところだ。
まったく、どいつもこいつも危険な真似をする。だが、お陰で助かったのは事実だ。時間がない今となっては特に。もっとも、義姉が関わっている事をなのはに――他の誰にも伝える気など全くないが。
「まぁ、蛇の道は蛇ってところかな。俺としてはそっちも巻き込む気はなかったんだが」
何せ彼女達の『血』を管理局の連中がどう判断するかは分からない。もちろん、プレシア・テスタロッサの興味を惹かないと断言もできなかった。
『なぁに。気にする事はねえ。どの道時間はねえんだ。連中が他所見なんざしている暇もねえぐらい手っ取り早く決着をつけりゃいい。いつも通り、ただそれだけの事だろ?』
リブロムの言葉ににやりとする。だが、その通りだ。こんな風にだらだらと状況に押し流されるのは、本来自分のやり方ではなかった。やれやれ。多少は経験を取り戻した気でいたが――かつての自分から見れば、まだまだケツの青い未熟者ということか。
「違いない。なら、今すぐやるべき事から一つずつ済ませていくか」
やるべきこと。とりあえずは――まぁ、これから決着をつけておくべきだろう。
「今すぐやるべきこと?」
きょとんとして首を傾げるなのはとユーノに、今度こそため息をつく。何のために、この高層マンションの周りを歩いていると思っているのか。
「裏口から引き返して、フェイトの服を借りに行くんだよ」
さすがにあの場で部屋まで戻るのは締りが悪すぎたが――それでも、アリサの家に行く前に、何故だか随分とドロドロになっているなのはの服をどうにかしなければならないことには全く変わりがないのだ。
3
「拾った犬を見せてもらっていいか?」
その日、久しぶりに姿を見せた年上の少年は、開口一番にそんな事を言った。まぁ、それはいい。彼が唐突なのは今に始まった事ではないのだから。
ただ、問題は彼の格好だった。
赤い文様が刻まれた黒革のジャケットに、同じく黒革のズボン。頑丈そうなブーツ。首のペンダントと右腕が包帯で包まれているのはいつもの事だけれど。表現として適切かどうかはいまいち自信がないが、私達には少しばかり『大人びた』格好であり、それ以上に奇妙な緊張感を与える。それ以上に妙なのは、この少年はそれをごく自然に着こなしている事だろう。この格好を過去に一度だけ見た事がある。
(これって、あの日と同じ格好よね……)
これは、おそらくは私の人生において重要な出来事であり、きっとこれからも重要な出来事でありつづけるはずの『あの日』に着ていた服だった。
「それは、もちろん構わないけど……」
あの日が平穏無事な一日だったかと言われれば、全力で否定するしかない。うっかりすれば映画化されてもよさそうな――少なくとも、我儘で傲慢で身勝手だったお嬢様が我が身を振り返って反省する程度には色々とあった一日だったと言える。
「助かる」
もっとも、それでさえこの少年――高町光にとっては大した事のない一日だったのかもしれない。時々そんな事を思う。私自身も何故そんな事を思うのか分からないのだけど。
「あ、待ってよ」
その後ろを親友が――彼にとっては妹であるなのはが追いかける。それもまた、今に始まった事ではない。むしろ、そうでなかった日を思い出す方が難しいくらいだ。もちろん、ここ一ヶ月程を除いて、だけれど。
(まぁ、あの子もあの子で奇妙って言えば奇妙なんだけどね)
二人を――もっとも、光はまるであの子がどこにいるか知っているような様子だったが――案内しながら、声にせず呻く。
これでも犬種には詳しいつもりだ。けれど、あの子の種類は未だにわからない。特徴がない訳ではない。赤毛という時点でまず珍しい。そのうえ額には宝石のようなものが埋まっている。そんな犬は聞いた事がない。
「あ、なのはちゃん、光君! 久しぶりだね」
ちなみに、あの子は驚くべき回復力を見せているが――それでも、命に関わる酷い傷をいくつも負っていたため、大事を取ってあの子のケージは室内に置いてある。その部屋に入ると、先にお見舞いに来ていたすずかが言った。
「えへへ。すずかちゃん、お久しぶり!」
再会を喜ぶ――といっても、そんなに大げさな事はないけれど――二人を他所に、光はケージへと近づいていく。それに気付いたのだろう。あの子も顔を上げた。
「派手にやられたな」
にやりと笑いながら、光は奇妙な事を言った。
「その子の事を知ってるの?」
「ああ。ここ最近知り合った奴の飼い犬でな。しばらく見かけないからどうしたのかと思ったが……どうやら、ロクでもない目にあっていたらしい。お前が保護しててくれて正直助かったよ」
ちゃんと説明してくれたようにも思うが……落ち着いて考えるとやっぱり情報量が少ない。とはいえ、普段から人を煙に巻くのに慣れている光の口を割らせるのはさすがの私にも無理だった。そして、案の定こんな事を言い出す。
「どうやら少し脅えているようだな。悪いが少し外してくれるか?」
「……まぁ、いいけど」
この子は今さら私やすずかに脅えたりはしないし、なのはにも怯えているようには見えなかった。むしろ、一番動物に警戒されやすいのは光自身のはずなのだが。
「なのは。お前も久しぶりだろ? 一緒に向こう行ってろ」
「うん……。だけど、置いていくのはなしだよ?」
「分かってるよ」
これもまた奇妙なやり取りだった。いや、どこがどうという訳ではないのだけれど――何かいつもと違う気がする。
「……何か用か?」
なのはとすずかが部屋を出て行っても、私だけが出て行かなかったからだろう。光は少し困ったような顔で言った。
「用って言うか、色々と問い詰めたい事があるんだけど……」
「問い詰めたいってお前な……。訊きたいとか別の表現はないのか?」
「『訊きたい』くらいでアンタが口を割るとは思ってないわよ」
「ふむ。それは確かに一理あるな」
「せめてそこは否定しなさいよ!?」
あっさりと認めた光に思わず叫び返す。何て言うか、いつも通りの会話だった。思わず肩の力が抜ける。
「ああもう! うだうだ考えてた私がバカみたいじゃない! 良いから吐け! この子は一体何者なの――って、喉の奥に指突っ込んで吐こうとしてんじゃないわよ!?」
「だが、お前が吐けと――」
別に本気で吐こうとした訳ではない事くらい、いい加減分かっていたのに。伸ばした指を露骨に口元まで持っていった時点でついつい叫んでしまった私に、光が白々しく言ってくる。皆まで言わせず、今度こそ全力で叫んだ。
「私が言ったのはそういう意味じゃなあああああああああああああああい!」
「相変わらず見事な肺活量だな」
ぜーぜーと肩で息をする私に、光が感心したように言った。ああもう、この男はつくづく本当に。
「というか、お願いならもうちょっと可愛くしてみたらどうだ?」
「お願い☆ お話聞かせて欲しいの♪」
「……寒いぞ、お前」
本気で鳥肌が立った様子の光に、無言のまま渾身のドロップキックをお見舞いした。乙女の純情を弄んだ罪は重いのだと言う事を今日こそこの男に教えてやる。
「スカートで飛び蹴りはお勧めしないな。見えてるぞ」
あっさりと避けた挙句、光はそんな事を言ってくる。悔しいが、恭也やすずか並みの運動神経を持つこの男が相手では乙女の尊厳を代償とした一撃も届かないらしい。いや、
「なっ!?」
あの子が前足で光の足を掴み、さらに服の裾を咥えてくれた。千載一遇。一期一会。犬の恩返し。この好機に、今までの借りを熨斗つけて返す!
「乙女の純潔を穢した罪を思い知りなさい!」
渾身にして会心の一撃が光の顔面に直撃した。この速さなら見ている暇もないはず。
「きょ、今日は厄日か……?」
我ながら惚れ惚れするようなハイキックの直撃をくらい、さすがの光も片膝をつき呻いた。ひょっとしたら、恭也並みの戦果ではないだろうか。ふと思い、その考えに少しだけ気分がよくなる。まぁ、一発叩き込んでスッとしたというのもあるが。
「いい!? あとでちゃんと全部話してもらうからね!?」
肩を怒らせて――少なくともそのフリをして、部屋を後にする。私達の日常というのはこういうものだった。光は――ひょっとしたらなのはも、『あの日』のような非日常に今はいるのかもしれない。それについて、私がどうにかできる事はないのだろう。
なら、せめて。二人が帰ってくるまで、この日常を保ち続けてみせよう。実に腹立たしいが――それが私に出来る精一杯だった。
4
『今日はいいとこねえな、相棒』
「ほっとけ」
アリサに蹴られた頭を撫でながら呻く。まさかなのはに続いてアリサにまで後れを取るとは思わなかった。今日は厄日に違いない。
「あんな子どもに負けるなんて。アタシゃ切り札を見誤ったかね?」
狼の姿でどうやって開けたものやら。自力で檻の外に出てきたアルフが露骨に肩をすくめて――多分そういう意味合いの仕草を――見せた。とりあえず、八つ当たりも兼ねて無言で逆えび固めを極める。というか、半分はこの狼女のせいだ。
「あだだだだだだだ?! 傷開く傷開く傷開く傷開くってばあああああ!?」
ここでアルフにとどめを刺しても得るものは何もない。適当なところで解放してやる。
「ううう……この外道。怪我までしてるいたいけな乙女になんて事を……」
『狼の姉ちゃんよ。基本的に相棒は容赦しねえぞ? むしろまだ乙女のままでいられたんだから幸運なくら――』
人聞きの悪い事を言う相棒を取りあえず蹴り倒してから、ピクピクと痙攣するアルフの傍らに片膝をつく。無論とどめを刺すためではなく、改めて傷を観察するためである。見たところ火傷と裂傷が主体のようだ。元々は相当に深い傷だったのだろうが、適切な治療と本人の生命力のおかげで、かなり持ち直している。これなら癒すのは簡単だった。
「小公女の祈りを」
中空に鉄仮面の幻影が浮かび、癒しの力がアルフを包む。程なくして、彼女の傷は全て癒えた。途端にアルフが包帯を外そうと身体をよじり始める。
「包帯を外すのは待て。せめてこの家から出るまではな」
「結構むず痒いんだけどねえ」
ぶつぶつ言いながらも、アルフは素直に従った。それを見届けてから、告げる。
「結界は張れるか?」
「まぁ、それくらいは回復してるよ」
「なら、頼む」
立ち上がり、窓の傍へと進む。アリサに確認を取った訳ではないが、どうせ招待など受けていないだろう。
「お前だって、あの娘達を巻き込むのは本意じゃあないだろ?」
「そりゃ、まぁね。仮にも命の恩人だし」
多少のぎこちなさはあったものの、アルフが結界を展開する。それを確認してから――ああいや、その前に言うべき事があった。
「アルフ」
「何だい? 結界ならもう張ったよ」
「いや、そうじゃない。……悪かったな、守ってやれなくて」
守ってやると言っておきながらこの様だ。まったく、情けないにも程がある。ため息と共に窓を開け外へと跳び出す。
「何だ、そんな事かい。……いいんだよ。フェイトさえ助けてくれれば、アタシはそれで充分さ」
アルフの微笑交じりの声が聞こえた気がしたが――ともあれ、今は目の前の客人をもてなすのが先だ。何せ、文字通りの招かれざる客である。早々にお帰り願うとしよう。
「あんた達の世界じゃどうか知らないが、この世界じゃ他人の敷地に無許可で立ち入るのは犯罪らしいぞ?」
「もちろん知っているわ。けれど、こうでもしないとあなたと接触できないと思ってね」
姿を現したのは、管理局――確かハラオウンとかいう家名だったか――の親子だった。だからこその皮肉だった訳だが。
(二人だけ、か)
心眼で周囲を探るが、他の気配は感じられない。とはいえ、向こうにとっては目下この二人が最高戦力であるはずだ。油断などする気はなかった。
「俺に何の用だ?」
今のところ二人とも身構えてはいない。とはいえ、魔法の行使に必ず構えが必要だと言う訳ではない。敵意や害意の有無が見て分かれば、誰も苦労はしない。
(人を見た目で判断するな、なんて事は小学校で教わるんだがな)
だが、不思議なもので人間というのは実際のところ見た目を重視し――その結果、得てして見た目に騙される。もしも詐欺師が詐欺師だと分かる格好をして現れるなら、その世界はさぞかし平和なのだろうが――残念ながら、この世界はそうではない。
そんな事は誰でも知っているはずなのだが。
「俺の持つあの石ころか? それともあの娘の使い魔? ああ、またなのはを誑かしに来たのか? まぁ、どれでもいいさ。いずれにせよ渡す気はない」
「残念ながら全て外れ。プレシア・テスタロッサの『娘』の保護。それに協力しにきたのよ。そう。御神光、他ならぬあなた自身にね」
想定外だった。そう言わざるを得ないだろう。とはいえ、
「今さらそれを信じろと?」
今さらそれを信用する理由などない。というより、信用しろという方が虫のいい話だ。むしろ漁夫の利を狙っていると考えた方が妥当か。もっとも、
「できれば信じてもらいたいところね」
「……それで、具体的に何をしてくれるんだ?」
利用できると言うのであれば、いい加減選り好みしないで何でも利用すべきだろう。なのはがいる以上あまり迂闊な事はしたくないが――そうやって手段を選んでいるうちに、時間的な余裕がなくなってしまった。本末転倒と言われればそれまでだが、これ以上余計な事をしている暇はない。
衝動に狂わされたまま、そんな状況にまで追いやられた自分の間抜けさにうんざりしてから――元凶となった殺戮衝動を得体の知れない憎悪もろともに飲み干す。これから先、いくつかの目的を達成するためには、俺が状況を作っていかなければならない。その為には、まずこの女を出し抜き、逆に利用する必要がある。その程度の事は今の自分にも出来るはずだ。でなければ、自分が戻ってきた意味などない。
「さしあたってはプレシア・テスタロッサの本拠地への道を確保する事かしら」
なるほど。さすがはその道の専門家という事か。的確にこちらの足元を見てくる。魅力的な提案だと認めるより他になかった。
「何故俺に移動手段がないと思う?」
「あるなら、あんなところで幻影相手に遊んでいる訳がない。違うか?」
言ったのはクロノだった。それもまぁ、見当はずれとは言い難い。実際のところは衝動に飲まれてそれどころではなかっただけなのだが……そうでなかったとしても、手段があったとは言い難い。だが、
「お前は馬鹿か? 俺の手元には何でも願いを叶える魔石が五つもあるんだぞ。その程度の事は出来るに決まっているだろうが」
正確には八つあるが、今の時点でそんな事を馬鹿正直に告げる必要はない。もっとも、他の反応がもうない以上、残り三つは俺かフェイトが持っているのは明白なのだが。
「誤解していたけれど」
まるで話の流れを無視するように、リンディが言った。
「あなたはとても慎重な人なのね。万に一つでも暴走したら、なのはさんや他の人を巻き込んでしまう。だから、あなたはどんな状況であっても今までジュエルシードを使おうとはしなかった。違うかしら?」
違うと言えば違うし、違わないと言えば違わない。確かにジュエルシードの制御は簡単ではない。だが、それ以前に未知の力を前に暴走する危険があったのは、むしろ自分自身だ。相棒が傍にいなかった以上、あまり迂闊な事も出来なかった訳だが……まぁ、周囲への被害を恐れたと言う意味では同じ事か。少なくとも、つい先ほどまでならそうだった。
とはいえ、いくつかの意味ですでに状況は変わっていた。
(アルフとユーノがいるなら……そこまで派手に使う必要もない)
この二人なら道を開けるはず。それに加えてジュエルシードも手元にある。二人の補助程度であれば、今の状態であっても暴走の危険も少ないだろう。これでもかつては大魔導士とまで呼ばれた身だ。さすがにその程度の自負はある。管理局と手を結ぶ事で生じる危険と利点を比較すれば、まだ危険が勝る。
「それに。ここで私達を巻き込んでおいた方がお互いのためだと思わないかしら?」
「何?」
言わんとしている事は分からないでもないが――しかし、巻き込んでおいた方が、と来るとは思わなかった。
(ここが勝負どころ、かな?)
殺戮衝動を飲み込み、努めて冷静さを保つ。性質の悪い熱病のように、殺意は容赦なく理性を飲み込もうとするが、飲み込まれる訳にはいかない。最善が選べないのなら、限りなくそれに近づけた次善を用意しなければならない。……となると、これはむしろ好機かと言えなくもないか。
言うまでもない事だが――救った後の事を考えるなら、管理局と敵対したままというのはどうにも具合が悪い。とはいえ、現状で俺からその関係を解消しようとするなら、それこそこの女どもを人質にして脅迫するか、管理局そのものを壊滅させるくらいしか今のところ方法がないように思う。……まぁ、衝動の影響から完全には脱し切れていないということもあるだろうが。だが、
(管理局を黙らせるほどの手札はさすがに持ち合わせがない、か……)
というより、そもそもろくな手札がない。さらに言えば、手に入れる当てもなかった。それを向こうから解消してくれるというのなら、それは望外の好機だ。利用しない手はない。となると、今やるべき事は主導権の奪い合いか。ここで恩を売りつけられる訳にはいかない。いや、むしろこちらが可能な限りの高値で売りつけなければならない。それには、向こうの望みが知りたいところだ。
「何が望みだ? 今さら俺に何を望む?」
そして、その代償は何だ?――それが分からない限り、迂闊な事は出来ない。それが相手を皆殺しにするより性質の悪い事態にならないと言う保証などないのだから。
「私の望みは、この世界を救うこと。あなたと協力すれば、そのための犠牲を減らせる。なくす事だって出来るかもしれない。もっと早くそうするべきだった。そう思ったのよ」
彼女の返答もまた簡潔なものだった。綺麗事だと言えばそれまでだが……綺麗事だからこそ、彼女がそれを叶えようとしているのが分かる。もっとも、彼女がエレインほど一途かどうかは分からないが――それでも、示された覚悟がそう安いものではない事くらいは理解できる。
「甘いな。何事にも代償は必要だ」
だからこそ、その言葉に思わず笑ってしまった。それがどれだけ高くつくか、本当に分かっているのやら。ああ。だが、それでも――
「だが、いいだろう。その申し入れを受けよう」
憤怒。暴食。生欲。色欲――欲望には他にも様々ある。それは時に思わぬ形で姿を現し、時に狂気と、時に邪悪と呼ばれる。だが、本質的な部分で望み欲する事に善も悪もない。不条理に対して怒ること。空腹を満たそうと思うこと。生きようと足掻くこと。誰かを求め共にありたいと欲し……さらに交わり血を残そうとすること。誰もが当たり前に持っている願いであり、望みである。その根底にはただ意志があるだけだ。その意志の強さこそが――代償が何かなんて、考える隙もないほどに強烈な意志が、時に自らを魔物に変えもする。ただそれだけのことに過ぎない。そう思う。そして、彼女のそれも同じだろう。まぁ、それなら――
(ここらが落とし所か。……やれやれ、つくづく俺もやきが回ったな)
その結果、背後から刺されるとして。生粋のペテン師と、綺麗事を大真面目に語れるバカ野郎なら後者の方がまだ諦めがつくだろう。……その分、殺さなければならなくなった時は気分が悪いが――それこそ今さらだ。どうせ気分の良い殺しなんて滅多に存在しない。
「ありがとう。光君」
承諾の返事に、笑みを浮かべた彼女が手を――右手を差し出してくる。どうせこの女は知らないだろうが、魔法使いと右手で握手を交わすなんてとんだ大バカ野郎だった。
「協力者として、一言だけ助言しておく」
そして。魔法使い同士では最大級の契約だった。
その手を取りながら――対価として、一言だけ告げておく。
「世界を救うなんてやめておけ。割に合わないからな」
別に何か見返りが欲しくて彼らの物語を受け継いだ訳では断じてないが……かつての自分を客観的に振り返れる様になった今、そう思わなくもない。少なくとも、誰かに勧められるような事ではない。そう思う。まぁ、それでも――
(俺だって結局は誰かに託してきた訳だしな)
誰かがやらなければならないなら。それはきっと、俺や恩師達のような大バカ野郎だ。
「知っているつもりよ。それでも、やるの」
もしもその言葉が本気だとしたら、やはりこの女も俺達同様にとんだ大バカ野郎だと言う事なのだろう。だから、この際正直に認めてしまえ。
時空管理局とやらはともかく――この魔女の事が、少しだけ気に入った。
もっとも。それは、彼女にとっては不運な事だろうが。……俺に気に入られるなんて、大体がロクでもない事になる訳だから。
5
久しぶりにアリサとすずかと話していると、突如として魔力を感じた。
≪えっと、リブロム? この喋る本からの伝言なんだけど……取りあえずまだ気にしないでいいよ。この結界を張ったのはアタシだし≫
慌てて飛び出そうとすると、訊き慣れない声――というか、念話が届いた。
≪どなたですか?≫
色々と疑問があるものの――まずはそれを確認するべきだろう。
≪アタシはアルフ。フェイトの使い魔って言えば分かる?≫
あの赤い犬――いや、狼さんらしい。取りあえず納得してから、質問する。
≪何で急に結界なんて張ったんですか?≫
≪いや、管理局の奴らが嗅ぎつけてきたみたいで……今光と交渉してる≫
それはそれでちょっと安心できない。まぁ、光がリンディに言いくるめられる姿というのはなかなか想像できないけれど。魔法使い――魔導師が相手だと光は何かピリピリしだす。そのうえ、今は魔物が暴れそうになっているのだ。クロノ一人では止められないようだし、とっても心配だった。
≪あ~…。何か、話がまとまったみたい。問題ないみたいだよ≫
程なくして、困惑を隠しもしない念話が届いた。実際、すぐに魔力も消滅する。良く分からないが、多分大丈夫なのだろう。取りあえず、自分を納得させる。
「それで、悩みは解決したの?」
ホッと一息ついていると、突然アリサに言われた。思わずドキリとする。確かに、色々と悩んでいたのは事実だけれど――でも、そんな事は一言も言っていなかったのに。
「まさかあれで隠してたつもり? 光がいなくなった事が原因なんだろうなと思ってしばらく黙ってたら、今度はなのは自身までいなくなっちゃうし。何か理由はあるんだろうけど、せめて一言くらい相談して欲しかったわ」
「そうだよ。心配したし、寂しかったんだから」
「ごめんね」
言われて初めて気づいた。私が二人の立場だったらやっぱり心配もするし、寂しかったと思う。魔法の事は話せないけど、きっと話せる事はあったはずだ。でも、そんな事は思いもしなかった。だから、せめて――
「あのね」
自分の覚悟だけは伝えておこう。そう思った。
「あのね。私、まだ行かなくちゃいけないところがあるんだけど……」
少しだけ迷う。でも、告げた。
「そこから帰ってくる時は。その時は、一緒に友達を連れて帰ってくるから。二人とも、仲良くしてくれる?」
「当たり前でしょ? 何言ってるのよ」
「そうだよ。うん、今から楽しみ」
何の迷いもなく。当然だと言うように、二人は笑って頷いてくれた。
良かったと、素直にそう思う。これで安心して帰って来れる。あの子を連れて、絶対に帰ってくる。
「アンタ達が今何をしてるかはもう訊かないわ。でも、いい? 必ず帰ってきなさい。勝手にどこかに言っちゃダメよ?」
真剣な顔で、アリサが言った。
「そうだよ。何を悩んでたのかは、なのはちゃんが話してくれるまで聞かない。でも、黙ってどこかに行くのはダメだよ。二人とも絶対に帰ってきてね」
すずかも同じだった。
「大丈夫。どこにも行かないよ。友達だもん」
思わず泣きそうになって、慌てて目をこする。声が少しだけ上ずったかもしれない。
ここが――こここそが光が守りたかった場所で。私があの子とも分け合いたい場所なんだと改めて思う。
(待っててね。きっと、私達が助けるから)
金髪の少女へ――まだ直接は名前を聞いていないあの子へと語りかける。本当の事を言えば、どうすればあの子を助けた事になるのか分からない。けれど、
(だよね。光お兄ちゃん)
結局は兄任せに過ぎないと言われたとしても――光に協力すると決めた私の選択は間違っていない。それくらいの自信はあった。
6
アルフを引き取り、アリサの家を後にしてからの事だ。
「それで、時の庭園とやらは見つかったか?」
夕暮れを過ぎた街の片隅で、適当な方向に向かって問いかける。
『残念ながらまだよ』
即座に虚空に魔法陣が浮かび、リンディの姿が映し出された。驚くまでもない。連中がいったん根城に戻ってからというもの、ずっとこちらを監視していたのは分かっていた。
『アルフの情報を元に捜索してみたが、すでに別の場所に移った後だった。そこを中心に捜査範囲を広げているが……まだアースラも本調子とはいかないからな』
すぐ近くに、もう一つ別の魔法陣が浮かび上がる。映し出されたのはクロノだった。
「アルフの話からすればかなり大きな屋敷らしいが、そんなものが移動できるのか?」
時の庭園。それがプレシア・テスタロッサの根城の名前らしい。まぁ、名前などこの際どうでもいい。問題はその場所だ。
『もともと漂流に近い状態にあるようだからな。そう難しい事じゃない』
かの魔女は何と世界と世界の間に住んでいるという。これまでも色々とかっ飛んだ個性を持つ魔法使いどもと出くわしてきたつもりだったが――どうやら、まだ驚く余地はあったらしい。まぁ、俺自身も個性云々で人の事はとやかく言えないが。
「となると、向こうから出てくるのを待つしかないか」
「で、でも……その、そんな時間はあるの?」
呟くと、なのはが恐る恐る言った。俺が俺でいられる時間はもう残り少ないが――それを食いつぶすほどの時間がかかるとは思っていない。というより、
「おそらく、だが。フェイトはすでにこの世界に戻ってきているよ。どこにいるかと訊かれると困るけどな」
「何でそう思うのさ?」
訊いてきたのはアルフだった。肩をすくめて答える。
「アースラだったか? こいつらの船が本調子になる前に戻っていないと、出た瞬間補足される事になりかねないからな。それは、プレシアの望むところじゃあないはずだ」
「……そりゃそうかもしれないけど。なら、何でアタシ達のところに帰って来ないんだい?」
『そりゃオレ達が……つーか、オマエらが管理局と一緒にいるからだろ。軍門に下ったと思われたとして、何か不思議があるか?』
「あ~…。そりゃ全くないね」
リブロムの言葉に、アルフがぐったりと項垂れる。
『あの娘――フェイトさんが戻って来ない。つまり、プレシア・テスタロッサが現在保有しているジュエルシードだけで満足したという可能性は?』
「ないな」
リンディの問いかけにきっぱりと答える。断言されるとは思っていなかったのだろう。リンディのみならずクロノも驚いたような顔をした。
『断言する根拠は何だ?』
「お前達が介入してきてから、アルフ達が集められたジュエルシードは三つしかないからだよ」
『それがどういう根拠になる?』
ちらりとなのはを見やる。妹の前で説明するのは色々と気は進まないが、ここで黙っていても仕方がない。ため息をついてから続ける。
「俺がアルフ達と出会う前に持っていたジュエルシードの数が三つだったからだ。フェイトは五つ回収した時点で一度報告に行ったが……まぁ、お気に召さなかったらしい。こっぴどくやられて帰って来たよ」
『やられて?』
「その辺は海での出来事から勝手に想像してくれ」
肩をすくめてやると、さすがのクロノも沈黙した。その隙に言葉を進める。
「お前達が介入してきたのはその直後だ。三つで諦められるっていうなら、もっと早い段階で俺に接触してきたはずだ。フェイトは俺が三つ持っている事を知っていたし、それはプレシアにも伝えたらしいからな」
というのは、さっきアルフから聞いた事だったが。ついでに言えば、アルフがそれを伝える事でようやくフェイトは折檻から解放されたらしい。多少なりと役に立てたということなのだろうか。
『なるほど。それなら、今あなたとなのはさんが持っているジュエルシードを狙ってやってくる可能性は高いわね』
「そういう事だ。ついでに言えば、禁術を目撃したあの女が真正面から仕掛けてくるとは思えないな。単純に考えれば、俺の相手にはフェイトをあてがってくるだろうさ」
単純に自分では動きたくないのか。それとも何か動けない理由でもあるのか。どちらでもいいが、あれだけの力を秘めていながらあの魔女は酷く奥手だ。いきなり真正面から仕掛けてくると言う事はあるまい。
「フェイトとアンタを戦わせる気だってのかい?! あのクソ婆ぁ!」
怒声を上げたのはアルフだった。とはいえ、実際のところ怒りを覚える場面ではない。むしろこちらにとっても好都合だ。
「プレシアにとって、フェイトにはまだ利用価値がある。その価値を無視して殺してしまうほど、彼女は愚かではないだろうさ。それが理性による判断かと言われると困るがな。だが、理由なんて何でもいいんだ。生きてこの世界にいてくれるなら、まだ保護出来る可能性だって残っている。重要なのはそこだけだ」
そこだけなのだが……問題はここからだった。そして、その問題を有しているのは他の誰でもなく俺自身である。
「だが、内容が何であれフェイトはプレシア・テスタロッサの指示に従うだろう。となると、フェイトと一戦交える事は避けられないと考えた方が無難だな」
『説得はできないかしら?』
「難しいな。少なくとも、俺には無理だ。というより、この中で一番身近なアルフですら無理だった時点でほぼ不可能と考えていいだろう」
というより、急に現れた他人が少しばかり言葉をかけた程度で説得できるなら、とっくの昔にフェイトは自分で逃げ出しているはずだ。相手の覚悟を砕くには、こちらにも相応の覚悟がいる。
「でも、こう言っちゃなんだけど……アンタだったら楽にあしらえるだろ? っていうか、実際にアタシもセットであしらわれた訳だし」
言ったのはアルフだった。だが、残念ながら期待には添えない。
「あの日はな。だが、今は無理だろう」
というより、やめておいた方が無難だ。
「何でさ? 別にアタシもフェイトも秘密の特訓とかしてた訳じゃないよ?」
「そんな事は知ってるよ。そうじゃなくて、戦闘中に俺が衝動に飲み込まれたらどうなるかって話だよ」
もっとも。あの娘を相手に殺戮衝動が作用するかどうか、と言われるとそれはそれで怪しいようにも思えるが。とはいえ、他に選択肢がある今となっては、あえて危険を冒してまで確かめてみるような事ではない。
『……なるほどな。さすがのあの子でも荷が重いだろう』
しばらくの沈黙の後、クロノが呻いた。確かに目下一番その被害にあっているのはこの少年だろう。正直、よく生きているものだ。……この感想も自画自賛になるのだろうか。
『それなら、フェイトさんにはクロノをあてがうと?』
「いや、それも難しいな。お前達が傍にいる状況で、あの娘がのこのこと姿を現すとは思えない。まぁ、それも状況次第だろうが……個人的には短期決戦を挑みたいんでね」
取りあえず、リンディからの反論はなかった。もちろん、クロノからも。
「なら、どうすんのさ? まさかアタシにやれって言うんじゃないだろうね?」
嫌そうにアルフが言う。とはいえ、
「そのつもりだった。……ついさっきまではな」
他に選択肢がなかったのも事実である。
「睨むなって。俺は動けない。クロノかリンディが出たら全力で逃げられる。となると、後はお前しかいなかったんだ」
厳密には、管理局についてはたった今こじつけただけの後付けなのだが――そうでなくても結果は何も変わらない。まぁ、厄介ごとが一つ減ったことは認めるが。
「いや、その魔導師はどうなのさ?」
アルフが示したのはユーノだった。
「ユーノには他にやってもらいたい事がある。それに、」
「僕だけじゃあの子に勝つのは難しいかな。……僕は攻撃魔法が使えないしね」
視線だけ向けると、ユーノが静かに言った。なのはやリブロムから――そして本人の話を聞く限り、生粋のサンクチュアリ派並みに破壊の力からは縁の遠い魔導師らしい。
(まぁ、本当に戦えないって事はないんだろうが)
結界や捕縛用の魔法には長けているらしい。そういった魔法が、使い手次第では攻撃魔法を上回る脅威になる事は嫌というほど知っている。とはいえ、現時点のユーノにその手腕を期待するのは酷か。それに、先に言った通り彼にはやってもらいたい事があった。
「う~…。まぁ、必要な事だってのは分かってるんだけど……」
唸るアルフを見ながら、リンディが言った。
『ついさっきまで、という事は今は違うと言う事かしら?』
「ああ。まぁ、正直に言えばお前達を『巻き込めた』のは確かに幸運だった」
そのおかげでさらに状況が変わった。今やるべき事はとにかくフェイトを手の届く範囲に引きずり出し生存を確認する事だ。端的に言えば、保護そのものは後回しになってもかまわない。何せ、その前にプレシア・テスタロッサと決着をつければいいのだから。
「ところでなのは」
「何?」
突然名前を呼ばれ、驚いたようになのはが首を傾げる。他の連中も突如として話を替えたと思ったらしく、それぞれ妙な表情をしていた。もっとも、別に話を逸らしたつもりなど欠片もないのだが。
「リブロムから聞いたんだが。お前、あの温泉宿でフェイトに何かもう筆舌に尽くしがたいくらい容赦なく一方的に惨敗したらしいな?」
途端に、なのはが目の色を替えて抗議してきた。
「そんなに酷くないもん! 精々ボロ負けくらいなの!」
……それが抗議なのかどうなのか今ひとつ判断に困るところだったが。ともあれ、意外と勝負事には拘る性質なのは良く知っている。この娘もやはり恭也や美由紀、士郎や美沙斗と同じ血を引いていると言う事だろう。
(もう少し桃子の血が濃ければ……。いや、無駄か)
彼女は彼女で意外と押しが強い。そうでなければ、そもそも俺はここにいない。となれば、この娘の負けん気の強さというか、勝負に拘る性質は必然だと言えるのだろう。
つくづく本当に心の底から全く以って不本意だが……それなら、たまの我儘くらいは叶えてやるべきか。
「どうだ? ここらでせめて惜敗くらいまで頑張ってみないか?」
それはつまり、フェイトの相手をしてみないか、という提案だった。
7
「どうだ? ここらでせめて惜敗くらいまで頑張ってみないか?」
その瞬間、何を言われたのか理解できなかった。ゆっくりと時間をかけて、光の言葉を噛みしめる。もちろん、今までの話を理解できていない訳ではない。それと兄の言葉がどのように繋がるのか。それは、私の勘違いではないのか。何度も何度も考えてから。
「任せて!」
滑り出たのは、そんな言葉だった。何も悩む事はない。何も怖いことなんてない。光にもユーノにも。クロノにもリンディにもできないこと。私にしかできないこと。
そして、光とあの子の力になれること。それは、最初の夜から――ひょっとしたらそれ以前から今までずっと求めていた事だった。
『いや、待て。正気か?』
「一応今は衝動に飲まれていないつもりだが?」
制止するように言ったのはクロノだった。光の返事に苛立ったように呻く。
『そう言う事じゃない。高町なのはがフェイト・テスタロッサに勝てるというのか?』
酷い言われようだった。とはいえ、『絶対に勝てる自信』があるかと言われると困ってしまうのだけれど。
「俺に勝てたんだ。フェイトにだって勝てるんじゃないか?」
一方の光は、ごくあっさりとそんな事を言った。でも、私には分かる。これは結構根に持ってる。間違いなく持ってる。思わず背中に冷や汗が伝った。
(ううう……。確かに反則に近かったけど……)
文字通り満身創痍の光に対してさらにハンデをもぎ取り、しかもイカサマのような勝ち方をした訳で。いずれ返ってくるであろう仕返しを前に一人で震えている私を他所に、話はどんどん進んでいく。
『あの子がお前のように手加減してくれるとでも?』
「手加減を期待するのは無駄だろうが……それ以外の状況は似たり寄ったりだろうさ」
『何? どういう事だ?』
「どういう事なの?」
光の言葉に、クロノと声が重なった。
「海での封印でかなりの魔力を消耗しているにも関わらず……さらに言えば、プレシアの一撃で傷を負っているにも関わらず、フェイトはあの部屋に帰って来なかった。まぁ、どこかで身体は休めているだろうが、少なくとも精神的な疲労は残っているだろうさ。何せアルフも傍にいない訳だからな」
そこでいったん言葉を切って、光は笑みのような表情を浮かべた。
「それに、あの娘と戦う事が目的じゃあないだろう? 弱っているなら、そのまま素直に保護できるかもしれない」
確かにそれが一番いい決着のつき方だった。もっとも、
(あの子が諦めるとは思えない)
どれだけ傷ついていても、あの子はやめたりしない。そんな事は光にも分かっている事だろう。だからこそ、その笑みのような表情は、決して笑みになどなりはしないのだ。
「ところで、具体的にどうやってあの子を探すつもりなんですか?」
「探すなんて手間をかける気はない。向こうから出てきてもらう」
ユーノの言葉に、光はきっぱりと言い切った。
「俺がなのはを選んだもう一つの理由はまさにそれさ。何せ、フェイトにはなのはを襲撃する理由があるんだからな」
「そっか、ジュエルシード!」
私が持っている五つのジュエルシード。あの子は――あの子のお母さんはそれも欲しがっているはずだ。
「そういうことだ。お前は今五つ持っているはずだな? フェイトは今八つ持っていたはず。足して十三なら、六割は手に入れたことになる。向こうの望みが何であれ、それで満足する可能性はあるだろう。それに、」
『あなたの持っている分を狙うより楽だと考えているでしょうしね』
「そういうことだ。その辺はフェイトの意思というより、むしろプレシアの采配次第だが……まぁ、そう分の悪い賭けじゃあないだろう?」
その言葉に、リンディとクロノが頷く。それを見届けてから、光は私に言った。
「いいか、なのは。正直に言えば、お前が勝とうがフェイトが勝とうがその辺はあまり意味がない。お前が負ければ、フェイトはそのジュエルシードを持ってプレシアのところに帰るだろう。その隙にリンディ達がプレシアの居場所を把握するだけの話だからな」
それはそうだろう。あの子を倒す事は目的ではない。それくらいの事は分かっている。
「でも、私が勝てば、あの子をすぐに助けられる。そうでしょ?」
どうすればあの子を助けられるのか。そんな事は分からない。でも、このままでいいはずがないのだから。それに、
「そうだな。だが、恨まれるかもしれないぞ?」
「それでも、私はあの子を助けたい。助けるんだって、そう決めたから」
本音を言えばそれはとても怖い事だけれど――それでも、私だってそのくらいの覚悟を決めなければ、あの子と向き合う権利なんてない。
8
「おかえりなさい、なのはさん、リブロム君、ユーノ君。そして、改めてはじめまして、光君、アルフさん」
久しぶりにアースラに戻ると、リンディが出迎えてくれた。飛び出した時の事を思うととても気まずい。それはもう、とっても。
『しっかし、相変わらずイカれたところだよな』
「まぁ、世界を超える船なんだから元々まともじゃあないだろう」
『そりゃ違いねえな。ヒャハハハハハッ!』
そんな私の横で、リブロムと光がそんな事を言い合っている。しみじみと思う。二人とも、お願いだからちょっと黙ってて。
「それで、本当に明日には動けるのか?」
「ええ。心配しないで。明日には必ず決着をつけるわ」
光の言葉に、リンディが頷く。
「それじゃ、部屋に案内するから――」
「いや、いい。どうせリブロムはなのはと同室だろ?」
「それはそうだけれど……」
困ったような顔でリンディが私を見る。まぁ、私も光と同じ部屋でいいのだけれど。
「何を考えているか知らないが――状況はもう少し深刻だからな」
リンディを半眼で睨みながら、光が言った。
『まぁ、そろそろ衝動を抑えるのも限界だろうな。行くぜ、相棒』
言うが早いか、リブロムがページを開き、光はそれに吸い込まれていった。
『心配するな。追体験つってな。記述を元に過去を再現する。それがオレの力だ』
「記述……。ひょっとしてあの空間と同じものか?」
言ったのはクロノだった。
『どの空間か知らねえが……まぁ見当はつく。そう思ってくれて構わねえよ』
「えっと、何で急にそんな事を?」
リブロムを拾い上げながら、問いかける。
『何でって、オマエ。ここで相棒が暴れまわったらどうなると思うんだよ?』
「う……」
それは確かにそうかもしれないけれど。
『次に相棒が出てきた時が決着のつく時になる。だが、少なくともオマエがあの嬢ちゃんとやり合う時には相棒は傍にいねえぞ。何だ? 怖気づいたか?』
「そんなことないよ。大丈夫、絶対勝って見せるんだから」
『無理すんなよ。あの嬢ちゃんを倒して終わりじゃねえんだからな。まだ、続きがある』
「うん。分かってる」
私の言葉に、リブロムはにやりと笑った。
『明日で決着がつかなけりゃ、全てが終わる。オマエら、覚悟はできてるだろうな?』
全員を見回して、リブロムが告げる。今さら否定する人なんて誰もいなかった。
――世界が終わるまで、あと一日
後書き
また一週間遅れですが……。
ともあれ、ようやくハラオウン家とも話がまとまりました。
さてさて、それではこの勢いでテスタロッサ家の家庭の事情に突撃をかけます。
さぁ、いよいよ終盤戦です。高町家の末っ子にもいよいよ活躍の場面がやってまいります。……ええと、多分その予定ですが、さて。
と、いったところで来週更新できる事を祈って。
2014年11月29日:一部修正
2015年10月17日:誤字脱字修正
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