横浜事変-the mixing black&white-
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幾多の人間が思惑を重ね、やがて殺し合いが始まる
数十分前 ホテル『ニューグランド』ヘヴンヴォイスの部屋の前
八幡と宮条は掃除係として、ヘヴンヴォイスが泊まる階にいた。他の階へ行く事は愚か、付近を離れる事もない。このホテルは何もかもが豪華な上に、面積が無駄に広い。同じ階にいても、護衛出来る範囲と出来ない範囲が自然と生まれてしまうのだ。そのため、二人は護衛対象になるべく近い位置を行ったり来たりしている。
――狩屋達から連絡はない。チェックインは11時までだし、少し警戒度を落としても問題はないだろう。
八幡はそう思い、次に時計を見る。時計の針は10時半辺りを指していた。それを見て、やはりまだ安心は出来ない、と考えを改める。相手にするのは、普通の秩序で包囲出来る種類ではない。仮に仲間にピッキング出来る人間がいるとすれば、どこかの入口から侵入されてもおかしくはないだろう。自分が侵入する側であれば、確実にそうさせていた。
――だが、中にも外にも敵がいるとなれば、そう簡単に手出しは出来まい。
外で待機している仲間とフロントにいる仲間の事を思い浮かべながら通路を見渡していると、宮条が前からやって来た。もう何度すれ違ったかは把握していない。彼女と目が合うが、互いに何も言わずに通り過ぎる。何かがあればすぐに対応し合えるからこそ、会話は必要なかった。
そして、通路が左右に分かれる突き当たりで右に曲がったとき――彼はすぐに元来た通路の陰へと隠れた。しかし時すでに遅く、八幡を狙った銃弾がホテルの内壁に傷を付けた。
「……バカな」
たった今すれ違った宮条が足音を消した足取りでこちらにやって来る。そのとき、すでに彼女の両手には投擲用のナイフが収められていた。
そんな彼女を見て、八幡は無言で合図を出す。野球のように指で意図を掴ませるもので、この時宮条に下した指示は、『囮になってくれ』というものだった。
宮条は突き当たりの右側に敵がいる事を察知している。合図を見て数秒固まったが、すぐに頷いて八幡の位置と入れ替わった。八幡は宮条に小声で「増援は出した」と伝え、それからヘヴンヴォイスがいる部屋に向かって駆け出した。
そこにいる人間達もまた、自分と同じ殺し屋だという事実を知らずに。
*****
同時刻 ホテル『ニューグランド』フロント
「マジかよ……」
狩屋はそこで、自分がとんでもない失態を犯した事を自覚した。少し先で掃除しているケンジは顔面を蒼白にして携帯を確かめている。どうやら内容をしっかり読んだらしい。
あまりコソコソしていると宿泊客にも従業員にも怪しまれる。かといって挙動不審なのも返って目立つ。細かい事は気にしない主義の狩屋はどうやってこの場を切り抜けようか迷っていたが、突然話しかけられた事で思考が強制的に切り離される。
「狩屋さん」
「うおおっ!ああ、暁か。今ここから抜け出す方法考えてたんだけどよ」
「行きましょう。僕らも」
「え、このまま?いや、ちょっと……」
ケンジは自分の結論を口にするとスタスタとエレベーターの方へと歩き出した。突然の行動力に驚きながら狩屋も続く。が、途中でホテルの従業員がケンジの前に立ち塞がって、陰のある笑みを浮かべた。
「君達、どこにいくのかな?」
「すいません、先程捨てに行ったゴミがまだ残っているのを思い出しまして」
「ほう、それは早くしなくちゃならないね。てっきりどこかで息抜きしにいくのかと思ったよ」
「そんな事しません」
「ならいいんだ」
今度は素の笑顔で安堵した様子を見せる従業員に対し、ケンジも普段と変わらぬ笑みを湛えて呟いた。
「ちょっとゴミが大きいんで、時間がかかるかもしれません」
*****
「……まさかお前があんな冗談を言うとは思わなかったぜ」
苦笑いしながら言う狩屋に、ケンジは困ったような顔をしながら自嘲する。
「まだ血を見ただけで気分悪くなる素人ですけどね」
「安心しな、Cの奴らもこっちに向かってるみたいだからよ。相手が何人だろうが迎え撃てるってわけだ」
「そうですね」
チームCのメンバーとは初の会合で少し喋った程度で、それ以降の交流はなかったのだが、狩屋によれば実力派の人間で揃えられているらしい。前に話した時はそんな雰囲気を感じなかったので、プロの凄さをひたすらに感じる。
しかし、そのチームCすら気付けなかった敵の存在に、ケンジは心臓の高鳴りを押さえられなかった。フロントで周囲を観察していたが、それらしい特徴を持った人間が通った記憶はない。狩屋は「くせぇ気配は感じなかった」と悔しそうな顔をして言った。だがすぐに顔つきを変えて、この後の動きについて話した。
「とにかくリーダーと姐さんが心配だ。敵が何人いるかも分からないのがウゼェけど、一緒に行動すんぞ」
「了解です」
やがてエレベーターはゆっくりと減速して、目的の階に到着する。二人はすぐに出て、状況を確認しようと辺りの通路を見渡したのだが――
パァァァン、という今では聞き慣れた音が生じた事で、方向が掴めた。
「クソッ」
狩屋は悪態を吐きながら走り出し、ケンジもそれに続いた。腰から拳銃を取り出して、迷路のように細い通路の中を突き進む。
そして一つ左に曲がったところで、ようやく仲間の一人を発見した。
「姐さん!」
狩屋が張り詰めた声で呼ぶと、宮条は厳しい顔をしながら口に人差し指を添えた。静かにしろ、と言っているらしい。どうやら近くに敵がうろついているようだ。ここに来るまでに一度も敵と遭遇しなかったのを、ケンジ達は安心した。焦った状態で見つかれば、確実に仕留められていただろう。
二人は足音をなるべく立てないように彼女の元へ向かい、状況を聞いた。
「ついさっき接触したばかり。リーダーはヘヴンヴォイスの安全を確保するために向かってる。私は囮で時間稼いでたけど、もう反撃してもいいわよね」
元々、ヘヴンヴォイスが宿泊した階は誰もいないように細工してある。それは敵を誘き出すためでもあり、仮に来た場合に備えたためでもある。その機能はちゃんと果たしたらしい。
とはいえ、人がいないが故に敵も味方も殺し合いに制限を掛けなくなるというのが最大の難点ではあったが。
「もうやっちゃいましょうぜ。敵、何人すか?」
「6人。で、今は3人」
「じゃあ、残りの3人は……」
宮条は少し目を下に落としてから不安要素を口にした。
「分からない。でも、あいつらの目的がヘヴンヴォイスなのは分かってる。だとしたら……」
「マジ、かよ……3人を相手取る事なんて……」
そこで、彼らの不安をかき立てるかのように遠いところから発砲音が鳴り響いてきた。宮条は珍しく顔を青くしながらケンジ達に嫌な情報を告げる。
「リーダーは、銃を持っていない」
「……」
「……」
三人の間に沈黙が走る。しかし、それは束の間の出来事だった。
「僕が、囮になります」
小さく、しかし芯の通った声でそう言ったのはケンジだった。その目はすでにどこかにいる3人の敵を見据えており、狩屋も宮条も茫然としていた。
「暁君、自分が何を言ってるか分かってる?」
「分かってます。でも、僕が八幡さんのところに言っても何も出来ない。だったら近くにいる3人を少しでも引き付けて、その間にお二人が行けば……」
「その前に死んだら?」
宮条の冷たい声が、ケンジの口の動きを止める。何も言えなくなった彼に対し、彼女は無表情のまま言い放った。
「もし囮になる前に死んだら、それも意味がないのと同じじゃないかしら。あのね暁君、囮っていうのは、言葉以上に死に近いの」
「……はい」
「だから、君は狩屋と一緒にリーダーのところに行って。私は隠密主体だから、逃げるのは得意なの」
「……勝手な事言って、すみませんでした」
「別に責めたつもりはないわ。でも、それだけは分かってほしい」
そう言うと、宮条は手入れされていない自分の髪をわしゃわしゃさせながら、微笑を浮かべた。
「少なくとも、狩屋よりはカッコいいかな」
「ちょっ!もしかして姐さんってショ……」
「下らない事言ってないで、早く行きなさい。リーダーが危険なのよ?」
「あっ、はい!」
ケンジと狩屋は、その場を宮条に任せて先程の発砲音が聞こえた方へと走り出した。
自分達の上司が窮地に晒されていない事を、心の底から祈りながら。
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