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受け継がれる運命

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第一章


第一章

                   受け継がれる運命
 月の女神は二人いた。よく知られているのはアルテミスだが彼女とは別にもう一人女神がいた。
 その女神の名をセレネーという。アルテミスが金髪に緑の目の少女的な美しさの持ち主であるのに対して彼女は同じ金色の髪と緑の目を持ちながらも大人の女性の姿をしていて穏やかな顔の女性であった。身体もまた女性的でありその心はさらに優しい女のものであった。そうした女神であった。
 彼女は言うならばアルテミスの姉であった。血はつながっていないが二人の仲は姉妹そのものであった。いつも二人で夜の空を駆り月を導いていた。
「ねえアルテミス」
 ある夜のことだった。セレネーはアルテミスに顔を向けて声をかけてきた。
「貴女は結婚はしないのかしら」
「結婚ですか」
「そうよ。貴女も女性なのだし」
 セレネーはその少し垂れ気味の目を彼女に向けていた。その目は二重で実に澄んでいる。やはり同じ碧でも少し釣り目で二重でもその光が強いアルテミスとは違っていた。
「何時かはきっと」
「まだ。それは考えられません」
 アルテミスは戸惑った顔でそうセレネーに答えるのだった。
「私は月の女神になって間もないですし」
「まだお仕事の方が大事かしら」
「はい」
 正直にセレネーに答えるのだった。
「そう考えています」
「けれど貴女のお兄さんは」
「兄は兄です」
 何故かアルテミスは兄の名が出ると顔を不機嫌にさせた。彼女の双子の兄である。アポロンのことだ。
「兄のあれは悪い癖です」
「そうなの」
「そうです。私もいつも言っているのですが」
 アポロンは女好きでありしかも美少年も好きだった。そうした見境のないところが妹は許せなかったのだ。それでいつも注意しているが聞かないのである。
「どうしても。なおらなくて」
「困っているのね」
「そうです。どうしたものでしょうか」
「いいことね」
 だがセレネーは。アルテミスのその話を聞いて穏やかな笑みを浮かべるだけであった。
「それは」
「冗談ではありません」
 だがアルテミスは生真面目な顔でこう言葉を返した。
「子供も何人もいて。本当に」
「皆そうなのよ」
 セレネーは怒る彼女にまた穏やかな顔を向けて述べるのだった。
「神様も人間も」
「それが好きになれません」
 アルテミスは口を尖らせていた。
「ふしだらです」
「愛を楽しむのはいいことなのよ」
 セレネーはまたアルテミスに述べた。
「誰であってもね」
「愛ですか」
「私もね。そうしたいのよ」
 意外にも彼女自身はまだその経験がないようである。それが言葉にも出た。
「けれど機会がなくて」
「そうなのですか」
「ええ。それで貴女にこんなことを言うのもあれだけれど」
「いえ」
 しかしアルテミスはセレネーのその言葉には素直に首を横に振ったのだった。
「それは違います。先程お姉様が仰ったではありませんか」
「愛を楽しむことはいいことね」
「そうです。ですから」
 アルテミスはそう述べる。
「これから愛を楽しまれては如何でしょうか」
「そうね。相手がいれば」
 アルテミスの言葉を受けて考える顔になった。思案に入るその顔も実に美しい。二人が並んで座っている天空を駆ける馬車の後ろにある月の穏やかな白銀の光で照らされてそれが彼女の白い顔をさらに白く見せていた。
「いいのだけれど」
「いないのですか」
「ええ。それに」
「それに」
 またセレネーに問う。
「何かあるのですか」
「一度ね。ゼウス様に言われたことがあるの」
「父にですか」
「そうなの」
 実はセレネーはゼウスの直接の血縁者ではない。しかしそれでも兄であるヘリオスと共に今も神でいるのだ。それは彼等の温厚な性格故にその仕事をすることを許されていたからである。
「私は。愛をすれば不幸になるって」
「不幸に」
「月は。悲しみの象徴でもあるからと」
 少し俯いて悩ましげな顔になった。その顔はアルテミスから見ても心を引き込まれずにはいられないものであった。
「そう言われたわ」
「そうだったのですか」
「その不幸が何かはわからないけれど」
「愛することができないのですか」
「その前に相手を見つけることもできなくて」
 そのことでも困り果てた顔を見せるのであった。
「まだ。愛を知らないの、私も」
「そうですか」
「けれど。不幸を気にしていては駄目よね」
 ここで顔を上げて言うセレネーであった。
「やっぱり。私だって」
「そうです。誰でもなのでしょう?」
 アルテミスは明るい声で彼女を励ました。
「それでしたら」
「そうね。私も」
「誰か見つければいいのです」
 アルテミスはわかっていなかったがここでは姉とも慕う女神を励ます為に言うのだった。これは彼女の精一杯の優しさであった。
 
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